水の都と結界
――世界の中心は、どこにあるか?
そう尋ねられたら、多くの人が、地図上のとある一点を指差すだろう。
その場所こそが、ここ。
巨大な湖の中心に浮かぶ、白い都市――。
――聖都サンクティアだ。
「おお……さすが聖地だね」
船から降りて、白亜の道を踏む。
視界一面は、眩しいばかりの白と青のコントラスト。
白くないことが罪であるかのように街並みは徹底的に白く、建物や道の合間にはスカイブルーの水路がいくつも這っている。
壮麗で神秘的な水の都だ。
空気までもが神聖さをまとい、澄んだ静寂が街を覆っている。この光景を見れば、誰もが自然と敬虔な気持ちになってしまうことだろう。
『真っ白な壁が、こんなに……すごいわ!』
ジュジュも珍しく、食べ物以外のことで興奮していた。本当に珍しい。
「真っ白!」「……ホワイトです」
スイとラムも手をつないで、ぱたぱたと周囲を駆けまわっている。
どうやら、装備たちにも風情というものがわかる日が来たらしい。
思わず、じーんとしていると。
『これは落書きのしがいがあるわね!』
「へ?」
『行くわよ、スイ、ラム! この街の壁という壁に「ジュジュ参上!」って刻みつけてやるわ!』
「いえーっ!」「……参上します」
「……参上しなくていいから」
『むぎゅ』
ジュジュの頭を腰鞄の中につっこむ。
「まったく……マナーの悪い観光客か、君たちは」
まあ、装備に人間のマナーを求めるのも、無理があるのかもしれないけど。
「わぁ、懐かしいです……! 白い! 驚きの白さですよ!」
シルルはシルルで、聖都が見えてきたときからテンションが上がりっぱなしだった。
「そういえば、シルルは聖都に来るの初めてじゃないんだっけ?」
「はい! 昔は、毎年のように来てました!」
そういえば、シルルは元教会関係者だったな。
それも元聖女だから、けっこうな身分の人だ。聖都と関わりが深くてもおかしくはない。
「宗教行事の少ない夏……私たちは“夏休み”と呼んでましたが、その時期になると、毎年巡礼に来ていたんです。だから、ここは第二の故郷みたいな感覚で」
「へぇ」
「本当に、懐かしい……ラヴちゃん、元気にしてるかな……」
街並みを眺めながら、遠い目をするシルル。
子供時代の思い出に浸っているのだろうか。
「第二の故郷、か」
第一の故郷ともいえる街から追い出されたシルルにとっては、ここはただ懐かしいだけの場所ではないのかもしれない。
“ドールマスター”を名乗る者からの謎の手紙のせいで、嫌々来ることになった聖都だけど……シルルが喜んでくれるなら、それだけでも来たかいがあっただろう。
「それにしても……やけに順調に入ることができたな」
『なによ? もっとスリルが欲しかったの?』
「そういうわけじゃないけど」
ほんの少しだけ、引っかかりがあった。
先日、レイヴンヤードの呪装審問官――ロレイスさんに発行してもらった許可証は、問題なく機能した。その結果、無事にこの都市に入ってこれたわけだ。
しかし、この聖都は、世界一のセキュリティを持つといわれている地。
それも、“呪い持ち”は、死しか問わずがモットーの呪装審問官の本拠地でもある。
つまり、ここは僕にとっては敵地のど真ん中なのだ。
そう簡単に、事が運ぶとは思えない。今のうちから警戒レベルを引き上げておいたほうがいいだろう。
観光に来たわけじゃないのだ。気を引きしめなければ……。
『で、どの店から回るぅ? わたくし的には、夏だし激辛系がいいんだけど』
「ラム、アイス食べたい!」「……スイもひんやり系を所望します」
「あっ! 私、穴場のお店いっぱい知ってますよ!」
『でかしたわ! たまには役立つじゃない、爬虫類のくせに!』
「爬虫類じゃありません! 人類です!」
きゃぴきゃぴとはしゃぐ女子たち。
さっそく観光気分100%だった。
「いや、観光に来たんじゃないからね」
『じゃあ、なんのために来たのよ』
「それは“ドールマスター”って人に会いにだね……」
『そいつと観光、どっちが大切なの?』
「圧倒的に前者だよ」
『わたくしは、そうは思わない』
「いや、そこを否定されると少し切ないんだけど」
一応、“ドールマスター”に会うために今まで頑張ってきたわけだし。
たしかに、僕の過去にまつわる案件だし、僕以外はとくに興味なくても仕方ないけどさ……。
個人的には、それなりに重要な案件なのだ。そうでもなければ、“呪い持ち”の身でありながら神聖国になんて入りはしない。
「とにかく、まずはこの聖都にいる“ドールマスター”に接触しよう」
この地の鑑定装備者に手紙の封蝋を見せれば、誰からの手紙かわかるだろう。もっとも、それより先に相手から接触してくるかもしれないけど……。
そんなことを考えつつ、僕は意を決して足を踏み出し――。
「あ、ノロア様、そこは……」
「うぶっ!?」『うっぷす!』
見えない壁のようなものに、思いっきりぶつかった。
「ノロア様!?」
「あ、あるじ!」「……と、ついでにジュジュ姉様も、大丈夫ですか?」
「いや、HPにダメージはなかったけど……いったい、なにが」
周囲を見るが、なにもない。
なににぶつかったのかわからなくて混乱していると。
「あの、結界です」
シルルが説明してくれた。
「この聖都には、区画ごとに結界が張ってあるんです」
「結界……」
たしかに、よく見ると、うっすらと透明な膜のようなものが見える。その側に立てられた標識には、『この先、権限レベルB』という文字が。
「この結界の中に入るには、それに見合った“権限レベル”が必要でして……私たちは入市許可証を持ってるだけのレベルGなので、ほとんどの場所には入れません」
「ああ……たしかに、そうだったね」
聖都に入る前に、そういうことは聞いていた。
――結界都市。
この聖都サンクティアは、そんな異名も持つほど、たくさんの結界に守られている。そして、都市内は権限ごとに結界で住み分けされている、と。
聞いてはいたけど……ここまでとは予想外だ。
「さすがに、結界が複雑すぎない?」
改めて周囲を見てみると、道1つ、建物1つ、といったレベルで別々の結界が張られているのだ。これじゃ、権限レベルが低い人にとっては、ほとんど迷路みたいなものだ。
標識を確認しながらじゃないと、まともに道を歩くことすらままならない。
「だからこそ、世界一安全な都市なんですよ」
シルルが苦笑する。
「外から来た人は、城を攻めるどころか、城に着くことすらままなりませんから」
「……なるほど」
この都市ができてから700年、一度たりとも、まともに攻め入られたことはないというが……その理由がわかった気がする。
この不便さに意味があると言われると、納得するしかない。
『ま、とりあえず、わたくしたちのグルメツアーに支障がなければなんでもいいわ。とにかく爬虫類は、穴場の店に案内しなさい』
「あっ……その店、レベルEの区画だったかもしれません……」
『……ノロア、血舐メ丸抜きなさい。この都市から結界を駆逐するわよ』
「僕はやらないよ?」
とくに意味のない破壊活動をさせないでほしい。
「しかし、暮らしにくそうな街だね」
「慣れればそうでもないですよ」
「そういうものかな?」
ただ、この街でなにか事を起こすことになった場合。
この結界が、最大の障害になるのかもしれないな……。