祭りの終わり
夕焼け空に、ひび割れた拡声装備の音が響いた。
もうすぐ後夜祭が始まります、と。
リッカはそのアナウンスを聞きながら、通りをぶらぶらと歩いていた。
子供たちはすでに孤児院に帰した。屋台の片付けも始まってるし、そもそもお金もないから、買えるものもない。
だからこれは、とくに理由のない散策だ。
ただ、その視線はちらちらと雑踏のほうへ向く。
まるで、誰かを探しているかのように。
「……なにやってるんだろ、あたし」
祭りの終わり特有の、白けたような空気が、リッカの頭を徐々に冷ましていく。
なんとなく、物足りなかったからだろうか。
こんな、らしくもないことをしているのは。
「……帰ろうかな」
そう、呟いたときだった。
「――リッカ・ヴァレットだな」
背後から、声。
友好的な声ではなく、どこか険悪な響きがある。
「……なに、あんたたち」
振り返ると、審問官たちがいた。
各々の武器に手をかけ、一触即発の空気を出している。
わけもわからず敵意を向けられ、リッカは思わず後ずさる。
審問官たちは、リッカが後ずさった分だけ、追いつめるように近づいてくる。
「貴様には、ノア・コレクタの協力者だという嫌疑がかけられている」
「は、はぁ……?」
意味がわからなかった。
ただ、自分がまるで罪人みたいな扱いをされていることはわかった。
「た、たしかに仕事仲間だけど……それのなにが悪いの? ノアがなにしたって言うの?」
「ノア・コレクタは、略奪者だ」
「え……」
あっさり告げられた事実に、リッカの思考が停止する。
そのせいで、致命的な隙を作ってしまった。
「……っ!?」
突然――後頭部に、がつんと衝撃。
平衡感覚を失い、リッカは顔から地面に倒れる。
殴られたとわかったときには、リッカの視界は黒く染まっていた。
「さあ、同行してもらおうか」
「あ……」
祭りの喧騒が、だんだん遠のいていく……。
*
裏路地に入ると、蟲使いがたたずんでいた。
紅い蝶がその周囲をひらひらと舞う。
蟲使いは逃げようとしない。敵意も感じられない。
まるで、僕が来ることを待っていたように。
「……あなたが、呪いの装備を街に流してた犯人?」
蟲使いは、こくりと頷く。
「どうして……あなたが」
フードを深くかぶっていても、至近距離ではその素顔を見ることができる。
その顔は、とても見覚えのあるものだった。
「どうしてですか……ロレイスさん」
「…………」
ロレイスさんは、すぐには答えなかった。
真面目で、正義感が強く、呪いの装備を憎んでいた審問官。
そんな人が、どうして……。
「……望んだことではありません」
やがて、ぽつりと答える。
「全てはチェスター・ヴィルの命令です」
「命令?」
「はい」
ロレイスさんは、いつものように淡々としゃべる。ただ、負い目のためだろうか、いつもみたいに相手の目をまっすぐに見ることはない。
「逆らうことはできませんでした」
「どうして」
「弱みを握られているからです。この街に赴任してからしばらくして、私はチェスター・ヴィルに目をつけられました。おそらく、自分に反抗的だった私が疎ましかったのでしょう。だから、彼は……私に呪いの装備をつけました」
「……っ」
街を監視し、葬儀屋を食い殺した蝶。
通常装備では説明のつかない現象だとは思ったけど。
やっぱり、呪いの装備による力だったか。
「でも、なんで呪いの装備なんかを」
疎ましいなら、他にもやりようがあるはずだ。
呪いの装備を使うなんて回りくどいことをしなくても。
「裏切らない手駒が欲しかったというのも、あるのでしょうね。私が“呪い持ち”だと知られたら……どうなるか、わかりますよね?」
「……っ」
神聖国においては、呪いの装備を持つことは絶対悪だ。
呪いの装備に触れたら、それだけで処刑。
チェスターを断罪しようとしたところで、呪いの装備持ちの言うことを聞く者はいない。
従うか、殺されるか――その2択しかなかったのだろう。
「死を突きつけられて初めて、自分が弱い人間だとわかりましたよ。市民を命がけで守るために審問官になったというのに、私は命が惜しくなって……怖くなって……チェスター・ヴィルの計画に協力することを選んだのです」
「チェスターの計画……?」
「この街に、呪いの装備を流すというものです。チェスター・ヴィルは、呪いの装備を街に流しては、自分で狩る……ということを、くり返していました」
「なんのために?」
「出世のために。呪いの装備をたくさん狩れば、出世コースに乗れますから」
あまりにも、簡潔な動機だった。
理解はできるが、納得はできない。
「たった、それだけですか?」
声が、震える。
「たったそれだけのために、多くの人を……ロレイスさんを、犠牲に?」
「……怒ってくれるのですね。私なんかのためにも」
ロレイスさんは目をわずかに見張る。
「ただ……私のことはいいのです。それよりも、今は略奪者――あなたのことです」
「僕の?」
「はい。チェスター・ヴィルは、あなたを殺そうとしています。そのために……リッカ・ヴァレットを人質に取りました」
「な……!」
「あなたと、もっとも親しい人物だと判断したのでしょうね。おそらくチェスターは、人質を使ってあなたを罠にはめるつもりです。ですから――」
ロレイスさんは一呼吸置いてから、続ける。
「――どうか、人質を助けないでください」
「え……」
突然、ロレイスさんが剣を取り出して、自らの手首を切った。
鮮血が、ぱっと花咲くように弾け、飛び散る。
蟲の卵を思わせる、血の雫。
その千々の雫たちは、空中でもぞもぞ蠢いたかと思うと。
まるで、蟲が孵化するように――蜘蛛の大群となった。
「――束縛れ、血生蟲」
「……っ!」
血蜘蛛たちが糸を一斉に噴射してくる。
僕はそれを、とっさにスライムソードで切り裂いた。
「……どういうつもりですか?」
「あなたを足止めするためですよ」
ロレイスさんは悪びれた様子もなく、さらに手首を切る。
地面にぽつぽつと散った血痕が、みるみるうちに蟲の形になっていく。
「あなたは人質を助けにいこうとしてますね? それが罠だと知りながら」
「それが悪いとでも」
「ええ、その通りです」
蜂と化した血が、鋭い羽音をかき鳴らしながら、接近してくる。とっさに剣で迎撃しようとするが、数が多すぎる。じぐざくとした不規則な動きに剣を合わせるのも難しい。やっかいな敵だった。
「くっ……」
「私はあなたのことを高く買っています。あなたは強い。正義の実現のためには、あなたの力が必要でしょう。ですから……こんなところで、あなたを失うわけにはいきません」
「……ずいぶんと身勝手な意見ですね」
「それは自覚しています」
僕は後ろに跳んで、ロレイスさんから距離を取る。
「……“リッカ先輩の居場所”を示せ」
いつまでもロレイスさんの相手をしているわけにはいかない。
息を整えるふりをして、こっそり羅針眼に指示を出す。
羅針眼の針が示しているのは――。
――呪装墓域のほうか。