でべそ! あんたの母ちゃんは、でべそよ!
「――ノロア様! おかえりなさい!」
宿に戻ると、エプロン姿の少女に出迎えられた。
春の陽だまりのような琥珀色の髪に、清らかな新緑の息吹を感じさせる翠瞳。清らかな光を放つ白肌には一分の染みもなく、完成された芸術品を思わせる。
百人中、百人が、美しいと思うであろう元聖女。
それが、ひょんなことから僕の旅仲間になっていた、シルルという少女だった。
『ただいま! 飯!』
僕の腰鞄から、ジュジュが勢いよく飛び出そうとしたところで。
「ノロア様。鞄、お持ちしますね」
「え? あ、うん」
『むぎゅっ』
シルルが、すすす……と自然な動作で僕に近づき、腰鞄を取った。それはいいんだけど、鞄の口をがっちりホールドしてるように見えるのは、気のせいかな。
「ふふ」
こちらを見つめていたシルルが、ぽっと顔を赤らめる。
「なに?」
「いえ、こうしていると、なんだか新婚さん……」
『ねぇ! ちょっと、出しなさいよ! 聞こえないの! ねぇ!』
「ごめん。今、なんて?」
「えっと、こうしてると、新婚さ……」
『出してよ! ねぇ! わたくしを怒らせると、あとでひどいんだから!』
「もう一回いいかな」
「私たち新こ……!」
『でべそ! あんたの母ちゃんは、でべそよ!』
「あの、ジュジュが泣きそうだから出してあげて」
「……はい」
シルルがしゅんとしながら、ジュジュを解放する。
『ぶはっ! なにすんのよ、この発情メストカゲ!』
「だって、ジュジュさんがいつも邪魔するから!」
『なによ、やろうっていうの!? 言っとくけど、わたくしの正拳突きは、音を置き去りにするんだから!』
「わ、私の正拳突きだって、光を置き去りにします!」
『光がなによ! わたくしの正拳突きなんて、イチゴの匂いもしますけどぉ!?』
「私のだってタンポポの匂いとかしますから!」
『はい、残念でしたぁ! わたくしの正拳突きのほうが、いい匂いですぅ!』
「ま、まあまあ、喧嘩しないで。普通に近所迷惑だから」
この二人……馬が合わないのはわかるけど、もうちょっと仲良くしてくれないものだろうか。
二人がこんなくだらない喧嘩をするたびに、大家さんの小言が増えるのだ。せっかく宿を長期で取ったのに、途中で追い出されたら困る。魔物を狩ればいくらでもお金が入るといっても、あまり無駄遣いはしたくないし……。
「あ、そうだ! 今日のお夕飯は、私が作ってみましたよ!」
シルルが気を取り直したように、手をぽんっと打つ。
それにすかさず反応する装備たち。
『食べ物!』
「シル姉の手料理!」「……それは、わくてか」
スイとラムも、ぽんっと幼女verになり、食卓へ向かう。
一方、僕はちょっと申し訳ない気分になる。
「食事なんて、出来合いのものでいいのに」
こちらの都合でこんな場所まで連れてきたあげくに、昼間は糸紡ぎや写本の内職までしてもらっているのだ。なんだか、女の稼いだ金で食べてるダメ男になった気分だった。
「ダメです、ちゃんと栄養を摂らないと」
「栄養かぁ」
そういえば、今まで考えたことがなかったな。食事なんて腹が膨れればいいって感じだったから。
「ミミちゃんさんも餌ですよー」
「ぐるぁっ」
シルルが餌の容器を持ってくると、肩に下げていた“鞄”がぴょんっと餌へと向かう。
牙だらけの口から、唾にてかる舌をでろりと出して、ぐわしゃっ! げごぉっ! とわんぱく小僧のように餌にがっつく“鞄”。
この“鞄”のミミちゃんも、暴食鞄という呪いの装備だ。
食べたものを異空間に収納することができる素敵な鞄。
便利さと可愛さを兼ね備えてるとか、最強かよ。
「やっぱり、小動物の食事風景はなごむよね」
「え……?」
僕もミミちゃんの食べっぷりを見てたら、お腹がすいてきた。
いそいそと食卓へ向かう。ジュジュたちは、もう食べ始めていた。
僕もさっそく食べようとして――手を止める。
「どうしましたか?」
「えっと、食べる前に料理名が気になってね」
「料理名? ミートソースですが……あの、ノロア様の好物と聞いて」
「へぇ、ミートソース」
改めて、皿の上を見る。
「……おかしいな、ミートソースって青紫色だっけ」
「あ、気づいちゃいましたか!」
「まあね。気づかなかったら目の病気だしね」
「ちょっとアレンジしたんですよね! トマトの代わりにジャムや蜂蜜などを使って!」
シルルがむふんっと胸を張る。
「やっぱり、食べ物は甘いほうが美味しいですからね!」
「そ、そうだね」
「ささ、まずは一口食べてみてください!」
目を期待に輝かせながら見つめてくるシルル。これは断れる空気ではない。いつも受け身でいることが多いシルルが、せっかく自分から行動したのだ。ここで食べなければ、男ではない。
試しに、匙ですくって一口食べてみる。
「うん、なるほどね」
なぜか、お花畑が見えた。
カラフルな花の絨毯の向こうで、誰かが僕に手を振っている。
――おーい、ノロアくん! こっちにおいでよ!
――あはは、早く来いよ! みんな待ってるぜ!
あ、これ死ぬときに見るやつだ。
僕は慌ててお花畑を振り払い、目の前の皿に意識を戻した。
……殺人的な一皿だった。
甘ったるさと甘ったるさの、夢のコラボレーション。
“創造”と“破壊”の、奇跡のマリアージュ。
甘味をほとんど口にしたことがなかった僕には、このクロスオーバー作品はちょっと刺激が強すぎたようだ。というか、もはやジャムと蜂蜜が融合したってレベルじゃないんだけど。他にもいろいろ入ってるよね、絶対……?
「だ、大丈夫ですか? 白目剥いてましたが……」
「あ、あー……美味しすぎて、白目さんが『こんにちは!』したみたいだね」
「そうですか! やった!」
シルルの顔に、ぱぁっと大輪の花が咲く。
……この笑顔を壊すのは、僕には少し荷が重そうだ。
そういえば、忘れてたな……シルルが基本、ポンコツなことを。いかにも、なんでもできますよオーラを出しながら、たいていのことに失敗するのがシルルクオリティだった。
しかし、これでよく装備たちから抗議が出なかったな。
そう思って、みんなのほうを見てみると。
『働かないで食べる飯はうまいわ! あっ、おかわり、つゆだくで!』
「ほっぺ、とろける……!」「……星3つといったところでしょうか」
ダメだ、まともな味覚の持ち主がいない。
「じゃあ、明日からも私がお夕飯を」
「早まっちゃダメだ……っ!」
全力でシルルを止めにかかる。
それからシルルが思い直すまでに、1時間ほどかかった。
正直、装備狩りより手強い相手だった。