火葬十字《ステイク・ロス》
「ん、ぅ……」
リッカが目を開けると、そこは――墓場だった。
といっても、十字架があるわけではない。
荒涼とした大地に刺さっているのは、おびただしい数の装備だ。地平の彼方まで、延々と墓標のように朽ちた装備が立ち並ぶ。
まるで、装備の墓場。
赤い夕光のせいで、廃棄された装備たちが血を流しているようにも見えた。
「ここは……」
誰にともなく呟いた言葉だったが。
それに答える者が現れた。
「――呪装墓域だ」
乾いた足音とともに、リッカの視界に男の姿が入ってきた。
黒い軍服のような制服。誇示するように飾りつけられた勲章。
見間違えようもない。
「あんたは……」
――チェスター・ヴィル。
レイヴンヤードの審問官を取りまとめる男だ。
夕日の逆光のせいか、その顔はどす黒く染まっているように見えた。
「知っているとは思うが、ここは審問官の管轄下にある立ち入り禁止区域でな。だから、ここで俺がなにをしても、誰にも見られることはないし、罪にはならんのだよ」
「なにを言って……」
リッカはとっさに身構えようとして――。
しかし、体が動かなかった。
その代わりというように……じゃらり、と鎖が動く音がする。
それでリッカは気づいた。
自分の両腕が鎖で拘束されていることに。
その鎖は背後にある真紅の十字架――磔台につながれている。
「な、なにこれ……」
とっさに拘束から逃れようとするが、鎖はびくともしない。
「無駄だ」
チェスターは鼻で嘲笑う。
「それはBランク拘束装備。貴様ごときには、どうすることもできん」
「拘束装備……」
それは本来、凶悪な罪人や魔物に使うものだ。
ただの一般人に対して使うものではない。
「いったい、なにが目的……?」
チェスターは罠にかかった獲物を見下ろすように、にやりと薄い唇を歪めた。
「貴様には、略奪者を殺すための協力をしてもらうぞ」
「……略奪者を、殺す?」
意味がわからないし、できるとも思えない。
しかし、チェスターは微塵も疑いがないというように頷く。
「ああ、俺にはそれができる」
「そんなの、どうやって……」
「呪いの装備を使う」
「え……」
リッカはきょとんとする。
呪いの装備を狩るはずの審問官が、呪いの装備を使う。
すぐには、ぴんと来ない。
「他人に無理やり呪いの装備をつけるのが、俺の専売特許みたいなものでな。そうすることで、俺はあらゆる望みを叶えてきた。どんな力があろうとも、呪いの装備の代償には勝てないからな」
チェスターの視線を、リッカの背後へと向ける。
そこにあるのは、磔台のような鮮血色の十字架だった。
「それは、火葬十字という呪いの装備でな。その代償は――」
チェスターは簡潔に告げる。
「――死、だ」
死。
装備しただけで、死ぬ。
それを聞いた途端、リッカの頭の中で、“略奪者の死”が急に現実感を帯びてきた。
もしも、チェスターの言葉が本当なら……たとえ、略奪者だとしても、殺すことができるかもしれない。
「略奪者をこの磔台へと送る。そのために……貴様に協力してもらう」
「協力?」
「略奪者は、貴様がお気に入りだからな。貴様の言うことなら聞くだろうさ」
たしかに、聞くかもしれない。
略奪者……いや、ノアなら。
「だ、誰がそんなことを」
「するさ、貴様は俺に似ている」
「はぁ? そんなわけ……」
「俺も、貴様と同じ孤児院の出だ」
「え……」
「……この糞溜めの中、生きることすらもままならなかった。誰かの気まぐれに支配される生活だった。だが……そんなのは、うんざりだった。力が――強さが欲しいと願った。だから、必死にあがいて、もがいて、ここまでのし上がったのだ」
チェスターは胸に光っている勲章を見せつける。
「貴様も同じだろう? 俺には貴様の考えていることがよくわかる。力が欲しいよな? 強さが欲しいよな? 審問官としての地位が欲しいと常日頃から言っていたしな」
「そ、それは」
「審問官にしてやってもいいぞ」
「え……」
「俺にはその権限が――力が、ある」
ずっと望んでいて、しかし手が届かなかった願い。
それが今、拍子抜けするぐらいあっさりと手元にやってきた。
力のある者の気まぐれによって。
「他人など踏み台にすればいい。己の望むがままに生きろ。それが強さだ」
チェスターがリッカに手を差し伸べる。
「俺に協力しろ。そうすれば、本当の強さをくれてやろう」
「……本当の強さ」
リッカは、差し伸べられた手を見る。
チェスターに協力すれば、力が手に入るだろう。
それは、ずっと求めていたものだ。孤児院の家族も、きっと喜ぶ。リッカが助けられる子供も増えるかもしれない。
だから、この手を拒む理由はない。
そう、拒む理由なんて……。
――リッカ先輩は、もう強いですよ。
ふいに、そんな言葉が脳裏をよぎった。
誰よりも強い少年の言葉だった。
装備も、地位も、お金も、なにもない自分を――強い、と言ってくれた。
だから。
「……ああ、そうだね」
リッカがうつむく。
それを同意と受け取ったのか。
チェスターが我が意を得たりとばかりに笑った。
「――交渉成立、だな」
「いや」
ぱしっ、と。
周囲に乾いた音が響く。
リッカがチェスターの手を蹴り飛ばした音だった。
「答えは……死んでもお断り、だよ」
にやりと笑いながら、リッカは後ずさる。
背後にあるのは、真紅の十字架。
触れれば死ぬ、呪いの装備。
「……! 貴様、なにを……!」
チェスターが焦ったように叫ぶが――もう遅かった。
*
「――“リッカ先輩の居場所”を示せ」
ロレイスさんと対峙しながら、僕は羅針眼に指示を出した。
リッカ先輩がいるのは、呪装墓域の方向だ。
たしかに、呪装墓域は審問官の管轄下にある。
人質を隠すのにはうってつけの場所だろう。
今すぐにでもリッカ先輩を助けにいきたい。
しかし、ほとんど状況がわからない今、下手に動くのはまずい。
チェスターのし掛けているという罠についても気になる。
大丈夫、せっかく人質に取った相手を、意味もなく殺すことはないはず。
まずは冷静に、ロレイスさんから情報を引き出すべきか……。
そんなことを考えていたとき、だった。
「……は?」
突然――世界が、赤く染まった。