テンティウム③
「前回のあらすじ」
テンティウムの街を行くロット・ワンの耳に、不穏な声が届く。
その先にいたのは、毛むくじゃらの人型生物「亜人」たち。
彼らの配給を巡る騒ぎを眺めていると、ふとそこに一台のトラックがやってくる。
そこから出てきたのは、亜人たちを威圧するジャン・ジャルジャックの姿であった。
ガラスの曇り空を、猛った駆動音が震わせていた。
黒煙の立ち込める、テンティウムの街外れ。その一際開けた港のような区画を、一台のトラックが静かに駆け抜ける。コンテナからこぼれるのは、不安と興奮が入り混じった、獣のような低い声。その胸を騒がせるざわめきに、彼は、無意識のうちに運転席の影をなぞる。
その席に、運転手はいない。ジャン・ジャルジャックは、独りでに回るハンドルを面白そうに眺めながら、虚空にふと愉快げな声をこぼした。
「そろそろ、事情を説明してくれないか?」
沈黙を守るその男に、彼はため息混じりに問いかける。
事は、《亜人》たちの食堂まで遡る。あの薄汚れた広場に、ジャン・ジャルジャックがやってきて最初に行ったことは、亜人たちの逮捕であった。
捕らえられたのは、列の先頭にいた三十匹。連行の理由は、テンティウムの「秩序」を乱したことであった。
そのことについては、特に異論は無い。彼らは、多かれ少なかれ、あの広場での騒ぎに関わっていた者たちだ。当事者たちが、自らの行動の責任を要求されるというのは、ごく自然な流れのように思われる。
しかし、彼はそれでも納得できずにいた。というのも、当の被逮捕者の中には、彼自身が含まれていたからである。
むろん、それは彼が罪を犯したという意味ではない。彼の潔白については、同行していた《Vivien》が証明するところであるし、実際、そのような宣告はされてはいなかった。
しかし、それでも彼は捕えられた。いや、捕らえられたというよりは、変更を余儀なくされた。ジャン・ジャルジャックと出会ってすぐ、《ダーガー》から命令が届いたのである。
「《Vivien》の案内を即時中断し、ジャン・ジャルジャックの護送車に同乗せよ」
それは、彼にとって衝撃的な出来事だった。
《ダーガー》は頑なな支配者である。その命令は一度発せられれば、よほどのことがない限り修正は行われない。たとえ、そもそもの始まりが《サー・ローレンス》――つまり人間の言葉であったとしても、そこから《Vivien》に案内の命令を下すのは、彼女らの管理者である《ダーガー》である。したがって、途中でその命令が撤回されたということは、《ダーガー》の計算に何らかの問題が生じたということにほかならない。
《都市知能》――《王国》のすべてを統括する命無き支配者の心変わりは、彼の胸に言い知れぬ不安を抱かせていた。
「珍しいことではないんだ」
いくらかの間を置いて、ジャン・ジャルジャックが答える。
「城下は安定しているからな、知らないのも無理はない。驚くかもしれないが、テンティウムでは、もう《ダーガー》の計画が何度も狂わされている」
「なんだって?」
「今回のことも、その一つだ。どうやら、ダーガーはいよいよ亜人どもを抑えきれなくなってきたらしい」
その声には、どこか皮肉げな響きがある。
彼は、視線をふと背後に向ける。狭いコンテナに、すし詰めのように押し込まれた彼らが、一体何をしたというのだろうか。
「奴らは、よく増える。そして、長生きだ。俺たちよりもな。だから、奴らの管理は、いつだって人手不足だ。言いたかないが――《天使計画》の悲劇が、まだ尾を引いているのさ」
ジャン・ジャルジャックの言葉に、彼は思わず固まる。
体中に不快な熱が走る。その言葉は、彼にとって、そしてすべてのレギオンたちにとって、何よりも最悪な心的外傷の一つであった。
わずかに、静寂が流れる。そして、そこに続くジャン・ジャルジャックの言葉は、あえてそれを挟んだに相応しい、不穏に満ちたものだった。
「お前さんの待ち人だが、死んだよ。《橙綬位》の《ウォーラン・ウォーグレイヴ》。俺の飼い主だった男さ。殺したのは――亜人だ」
息が止まる。彼は、背後のコンテナを伺いながら、広場での光景を思い出す。
彼の疑問は、最悪の形で答えを得た。「待ち人」がいなくなったのでは、《ダーガー》も命令を修正せざるをえない。
しかしながら、それはもはやどうでもよいことだった。問題は、すでに命令が修正されたことよりも、その原因となったイレギュラーへと移り変わっていた。
「《帰還論者》と言ってな。最近、《王国》のあちこちで厄介な事件を起こしてる。レギオンが襲われることも珍しくない。ちょうど、今回のようにな」
その声には、どこか苦々しい響きがこもっていた。
「まったく、うまく取り入ったつもりだったんだがな……。まあ、無事にお前さんと会えたのは幸いだった。調達も上手くいったことだし、計画はなんとか実行できそうだ」
かすかに皮肉げな笑みを浮かべ、その男は彼の目の前に指を走らせる。
すると、何もない中空に光の文字が浮かび、同時に、その情報が飛び込むように頭の中に入ってくる。
『ロット・ワンに命ずる。《エレレート・ライン》にて《双子》の小竜群を掃討し、《シェルター・ゲール》を調査せよ』
それは、紛れもなく《ダーガー》からの命令であった。
トラックが、静かにその音を止める。流れていた景色が静止し、彼の目に、眩い白光を放つ無数の照明と、その下に広がる煤まみれの地面が飛び込んでくる。
「到着だ。ようこそ、我が機甲連隊へ。俺が、お前さんの待ち人だ」
そこには、旧世界の姿があった。
唸りを上げ、遥かな夜空へと砲身を伸ばす、鉄の獣たち。それが、行く手を閉ざす巨大な門に向けて津波のように押し寄せている。その黒々とした履帯は、煤まみれの地面に灰色の土煙を立て、にわかに歪んだ装甲は、照明の白光の中に群青の輪郭を浮かび上がらせていた。
ジャン・ジャルジャックの「機甲連隊」。それこそは、合計40両の「軽戦車」から成る、テンティウムの最高戦力であった。




