船上
『――海よっ!』
「海だぁ!」「……海ですっ」
「……湖だよ」
フーコさんの部屋を片付けた、翌日。
僕たちは朝から船上にいた。
魔物の流入源である川をふさぎに行くためだ。
マーズを警戒して大半の審問官が聖都に残っているため、船上には審問官が少ない。ちなみに、シルルも船酔いが嫌だという理由で、聖都待機組だ。
この船に乗っている知り合いは、ミィモさんとラヴリアぐらいか。
「あいかわらず元気だね、君たちは」
同船していたミィモさんが、呆れたように苦笑する。
「一応、かなり危険な任務ではあるのだが……」
「なんか、すいません……」
「いや、責めたわけではない。冷静でうらやましいと思っただけだ」
ミィモさんが落ち着かないように、キャンディの棒をいじりだす。飄々としているように見えるが、それなりに緊張しているのかもしれない。
たしかに、今回の任務はかなり危険だろう。
魔物がうようよといる湖の中を、逃げ場のない船で進んでいるのだ。
しかも、この船には――ラヴリアが乗っている。
魔物たちにとっては格好の的でしかない。
「でも、意外だったね。ラヴリアくんが大人しく船に乗ってくれるとは」
「…………え?」
いきなり話を振られたからか、ラヴリアが心ここにあらずといった返事をする。
やっぱり……昨日から、ずっと元気ないな。僕と一緒のベッドで寝たのが、そんなにショックだったんだろうか。
「ふむ……」
と、ミィモさんは探るような視線をラヴリアに向けた。
「ラヴリアくんは船に乗るのが怖くないのかな?」
「え、いや……怖い、けど……みんなの役に立てるなら、ラブリーだなって思って。そ、それに、ノーくんが守ってくれるから……」
「さて、本当にそうかな?」
「……え?」
「私が魔物を操れるとしたら、真っ先に船を沈めるよ。そのうえで水中から魔物に攻撃させる。そうした状況で、ノロアくんがどこまで君を守れるかな?」
「……う」
「いや、ミィモさん。あんまり脅かさないであげてくださいよ。そもそも、僕たちはラヴリアに協力してもらってる立場なんですから」
そう、審問官があえてラヴリアを船に乗せたがった理由は――ラヴリアをおとりにするためだ。
ラヴリアはそれを承知で、船に乗ってくれた。
「……いや、悪かったね。しかし、ノロアくんも気をつけたほうがいい。湖に落とされたときに便利な呪いの装備でもあるのなら別だがね」
「さすがに水中では戦えませんよ」
そもそも泳げないし、水の中で目を開けるだけでも精一杯だ。
「なら、充分に警戒することだ。万が一、ここに“呪い持ち”が乗っていたとしたら……確実に船を沈めようとするだろうからね」
「わかってますよ」
そう頷いたところで……ふと、視線に気づいた。
「……?」
なぜか、ラヴリアがちらちらと僕のほうを見てくる。
まるで、なにかを恐れてるように……。
やっぱり不安なのだろうか。ただでなくても、ラヴリアにとっては、ここは敵地のど真ん中みたいなものだ。辺りには魔物がうようよいるし、どこにも逃げ場はない。
当然、ラヴリアがいれば魔物が船を襲ってくる頻度も高くなる。
不安になるなというほうが無理だろう。
「大丈夫だよ、ラヴリア」
「……え?」
「なにがあっても、ちゃんと守るから」
「えっ、あ……うん」
なぜかよそよそしい。
でも、今はその態度の理由を考えている余裕はなかった。
「……っ」
突然――羅針眼の針が、びくんっと動いた。
あえて“検索中”のままにしておいた針だ。
針は磁力に吸いつけられるように、下方を指して止まる。
この針が示す方向にあるものは――。
「――魔物です!」
僕の声とともに、船上に緊張が走る。
その次の瞬間――船縁を飛び越えて、魔物たちが踊りかかってきた。
鳥のように飛来してくる、無数の魚の魔物たち。
動きは速いが……どこを襲うのかわかっていれば、対処は容易い。
とっさに、ラヴリアをかばうように前に出る。
「下がってて」
「う、うん」
「ノロアくん、頼む!」
「はい!」
スライムシールドでラヴリアを守りつつ、スライムソードを振るう。魔物が密集しているおかげで、剣を振れば振るほど魔物はごっそりと数を減らしていく。
「と……こんなものかな」
今回はそれほどの大群ではなかったのか、すぐに戦闘が終わった。
討ち漏らしは、審問官たちが1匹1匹処理していく。すでに何度もやってきた作業のため、審問官たちの手際もいい。
「ラヴリア、怪我はない?」
「だ、大丈夫、全身ラブリーだよ」
「なるほど、ちょっと意味がわからない」
まあ、ラブリーとか言ってる時点で大丈夫そうだ。
護衛の役目は、問題なく果たせているかな。
「しかし、なにからなにまで頼りきりで、すまないね」
「いえ……僕が提案した作戦ですしね」
――ラヴリアに魔物を引き寄せて、僕が斬る。
そうすることで、この魔物がはびこる湖を、最小限の人数で進むことができる。
船体や非戦闘員を攻撃されるリスクも少なく、マーズ対策に多くの人員を割くことができるこの作戦は……今のところは、うまくいっていた。
もっとも、僕1人に負担が集中する作戦ため、僕がちょっと失敗すれば、ラヴリアもこの船に乗っている人たちも総崩れになる恐れはあるけど……。
だからこそ、ミィモさんも“危険な任務”と言ったわけだ。
「さて、そう言っているうちに……そろそろ到着だよ」
と、魔物の後処理をしていたミィモさんが、前方を指さした。
そこにあるのは――陸地だ。
その陸地を湖が押し分けるように、広大な川ができていた。
その川の近くにある船着き場で、僕たちは船の錨を下ろす。
「結局、船は沈められなかったですね」
「ま、ここまではね。でも、最後まで気は抜かないことだ」
「わかりました」
「……それじゃあ、行こうか」
ミィモさんが暗い笑みを漏らす。
「……ここから反撃だ。もう、やられっ放しにはならないよ」