リッカ先輩と前夜祭
なんとか街に帰った僕たちは、まっすぐ祓呪師事務所へ向かっていた。
執務室にいたロレイスさんに報告する。
「――つまり、不死王の噂が出たのはグールの大量発生が原因だ、と」
ロレイスさんは報告書に目を落としながら言う。
「なるほど。どこかの業者がアンデッド化対策を怠った可能性がありますね。それは、こちらで調査しておきましょう」
いつものように淡々と決定を下すロレイスさん。
しかし、眉根を寄せて不審そうな様子だ。
なにか引っかかるところがあるんだろうか。
「じゃあ、もう帰っていい?」
「かまいません」
「よっし」
リッカ先輩がいそいそと執務室から出ていく。
「それじゃあ、僕も」
そう言って、帰ろうとすると。
ロレイスさんが、僕をじっと見ていることに気づいた。
昼に奪い屋の疑いをかけられたこともあり、思わず体が強張ってしまう。
「あの……なにか?」
「あなたは、どうお考えで?」
「どう、とは」
「グールの大量発生についてです」
「僕の考えは、報告書にまとめたつもりですが」
「本当に?」
ロレイスさんが報告書を、ぴんっと指で弾く。
その音で、思わず身がすくむ。
……たしかに、僕は報告書に嘘を書いた。
墓場で不死王らしき人物を発見したけど、それを伏せておいたのだ。
そのほうが、呪いの装備を奪ううえでは都合がいいから。
「……嘘をつく理由なんてないですよ」
僕がそれだけ答えると。
「……まあ、いいでしょう」
と、ロレイスさんは頷いた。
「本当かどうかは、どうせすぐにわかることですから」
「え……?」
それきり、ロレイスさんは会話を打ち切り、書類仕事に戻った。
彼女の言葉が気になったけど、結局、僕はそのまま事務所を後にすることにした。
*
調査報告を終えて、審問官の事務所を出ると……すでに夜だった。
日は沈みきり、空には夕焼けの残り火さえもない。
辺りは暗闇に沈んでいる、が……今日の街は、妙に明るい気がした。
「遅かったね」
事務所の外には、リッカ先輩がいた。
先に帰ったと思ってたけど。
「待っててくれたんですか?」
「ち、違う。そういうわけじゃないから」
「そうですかー」
「なんで頭撫でるの!?」
リッカ先輩が、むぅっと頬を膨らめる。
「いい? ここできっちりさせておくけど、あたしたちは先輩後輩なの。あたしが先輩で、ノアが後輩。つまり、頭を撫でていいのは、先輩のあたしだけなの」
「じゃあ、僕の頭撫でます?」
「えっ? あ、そうだね……」
リッカ先輩が背伸びして、おずおずと手を伸ばしてくる。
なんとなく悪戯心がわいて、少し背伸びしてみた。
「あ、あれ……」
リッカ先輩が手をいっぱいに伸ばしても、僕の頭には微妙に届かない。
しまいには、ぴょんぴょんっとジャンプしだす。
「んっ! ん~~っ!」
「もう少しです、先輩! あきらめちゃダメです! もう少しで届きますよ!」
「ふぅぅぅっ!」
「…………」
埒が明かないので、少しかがんであげた。
「あっ、届いた! ノア、届いた!」
「やりましたね!」
ハイタッチ。
「ふふんっ、どう? あたしに頭を撫でられて屈辱でしょ?」
「いやー、リッカ先輩といると癒やされるなぁ」
「あれ、なんで!?」
ロレイスさんのあとに見ると、リッカ先輩のわかりやすさが好ましい。
というか、ロレイスさん怖い。
「それよりさ。せっかくだし、ちょっと街回ってかない?」
「せっかく、って?」
「ほら、今日って前夜祭だし」
「ああ、前夜祭……」
なるほど。やけに街が明るいと思ったら、明日の慰霊祭の前祝いをやっていたのか。
通りに出てみると、夜だというのに屋台が活気づき、その前を多くの人が行き交っていた。
売り声に混じって聞こえてくるのは、澄んだパイプオルガンや聖歌の調べだろうか。
この街でよく見かける紅い蝶も、祭りの空気に浮かれているかのように、人々の頭上を楽しげに舞っている。
「あ、いい匂い」
「ハーブ焚いてるんだよ。ラベンダーとか。いい匂いにはいい霊が、悪い匂いには悪い霊が寄ってくるからさ」
「へぇ」
違う文化に触れるというのも、なかなか面白い体験だ。
『なかなかの祭りじゃない』
そして、祭りと聞いて黙っていられないのが、ジュジュだった。
腰鞄から、ちょこんと顔を出して、きょろきょろしている。
『あっ、あそこの屋台行きましょ! ザリガニ料理よ! ザリガニ!』
「……あとでね」
『ぶーぶー』
ジュジュが膨れてるけどスルーする。
「にしても、すごい盛り上がりですね。本番は明日の朝から、でしたよね?」
「一年で一番でかい祭りだからね。この街にとっては」
「そうなんですか」
墓が多いレイヴンヤード特有の文化といったところか。
「街の外からも人がたくさん来るし……楽しい祭りになるよ、きっと」
どうしてか、その言葉には他人事のような響きがあった。
「あー……前夜祭は好きなんだけどなー」
「慰霊祭はダメなんですか?」
「だって……死者が蘇るっていうし」
たしかに慰霊祭は、1日限りで蘇った死者をもてなそうって祭りだったか。
「おばけとか出そうですね」
「ほ、本当に……出るのかな」
「怖いんですか?」
「こ、怖くないから! 余裕だから!」
「うんうん。余裕ですよね」
「なんで頭撫でるの!?」
「ま、おばけなんて、ただの俗信ですよ。人は死んだら終わりです」
グールやスケルトンは寄生した魔物が本体だし、ゴーストなんかも、死体とは関係なく発生してる魔物にすぎない。本当の意味で、死者が蘇ることはないのだ。
こういうお祭りも、結局は、死者ではなく生者を慰めるためにやってるにすぎない。
「死んだら終わり、かぁ」
リッカ先輩は、どうも浮かない顔になっていた。なにか、まずいこと言ったのかもしれない。
「えっと……」
こういうとき、なんて言えばいいのかわからない。人付き合いが苦手なのが嫌になる。
話題を変えるべきだろうか?
そうだ、装備の話でもすれば、みんな笑顔になれるはず。
「ところで、今月の『月刊・装備マニア』見ました?」
「へ?」
横を見ると、知らないおじさんがいた。
誰だ、こいつ。
「え、見たけど……もしかして、君も『装マニ』読者?」
「はい、愛してます」
「友よ」
「友よ」
がっちりと握手する。この人とはいい酒が飲めそうだ。
って、そうじゃなくて。いつの間にか、リッカ先輩がいなくなっていた。
「まさか迷子に!?」
慌てて、周囲を見回すと。
「……ぼぉ~~」
一つの屋台の前で、リッカ先輩を発見した。
安っぽいアクセサリーが売っている屋台だ。
指輪やネックレスなど……装備としてはどれもF~Eランクだが、それなりに凝ったデザインになっている。おしゃれ用の装備、といったところか。実用性はないけど、こういう趣向の装備もそれはそれで好きだ。
リッカ先輩はなにやら熱心に、アクセサリーを眺めているが。
「気になるんですか?」
「はぅわ!?」
声をかけると、素っ頓狂な声を出す。
「の、ノアか……どこ行ってたの? もう、その歳で迷子になるなんて」
「気が合いますね。僕も同じこと思いました」
「まったく、先輩のあたしがいないと本当にダメなんだから」
ごまかすように口を動かしつつも、その視線はちらちらと屋台のほうへ向いている。
あんまり化粧っ気ないし、おしゃれに興味ないかと思ってたけど。
リッカ先輩も年頃の乙女ということか。
「欲しいなら買えばいいじゃないですか。安物ですし」
「いや、お金ない……って、べつに欲しくないし!」
「えぇー」
あんだけ見ておいて、よくそのセリフを吐けるものだ。
「な、なに、その顔」
「いえ、なんでも」
「ふんっ、もういい。別のとこ行くよ」
「あ、ちょっと待ってください」
売り子のお姉さんに銅貨をわたして、指輪を一つ手に取る。
リッカ先輩がとくに見ていたものだ。どうやら、ただのチープな指輪というわけでもないらしく。
「へぇ、装備すると光る指輪かぁ」
いかにも祭りの日に売ってそうな装備だった。
祭り限定の装備というのも面白いな。ぜひともコレクションしたいものだけど。
「ノアって、女物の指輪とか好きなの……?」
「違いますよ。これは大切な人に贈ろうと思って」
「へぇ……そっか、ノアにもそういう人が」
「そうですね。というわけで」
リッカ先輩に指輪をわたす。
「どうぞ」
「へ?」
リッカ先輩が一瞬呆けたあと、ぼっと顔が真っ赤になる。
「え……あ、あたしに……?」
「はい」
「ど、どどど、どういう意味!? まさか、プ……」
「いえ、いつもお世話になってるので」
「あ、うん」
正直、お世話してあげてるという印象のほうが強いけど、それは置いておく。
リッカ先輩は悩んだすえに、指輪を人差し指につけることにしたらしい。
指にはめると、指輪は月光のように淡く輝きだす。
「え、えへへ……どう? 似合ってる、かな……?」
「普通じゃないですか?」
「…………」
「あ、やっぱ似合ってます。はい」
「気を遣わないで!?」
リッカ先輩がすねたように膨れだす。完全にご機嫌ナナメだ。
「……べつにいいもん。こういうの、似合わないのわかってるし」
「そ、そんなことないですって」
「もー! だから、なんで頭撫でるの!」
怒られてしまった。
と、そこで。
「――ねーちゃんだ!」
子供の声が響いてきた。
同時に、5人の子供たちが、ぱたぱたとリッカ先輩の周りに群がってくる。
「わっ、あんたたち……」
「誰ですか?」
「え、えっと……兄弟、かな」
「大家族ですね」
「ま、まあ」
リッカ先輩があたふたしていた。
「ねーちゃん、どうしたの?」
「その人、カレシ?」
「ち、ちがっ」
リッカ先輩が慌てて子供の口をふさぐ。
「ほ、ほら、いつも言ってるでしょ! この人は、あたしの後輩!」
「あー、いっつもねーねが話してる男だ」
「毎日話してるよね」
「やっぱりカレシ?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「指輪だ! ねーね、指輪してる!」
「結婚するの?」
「するわけない! こいつは、人形大好きな変態男なんだからっ!」
……祭りの喧騒が、しんと静まった。
周囲の視線が、僕に突き刺さる。
なにも、こんな大勢の前で公表しなくても……。
「それより危ないでしょ。夜に勝手に出歩いちゃダメだって」
「いいじゃん、お祭りのときぐらい」
「ねーちゃんも昔から言いつけ破ってた」
「う……」
たじろぐリッカ先輩。子供に言い負かされてるよ、この人。
「お腹すいたー。なんか買ってー」
「うちにはお金ないから……」
「じゃあ、カレシに頼む」
「ダメ! 迷惑でしょ! って、彼氏じゃないから!」
リッカ先輩がげんこつを落とすが、ひょいっと避けられる。
しかし、この子たち……痩せてるな。
仕方ないといえば、そうなんだけど。
レイヴンヤードの食糧事情は最悪だ。
領地のほとんどの土地が死んでるし、森も枯れているため家畜を肥やすことができない。墓場や処分場の誘致で得た資金で、食料を輸入して供給しているとはいえ……その食料のほとんどは富裕層のもとに届く。
まさに弱肉強食の世界、といった感じだ。
「あの……食べ物なら持ってますが、いります?」
僕がおずおずと口に出すと、すかさず子供たちが食いついた。
「食べ物!?」「くれるの?」『いるわ!』「いるー!」
なんか一人、違うのも混じってたけど、まあいい。
「い、いいの、ノア? うちは、その……」
「まあ、せっかくのお祭りですしね」
お祭りの日に飢えに苦しむほど惨めなことはない。
幸い、ミミちゃんの中には食料が大量に入っている。
その少しを分け与えるぐらい、問題はないだろう。
というわけで、リッカ先輩の家にお邪魔することになった。