船旅とクラーケン
連載再開です!
……見わたすかぎりの湖だった。
澄んだ水面は、鏡のように空を映している。
そのつるりとした湖上を、僕たちを乗せた船がすべるように進んでいた。
『……で、まだ釣れないの?』
船縁に腰かけて釣りを楽しんでいると。
隣に腰かけた少女の人形――ジュジュが、不満そうに尋ねてくる。
『早くわたくしにシーフードを貢ぎなさいよ。わたくし、タコが食べたいわ』
「タコね……うん、もうすぐ釣れると思うよ」
あくびを噛み殺しながら、適当に答える。
……のどかな船旅だった。
陽光はうららかで、適度な船の揺れは眠気を誘う。
生まれて初めて見る湖は、いつまで見ていても飽きることはない。
「たまには、こうしてのんびりするのもいいよね」
ジュジュと出会ってからは、どこに行っても、なにかしらの事件に巻き込まれてたからな……。
なにも起こらなかった“ゼロのノロア”時代よりはマシだけど、それでも時には休みたくもなる。
「うん、平和が一番だ」
と、あくびをしていると。
「――ま、魔物だぁッ!」
……はい、いきなり平和じゃなくなりました。
船員たちの悲鳴とほぼ同時に、船が大きく揺れだし、周囲から一斉に水飛沫が上がった。
そうして現れたのは――無数のタコの触手だ。
大木を思わせる巨大な触手たちが、いつの間にか船を檻のように囲んでいた。
「く、クラーケンだと!?」「海の魔物だろ!?」「どうして、湖にそんな魔物が!?」
一気にパニックに陥る船内。そんな戸惑っている人々を嘲笑うように、触手たちは船体をばきばきと破壊していく。
「「「絶対、触手なんかに負けたりしない!」」」
屈強な男たちがそう叫びながら触手に立ち向かうが、さすがに水中にいるクラーケンには手も足も出ない。
「うわぁ!」「きゃあ!」「らめぇ!」
次々と触手にからめ取られていく男たち。服がはだけ、あられもない姿をさらしていく。
やっぱり、触手には勝てなかったよ……。
「おい、他に冒険者はいないのか!?」「クラーケンはSランクだぞ! 勝てるわけないだろ!」「お客様の中に、Sランク冒険者はいませんか!?」
船内の混乱がさらに高まる。
しかし……クラーケンか。まさか湖で出会うとは思わなかったな。
あいかわらず、僕は運が悪い。
『ふぅん、なかなか大物が釣れたじゃない。これは食いでがありそうだわ』
「食べたいの、あれ?」
ジュジュもけっこうな大物だ。
と……さすがに釣りをしている場合じゃないか。
このままでは船ごとクラーケンに食われてしまう。
Sランク冒険者がたまたま船に乗っていないかぎりは、だけど……。
「……ここにきて、あんま目立ちたくはないんだけどな」
『いいから、早くあのタコ締めなさいよ。船が揺れて、めちゃくちゃ酔うんですけど』
「はいはい」
釣り竿をジュジュにわたして、装備を取りに向かう。
この騒ぎの中でも、僕の装備たちはお昼寝中だった。
肩を寄せ合って、すやすやと眠っている水色の髪の双子。
スライムソードのラムと、スライムシールドのスイだ。
「スイ、ラム、起きてもらってもいいかな」
二人の手を握ると、双子はとろんとした瞳でこちらを見てきた。しぱしぱと眩しそうに瞬きする。
「んにゅ……あるじ?」「……もう到着ですか?」
「いや、魔物が出たから力を借りたいと思って」
「魔物ー、戦うー」「……あと5分……いえ、ちゃんと起きます」
ぽやぽやとした返事をしながら、双子はうにょんと姿を変えた。
水色の粘体になり、それぞれ透き通った剣と盾に。
形状と性質を自在に変えられる呪いの装備――それが、スライムソードとスライムシールドだ。
「うわあああ!」「もうおしまいだぁ!」「神様ぁ!」
船が大きく傾き、乗客たちが絶望的な声を上げる。どうやら、クラーケンが船体にかじりついたらしい。もう時間はない。
「スイ、船体の保護を」
「……ふわ……守ります」
スライムシールドが薄板になり、船体にへばりつく。いかにも頼りない装甲だが……クラーケンの牙が、がちっと弾かれる。
クラーケンが戸惑ったように何度も牙を立てるが、結果は変わらない。防御力3000の盾の硬さはダテじゃないのだ。
「じゃあ、今のうちにさっさと終わらせよう」
クラーケンの弱点は、たしか目と目の間――人間でいう眉間の辺りだ。クラーケンは心臓が3つ、脳が9つもあり、正攻法で倒しきるのは難しい。しかし、眉間の奥にある魔石を破壊すれば、クラーケンは即死する。
もっとも水中にいるクラーケンの眉間に攻撃するだけでも骨が折れるのに、クラーケンの外皮は岩のように硬い。
けっして楽に倒せる敵じゃないが……。
「“クラーケンの魔石”を示せ」
探知用装備――羅針眼に指示を出し、クラーケンの魔石の位置を特定する。
的は大きい。外すことはないだろう。
「ラム、ちょっと伸びてー」
「わかったー」
湖面に向けて、スライムソードの剣身を伸ばした。
ごすっ、と硬い手応え。
その直後――船を襲っていた触手たちが、ぴたりと固まった。そして、赤みを帯びていた触手が、さぁぁ……と白くなっていく。
クラーケンが死んだ証だ。
「討伐完了、と」
あくびを一つ。
それからすぐに触手が力を失い、ぼとりぼとりと湖へと落ちていった。
「へ……?」「クラーケンは……?」「いったい、なにが……」
いきなりのクラーケンの死に、船内の人たちを余計に混乱させてしまったようだが……とりあえず、みんな無事らしい。触手にからまれていた男たちも解放されていた。
これにて、一件落着かな。
『ちょっと、ノロア! このままじゃ、タコが沈んじゃうわ! 網持ってないの!』
「あー……まあ、タコのことはあきらめよう。なんか見た目が不細工だし、食べても美味しくないでしょ」
『なによ! あんたにタコの苦しみのなにがわかるのよ!』
「いや、苦しみとかはわからないけど」
『謝りなさいよ! 不細工って言ったこと、全国のタコに謝りなさいよ!』
「君はタコのなんなんだ」
根に持たれても面倒臭いので、とりあえず暴食鞄の中に、クラーケンの死体を収納しておこう。
暴食鞄が食べたものは、亜空間に保存される。これでいつでも新鮮でぴちぴちなクラーケンを食べることができるが……あんま食べたくはないな。
とりあえず、あとで市場でタコを買っておくか。
そんなことを考えつつ、ふたたび湖に釣り糸を垂らそうとすると。
「ノロア様ぁ……」
「ん……」
琥珀色の髪の少女が、よろよろとやってきた。
船室で休んでいたシルルだ。周りの客たちの視線を釘付けにするような美貌を持っているが、今は少し顔色が悪い。
「シルル、船酔いはもういいの?」
「はい、少しだけ落ち着いてきました」
「クラーケンいたのに落ち着いちゃったんだ」
「クラーケンというと、先ほどの揺れの……? あ、そういえばですね、船酔いには生姜湯がいいって、船員さんが教えてくれましたよ」
「豆知識だね」
というか、クラーケン騒ぎが起きたばかりなのに、まったく動じてないな。
『クラーケン? それより船酔いの話しようぜ!』みたいなノリになってるし。
僕と旅してきた影響か、こういう騒ぎには慣れてきたらしい。ついこの間までゴブリンに大騒ぎしていた少女が、ずいぶんと強くなったものだ。
「う、揺れが……」
「大丈夫、シルル?」
「はい……最期にノロア様に看取ってもらえるなんて……本当に、いい人生でした」
「全然、大丈夫じゃなさそうだね」
『ぷっぷくぷぅ~! 乗り物酔いなんて馬鹿がなるのよっ!』
「2か月前の君に聞かせてあげたい名ゼリフだね」
「じ、ジュジュさんだって……まだ竜に乗るとき、よく吐きそうになってるじゃないですか!」
『残念でしたぁ! 最近は全部飲み込んでるからセーフですぅ!』
「わ、わたしだって、残さず飲み込んでますよぉだっ!」
「いや、あの……2人ともアウトだから落ち着いて」
2人をどうどうとなだめる。仲が悪いのはいいけど、公衆の面前で喧嘩はしないでほしい。普通に恥ずかしい。
「それより……どうしたの、シルル? ゲロについて話し合いに来たんじゃないでしょ?」
「あ、そうでした! ノロア様、そろそろ目的地に着くみたいですよ!」
シルルが興奮気味に、船の前方を指をさす。
そこにあるのは水平線だけ……いや、わずかに白いものが頭をのぞかせている。
陸ではない――都市だ。
湖の中、真っ白な都市が浮かんでいた。
「……ようやく、到着か」
――聖都サンクティア。
神聖国ソノンの首都であり、女神教の聖地。
そして……僕たちの目的地であった。