〈5〉
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「『久しぶりね、元気にしてらした?』って老婦人の赤坂典子は声を掛けてきたの。でもあたしは最初、その女性が誰だかわからなかった。『ほら、いつか子犬を…』って彼女に言われてやっとわかったんだけど、彼女の顔はまるで思い出せなかったわ。子犬は元気にしてますかって彼女に尋ねたら、今から子犬を見に家へいらっしゃいって誘われたの。『あのときの子犬、ずいぶん大きくなったのよ』って。あたしも子犬のことが気になったものだから、彼女の家へ行くことにしたの。
街からタクシーに乗って数分もすると、古くて落ち着いた住宅地が見えて来てね、『ここで止めてちょうだい』って彼女が言うと、タクシーは長い塀に囲まれたお屋敷のような場所で止まったの。外から眺めると庭の木がやたらと生い茂っていて、敷地の中の建物がまるで見えないのよ。門をくぐるといきなり林のような薄暗い庭が広がっていて、小道がゆるくカーブしながら奥まで続いているのが見えたわ。一分ほどその小道を歩くとようやくひらけた場所に出たんだけど、そこにはこじんまりした古い日本家屋がぽつんと建っているだけで、敷地の広さにしては拍子抜けするほど小さなお屋敷だった。まるで山奥の深い林に囲まれた一軒家に連れてこられたみたいで、ここが住宅地の中だってことを忘れてしまいそうだったわ…。赤坂典子は、あっけにとられてるあたしの様子を見ながらクスクス笑ってたの。『まるでおばけ屋敷みたいでしょう? でも私、ここに一人で暮らしているのよ』って彼女はおかしそうに言ったわ。彼女が玄関の戸を開けると、シッポを馬鹿みたいに振りながら犬が駆け寄って来たの。ひどく醜い犬がね…。『グロリア、あな
たの命の恩人を連れてきたわよ』って彼女が言うと、犬はまるで返事するみたいに『ワン!』って吠えたの。
あたしは庭の見える部屋に通されたわ。壁の棚には本やレコードがびっしり並んでいて、傍らには民族楽器みたいなものがいくつか置いてあったの。テーブルの花瓶には薔薇が生けてあったんだけど、その部屋はなんだか図書館や博物館みたいで、なんとなく色気がないっていうか、あまり女性らしい感じのする部屋ではなかったわね。あたしたちはゆったりした籐椅子に腰を下ろして、心地いいそよ風に吹かれながら話をしたわ。もう季節は初夏だった。グロリアは見違えるほど大きくなっていたわ。だけどひどく醜い犬になっていたの。赤坂典子はそのことを全く気にしている様子がなかったから、あたしも気にしないふりをしたの。あたしたちはまず犬の話をしたわ。ソファーにおしっこを漏らしただの、散歩に連れて行けとうるさいだの、そういう愛犬家らしい話をね。それから話が一息ついたところであたしは赤坂典子に訊いたの、『どうしてあのとき犬を引き取ろうと思ったんですか?』ってね。そしたら彼女は言ったの。『あなたにまた会えると思ったからよ』って。