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ニュクスの星にて  作者: 御御
《双子》編
22/39

《双子》②

「前回のあらすじ」

 すべての目算は誤りであった。

 亜人の老人は、自らが犯した反逆が間違っていたことを悟り、言葉を失う。

 その傍らで、雲間に吹き荒れる風は赤い光を宿し、地上の霧とともに一点に収束する。

 星の竜《双子》――。百年越しの《大竜》が、絶望満ちる戦場に再び現れた。

 なぜだか、意識が揺らめく。

 目覚めてからというもの、その時間は曖昧で、あたかも永遠であるかのようにさえ思われた。

 黄金色に揺らめく、小さな右手。ふわりと温かな体温を帯びるその輝きは、まごうことなく、彼自身から発せられているものであり、その下に黒々と映し出される外殻は、どこか奇妙な麻痺感を伴っていた。

 何かが変わった。その確信だけが、彼の感覚を一つのものにしている。

 天上を見上げる。そこにあるのは、不愉快な笑みをたたえ、静かにこちらを見下ろす、真紅の一等星。その生暖かい風が体を撫で、耳をかすめるごとに、彼の感覚はある感情と強く結びついてゆく。


 すべて、焼いてしまおう――。


 頭の中に響いたそれは、彼のものではなかった。

 しかし、彼はその不可思議な声に、一つの短い返事でもって同意する。もはや、獣のような無様な暴力は必要ない。彼は、その右腕で溶けるように変化を遂げる自らの得物を見て、密かに悪意ある笑みを浮かべた。

 そうして、彼は飛び上がる。それは、他の者たちから見れば、まさに唐突な出来事だっただろう。だが、今の彼にそんなものは映らない。そこにあるのは、目の前の星を焼き尽くす。ただその願望だけなのだ。

 竜は、なおも彼の行く末を見守る。おぞましき《双子》の竜。それは、自らが害されるその瞬間まで、穏やかな笑みを浮かべ続けた。その意味について、彼が知る事になるのは、まだずっと先の話。

 彼は、《牡羊アリエス》にしたのと同じように、その右腕を、爛々と輝くその一つ目へと真っ直ぐに突き立てる。

 夜を破る教会の鐘の音が、一際澄み渡った音色を響かせたのは、それからすぐのことだ。


 「ギャアアアアアアアアッ!」


 無残に引きちぎられる、純白の星の肉。

 その痛みに耐えかねて、頭を潰された男は、衣のような触手をわなわなと波打たせる。そして、それに憤慨した彼の()は、その亡者のような眼窩に憎悪の闇を滾らせ、ほっそりとした右腕を風のような速さで突き出す。

 彼は、為すすべもなく易易と捕らえられた。

 妹の右手は、兄を害したその敵に何ら容赦をかけることなく、ぎりぎりと万力の握力でもって握り潰そうとする。外殻の潰れる、鈍い音。しかし、その一方で、兄の肩にかけた左腕は、ごく優しげにその潰れた頭へと撫でるように伸び、そうして、そこに小さな純白の光を灯す。

 兄の頭が、みるみるうちに再生してゆく。それを見て、妹はそっと安堵の微笑みを浮かべた。


 「死ね」


 しかし、その直後、彼の右手が凄まじい炎を吹き上げて燃え上がる。

 何が起こったのか。それを理解するよりも先に、蘇った兄の右腕が、燃え上がる妹の右腕を無造作にちぎり捨てる。

 絶叫を上げる、哀れな美女。しかし、見れば大地に落ちた右腕は、その消えることのない炎によって一瞬のうちにすべてを奪われ、わずか数秒のうちに、灰すらも残すことなく焼き尽くされていたのだった。

 真っ赤な一つ目に、ぎらぎらとした憤怒が宿る。《双子》の兄は、その焼け落ちた右腕から現れる小さな影を見据えると、ついに天高くその全身を仰ぎ、そして泣き叫ぶ妹をも飲み込むかのような《咆哮》を上げた。


 「怖い」


 地の底から響くような声で、彼は呟く。

 知らぬ間に打ち鳴らされる教会の鐘の音は、彼の意思とは関係なく、彼の周囲に一人でに《水面サーフェス》を形成する。

 音という名の暴力が、大地を穿ち、地形さえ変えてしまう。《大竜》のみが放つその圧倒的な衝撃波は、まさしく《星の竜》の遠大さの具現そのものであり、あらゆる生命を絶滅させる死の一撃であった。

 水面を超えて、いくつかの衝撃波が体を砕く。しかし、彼はまるで痛みを感じていないかのように、一歩一歩、真っ直ぐにその咆哮の中心へと向かってゆく。


 「怖い」


 再び、呟きがこぼれた。

 それはある意味においては、彼の本心であった。《星の竜》への恐怖。それは、彼に限らず、すべてのレギオン――いや、すべての人類までもがその遺伝子に刻みつけている。

 ゆえに、《星の竜》に挑むということは、すなわち恐怖に挑むということであり、ましてや《大竜》ともなれば、それは一人ではほとんど不可能と言っていい戦いであった。

 そして、だからこそ、彼はある種のちからに頼る。そうしなければ、人間の精神こころのまま、《好例ロット》としての使命など果たせるはずもなかったのだ。


 アアアアアアアアアアッ――!


 兄の怒りに、妹の絶叫が重なる。

 時が置き去りになる。肉体を引き裂く衝撃波は、まるで交差する刃ように彼の肉体を削り取る。

 傷口から、黄金の輝きが迸る。それは、その内側から血のような粘性のある飛沫をまき散らしながら、まるで炎のように、彼の体を包み込んで狂い散らす。

 痛みが、消える。傷ができればできるほど、血が溢れれば溢れるほど、しかし、今の体が()()()にでもなったかのように、彼の感覚は静かに、そのしがらみから解放されてゆく。


 「すべて、燃える」


 もう、どうでもよかった。

 傷ついた精神さえ、その黄金の輝きの中に溶けてゆく気がした。

 残された意識は、たった一つ。


 「竜は……殺す」


 右腕を振り上げる。傷口から流れ出る炎が、まるで生きているかのように収束してゆく。

 仮面の下で、密かな笑みが浮かんだ。


 ありがとう――。


 頭の中に、誰かの声が響く。

 視界が、真っ黒に染まってゆく。煤色に。何もかも焼けた、光のない闇の世界へ――。彼は、確かにその入り口を垣間見た。

 しかし、彼の視界に、その小さな姿がよぎったのは、まさにそんな時であった。


 「ここじゃ! ここへ来い!」


 鋼鉄が跳ね上がる。

 ぐちゃぐちゃに打ち鳴らしたような音と、巨大な《水面サーフェス》をうねらせながら、丘陵へと飛び込んできたのは、一両の戦車。

 そのハッチの上には、大砲ランチャーを背に、抱きつくようにしてしがみつく一匹の亜人サバイバーの姿があった。


 「名乗る名など、もはやございません」


 ふと思い出す、その一言。

 すると、疾走していた戦車がつんのめるようにして停止し、同時に、彼はその亜人サバイバーが振りかぶるような所作で大砲ランチャーを構えたのを目にした。


 「落ちろ!」


 その瞬間、白い煙とともに吐き出された一つの砲弾が、水面を越えて真っ直ぐに《双子》へと吐き出される。しかし、そこに壁として立ちはだかっているのは、《大竜》の放つ圧倒的な咆哮の衝撃。案の定、その豆鉄砲のような攻撃は何の意味も無く、《双子》へと届くよりもずっと前の中空で、ぱんと虚しくも爆ぜ落ちる。

 さらに、無理な行動をとったせいか、彼の乗る戦車の《水面》は、今にも押しつぶされんとばかりに歪み、彼自身もまた、抜けてくる衝撃波に身を切られて真っ赤な鮮血を上げていた。

 その行動に、一体なんの意味があったのだろう。彼は、胸に宿る小さな落胆に、ふと侮蔑が混じるのを感じずにはいられなかった

 しかし――、


 「オ、オ、オ……」


 《双子》の動きが、不意に止まった。

 《水面》が、霧散するようにして消える。見れば、その異形の体は、まるで急速な眠気にでも襲われたかのようにバランスを崩し、ぎこちない薄翼のはためきとともに、今にもよぼよぼと大地に降り立とうとしていた。

 ふと、周囲を見渡す。すると、どうやら動きを止めたのは《双子》だけではなく、その《子供たち》もまた同様であるようだった。

 後方に映る、視線を両断する一列の戦車の群れ。その背後で、生き残った百人ばかりの亜人サバイバーたちが、ぴたりと身を寄せ合うようにして固まっている。

 不可思議な動揺が、頭の中に広がる。しかし、それを意識するよりも先に、彼は、その老人の吠えるような叫びを耳にするのだった。


 「やっちまえ、クソガキ!」


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