《双子》①
「前回のあらすじ」
夥しき《子供たち》の群れに、ロット・ワンの命は潰えようとしていた。
《天使》を失った彼にとって、それはもはや必然的な死。
彼は、ままならぬ自らの体に絶望しながら、静かにその心を手放そうとしていた。
しかし、そんな精神の暗がりに、小さな声が響く。
不意に吹きすさぶ生暖かい風に、その老人は思わず身を震わせた。
眼前に転がる、一両の戦車。まるで強い力で叩きつけられたようなその砕けた車体に、夥しい数の《子供たち》が、かじりつくように集まっている。
幸い、悲鳴は聞こえない。搭乗していたVivianたちは、すでに死の安息についているようだ。
からからと回る履帯の車輪は、泥に濡れた車体の横で虚しい音を立て、その頭上で、はっと瞬く白い雷光が、その隙間にかすかな赤い光を浮き上がらせる。
「馬鹿な――」
ひっそりと立ち込める、灰色の霧。
それを見て、彼はようやく、自らの選択が誤っていたことに気づく。
《星の竜》は、生命の追跡者である。その曰く言い難い異界の知覚力は、たとえどんな場所に隠れていようとも、必ずや猟犬の如く嗅ぎつけ、そして狩り立てる。生命のあるところに《星の竜》はあり、然るに、生命とは何よりの「釣り餌」である。
そして、それは数が増えれば増えるほど、「大物」を呼び寄せやすくなる。それも、亜人にして五百を超える数ともなれば、その名に星座を戴く《大竜》さえもが狩りに来る。
ゆえに、この作戦が偽装であるのは気づいていた。レギオンどもの狙いは、初めから《子供たち》などではない。本命は、《子供たち》の影に隠れているであろう大いなる《大竜》――すなわち《双子》そのものだ。
だからこそ、彼は「反逆」の手段を用意していた。《破滅》――。少し前に中空に爆ぜたその砲弾は、周囲にいる《小竜》たちを活性化させ、急速に引き寄せる力がある。
《大隊長》とは、亜人の冷酷なる庇護者――。
ゆえに、もしもの時には、それを使って何もかもを破綻させる。彼は、初めからそう決意していた。《大竜》の顕現はすべての終わり――すなわち《懲罰大隊》の全滅――を意味しているのだから。
だが、彼は一つだけ勘違いをしていた。それは、用意された「釣り餌」が、亜人だけではなかったということだ。
「オオオオオオオオオオッ……!」
遠目にぎらつく、黄金色の炎。
その異様なまでの昂ぶりに、彼ははっと思い至る。《蟹》に《魚》、そして《牡羊》。多くの《大竜》を屠ってきたその怪物は、果たして、これまで「釣り餌」を使っていたのだろうか――。
そこに至って、彼はついに自らの失策に言葉を失った。
死んでくれ――。
胸の奥で、彼は叫ぶ。
こうなっては、もはや醜く祈るしかない。押し寄せる《子供たち》の数は、すでに怪物といえど捌ける程度を超えている。その身を幾多の触腕が貫き、今にも倒れそうなその姿は、確実に死の領域へと足を踏み入れている。
あれが落ちれば、餌はもう無い。そうなれば、百年以上姿を隠し続けた用心深い《双子》は、きっとこの戦場から興味を失うだろう。そうしたら、もう一つの手段を使って、この戦いに終止符を打つ。それは、半ば妄想的な、後の祭りとも言うべき願望。
しかしながら、その望みは、卑しくもその通りに成就することとなる。
「死んだ――」
彼は無数の星々のただ中に、それが力なく崩れ落ちる姿を見て、思わず声を漏らす。
《好例》が死んだ。その事実を飲み込むまで、どれだけの時間がかかっただろう。気がつけば、その場所にはがつがつと貪欲に貪る《子供たち》の輝きばかりがあり、さっきまで吹き上がっていた荒ぶる炎の瞬きは、もうどこにもありはしなかった。
彼は、戦車が離脱するのを見計らって、再びハッチの縁へと足をかけ、大砲を構える。
これを撃てば、何もかも終わりだ。作戦は失敗し、生き残った亜人たちは、かろうじて《王国》へ帰り着くだろう。自らの運命については、もはや言うまでもない。
しかし、それでも亜人は生きるのだ。生きれば、まだ未来がある。それはきっと、いつかの《帰還》――その成就へと繋がっているはずだ。
だが、そんな彼の考えとは裏腹に、戦場では、誰もが予想だにしなかった事態が起こり始めていた。
「アアアアアアアアアッ!」
頭を叩きつけるような衝撃、舞い上がる嵐の轟音に、彼は思わず姿勢を崩す。
唐突に吹き荒れる、一筋の衝撃波。それは、しかし紛れもなく、この戦場において最も輝ける場所から発せられていた。
「何が、起こった……?」
見れば、亜人たちだけではなく、そこにいる誰もが――あまつさえ《子供たち》までもが――その誕生に身を固めていた。
ぱらぱらと舞い落ちる、小雨のような白い粒。しかしながら、それが雨などでないことは、それが放つ純白の輝きを見れば明らかである。薄らと光に包まれる、荒涼とした丘陵。どこかヴェールにも似たその神秘的な輝きは、やがて黒い大地に、静かに吸い込まれるようにして消える。
のっそりと立ち上がる、黒い影。その周りには、夥しい量の星々の残骸が飛び散り、真っ黒なその足元を、絨毯のように彩っていた。
それは、紛れもない死者の姿であった。ありえざる《好例》の輪郭。その二本足で直立した姿に、彼は思わず意識を奪われる。
まるで何事も無かったかのような、傷一つ無いその姿。しかし、その全身を覆っていたのは、さっきまでのような荒ぶる炎の輝きではなく、薄らとした、揺らめく羽衣のような黄金色の燐光であった。
「ジャン・ジャルジャックより《ダーガー》へ。《第二段階》への到達を確認した。これより、観測を開始する」
車中のスピーカーに、ジャン・ジャルジャックの声が流れた。
その直後、暗澹たる夜の雲が蠢き、地上に立ち込める灰色の霧が、獅子のような咆哮とともに収束する。
戦場を一掃する凄まじい衝撃。吹き飛ばされた亜人たちが、中空のただ中で、虫が潰れたような音とともに絶命する。
大地へと転げ落ちた彼は、その瞬間、すべてが終わったのだと確信した。
星の世界が舞い降りた。そこに現れたのは、純白に輝く、一対の偶像。蛇のような頭に、真っ赤な一等星を輝かせる屈強なる男と、亡者のような無明の眼窩に、蠱惑的な闇を妖しく蠢かせるほっそりとした美女。
そのルネサンス期の絵画を思わせる抱き合った化身は、その体に古代ギリシアのウール衣を思わせる無数の触手を波打たせ、静かに、地上に向けて誘うような笑みを浮かべている。
その背中からは、蜉蝣のような美しい七色の薄翼がたなびき、そして、それが巻き起こす生暖かい風が、さもそこにいるすべての者を抱きとめようとするかの如く、温かく、しかし不気味な穏やかさでもって見えない渦を巻いていた。
星の竜――《双子》
それは、一つにあって一つにないもの。
いつかの日、微笑みとともに世界を滅ぼしたその《大竜》は、今、まさに時を超えて再び人々の前にその姿を現したのだった。




