〈2〉
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マリリンと僕は橋を渡った。川を下る小舟から、誰かが僕たちに向かって手を振っているのが見えた。
「あいつ、なんで真っ裸で手なんか振ってるんだろ?」と僕は言った。
しかしマリリンはただ「えっ?」と応じるだけで、僕の言うことなどまるで聞いてはいなかった。
犬のグロリアは、グフッ、グフッと荒い呼吸をしながら、4本の短い足をまるで水に溺れたトカゲように、バタバタと動かしながら前進していた。
橋を渡りきると、僕たちは橋のたもとにある一軒のバーの前で足を止めた。看板らしき板には消えかかった文字で、「bar bird」と書かれていた。もう何年も、人も、鳥も訪れたことがないような古びた店だった。
「入りましょ」とマリリンは言ってバーの扉を押した。
店内に入ると、まるで雨の日のブエノスアイレスで録音したような、ザーザーというノイズの混ざったアルゼンチンタンゴの古いレコードが流れていた。バーの中は洞窟のように薄暗かった。誰もいないように見えたが、カウンターの奥を覗くとまるで置物のように黙って僕たちを睨んでいる、老婆の姿を見つけてハッとした!
「ママ、こんにちは」とマリリンは老婆に声をかけた。「あたしはパクチージュース、グロリアには水をお願いね…。あなたは?」
僕はトマトジュースを注文した。
僕たちはテーブル席に向かい合って座ったが、お互いに何も喋らなかった。アルゼンチンタンゴの後ろで降りつづくノイズの雨は、ますますひどくなる一方だった。マリリンは僕の存在など忘れ、ただゆっくりと時間を過ごしているように見えた。しばらくするとさっきの老婆がヨタヨタした足取りで飲み物を運んで来た。老婆は震える手で、僕たちのテーブルに緑と赤の飲み物を置いた。
「グロリアちゃん、たんとお飲み」と老婆は言いながら、水の入った皿を床に置いた。
床にかがみ込んだ老婆と犬のグロリアは、見分けがつかないくらいよく似ていた。僕はトマトジュースをすすりながら、そんな光景をただ夢でも見るように眺めていた。
するとふいに、マリリンが口を開いた。
「あなたって大人しいのね。状況に埋没してるように見えるわ」
僕は意味がよく分からず首をかしげた。
「気にしないで」とマリリンは言いながら、いつまでも止まない五月の重たい雨に花弁を揺らす、崖の上の白ユリのように微笑んだ。