テンティウム④
「前回のあらすじ」
ジャン・ジャルジャックと再開したロット・ワンは、その男の車に乗ってある場所へと向かう。
そこに立ち込めるのは、黒煙と煤のかおり。
彼は道すがら、《王国》の知られざる真実と、《ダーガー》からの新たな指令を知る。
その終着に広がっていたのは、テンティウムの誇る最高戦力。
ジャン・ジャルジャックの《機甲連隊》であった。
うだるような熱気が、辺りを包み込んでいた。
ざわめき立つ広場、通りに響く威勢のいい駆動音が、いつにも増して狂ったように反響する。
戦争だ。戦争の足音だ。
彼は、巨大な鉄の門が遠吠えのような唸りを上げるのを見て、独り静かに歩き出す。
がちゃりと音を立てるのは、小さな背中で左右に揺れる、大きな金属の筒。
通りを行き交う黒々とした人々は、そんな彼の胡乱な足取りを見て、わずかに不審げな視線を向けた。
その記憶がどこからやってきたのか、彼はもう覚えていない。気がつけば、その体は「こんなもの」になっていて、醜く縮んだ脳髄には、すでに何の思い出も残されてはいなかった。
呪いだよ。
彼は、皮肉げにほくそ笑む。
亜人に、過去などない。彼らは、生まれてから死ぬまで、その一生を《王国》で過ごす。そこでは、親や兄弟といった関係は禁止され、それらに関する情報は、《Vivian》による機械的な生育の過程で徹底的に排除される。
ゆえに、彼らに共同体という意識はない。あるとすれば、せいぜい支配者への憎悪からくる原始的な同胞愛くらいであるが、それも密告が推奨され始めてからはとんと鳴りを潜めてしまった。
いまや、亜人は《王国》の労働力として取り込まれて久しく、その冷徹な管理の下で、自らの存在さえ忘れてしまった者たちが大半を占めつつある。
「久しぶりだな、《大隊長》。また会えて嬉しいよ」
一つの声が、彼の足を呼び止める。
「魔物がな、うるさいのだよ。うるさくてうるさくて、かなわん。戦争だとよ。お前のことだ、ジャン・ジャルジャック」
その男の顔を見て、彼はつり上がった口角に深い暗がりを覗かせる。
ごわついた毛並みの間から、霜のような真っ白な二つ目が浮かび、自らを見下ろす支配者のそれに、にわかに挑戦的な色を向けた。
「紹介しよう、彼は《大隊長》。見てのとおり、亜人だ。テンティウムの――古株さ」
その男は、彼の矮躯を指し示しながら、どこか意味深な言葉をこぼす。
見れば、その隣には、見覚えのないもう一人の支配者がいて、その男の言葉に、やや困惑したような空返事を返していた。
彼は、無意識に匂いを探る。奇妙な匂いだ。血まみれの悪臭を放ちながら、けれども一滴の血さえ流れていないような、不自然な錆の匂い。これまでに見たどんな奴よりも、それは、人類らしからぬ、不気味な匂いを放っていた。
「――《大隊長》?」
ぎこちない口調で、そいつは言う。
隣にいる男と比べて頭一つ小さい分だけ、その所作は、どこか子どものように思われる。
珍しい。彼は思う。そして、いかにも芝居がかった様子で、その顔ににたりと怪しい笑みを浮かべた。
「へえ、へえ。おっしゃるとおりでございますよ。私こそは、かの悪名高き《懲罰大隊》の長。他に名乗る名など、もはやございません。お気に召すまま、お呼びになるがよろしい」
恭しい言葉とともに、彼はその場に膝をつく。
テンティウムで、彼を知らない者はいない。《懲罰大隊》の《大隊長》といえば、誰もが眉をひそめて顔を背ける。そこに、支配者か亜人かなど関係ない。
しかし、目の前のこの小人は、どうもそうではなさそうだ。それはつまり、そいつは外から来た「新入り」ということだ。
「名前が、無いのか。そうか――いや、何でもない。妙な言い方をして悪かった」
その一言に、彼はふと奇妙な感覚を覚える。
それは、決して好意的な身振りではない。むしろ、新参の厄介者に対する、当てこすりに近い。ゆえに、彼はその妙にあっけらかんとした態度に、不審なものを感じる。
探ろうか。彼は、無意識にそう思う。だが、その答えは一拍の間をおいて、向こうから飛び込んできた。
「――俺は、《最初の好例》。あなたと同じ、名無しだ」
全身に、鋭い熱が走る。
その名前には、嫌でも聞き覚えがあった。
《天使計画》の落とし子――。レギオンたちが、度々そう口にしていたのを、彼は暗澹たる記憶とともに思い出す。
竜をも殺す《天使》の力。それを従えたその怪物は、これまでに三匹もの竜を滅ぼしてきた。
《蟹》に《魚》、そして《牡羊》。いずれも、彼の身からしたらあまりにも強大すぎる竜たちだ。不死不滅――この地球を瞬く間に死の世界へと変えたその生物たちは、《王国》の始まりから遠く経ってなお、すべての生命の脅威であり続けている。
彼は、その真っ白な両目を見開き、ジャン・ジャルジャックへと向ける。そんな怪物が、どうしてこんなところにいる。彼の嗅覚は、その男の「嘘」を確かに嗅ぎ取っていた。
「自己紹介は終わったかな。では、早速準備に取り掛かるとしよう。二人とも、俺についてきたまえ。まずは、今回の作戦を説明しよう」
知ってか知らずか、その男は二人に背を向ける。
狐め。思いつつも、彼は無言でその後ろに従う。わずかに覗く真っ赤な両目は、いつもより一層ぎらついているように見えた。
そして、これが二人の名無しの、最初の出会いであった。
2019.2.3 誤字訂正




