呪装審問官
『よし、ばっちこいだわ!』
ジュジュがふわりと浮かび上がり、愛する人の抱擁を待つように両腕を広げた。
僕の手のひらに、ぽっと点火するように光の針が現れる。
繊細でありながらも、荒々しく――。
神々しくも、禍々しい――。
そんな魔性と聖性が混じり合ったような……病的で、破滅的で、呪いのように美しい針だ。
僕はその針を握りしめ、導かれるように。
――人形の心臓を、刺した。
『きたきたきたぁ!』
ケタケタケタケタ……と、ジュジュが壊れたように妖しく笑いだし。
世界が――ぐにゃりと歪んだ。五感がたちまち正常に機能しなくなる。上も、下も、右も、左も、なにもわからない。自分がどんな形をしているのかさえ、忘れそうになる。
肉体や魂を、再構築されているような感覚。
やがて、五感が戻ってくると……僕の脳内に、装備の情報が流れ込んできた。
・刀刈鎌【呪】
……装備の命を刈る大鎌。装備を壊すことに特化している代わりに、装備以外の物は透過する。
ランク:S
種別:武器(大鎌)
効果:攻撃力+0
装備狩り(Aランク以下の装備を絶対切断)
代償:刀刈鎌から目を離すと、ひとりでに装備を破壊しようとする。
――装備奪取、完了。
額ににじんでいた汗をぬぐいながら、ほっと息を吐く。
「うーん。無事に収集はできたはいいけど……使い道はないかな」
効果を確認するが、やっぱり微妙な感じだ。装備を破壊するとか、ありえないし。
代償も少しやっかいだ。目を離している隙に、勝手に装備を破壊されてはたまらない。
ただ……これなら、魔法の鞄――暴食鞄にしまっておけば問題ないだろう。時間も止まる暴食鞄の中では、さすがに動きようがないだろうし。
呪いの装備の代償といえど、こういった“抜け道”が探せばあるものだ。
「あるじー、どんな武器なのー?」「……興味あります」
「あとでね」
双子がうずうずしたように腕を引いてくるけど、今はとにかくこの場を離れたい。
とりあえず、スイの頭にぽんっと手を乗せる。
「……むふ」
「あー、ずるい! ふびょうどー! ラムにもなでなで!」
「ご、ごめん」
刀刈鎌をしまって、もう片方の手をラムの頭へ。
と、そんなことをやっていると。
こちらへ向かってくる足音が複数聞こえてきた。
おそらくは、巡回していた呪装審問官たちか。騒ぎすぎて不審に思われたんだろう。
面倒事になりそうだし、あまりこの場は見られたくない。
とっさに、その足音から逃げようとする。
が――ダメだった。反対側からも足音だ。それも複数の……。
いつの間にか、挟み撃ちされるような状況になっていた。
「もう、ジュジュが爆笑するから」
『し、仕方ないでしょ! テンションアゲアゲだったんだもの!』
「あれって、テンション上がってたんだ」
なんでジュジュを作った人は、消音機能とかつけなかったんだろ。カスタマーサービスとかあったら、苦情の手紙を送りつけてるところだ。
と、こんなことしてる場合じゃないか。僕はとっさにスイとラムの手を握り――仮面と剣の姿に戻した。仮面をつけて、フードをかぶり直す。
呪装審問官たちが姿を現したのは、変装完了とほとんど同時だった。
黒い軍服のような格好をした集団だ。
審問官という名前とは裏腹に、問答無用の精神を体現したような武装集団。
呪いの装備を狩る――猟犬。独自の司法権を持ち、この神聖国では圧倒的な権力を握っている組織でもある。市民も、衛兵も、聖職者も、領主だろうと、審問官には逆らうことができない。
そんな恐怖の権化みたいな集団ではあるが……。
今は、僕の姿を見て、ぽかんと間の抜けたような顔をしていた。
もしかしたら、装備狩りを追っていたのかもしれない。
その獲物が、僕の足元に転がっているのだから……それは唖然とするだろう。
「……貴様」
リーダーらしき男が、前に進み出てきた。胸に金ピカの勲章を誇示するようにつけた男だ。進路上にいた仲間を突き飛ばしながら、こちらへずんずん近づいてくる。
その顔がランタンの灯りの下まで来たところで、僕はちょっと息を呑んだ。見覚えのある顔だった。知り合いというわけではないが、有名人だったから一方的に知っていた。
この街における審問官のトップ――チェスター・ヴィルだ。
「貴様、“略奪者”だな?」
チェスターが鋭く問う。
「……なんのことかな」
「ふん、しらを切るか。そんな格好をしておいて」
男が懐から一枚の紙を取り出し、広げてみせた。罪人の手配書だ。
罪人の名は、略奪者。
罪状は、呪い持ち。死しか問わず。
そして、人相書きの部分には――カラスの頭のような仮面をつけた人物が描かれていた。
そう……略奪者とは、たしかに僕のことだ。この街で装備収集をしていたら、いつの間にか、街中でそう呼ばれるようになっていた。
審問官からは、最悪の“呪い持ち”として。
街の市民からは、呪いの装備から街を守る“謎のヒーロー”として。
……仮面で顔を隠していたのが、幸いだった。
「ふんっ、穢れた呪い持ちめ。このチェスター・ヴィルが成敗してくれよう」
チェスターが長剣を抜き払う。金銀の鍔飾りがついた、いかにも高級そうな剣だ。ランクも相応に高いらしく、普通に可愛い。この剣を洗った水なら余裕で飲める。むしろお金払ってでも飲みたい。どこで買えますか、その水?
……と、今は装備に鼻を伸ばしてる場合じゃないな。
「行くぞ!」
チェスターが長剣を構え、駆けてくる。
どうやら戦う気満々らしい。仕方がない。
僕も応じるように剣を構えて、チェスターのほうへ走りだし――。
「は……?」
するり、とチェスターの横を通り過ぎた。
悪いけど空気は読まない。ここは逃げの一択だ。彼を置き去りにして、さらに走る。
背後から、チェスターの呆けたような声が聞こえたが気にしない。
「……そ、総員、攻撃!」
審問官たちの前に出ると、彼らは慌てて武器を構えてきた。
次々と飛来する、魔法や矢。
「スイ」「……承知」
顔を覆う仮面から、細い枝のようなものが伸び。
僕の前に――ぱっ、と透明な障壁が展開された。
魔法や矢は、僕の前に現れた障壁に阻まれ、届かない。
「なっ!」「なんだあれは!?」「魔法か!?」
審問官たちが動揺している間に、僕は一気に接近し――鞭に変形させたスライムソードを振るった。水流のように青く伸びる鞭。審問官たちが、びくりと体を強張らせる。
しかし、狙いは彼らではない。彼らの向こうにある――店の看板だ。
壁から突き出た看板に、伸ばした鞭先を縛りつける。
そして今度は、鞭を一気に縮め――。
「なっ……!」
――飛んだ。
唖然とする審問官たちの頭上を、飛び越える。
たんっと壁に着地し、さらにスライムソードを伸ばして、民家の屋根へ。
この高さならば、審問官といえど手出しはできまい。
「逃げるのか、略奪者!」
地上からチェスターの怒鳴り声がするが、その通り。
審問官の相手をする暇はない。こちらにも予定があるのだ。夕飯とか、お風呂とか。
それに、そろそろ帰らないと、宿で待っている仲間に心配をかけてしまう。
さっさと、おさらばさせてもらう。
地上からの怒号と足音を背にして、僕は屋根の上を駆けだした。スライムソードを使い、通りをぐんぐん飛び越えて進む。複雑に曲がりくねった地上の道からでは、この移動速度に追いつくことはできないだろう。審問官たちの気配は、すぐに遠ざかる。
「ふぅ……なんとか、まけたかな」
『や、なんで逃げるのよ』
ジュジュがぴょこんと腰鞄から顔を出す。
『バトればいいじゃない。あんな雑魚たち瞬殺でしょ』
「いや、一応、正義は彼らのほうにあるしね」
たしかに、潰すことなら、いつでもできる。
だけど、呪装審問会は、街の平和を守る組織だ。彼らがいないと街にとっては困ることになる。それは僕の望むところではない。僕自身、この街に滞在しているわけだし。
「それに下手に大事になって、僕へのマークが厳しくなっても困るしね」
『……あいかわらずチキンね』
「慎重派と言ってもらいたいね」
安全に、慎重に、失敗しないように――それが僕の信条なのだ。
僕は肩を落としつつ、風で乱れたフードをかぶりなおすと。
そのまま、夜闇の中を駆けていった。