奇妙な再会③
「前回のあらすじ」
城下の広場にて、デリンジャーと再開したロット・ワンに恐ろしい過去が蘇る。
あるはずのない記憶と、たまらない罪の衝撃に震える彼であったが、デリンジャーはそれを自らの意思によるものだとして許す。
デリンジャーは《ダーガー》から「療養命令」が出ていることを告げ、かくして、彼らはともに《星見台》へと向かうこととなった。
雨だれの止んだ街路に、甲高い汽笛が鳴り響いていた。
足元をくすぐる、地鳴りのような振動。その勇ましくも不安げな波の上で、一本の列車が、巨像のように佇んでいる。
唸りを上げる車体は、夜空へ伸びるアーチ型の駅舎のライトに照らし出されて薄黄色に浮かび上がり、その下の奈落のような車輪の周辺では、レインコートを羽織った整備士姿のVivianたちが、あくせくと忙しそうに行き交っていた。
《番外特区》――通称、《果て》。
ここは、《城下》でも特に人気の無い地区である。
居住区から遠く離れ、運搬用のだだっ広い車道を幾重にも曲がって辿り着くそこは、立地的には《城下》の西端に位置し、《果て》の呼び名の通り、《王国》と外界を隔てる境界の一つとなっている。
ゆえに、そこに街らしい気配はほとんどない。あるのは、規則正しく整備された直線状の駅舎と、それに付随するいくつかの管理塔、そして個性の無い平板な倉庫の群れだけだ。
行き交う人影も、目につくのはこの地区の存在意義とも言うべき「列車」を管理するインフラ担当のVivianたちだけであり、本来の住人であるはずのレギオンたちの姿はどこにも見当たらなかった。
「見るのは初めてだったが、こいつは想像以上だな」
物差しのような駅舎の一角、そこに鎮座する聳えるような巨影を前に、デリンジャーは呟く。
それは、全長三十二メートル、重量八百トンからなる巨大な煤色の塊。およそ六メートルの先頭車に、一車あたり五メートルの大型連結貨車五両を引き連れたそれは、真っ直ぐに敷かれた黒い線路の上でぶるぶると震え、そのどこか古めかしい車体を、さながら奮起させるかのように浮き上がらせていた。
「初い話よな、こんなもの、儂はとうに見飽きたわ」
驚嘆するデリンジャーに、亜人の老人がぐずる。
嫌そうに細められた両目の下には、小さな鼻元を覆う毛むくじゃらの左手がかかっており、一歩身を引いたその足つきからは、何やら肥溜めでも覗き込んだような嫌悪感が醸し出されていた。
「ああ臭い、こいつはまったくかなわんよ」
小言を言い、ぷいと顔を背ける老人。
デリンジャーは、ふとロット・ワンと顔を見合わせると、やや首をかしげながら自らの眉間をつつく。
直後、息が吸い込まれるような音がして、周囲に漂うあらゆる臭気が鮮明になる。今までは感じられなかった泥の匂いや、車体から滲み出すように漂う鉄臭い匂いなどが、まるで戸口を開け放ったかのように飛び込んでくる。外殻に備わる、嗅覚の機能が強化されたのだ。
だが、そうしてなお、得られた変化はそれだけであった。その老人が、あえて鼻を覆わなければならないような臭いはどこにもなく、駅舎に漂っているのは、有り体に言えばつまらないタール臭ばかりであった。
「年寄りの言うことは、わからん」
唸りつつ、彼は冗談めかして辺りを見回す。
もっとも、その言葉に茶化すような面持ちは無い。何しろ、彼自身も滅多に訪れることのない場所だ。慣れない者には感じられない、特別な何かがあるのかもしれない。
彼は、ようやく高まりだしたエンジンの音を聞きながら、肩をすくめてロット・ワンを見やる。
「《星見台》は、ずっと後方だった。聞かれても、困る」
所在無げに顔を背ける。
その姿には、どこか人馴れしていない少年の面影があった。
そういえば、この列車は電池式だったはずだ。デリンジャーは、先頭車の下部を注意深く見守るVivianたちの姿を見て、ふとそんなことを思い出す。
あれだけの巨体を動かすのに、一体どんな電池が使われているのだろうか。
《星の竜》が跋扈する夜の大地において、送電用の架線を敷設するのがどれだけ冒険的な話であるのかは言うまでもないが、だからといってそれを代替するだけの電池を作り出すのも、どうにも容易な話ではないように思われた。
臭い、か。
ふと鼻腔にひりひりとした感覚を覚えつつ、彼はその車体の唸りに耳を傾ける。
しかし、彼のもとにもう一人の声がかかったのは、ちょうどその時であった。
「お早いご到着ですね、デリンジャー様」
カンという靴底を鳴らす音とともに、小さな人影が、彼のもとに近づく。
「《マルカ》か」
やってきたのは、枯葉色のレインコートに身を包んだVivianの少女、《マルカ》であった。
「計算よりも五分早着です。この差異は、《ダーガー》に報告するべきでしょうか」
こつこつと歩くその足には、きつく引き締められた厚手の軍用ブーツがはめ込まれ、そこから覗く痩せた太腿には、どこか不釣り合いな黒い軍服の色があった。
彼女は、駅舎に立つ三人の姿をみとめると、小さく首を傾けて会釈をする。その顔にはやや読みきれない不可思議な笑みが浮かんでおり、ぽつんと立つ三人に向けて、どこかおかしげな視線を送っていた。
「ジャン・ジャルジャックの様子はどうだ?」
にべもなく、デリンジャーは聞き返す。
「心配ありません。《リー》様が執刀する手配となりましたので、おそらく近日中には復帰できると思われます」
そう言って、少女はレインコートのフードを取り払う。
意図せず舞い上がる神秘的な銀髪が、はらりと薄黄色の街灯に揺らめいた。
「君は――」
ロット・ワンは、小さな驚きとともに声を漏らす。
おそらく、最初に《テンティウム》で出会ったあの時のことを思い出しているのだろう。思えば、今の光景は、あの場所での出会いの焼き直しを成しつつある。
同じようなことを思っているのか、微笑み返すマルカの表情にも、やや懐かしそうな色合いがあった。
「マルカです。お目覚めになられたようで何よりです。デリンジャー様とともに、再び同行させていただきます。リー様の代わりといっては何ですが……不調等がございましたら、ぜひに」
頭を下げ、丁寧に言葉をかける彼女の身振りは、紛れもなくVivienのそれであった。
「ありがとう。助かる」
短く言葉を交わすロット・ワンは、デリンジャーの目には少しばかり変わったように見えた。
奇妙な再会は、これで最後であった。
同行者は揃った。後は、あの列車に乗って、目的地である《星見台》へと向かうだけだ。
しかしながら、そのことは同時に彼の感情を曇らせる。なぜなら、これが最後である以上、そのことについてもまた、やはり避けられない――説明しなければならない話であるからだ。
今回、この場には何人かの欠席者がいる。それは、ジャン・ジャルジャック、それからマルカの上官である女性レギオンの《リー》、そして何より、《あの男》――。
「もう一人……」
ロット・ワンの声が、密かに耳をざわつかせる。
一瞬、空気が凍ったような気がする。いや、凍らせたという方が正しいか。
彼は、何も知らない一人を除いて、明らかに全員の表情が変わったことを確認する。
「ロックウェル様は――」
しかしながら、その声は甲高い汽笛の音とともに遮られる。
がたがたと動き出す車輪。深い溜息が、岩のような背中を揺らした。
デリンジャーは、ゆっくりとスライドしてくる乗車口を指差すと、おもむろに線路の縁へ向かって歩き出す。
マルカは、そんな彼の姿に目を細めると、少しばかりその行く末を見守って、それから、短い手振りで二人にもそれに続くように促した。
「安心せい、今にわかる」
声をがらつかせる老人は、背負った大筒の位置を直しながらしずしずと歩き出す。
見れば、線路の向こう側では、整備を終えただろうVivianたちが、一斉に後方へと退避を始めていた。
「――バベル」
「やだよ」
呟くや否や、頭の中に即座に否定の言葉が返ってくる。
なんとなく、そうなることは分かっていた。しかし、彼らの交わす言葉に、やはり良いイメージは感じ取れなかった。
現実は、彼の想像を超えて進んでいる。そして、《王国》は一つの岐路に差し掛かっていた。
一人のレギオンの死、それは彼らの運命を大きく揺るがす、一つの警鐘。
だが、何も知らない今の彼には、ただじっと前へ引き寄せられる以外に、何の道も照らし出されてはいなかった。




