災害
帰りの船は、嵐の前のように静かだった。
ジュジュや双子はお昼寝中で、審問官たちも戦闘疲れからか誰も口をきこうとしない。
そして、なにより……魔物が出てこないのだ。
魔物の流入源を潰した影響もあるのかもしれないが、それにしても、行きのときのエンカウント率が嘘であるかのような静けさだった。
まるで、ラヴリアを襲うことをやめたような……。
「……ん?」
ふと、どこかから笛の音が聞こえてきた。
胸をぎゅうっと締めつけるような、物悲しげな音色だ。
船員の誰かが暇つぶしに吹いてるのかと思ったけど、違う。
音のほうを見てみると、そこにいたのは――1人の少女だった。
少女が船縁に腰かけながら、横笛に口元をあてている。
その憂いに満ちた顔は、今まで見てきたどんな顔とも違っていて。
一瞬、それがラヴリアだと気づかなかった。
「……っ!」
何気なく近づくと、甲板がきぃっと軋んだ。
その音に、ラヴリアがはっと振り返る。
「の、ノーくんか、びっくりしたぁ」
慌てて横笛を隠す。
「もう、びっくりさせないでよ。小指つるかと思った」
「なんかごめん……」
演奏を邪魔してしまったみたいで申し訳ない。
「そういえば、ライブのときも横笛吹いてたよね。今みたいな切ない感じの曲はなかったけど」
「……ちょっと、ラヴのキャラじゃなかったかな? ラヴらしくないっていうか」
「いや、そんなことはないと思うよ。むしろ、様になってたし」
「……そ、そう?」
ラヴリアが少し照れたようにはにかんだ。
「……歌も、横笛もさ……昔、シルちゃんに教えてもらったんだ」
「シルルに?」
「そう。部屋に閉じこもっていたラヴに、シルちゃんはいろいろなことを教えてくれたの。といっても、シルちゃんはひんひん言うだけで、みんな下手っぴだったけど……」
「昔ながらのポンコツだったんだね」
「知ってる? シルちゃんって、昔はやんちゃだったんだよ」
「へぇ、想像できないな」
「今は丸くなってるからねぇ。とくにノーくんの前では、いい子でいようとしてるし」
ラヴリアが楽しそうに、にへへと笑う。
しかし、その笑顔はすぐに憂いに満ちたものへと書き換えられた。
「……最近はね、楽しいんだ」
「え?」
「今まで生きてきた中で、たぶん一番幸せ。自由に歌うこともできるし、友達もたくさんできた」
ラヴリアが僕の胸の中にもたれかかってきた。
そして、その両手を――僕の喉元に、そっと添える。
まるで、首を締めようとするかのように……。
「ねぇ、ノーくん。こんなに幸せなまま生きるには……どれだけの代償を支払えばいいんだろうね?」
「…………え」
ラヴリアの瞳から感情が抜けていく。
少しずつ、僕の首にかかる手の力が増していく。
「こんな幸せな日が、ずっと続けばいいのにと思うんだ。だけど、幸せに生きるには、やっぱり、なにかを犠牲にしないといけないんだよね? 好きなものとか、他の人の幸せとか……そういうものを、いっぱい……いっぱい……」
ふと、辺りに影がさした。
雲が出てきたらしい。雨を含んでいそうな黒い雲だ。
風が水気を帯びて、じっとりと重くなる。
少し空気が冷えてきたからか、ラヴリアの体が一瞬だけ震えた。
「…………なんてね♪」
ラヴリアはいきなり、にへらと笑うと。
ぱっ、と僕から離れた。
「あ、今のは全部、ラブリージョークだからね♪」
「……ラブリー要素あったかな?」
「満載だったよ!」
「……そろそろ、君の“ラブリー”の定義を聞きたくなってきたよ」
「“ラブリー”に意味なんてないよ? ラヴの心がラブリーで満ちたときに自然とあふれ出てくる魔法の言葉……それが“ラブリー”なの♪」
「うん、混乱がいっそう増しただけだったね」
僕は肩をすくめる。
さっきのラヴリアの言動については……きっと、触れないほうがいいんだろう。なにか悩んでいるようだけど、精神面の話では、僕が力になれるとも思えない。
心のケアとかそういうのは、シルルに任せよう。
それからしばらく……僕はラヴリアの横笛の演奏を聞いて、時間を潰した。ミィモさんの予想に反して、最後まで船が沈められることはなかった。
船は順調に進み、雨になる前には聖都に戻ることができた。
「――お疲れ様です、ミルナス長官!」
船着き場に入るなり、セインさんたち審問官が敬礼して出迎えてくる。
僕たちはミィモさんを先頭に、凱旋するかのように船を降りていった。
「君たちもご苦労。マーズの動きはどうかね」
「結界の乱れはありません。おそらく動いてはいないかと」
「なるほど、これだけ千載一遇の好機を与えたというのに、やはり動かなかったか」
ミィモさんが笑う。
「だとすれば……決まりだね」
突然――ミィモさんがラヴリアへと腕を向けた。
だぶだぶの袖口から銃口が飛び出し――。
「…………え?」
そして、銃声がとどろいた。
…………。
船着き場が静寂に包まれた。
ラヴリアがその場に崩れ落ちる音が、やけに大きく響く。
「……なにをしているのかね、ノロアくん?」
やがて、ミィモさんが口を開く。
僕……というより、僕が手にした盾を見ながら。
「……なぜ、彼女を守った?」
と、ふたたび問う。
「……僕はラヴリアの護衛です」
ちらっ、と後ろを確認する
ラヴリアは尻もちをついたまま、呆けたように僕を見上げているが……。
『姫なら無事よ。あんたは前向いてなさい』
「……わかった」
ふたたび、ミィモさんと対峙する。
気づけば、周囲にいた審問官たちが、僕たちに武器を向けていた。
「今のは、まるで攻撃を予測していたような動きだったね」
「…………」
「やっぱり、君……知っていたね?」
ミィモさんの眼光が鋭くなる。
「なるほど、素晴らしい護衛精神じゃないか。君はラヴリアくんの正体を知りながら……ずっと、審問官からラヴリアくんを守り続けていたわけだ」
「…………え」
ラヴリアが声を漏らすのがわかった。
たしかに、ラヴリアの正体はずっと前からわかっていた。
最初からいくらでも怪しいところはあったけど、確信したのはマーズに水路に落とされたときだ。
あのとき、僕は魔物に襲われたが……水上から不思議な笛の音が聞こえてきた途端――突然、魔物が僕を襲うのをやめたのだ。それが決定的だった。
あの場にいたのはラヴリアだけだった、ということもあるけれど。
笛の音によって魔物を操るのが〝呪いの装備の力〟だというのなら、笛の音がしないときにラヴリアが襲われているのは〝呪いの装備の代償〟のせいだと、直感的に気づくことができた。
それがわかったうえで、あのとき僕は――。
――審問官からラヴリアを守ろう、と覚悟を決めたのだ。
「やはり、君が教えてくれていたマーズの位置情報もでたらめだったか。突然、権力者に黒幕がなどと言いだしたのも……おおかた時間稼ぎのつもりだったんだろう」
やはり、ミィモさんには怪しまれていたか。
どのみち、時間を稼いだところで、僕にはなにもできなかったわけだけど……。
こうなるぐらいなら、もっと早くにラヴリアを問いつめて、無理やりにでも呪いの装備を奪うべきだったかもしれない。下手に刺激しないように慎重になりすぎた。
「だが、わからないな。ラヴリアくんの正体がわかっているなら、なぜそこまでして彼女を守る?」
「…………」
「彼女は、この呪災の元凶である“呪い持ち”だ。つまり、彼女は――」
ミィモさんが忌々しげに吐き捨てる。
「――彼女は、災害だ」
「……っ」
背後にいるラヴリアが息を呑むのがわかった。
「それも、彼女の呪いの装備の代償は、“魔物をおびき寄せる”というもの。彼女はただ存在しているだけで、多くの人を不幸にする」
「……やっぱり、さっきの魔狼はあなたたちの仕業ですか」
ラヴリアの正体を確認するために襲わせたのだろう。
誰かが魔物を操ってラヴリアを襲っているのなら、審問官たちが用意した“操られていない魔物”がラヴリアだけを襲うはずがないのだから。
「でも、本当に……ラヴリアは殺されるべき人間なんでしょうか」
『そうよ! この姫は悪いやつじゃないわ! わたくしが保証するんだから!』
「貴様ら……俺たちが、好きでこんなことをしているとでも思うのか……?」
セインさんがこちらに雷槍を向けながら、ぎりっと奥歯を軋ませる。
「俺たちだって、誰も彼女を殺したくなんてない! だが、仕方のないことだろ! 彼女の死は……世界が平和であるために支払うべき代償なんだ!」
「……セインくんの言う通りだ」
ミィモさんが静かに続ける。
「どのみち、“呪い持ち”は死しか問わず……それが神聖国の本来のルールだからね」
「…………」
なにも言い返せない。
きっと、致命的に間違っているのは、僕のほうだから。
でも、だからといって、ラヴリアを見殺しにしたくはない。
『ふんっ、うちの姫を殺したければかかってきなさい! ノロアが全員まとめて成敗してやるわ!』
「……強情だね、君たちも」
ミィモさんは肩をすくめると。
僕の説得をあきらめたのか、今度はラヴリアのほうへと視線を向ける。
「ラヴリアくん。君はどうなのかな?」
「…………え?」
「このままだと、ノロアくんと審問官とで血で血を洗う争いになるだろう。君は……それを望むのかな?」
「……それは、やだかな」
「だろう? なら、どうか抵抗せずに首をはねられてくれないかな」
「……抵抗せずに?」
「ああ。それが一番誰も傷つかない……幸せな結末なんだ」
「そっか……そうなのかも……」
ラヴリアはふらふらと立ち上がり、ミィモさんのほうへと歩み寄る。
「ラヴリア!」
「どうせ抵抗したところで、この聖都の中じゃ、逃げられるはずないもんね……きっと、仕方がないことなんだよね」
「……ああ……全部、仕方のないことだ」
「……でも、ごめんね」
そして、ラヴリアが覚悟を決めたように顔を上げた。
「……それは、できないんだ」
「なに?」
「だって――」
ぽつり、と呟く。
「――もう……抵抗は、始めてるから」