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紅い舞台

 十字架に囲まれた墓場の一角――。

 そこは、紅い花びらで飾られた月夜の舞台だった。

 紅い月に照らされた、紅い十字架たち。

 天から降ってくる、高く澄んだパイプオルガンの音。

 その旋律に乗せて舞い踊るのは、紅い蝶。

 まるで宮殿の舞踏会のような……荘厳で、幻想的で、神聖な空間。


 そこに、葬儀屋がいた。

 葬儀屋はあらかじめ掘っておいた墓穴の周囲に、黒幕を垂らし、紅い花びらをまいていく。

 そして、墓穴の周りに死者たちを積み上げる。

 傷がつかないように、そっと、丁寧に……。

 これで、葬送の準備は完了だ。


「……ふぅ」


 いつも通りの作業。

 だが、年齢のためか、だんだんと体に応えるようになってきた。

 葬儀屋は額の汗をぬぐいながら、一息つく。

 何気なく目を閉じて、街から響いてくるパイプオルガンと聖歌の音に耳を傾ける。

 ……いい音だ。

 自分が下手な賛歌を唱えるよりは、よっぽど死者の冥福に効くだろう。


「……なかなか慣れないな。いつまで経っても」


 葬儀屋が苦笑すると。


「仕方のないことですよ」


 エリザがしなだれかかるように寄り添ってきた。

 ちりぃん……と、手鐘を揺らしながら。

 葬儀屋は彼女の手を取り、そっと顔にかけられたヴェールを上げる。

 彼女の美しい素顔が、月光の下にさらされる。


「もうすぐ、この仕事も終わる。そうしたら」


「ええ……ずっと一緒に、ね」


 紅い月明かりの舞台で、二人は口づけを交わす。

 つらいときは、いつだってこうしてきた。

 便所に捨てられた子供のバラバラ死体を、樽にぎっしりつめられた赤子の死体を、誰にも看取られないまま溶けて液体となった死体を……何度も、何度も、何度も、葬送して。

 心が死んでしまいそうになったときは、いつもエリザと苦しみを分かち合った。

 ……最初にこの仕事を始めたのは、いつだったか。 

 ふと、葬儀屋は考える。

 きっと、あのときだろう。


 ――私が死んだら……きっと、私のこと忘れてね。


 かつての恋人の声が、葬儀屋の脳裏によぎる。

 誰よりも清く、美しく、心優しい少女だった。

 しかし、死んでしまえば、ゴミとして扱われた。

 洗礼も秘蹟も受けていない穢れた者たちは、死ねば地獄に落ちる。

 それが神の定めた掟だった。

 葬儀屋の恋人も、また同じだった。他の者の近くに葬ることも許されず、寂れた荒野に掘られた墓穴に、彼女は廃棄されることになった。


 僧侶の仲間たちは、葬儀屋に対して口をそろえて言った。

 それが神の望んだことだから、と。

 死者のことなんて忘れて前に進め、と。

 だけど。


「……忘れないさ」


 忘れたくはない。忘れてなるものか。

 だけど、時間は残酷で……大切な記憶も、美しい記憶も、全て平等に風化させてしまう。

 彼女のくすぐったそうな笑顔も、葬儀屋の名を呼ぶときの照れたような声色も。

 日に日に、記憶の靄の向こうへ消えていく。

 だんだん思い出せなくなってきている。

 このままでは、置いていかれてしまう。


 でも……そんな苦しみも、あと少しの辛抱だ。

 彼女は、もうすぐ戻ってくるのだから。

 葬儀屋は、祭壇の上に乗せた赤子を見下ろした。月に照らされ、真珠のようにつるつると光る肌。エリザを思わせる、美しい肌。


「……もう少し……もう少しで完成するのだ……だから」


 ざっ、と。背後から、乾いた砂が砕ける音がした。

 誰かの足音だった。

 顔を上げると、いつの間にか人がいた。


 まるで闇から染み出してきたような存在だ。夜に溶け込むような黒いマントで全身を覆い、カラスの頭のような尖った青水晶の仮面で、顔を隠している。

 噂通りの姿だったから、すぐに正体がわかった。

 葬儀屋が静かに口を開く。


「――邪魔をしないでくれるかね、略奪者ファントム?」



   *



 十字架に隠された墓場の一角――。

 そこは、紅い血飛沫で飾られた月夜の舞台だった。

 紅い月に照らされた、紅く痙攣する肉塊たち。

 天から降ってくる、甲高い悲鳴のようなパイプオルガンの音。

 その旋律に溺れて踊り狂っているのは、血塗られたように紅い蝶。

 まるで呪われた舞踏会のような……病的で、退廃的で、悪夢みたいな空間。


 そこに、葬儀屋がいた。

 彼は死体の山の前で、“恋人”と愛を語らいながら。

 祭壇に乗せた赤子を――ナイフとフォークで、切り刻んでいた。

 食事風景にも見えるが、違う。

 赤子の皮を剥いでいる。

 べり、べり、べり、べり……と。

 果物の皮でも剥くように、ゆっくりと、丁寧に。

 祭壇の上、湯剥きしたトマトみたいな塊と化した赤子の――その首にかかっている木彫りのペンダントを見て……僕は強烈な吐き気に、思わず顔をそむけたくなった。

 しかし、葬儀屋から視線は外さない。


「――邪魔をしないでくれるかね、略奪者ファントム?」


 葬儀屋が静かに言う。

 丸眼鏡の奥にある瞳には、紅い月光が宿っていた。

 凍てついた燐光のような、冷気をたたえた瞳。

 おおよそ正気の光ではない。


『あんなのにも知られてるなんて、ずいぶんと人気者になったわね』


「めでたくはないけどね」


 知られてないほうがよかった。こんな人間には、とくに。


「どうして、ここに来たんだい?」


 葬儀屋が穏やかに問う。

 まるで世間話のように、孤児院の前で話したときと同じ調子で。

 僕の答えは一つしかない。


「奪いにきたんだ。“不死王”の呪いの装備を」


「なるほど。噂通りというわけか」


 小さく、感情もなく呟く。

 見られてはいけないものを見られた、という感覚はないらしい。

 あまりにも冷静で、淡々としている。

 心が、死んでしまっているように。


 きっと、だからだろう……()()()()()を側に置いていられるのは。

 僕は、葬儀屋の傍らにいる“恋人”を改めて見る。

 夜会服のような豪華なドレスを身に着けた女。

 しかし、ヴェールで隠されていた顔が今、月光の下にさらけ出されていた。


 ……おおよそ、生き物の顔ではなかった。

 その肌は継ぎ接ぎだらけで、目があるべき場所には、ぽっかりと黒穴があいている。

 見るからに作り物だ。まるで人皮を貼り合わせて作られた人形……いや、おそらくはその通りなのだろう。葬儀屋の周囲には、皮を剥がれた死体がいくつも転がっている。肉も削がれているものもあるのを見ると、皮の中に詰められているものも……他人のものか。


 明らかに、死んでいる。それなのに、彼女は動いている。

 その事実から導き出せるものは、一つしかない。

 葬儀屋が、死者を操る存在――不死王であるということだ。


「美しいだろう、私のエリザは」


 葬儀屋はうっとりと“恋人”の顔を撫でる。愛でるように、慈しむように。

 “恋人”も甘えるように、葬儀屋の胸に体を預ける。


「多くの“材料”の中から、美しいものだけを集めて作り直したんだ。生きていた頃の、美しいエリザに近づけるために、ね」


「……美しい? それが?」


 理解はできそうにない。

 たしかにシルエットだけ見れば、美しい恋人像ようだが……。

 今夜は、月が明るすぎた。

 光に照らされてしまえば、それは腐臭のするような光景でしかない。


「じゃあ……死体を集めてたのは、葬送するためじゃなかったのか」


「いや、これが私の葬送だよ」


 葬儀屋が両腕を広げて、背後の死体の山を示す。


「ゴミとして捨てられて地獄行き。そんなの可愛そうだろう? だから生かすのだよ」


「生かす?」


「ああ、エリザとしてね。これは……とても、名誉なことなのだよ」


「名誉……」


 彼がなにを言ってるかわからない。

 僕たちは会話しているようで、すれ違い続けていた。


「孤児院で死体を集めていたのも、そんな理由で……?」


「孤児院? ああ……」


 葬儀屋は思い出したように頷くと。

 穏やかに微笑みながら、祭壇に置かれていた薄い皮をつまみ上げた。

 まだ血と脂のついた――とれたての、人皮を。


「あそこは、いい皮がとれる」


 ……言葉を、失った。

 いろいろ言いたかったことも、全て忘れてしまい……しばらく、なにも言えなくなってしまった。


「リッカ先輩が……どんな思いで、送り出したと」


「ん? ああ、そういえばリッカといったね。孤児院の彼女は」


 立ち尽くす僕に向かって、葬儀屋はさらに続ける。


「――あの“材料”は、いい目を持っているね」


「え……」


 あまりにも、さらりと言われたから。

 一瞬、彼がなにを言ったのか頭に入ってこなかった。

 理解するのを頭が拒絶していた。


 材料? リッカ先輩を、そう呼んだのか? 

 ああ、そうか……。

 僕は深呼吸してから、告げた。


「……わかった」


 彼とは相容れないことが。

 これ以上、話しても無駄だということが。

 僕らの言葉が交わることは、けっしてないだろう。


 正直、僕は死者の冥福なんてどうでもいい。

 ただ、生きてる人には幸福でいてもらいたい。

 だから、僕は……右手の中に、すらりと剣を出現させた。

 月光にきらめく青水晶の剣。

 この紅い舞台に、この透き通った水色はよく映えていた。


「……暴力は好まないのだがね。美しくない」


 葬儀屋はやれやれと肩をすくめて、懐から頭蓋骨を取り出した。

 悪魔を思わせる、異形の頭蓋骨。

 おどろおどろしくありながら、王冠のような高貴さがある。


「呪いの装備……!」


「もう少しで、エリザは完成するんだ。私のもとへ戻ってくるんだ。だから――」


 葬儀屋が頭蓋骨を、仮面のようにかぶる。



「――邪魔をするな、略奪者ファントム


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