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ニュクスの星にて  作者: 御御
《双子》編
24/39

二人の《好例》②

「前回のあらすじ」

 デリンジャーが到着した時には、すでに戦いは決していた。

 《双子》の竜はその片割れを失い、嘆きとともに天上へと霧散する。

 ジャン・ジャルジャックも、亜人たちもいない、不気味な戦場。

 そこに佇むのは、炎を燃え立たせる、一人の《好例》。

 宿命的な対峙が、ついに大地を震わせる。

 俺に、一体何を選べというのか。

 眼前に吹き荒れる嵐を前に、デリンジャーは静かに自問する。

 思えば、これまで「選択」したことなど、一度も無かったかもしれない。レギオンとして目覚め、自らの意思と言葉を得た時には、すでに「使命」と呼ぶべきものがべったりと張り付いていて、そこに選択の余地など、初めからありはしなかった。

 あるのは、ただ与えられた状況のみ。生活、学習、鍛錬――《ダーガー》によって計算された、その定められた日常は、彼から知らず知らずのうちに様々なものを奪い、そして変えていった。

 なるほど、()()()とは、まさしく呪いである。そこに「記憶」さえあったなら、自分はきっと、こんな理不尽な運命を受け入れることはしなかっただろう。そう思えば、《ダーガー》は実に賢い機械である。機械にしては、ほとんど()()()()()()()賢い。


 だからこそ、わからない。


 《ダーガー》は、どうして「感情」を残したのか。

 《好例ロット》が欲しかったにしても、前任者ロット・ワンを思えば、むしろそんなものは無用の長物であったはずだ。こんな使命に、人間の精神こころは着いてこれない。ならば――どうせ代替品を作るならば、いっそ自分によく似た冷徹な非人間マシーンにでもこしらえておけばよかっただろうに。

 彼は、どうしようもなく歯噛みする。選べるわけがない。初めて出会ったあの時、にわかに感じた不器用な感情の綻びは、それを殺すと決めるには、あまりにも自分に似過ぎていた。


 「使命」など、望んでいない――。


 薄弱な意志の影で燻る、反逆の心。《デリンジャー》――。まさしく、()()()()()の名に相応しい、愚かな燃えかすだ。

 彼は、迫り来るその()()を前に、鈍器のような右腕を構える。擦過音とともに滑り落ちるその杭は、前任者ロット・ワンのそれよりも遥かに洗練され、そして破壊的な重量を秘めていた。


 「警告する。そこで停止せよ」


 彼は、結局「選択」を先延ばしにした自分に舌打ちをしながら、静かに深呼吸する。

 《オレオール》の充填は完了している。それはつまり、一言「撃て」と命令すれば、目の前の怪物に竜をも殺す一撃が降り注ぐということだ。初めから勝利が確定している、馬鹿げた戦い。

 彼は、散開したすべての戦車に向けて、決して動かないよう命令する。


 「もう一度言う、そこで停止せよ。さもなくば、お前を《王国》の敵として排除する」


 距離がない。それは、正真正銘最後の警告であった。

 しかし、怪物は止まらない。左手で顔を覆い、ぶつぶつと何かを呟きながら、亡霊のような朧げな足取りで、一歩、また一歩と近づいてくる。

 もうだめだ。意を決した彼は、その巨大な右腕を大きく振り上げる。

 彼の体から、黄金色の火花が舞い始める。《好例ロット》の力、同胞レギオンに向けるのは、これが初めてであった。


 「ぬうぅぅぅぅっ!」


 猛獣のような唸りを上げ、彼は一撃を振り下ろす。

 場合によっては、後遺症が残るかも知れない。しかし、そうなったとしても、他に今の状況を打破する手段など、まったく思いつかなかった。

 受けることなど、出来はしない。そのように、《ダーガー》が設計したのだから。

 しかし、そんな彼の目論見は、これまで怪物を見ていた者たちからすれば、あまりにも甘すぎるものであった。


 「がっ……?」


 予想だにしない、素っ頓狂な声。

 気がつけば、彼の体は泥の中に倒れ伏し、ひび割れた岩石の隙間を覗き込んでいた。

 何が起きた――。頭の中が、酔ったように混沌とする。視界は定まらず、両足は死んだように動かない。体が重い。

 上げればキリがないほど、彼の体は異常という異常に満ちていた。

 そうして浮かんでくる、一つの輪郭。かすかに覗くその怪物の右腕には、まるで、神話に出てくる「竜」のような、吹き上がる巨大な黄金色の大爪があった。


 「だから、選択しろって言ったのに」


 頭の中に、《天使》の声が響く。


 「もうとっくに、()()の出番は終わっているんだよ。《彼女》が、生まれ始めている。しかも最悪なかたちで。君の力じゃ、もうこの暴走は止められない」


 侮蔑の入り混じった、低い声。

 その瞬間、彼の全身を恐怖が駆け巡る。やせ細った真っ白な手、それが、無数の蛇のように両足に絡みつき、暗い闇の底へと引きずって行かんとする光景を幻視する。

 これが、死か。そう直感した直後、全身が力という力をすべて動員して、どうにか立ち上がるべくもがき始める。体は、ぴくりとも動かない。定まらぬ視界は、そんな彼の足掻きを、なおも嘲笑うように揺らき続ける。

 だが、それでも終われない――。そう思った直後、一つの意志が、不可解なほどの急速さでもって燃え上がってゆく。なぜ、自分は生きようとしているのか――。

 そうして蘇る、過去の「記憶」。その朧げな幻の中に浮かんできたのは、死の冷たさに満ちた顔に、薄らと不敵な笑みを浮かべた、一人の男の姿であった。


 「これは、お前が使え。その時は、必ず来る。だから、《卑怯者(とっておき)》は、最後まで隠しておけよ?」


 胸の()()()()()()が、密かに鈍い輝きを放つ。

 その瞬間、彼は唸りとともに立ち上がった。

 泥の飛沫が、ぼろぼろとこぼれる土砂に混じって余韻のような音を立てる。

 そんな彼を睨みながら、独り佇む怪物は、その真っ赤な両目に、どこか悲しげな色を瞬かせた。

 天上の雷鳴が、泣き叫ぶように辺りに落ちる。見れば、たった一撃にも関わらず、さっきまで立っていた地面は大きく抉れ、その周辺に、夥しい量の土砂を撒き散らしていた。

 《好例ロット》でなければ、命は無かっただろう。彼は、じりじりと体中を這い回る黄金色の体液を見ながら、荒々しい息を吐き立てる。

 怪物が、その頭上に再び光の大爪を振り上げる。次は無い。とはいえ、回避することも、防ぐこともできそうにない。死を待つばかりの、絶体絶命の状況。

 しかし、彼はそれを確信しつつも、ふとその呼吸に、小さな笑みを含ませた。


 ――簡単なことではないか。


 振り下ろされる、圧倒的な力。

 しかし、彼はその身に宿る渾身の生命力をもって、右腕の杭を盾にする。

 水面サーフェスが生じたのは、ほとんど必然的と言えよう。彼の唸りは、怪物の大爪からほとばしる悲鳴のような鐘の音と、そして密かに入り混じる女の笑声に共鳴して、無明の雲間に、ぶるぶると大気のさざ波を立てる。

 確かに、間違っていた。こんなものは、到底戦えるような相手ではない。《ダーガー》の計算も、人類の英知も、《好例ロット》の力さえも、この異界の暴威を制御することなどできるはずもない。ならば、どうすればよいのか。


 俺は、人間だ。


 そいつ自身が、そう言った。そして、「感情」はずっと叫んでいた。

 ならば、選ぶことなど、最初から一つしかない。

 《ダーガー》は、やはり賢い機械だ。感情と裏切りが、常に隣り合わせとは限らない。それを運命づけるのは、紛れもなくそいつ自身の過去であり、始まりである。それは、目の前で哀れにも使命に飲まれようとしている男が、ありありと物語っている。

 自分に、そんな呪いのような「記憶」は、無い。だから、最初から間違っていたのだ。そいつと自分が()()()()などと、あまりにも酷い錯覚だ。

 彼は、みしみしと音を立てる両腕が真っ黒に輝いているのを見て、その全身に最後の力を込める。そして、今まさに押しつぶされんとするその瞬間に、彼は、その存在の全霊をかけて、遥かなる天上へとその叫びを響かせるのだった。


 「《天使》よ! 俺は、選択を()()する! 俺は、もう《好例ロット》などではない! そんなものは、お前自身の()()にでも求めるがいい!」


 その瞬間、すべての時が凍りついた。


 「その答えを待っていた!」


 直後、二つの黄金色の輝きが、突如として爆ぜるように砕け散る。

 怪物が苦悶の絶叫を上げる。頭を抱え、泥の中に崩れ落ちるその目には、毒々しい赤い光が、激しい明滅とともにぜいぜいと瞬いていた。世界を覆っていた炎は見知らぬ風の中へと消え去り、ぎらぎらと色づいていた大地に、漆黒のヴェールが穏やかに舞い戻ってくる。

 そうして、彼は幻視する。いつしか、両足に絡みついていた真っ白な手の群れが、彼の体から離れ、真っ直ぐに闇の向こうへと伸びてゆくのを。そこには、まるで潜むようにちらちらと瞬く、小さな黄金色の火があった。


 「《天使》は力。《天使》は証。そして、《天使》は()()()――」


 頭の中を駆け抜ける、ノイズがかった声。

 無数の真っ白な手が、その輝きを引きちぎるように握り潰したのは、その直後である。


 「楽しかったよ」


 ふふんと笑う、小さな声。

 かくして、彼の精神に再び懐かしい静けさが帰ってきたのであった。

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