葬儀屋
「――いい夜だ」
一瞬、扉のすぐ先に、黒い壁があるかと思った。
しかし、それはすぐに違うとわかった。
見上げんばかりの壮年の男が立っていた。
死臭を漂わせた不吉な男だ。
喪服のような黒い僧衣に身を包み、首から木の十字架を吊るしている。
彼は白手袋に包まれた手で、ちりぃん……と、手鐘を揺らす。
「そうは思わないか、君も?」
「あ……」
僕に声をかけられたとは思わず、反応が遅れた。
「まあ、前夜祭ですしね」
「ああ。明日は死者が蘇る」
顔を上げると、男の温和そうな笑みがあった。
彼の体格には似合わない表情だ。丸眼鏡は月光を反射させていて、奥にある瞳は見えない。
「あなたは?」
「私? 葬儀屋、なんて呼ばれているよ」
やわらかな声だったが、どこか冷たい気がした。その冷気の正体はわからなかった。
「とはいっても、一応、僧侶ではあるのだが。装備枠がなかったから司祭にもなれなくて、こうして貧しい人の葬儀ばかりやってるのだよ」
葬儀屋は、ちらりと後ろの馬車を振り返る。葬儀屋の馬車なのだろう。馬車の荷台には粗布がかけられていたが、その布の端からは生白い足がいくつも生えているのが見えた。
貧乏人の葬送。教会の汚れ仕事だ。
人の死によって金を得ている彼らは、どこの街でも嫌われ者だが……。
「……金銭は受け取ってないさ」
葬儀屋が、僕の考えを見透かしたように言う。
「これは慈善活動みたいなものでね。洗礼を受けていない者は、葬儀すらやってもらえない。神の教えでは、そういう人たちは地獄行きが確定らしい。どんな善人だろうと、どんな純粋な赤子だろうと、関係なくね」
「……そうですね」
「だが、やはり弔いたくてね。こうしてエリザ……恋人と一緒に葬送してるのだよ」
自分の名前に反応したのか。御者台に腰かけている貴婦人のような女が、こちらを見た。
どこか浮世離れした雰囲気の女だ。夜会服のようなドレスをまとい、顔には薄いヴェールを垂らしている。彼女がこちらに手を振った拍子に、ちりぃん、と手鐘が鳴った。
「……ん?」
あれ、この匂い……彼女のほうから? 誰も気づいてないのか?
「どうかしたかね?」
「あ、いえ……恋人ということは、結婚してないのかなと」
「ああ」
と、葬儀屋は顔をほころばせた。
「もうすぐ結婚する。こんな仕事だが、彼女はついてくると言ってくれたのでね」
「はぁ」
熱々カップルといったところか。
「ところで、彼女は……」
と、一つ疑問を投げかけようとしたとき。
「葬儀屋!」
孤児院から、リッカ先輩が出てきた。布にくるまれたものを、いくつか抱えている。僕を見ると、まずいところを見られたとばかりに顔をそむけた。
「……これ、今日の分だから」
「たしかに」
葬儀屋は布にくるまれた物体を受け取ると、馬車の荷台へ向かった。
荷台の布をぺろりとめくると――そこには、死体の山。
目算で……20ほどあるだろうか。
葬儀屋は、大人の足の隙間に、小さな布の塊を押し込んでいく。
パズルのような、効率的に運ぶための積み方だ。
「あと、この子は……」
リッカ先輩が最後の塊をわたす。
それを包んでいる布には、木彫りのペンダントがつけられていた。
「これ、親の形見だから。一緒に送ってほしい」
「わかった」
葬儀屋は微笑むと、それを丁寧に死体たちの上に置いた。
ほどなく、死体を積み終え、荷台に布を張り直す。
「じゃあ、私は失礼するよ」
「……最近はいろいろ物騒だから、気をつけてね」
「ああ。では、行こうか……エリザ」
御者台に腰かけている恋人に声をかける。恋人は答えるように、ちりぃん、と手鐘を鳴らした。
鞭の音がほとばしり、馬車が走りだす。
だんだん、鐘の音が遠ざかっていく……。
「……また、変なとこ見られちゃったね」
リッカ先輩が気まずそうに、もじもじする。
なんて答えればいいのかわからなかったけど、リッカ先輩が先に口を開いてくれた。
「せっかくの祭りの日に、なんかごめん。嫌なもの見せちゃって」
「いえ……」
「やっぱ子供って、すぐ死ぬから。毎日のように、ああやって葬儀屋にわたさないといけなくて」
「……でしょうね」
孤児院暮らしだったからわかる。
捨て子は、1年もしないうちに半分になる。
そして半分減れば、半分補充される。延々と、そのくり返しだ。
「そんな顔しないでよ、もう。何人も送り出してきたんだから。もう慣れたって」
嘘だ。リッカ先輩の声は震えている。
「でも、やっぱり……時々、怖くなるかな」
「怖い?」
「なんというか……あたしのせいで死んだんじゃないか、って。あたしがもっとうまく面倒を見れたら、あたしにもっと力があったら、死なずに済んだ子がたくさんいたんじゃないかって……恨まれてるんじゃないかって。そんなこと、考えちゃって」
リッカ先輩が口をつぐむと、にわかに物憂げな沈黙が降りた。
ひらひらと迷い込んできた紅い蝶の、その羽音さえも聞こえそうな静寂。
祭りの喧騒が、どこか遠い。
ついさっきまで、僕らもあの音の中にいたとは思えないほどに。
……死者の恨み、か。
リッカ先輩がお化けを怖がる理由が、なんとなくわかった気がした。
「あーあ。あたしが略奪者みたいに強かったら、こんな思いしないで済んだんだけどなー」
声は明るく装っていたけど、やっぱり震えている。
その小さい体に、耐えがたいほどの重圧を背負い込んでいるように。
「みんなのお姉ちゃんだから、もっと強くならないといけないのに……やっぱ弱いなー、あたし」
お姉ちゃんだから強くならないといけない、か。
なんだか、リッカ先輩という人間が、初めて見えてきた気がする。
変に大人ぶろうとするのも、出世しようと頑張ってるのも、なんだかんだで面倒見がいいのも……全部、“強いお姉ちゃん”になろうとしているからなのか。
すごいな、と素直に思う。
生まれ持っての才能に人生を決められ、努力は報われない。
そんな世界だというのに、リッカ先輩は力がなくても誰かを思いやれるのだ。
だけど。
「てい」
とりあえず、リッカ先輩にデコピン1発。
「後輩にデコピンされた!?」
「今のは、とくに意味のないデコピンです」
「じゃあ、なんでしたの!?」
うぅ~、と威嚇される。
「まあ、デコピンはどうでもいいので置いといて」
「置いとかれた!?」
「なんというか……リッカ先輩って、意外とうじうじするタイプですよね」
「わ、悪い?」
「そうですね、めちゃくちゃ悪いです。悔い改めてください」
「そこまで!?」
「はい」
僕は悪戯げに笑ってみせる。
「そもそも、リッカ先輩は弱くなんてないんですよ」
「え?」
「だって、あんなにたくさんの子供たちを守ることができてるじゃないですか」
「あ……」
たしかに、守れなかった子供もいるけれど。
それ以上に、たくさんの子供たちを守ることができているのだ。
これだけ頑張っているのだから、失ったものだけを数えて自分を卑下するようなことはしてほしくない。
それに。
「本当の強さって……なにができるか、じゃないと思うんです。なにをしようとするか、だと思うんです」
「え?」
「装備や地位があれば、それだけで強いってわけじゃなくて……なんて言えばいいのかな、誰かを助けようとしたり、つらくても頑張ろうとしたり……そういうふうにできるのが、強さなんじゃないかって。だから……」
口に出して見ると、うまく言えないけど。
なんの解決にもならない言葉だとは思うけど。
一つだけ、言いたかった。
「――リッカ先輩は、もう強いですよ」
略奪者は強い、とリッカ先輩は言ったけど。
生きるのに精一杯だったとき、僕は自分のことばかりだった。
誰かのためになにかをしようとするほど、優しくなれなかった。
生まれ持っての才能に人生を決められ、努力は報われない……そんな世界で、力がなくても誰かを思いやれるのならば。
そんな人が、強くないわけがない。
「だから、そんなに自分を卑下しないでください。リッカ先輩は、充分にみんなのお姉ちゃんをやれてますから」
「そっか……」
リッカ先輩が、しばらく沈黙してから。
「はぁぁ……」
と、盛大に溜息をついた。
「なんていうか、ノアって……変な人だよね」
「そ、そうですかね?」
「そうだよ」
くすりと笑う。
「ていうか、いきなりシリアスな顔してさ。なに言うかと思ったら」
「う……」
なんだか、急に恥ずかしくなってきた。
やっぱり、変なことを言ってしまったか。
空気は読めないし、思ったことはすぐに口に出してしまうし……本当に失敗ばかりだ。
「でも……」
ふいに、からん、と頭上のランタンが揺れて。
驚いたように、紅い蝶が舞い上がって。
揺らめく灯火が、リッカ先輩の顔を赤く照らした。
彼女のまつ毛の奥で、瞳が一瞬だけきらめく。
「……そういうこと言ってくれたの、ノアが初めてかな」
口ごもるような、かすかな声だった。
ふと目が合うと、ついっと顔をそらされる。
「うん、まあ……あれだよ、あれ」
ごまかすように口を開く。ちょっと焦ったような早口で。
「ノアに励まされたって、わけでもないけど ま、ちょっとは気が楽になった……ってことに、しといてあげる」
「それは光栄ですね」
調子が戻ってきたのか、にひひっ、とリッカ先輩が笑う。
まだ空元気という感じだったけど、今はこれでいいのだろう。
そうだ……失ったものなんかのために、リッカ先輩が顔を曇らせることはないのだ。
僕もつられたように微笑みながら。
……こっそり、拳を握りしめた。
*
リッカ先輩と別れたあと、僕は人気のない通りを選んで歩いていた。
この通りを往来するのは、紅い蝶だけ。
前夜祭の賑やかな空気の中、僕だけが無言だった。
『珍しく怒ってるわね』
ジュジュが腰鞄から顔を出す。
「僕が?」
『それ以外に誰がいるのよ』
怒ってると言われても、自分でもよくわからない。
ただ、機嫌が悪いのは確かだった。
自然と、僕の足は宿から遠ざかる。
『どこ行くの? ザリガニ料理の屋台、通り過ぎたわよ?』
「いや、ちょっと一仕事をね」
たいした用事でもない。
だから、とっとと終わらせよう。
祭りの灯火から遠ざかるように、僕は裏路地の暗闇へと歩みを進めた。
暴食鞄からマントと仮面を出して、身に着ける。
さあ――“略奪者”の時間だ。
呪いの装備を、奪いにいこう。