《双子》の子供たち⑧
「前回のあらすじ」
地獄のような戦場に、幾多の戦車が駆け抜ける。
ジャン・ジャルジャックは、いつかの記憶を思い起こしながら、ふと小さく笑みを浮かべる。
雲間に瞬く、赤い光。それを見て、彼は静かに目的の成就を確信するのだった。
白銀の星々が、寄り添うように集まっていた。
眼前を埋め尽くす、《子供たち》の群れ。その美しい薄翼を引きちぎりながら、彼はどうしようもない胸の高鳴りに、声にならない叫びを上げる。
痛い。星を一つ摘み取る度、全身を焼け付くような痛みが襲う。用意していた鎮痛剤は、気がつけばすでに底をつき、四方から突き出される無数の槍は、もはや抗いようもなく、彼の体を針山のように貫いていた。
死の冷たさが、静かに足を上ってゆく。悲鳴のような耳鳴りは、霞みがかった視界の外側で壊れたように響き渡り、吐息とともに震える右腕は、その指先にどろりとした真っ赤な血を滴らせていた。
きっと、ここで死ぬのだろう。予言めいた言葉が、頭の中を駆け抜ける。
戦いは、すでにその意味を失っていた。《子供たち》の圧倒的な物量を前に、戦線は崩壊し、いまやまともな亜人はほとんど残っていない。時折聞こえてくる笛の音に、亡霊のようにふらふらと引き回される彼らは、その多くが、いつ訪れるとも知れぬ死の瞬間を、がたがたと震えながら待ち続けていた。
彼は、そんな亜人たちを見て、静かに息を引き絞る。右腕の杭を刃のように振り回し、周囲を取り囲む《子供たち》を一閃のもとに切り伏せる。
その姿は、さながら旧い物語に出てくる炎の怪物のようであった。しかし、彼は無自覚に吹き上がるそれらには一切目を向けることなく、ただひたすらに、目の前の星を殺すことだけに意識を集中する。
「あっちで、待ってる」
頭の中に響く、かすかな声。
それは、幻聴でもなければ実際のそれでもない、彼自身から生じた声。そして、そんな声を耳にする度に、彼はその真っ赤な両目に、並々ならぬ「憎悪」を燃え上がらせる。
「消えろ、消えろ、消えろ――」
突き出される刃など意に返すことなく、彼は輝きのただ中へと突進する。
夜を破る教会の鐘の音は、徐々に乱痴気地味たピアノの連打へと歪み、それとともに、彼の全身からゆっくりと痛みが失われていった。
「オオオオオオオオオオッ……!」
もはやヒトともつかぬ、吠えるような絶叫。
彼は、砕け散った仮面の半分から翼のような炎を吹き上げながら、なおも星々の中で奮闘する。
「さんじゅうはち――」
まだ足りない。もっと、もっとだ。もっと殺さなければ――。
しかし、そう思った瞬間、彼の全身から唐突に力が失われる。
「足が――」
見れば、彼の右足が太もものあたりから無残にも断裂し、すぐ下の地面へと転がっていた。
右腕の杭が、重力に逆らえず落下する。それは、それを抱える彼の体まで道連れにし、ぬかるんだ黒土の上に、どちゃりと小さな影が横たわった。
そうして空を覆い尽くす、真っ赤な一つ目たち。
彼は、断裂した右足を掴みながら、どうにか立ち上がろうともがく。しかし、くぱりとその頭部を広げた《子供たち》は、その内側に幾重にも並んだウツボのような半透明の歯をぎらつかせると、津波の如き無慈悲さでもって、その獲物へと貪りつく。
しんとした暗がりが、彼の意識を覆い尽くした。
(終わりたくない――)
生命が叫ぶ。
しかし、その訴えとは裏腹に、頭へと上る死の冷たさは、すでに彼のほとんどを覆い尽くそうとしていた。
(動けよ、動け、動け、動け――!)
全身に残るすべての力を使って、彼は要求する。
だが、やはり体はぴくりとも動かず、茫洋とした精神の暗がりばかりが、彼の心の中に広がっていた。
これは、「檻」だ。
彼は思う。
人を捨て、人々のために呪われた者たち、《レギオン》。そのすべては、竜を殺すためにあり、竜を殺すためにこそ、彼らはあった。あるはずだった。
しかしながら、現実はそんな次元を超えていた。《星の竜》との戦いは、彼らの存在理由を完全に打ち砕いた。
多くのレギオンが夢見た英雄主義は、気づけば十字架を増やすばかりの無謀と成り果て、それは三年前に、最悪の形で結実することとなった。
彼がテンティウムで見た、レギオンたちの姿。人を捨てていながら、人の真似事をする彼らの姿は、そんな今を如実に表していると言えよう。すなわち、レギオンは、所詮「人類の延長線」でしかなかったのだ。
そして、だからこその《好例》。真の意味での、ヒトを捨てた存在。命の檻から解き放たれ、すべての竜を屠るモノ。それが、望まれたはずだった。
(俺は、《天使》を失った)
静かなる絶望が、頭の中をよぎる。
何も、変わらない。そう思い込めれば、何でもできるような気がした。
けれども、《天使》の声が聞こえない――その現実の前では、それは、それが示す意味を受け入れたくなかっただけの、単なる駄々に過ぎなかった。
今の彼は、《好例》ではない、ただのレギオン。ゆえに、ここで死ぬのだろう。
遠ざかる意識に、彼はそっと自らの心から手を放す。
「――なさい」
しかし、そこにふと小さな声が響いた。
誰だ。彼ははっとして、再び暗がりの中へと立ち戻る。だが、そこには、ヒトと呼べるものはどこにも無かった。
そこに浮かび上がってきたもの、それは、まるで小さな火のような、黄金色の輝き。今にも消え入りそうなそれは、音さえも死に絶えた暗がりの中で、穏やかに笑っていた。
胸にそっと触れる、小さな見えざる手。熱を抱き、ふつふつと燃ゆるそれは、なぜだか、女のそれのように見えた。
「お前は、一体誰だ?」
侵入者へ、彼は問う。
しかし、その直後、全身が前触れもなく燃え上がる。唐突に起こったその黄金色の輝きは、彼の精神の暗がりを瞬く間に覆い尽くし、それとともに、無邪気な笑い声が、その天上から深淵までを木霊のように吹き抜ける。
意識が引き戻されてゆくのを感じたのは、それからすぐのことだ。そして、彼は最後の暗がりが消える瞬間に、かすかな、しかし確かな「声」を耳にするのだった。
「――《ソフィア》」




