チェスター・ヴィル
夜がうごめくように密度を増し、街が死んだように寝静まった頃。
一人の男が、街を歩いていた。街の臭気に顔をしかめながら、滑り止めの金具が打たれた靴底で、かつかつと苛立ったような音を立てている。
「おい」
「ひっ、申し訳ありません、チェスター・ヴィル司令官!」
彼の進路にいた審問官たちが、慌てて敬礼して道を開ける。
男もそれを当然のことだと受け入れる。
チェスター・ヴィル。
彼は、若くしてこのレイヴンヤード教区における審問官のトップに立っている男だった。彼の機嫌を損ねれば、審問官といえども首が飛びかねない。この街において、チェスター・ヴィルに逆らう者はいないのだ。
いや……いなかった、というべきか。
「略奪者め……」
その名を思い出し、チェスターは苦々しげに歯噛みする。
略奪者――それは、近頃レイヴンヤードに現れた存在だ。
調査によれば……夜、カラスのようにふらりと現れては、呪いの装備をなんらかの方法で奪っていく市民のヒーロー、とのこと。
目的はわからないが、審問官の真似事でもしているのだろう。呪いの装備を悪用したということは聞かないあたり、審問官の代わりに“呪い持ち”を裁いているつもりなのか。
呪いの装備がなくなれば、たしかに街は平和になる。
一見、審問官の目的とも一致しているように思われる。
しかし、それではダメなのだ。ただ、呪いの装備がなくなるだけでは……。
「くそ……くそが……」
先ほどの略奪者との一幕を、嫌でも思い出す。
略奪者をようやく追いつめることができたのだ。あと少しで、略奪者を狩ることができたのだ。
略奪者はチェスターの装備に、恐れをなして逃げた。
それはチェスターの強さが、略奪者を上回っていたなによりの証拠だ。
まともに略奪者と戦うことさえできれば、今頃その首を土産に酒盛りでもしていただろう。
それなのに、無能な部下たちのせいで逃してしまった。
……あと2週間もすれば慰霊祭だというのに。
それまでに、略奪者を狩らなければ、チェスターの計画が台無しになってしまうというのに。
チェスターがいらいらと指を噛みながら、通りを行ったり来たりしていると。
「司令官」
背後から、事務的な女の声が聞こえてきた。
副官のロレイス・ヴァレットだ。
鉄面のように感情のない表情で、ぴたりと敬礼している。職務柄、生傷が絶えないのか、袖口から覗く腕には血のにじんだ包帯が巻かれていた。
真面目だけが取り柄の仕事人間――それが彼女に対する、チェスターの評価だった。
「尋問の結果は?」
「はっ。たしかに、装備狩りの呪いの装備が奪われたようです」
「奪われた、か……ふん、どんな手品を使ってることやら」
呪いの装備を奪うなんて不可能だ、とチェスターは一蹴する。
呪いの装備は外せない。それが神の創った絶対的な真理だ。
なにかしらの小細工があるのだろうが……些末なことだろう。
「他に情報はないのか」
「あるには、ありますが」
珍しく、ロレイスが言い渋る。
「言え。これは命令だ」
「……はっ」
ロレイスは怯えたように姿勢を正し、報告する。
「近隣住民の証言によると、犯行当時、現場からは少女の声が聞こえたようです」
「ほぅ」
有力な情報だ。そうだ、こういうのを求めていたのだ。
チェスターはわずかに前のめりになる。
「どんな声だ?」
「……爆笑です」
「は?」
「少女が、爆笑していたようです」
「……なぜだ?」
「不明です」
そんなに楽しいことがあったのか?
「それと、2つの言葉が聞き取れたそうです」
「それはなんだ?」
「“ラムにもなでなで”……そして、“テンションアゲアゲ”」
「ふむ」
チェスターはあごをさすりながら思案する。
「なにか、心当たりはありますか?」
「あるとも」
思わず、そう言ってしまったが。
ラムにもなでなで? テンションアゲアゲ?
……まったく意味がわからない。
いや、言葉の意味はかろうじてわかる。しかし、言葉通りの意味だとも思えない。少なくとも、犯行中に大声で叫ぶセリフではないことは確かだ。
あの“略奪者のことだ、なんらかの意味があるはず。
「おそらく、暗号の類だな」
「そうでしょうか……?」
日常会話に見せかけて仲間と連絡を取っていた、といったところだろう。
これは略奪者につながる重要な情報だ。間違いない。
「くくく……略奪者め、ついに尻尾を出したな」
飄々と逃げまわる略奪者。
追いかけても、手を伸ばしても、かすみのように消えてしまうヒーロー。闇に溶け込むようなカラスの仮面とマントのせいで、外見の特徴もつかめない。
まるで本当にカラスのようなやつだった。
だが、この不毛な鬼ごっこも、もうじき終わるだろう。
「ロレイス、“ラムにもなでなで”と“テンションアゲアゲ”について探れ。速やかにだ」
「はっ」
ロレイスが敬礼し、待機させていた部下に指示を出す。
それを横目に、チェスターは不敵に笑った。
「――略奪者め、もう邪魔はさせんぞ」
これにて、墓庭編の1章終了です!
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次回から、ノロアが審問官の下で働きます。










