《双子》の子供たち①
「前回のあらすじ」
ロット・ワンは、ジャン・ジャルジャックの仲間たちと合流した。
彼らの協力のもと、次の目標が《シェルター・ゲール》であることを確認し、《双子》の小竜群の掃討作戦を練る。
しかし、作戦会議も終わろうという時、《ダーガー》が《バベル》の声を引き連れて現れる。
そこで言い渡されたのは、彼から《バベル》を剥奪するという予想外の通告であった。
泥の跳ねる音が、いやに高く聞こえた。
静かだ。頬をすり抜けるかすかな風のさざめきに、彼はぼんやりとそう思う。
真っ黒な雨雲は、いまや名残惜しげな雫とともに空の彼方へ還りつつあり、にわかに色づく地上の闇には、霞むような地平線の輪郭が薄らと浮かび始めていた。
もうこんな時間か。
どれだけの時間が経ったのか、彼はまるで覚えていない。
右手で瞬く光の文字は、まもなく「AM 10:00」を指し示そうとしていたが、そこに至るまでの精神的な実感は、これまでにないくらい浅薄なものだった。
誰もいないというだけで、時間はここまで無価値となれるのか。
頭の中にたゆたうそれに、彼は血を抜かれたような深い虚脱感を感じる。
「正直、殺されると思ったよ」
隣で、ジャン・ジャルジャックが言う。
彼らを乗せた大型のトラックは、前後六つの車輪を慎重に回しながら、まるで歩くような足取りで直進を続けていた。その後方には、同様の車両が二十両追従し、さらに後方には、唸りを上げる無骨な戦車が十両、牽引されるようにとろとろと付き従っている。
速度は、時速にしておよそ15キロメートル。大降りでなかったとはいえ、雨が降ったばかりの地表は、すでに十分過ぎるほどのぬかるみと化している。うっかりはまることを考えれば、それが現状における目一杯の速さであった。
「だが、それだけは言い出せなかった。言い訳にもならないかもしれないが、実際、これは俺にとっても――いや、彼にとっても、不本意な話だったんだ」
その言葉に、返ってくる声はない。
だが、それでもその男は、そこにいるであろう「誰か」に向けて、ぽつぽつと話を続ける。
「《第二世代》。彼は――《デリンジャー》は、およそ百年ぶりに造られた、新しいレギオンだ」
ぼんやりとした人影が、頭の中に浮かび上がる。
その男の声は、確かに彼の耳に届いていた。
しかし、その意味については、彼の脳には一言たりとも届いてはいない。忘我、健忘、あるいは酩酊、そんな数々の言葉でもってさえ表現し得ないある種の「壁」によって、それは尽く神経の中に霧散していた。
《抑制機》。ジャン・ジャルジャックは、ふと彼の首を締めつける、その真っ黒な「輪」に目を向ける。《ダーガー》によって与えられたそれは、本来の使途を飛び越えて、彼の精神そのものを脅かしつつあった。
「俺は、処分されるのか?」
独りごちるように、彼はつぶやく。
うわ言だ。しかし、それらしい言葉が発せられていることに、その男はいくらかの安堵を覚える。
「――《ダーガー》は、何も言っていない。まあ、そうであったとしても、お前さんの前で言うなんてことはしないがね」
その男は、あえて答えをぼかす。
「ともあれ、《ダーガー》がお前さんの状態を懸念していたのは事実だ。城下の違法物資が、その体にたんまり埋められてることは、上の連中はみんな知ってる。だが、《好例》は一人。《ダーガー》が、そこにバックアップを求めたとしても、わからない話じゃあないだろう」
その男は、後方の車体に飛び石が跳ねる音を聞きながら、静かに左拳を握る。
「だから、彼はゆり起こされた。記憶も無く、保護されるべき人類の柩から、ただ一人だ」
それは、怒りではない。
その男の拳を震わせていたのは、ただ純粋な「無意識」であった。
「お前さんが死ねば、次が起こされるだろう。人類の存続さえ可能なら、《ダーガー》は迷いなく犠牲を選ぶ。ただ一人は、二人、三人となり、計画は永遠に修正され続ける」
風が止み、雲が止まった。
すべての車輪が一斉に速度を落とし、彼らのトラックの後方に合図を告げる赤灯が灯った。
ジャン・ジャルジャックは、車輪が停止したことを確認すると、その左手をおもむろに彼の首へと向け、その首輪ごと、彼の体を車外の泥の上へと放り捨てる。
「だから、俺は賭けることにしたのさ。《好例》としてではなく、お前さんが人類の、いや、俺たちの仲間として相応しいのかをな!」
その男はコートの中から拳銃を取り出すと、彼に向けて迷いなく引き金を引いた。
鋭い破裂音が大気を震わせ、音速を超えた弾丸が、真っ黒な首輪を一撃のもとに弾き飛ばす。
「《懲罰大隊》整列! 敵は近いぞ、死にたくなければ今すぐ並べ!」
その号令の直後、すべてのトラックのコンテナが開放される。
そこからは、武装した黒い軍服姿のVivianたちとともに、数え切れないほどの亜人たちがあぶくのように溢れ出す。武器一つ持たない彼らは、その状況にただ押し出されるがまま行進し、湿った荒野の上に、一塊の集団を形成する。
首輪の呪縛から投げ出された彼は、まるで悪夢から覚めるようにはっと身を起こす。
「おはよう。お前さんのおかげで、俺は今回二度目の反逆だ。まったく、とんだ外れくじだよ」
見上げれば、そこには真っ赤な両目を喜々として輝かせる、ジャン・ジャルジャックの姿があった。
「さあ、《子供たち》のお出ましだ」
その男が、戦いの始まりを告げる。
雨上がりの冷たい大地に、にわかに暖かい風が流れた。
それは、鼻腔を曲がらせる鈍い悪臭とともに、じりじりと音を立てながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
見通しの悪い、砂漠のような丘陵の群れ。その波の如き輪郭を、いまだ見えぬエレレート・ラインの蒼白い汚染光が、まるでライトスクリーンのように映し出し、その頂上にまします一つの「星」を、さながら指輪の宝石のようにおぞましく映え立たせていた。
彼は、すぐにそれを理解した。忌まわしく、しかしどこか懐かしいようなその感覚は、紛れもなく、彼が殺すべき《星の竜》を表していた。
「うわああああああああああっ!」
亜人の一人が、悲鳴を上げる。
そいつに、「胴体」と呼べるものは何ひとつなかった。
まるで死体から抜け落ちた頭髪が、そのまま絡まって命を得たかのようなその恐るべき造形は、あるいは海洋生物か、はたまた顕微鏡の中の微生物のようにも見えた。
しかし、それは決して、地球の生物種などではない。純白の輝きを放ち、痩せこけた触腕の群れでもって直立するそれは、その背中に蜉蝣のような「翼」を持ち、頭部に当たる頂点の膨らみには、《星の竜》の証たる輝く「一つ目」を頂いていた。
《双子の子供たち》
その醜い星の分け身は、丘の下に自らの獲物が集まっていると知ると、一斉に「キリキリ」と金属を擦るような歓喜の奇声を上げる。
すると、一つ、また一つ。丘の上に、純白の影が増えてゆく。それは、やがて指輪の輪郭を覆い尽くし、さながら丘の上に無数の太陽が昇っているような光景へと変じた。
そして、その直後、そいつらのほっそりした触腕が、信じられない速さで躍動する。人の二倍ほどもある長躯の群れが、輝く濁流と化して、ついに彼らに向けて突進を開始した。
2019.5.25 一部の描写漏れを修正。




