覚悟
「…………げほっ……ごほっ……」
水路から脱出したあと、僕はしばらくむせ返っていた。無意識のうちに、だいぶ水を飲んでしまっていたらしい。目も痛いし、鼻もつんと染みる。
『もう、ありえない! 服も髪もべたべたじゃない! あのメガネビームに絶対クリーニング代請求してやるわ!』
「……服や髪より、僕が殺されかけたことを気にしてほしいんだけど」
溜息をつきながら、周囲を見る。
あの、マーズの仕業か……周囲一帯の建物や道がごちゃごちゃにつなぎ合わされ、混沌とした光景を作り出していた。市民たちも次第に辺りに集まりだし、何事かと騒ぎだす。
「……これはまた」
『……めちゃくちゃすぎるわね』
地図が丸っきり変わってしまっている。
こうもあっさり、こんな非現実的な光景を作るとは……さすがは呪いの装備といったところか。
しかし、魔物関係の呪いの装備を持ってると思ったんだけどな……。
「の、ノーくん……?」
「あれ?」
と、気づけば、ラヴリアがすぐ下にいた。
どういう状況で暴食鞄から吐き出されたのか、なぜか押し倒すような格好になっていた。
泣いていたのだろうか、目元が真っ赤に腫れている。
「あ、ラヴリア……無事だったんだね、よかっ……」
「ノーくん!」
「うわっ」
がばっ、と抱きつかれる。
「死んだかと思った! 死んだかと思った!」
「……まあ、僕も死んだかと思ったよ」
正直、今回ばかりは、本気で死ぬかと思った。
たまたま魔物の口を見て、暴食鞄を連想したおかげで、活路を見出だせた。
人が通れる穴はなかったけど、暴食鞄が通れるだけの隙間があるのなら……一時的に僕を収納してもらって、後で吐いてもらえればいいんじゃないか、と。
もちろん、少し賭けではあったけど……うまくいったようでよかった。
「ご、ごめんね……ラヴのせいで、こんな目に」
「いや、君のせいじゃないよ」
『そうよ、悪いのは全部あのメガネビームなんだから』
「でも、ラヴなんかの護衛をしなければ……」
どうやら責任を感じているらしい。最初はただわがままでマイペースなだけの女の子かと思ったけど……そうではなかったな。
ラヴリアは誰かのために涙を流すことができる心優しい少女だ。
本当に……殺されていいような子ではない。
なら、僕も覚悟を決めるか。
僕はラヴリアと抱き合ったまま、背中をぽんぽんと叩く。
「それより、ラヴリア。さっきの話の続きをしてもいいかな」
「さっきの話って、メガネビームに会う前の……?」
「うん、そうだけど……すごいナチュラルに“メガネビーム”が定着したね」
メガネビームのせいで真面目な会話がしづらい。
空気を切り替えるために、一応、咳払いとかしてみる。
「それで、君の護衛の件だけど」
「……やっぱり、嫌になった? 死にそうな目にあったし……」
「いや、僕が護衛をすることを認めてほしいんだ」
「え?」
きょとんとされる。
「死にそうな目にあったのに、まだ護衛やりたいの……?」
「うん」
「さっき装備で釣られそうになってたのに……?」
「……う、うん」
そこを突かれると、だいぶ痛い。
「でも……改めて考えたんだ。君のことを守らないとって。だけど、君を守るには、君の側にいないとダメなんだ」
「…………ど、どうして」
ラヴリアが少し顔を赤らめながら、おずおずと尋ねてくる。
「どうして、ノーくんは……そこまでして、ラヴのことを守ろうとするの……?」
「え、呪災解決のためだけど」
「あ、そうなんだ」
もちろん、ラヴリア自身を守りたいという思いもあるけど、正直にそう言うのは恥ずかしい。
『……フラグを盛大にへし折ったわね』
ちょっと、ジュジュがなに言ってるのかわからない。
「うん、護衛についてはわかったよ」
ラヴリアが、しゅんと肩をすぼめる。
「ラヴもちょっと考えが甘かったし……」
「わかってくれたならいいんだ」
まさか、初日から護衛拒否されるとは思わなかったし、呪災の犯人に殺されかけるとも思わなかったけど。
結果的に、そういった事件のおかげで丸く収まってくれたようだ。
「あの……ノーくん」
「ん?」
「ノーくんって、もしかして……マハリジの町に……」
「え?」
「……あ、いや、なんでもない。たぶん、気のせいかな」
ごまかすように、にへへ、と笑う。
なんだろう、少しだけ無理したような笑い方だ。
でも……今、マハリジの町と言ったのか?
僕の故郷の名前だ。とくに教えたつもりはないんだけどな……。
「な、なんだ、この惨状は……!」
「ノロア様、いますか!」
と、そこで、聞き覚えのある声が。
「あ、シルちゃんの声だ」
『ツンデレゴールドもいるわね』
「それ、セインさんのことかな?」
シルルにセインさんか。ラヴリア捜索をしていた2人だ。
「ちょうどよかった」
ラヴリアを見つけたことを伝えないと。
「シルル、セインさん、こっちです!」
「ああ、そこにい――ッ!?」
「あ、ノロア様――ぁッ!?」
なぜか2人が、僕たちを見た瞬間――固まった。
「き、貴様……護衛対象になにをしている! そのお方は、一国の姫君なのだぞ!」
「…………ノロア様、浮気ですか?」
「え、なにを……」
と、そこで思い出す。
そういえば、僕はラヴリアと抱き合ったままだった。
しかも、ラヴリアは目を真っ赤に泣き腫らしている。
なるほど、いろいろ勘違いされるのも無理はない。
「ふぅ」
僕は落ち着いて、ラヴリアを引き剥がそうとする。
……が、離れない。ラヴリアががっちりとホールドしてくる。
「……べー♪」
下を見ると、ラヴリアが悪戯っぽく舌を出していた。
どういうつもりだ。
「おい、いつまで抱きついてるんだ!」
「……落ち着いてください。これも護衛としての大切な仕事なんです」
「職権乱用だ!」
セインさんに怒られる。
僕はただ、ラヴリアの心のケアをしていただけなのに……。
「やはり、こんなやつに護衛を任せるなんて間違いだったんだ!」
「……私もそう思ってきました」
「なんでだ」
せっかく、ラヴリアから認めてもらったばかりなのに。
まだまだ前途多難だな……。