水の中
「……ぼごっ」
我に返ると、水の中だった。
はるか頭上で、水面がきらきらと絹布のように輝いている。
手には刀の感触。暴走状態が解けた、ということは……。
そうか……終わったのか。
どうやら、計画通りに事が進んでくれたらしい。
魔物の大群を処理するには、目を開いたまま血舐メ丸を使う必要があった。だからこそ、僕は刀を抜いたまま――水面めがけて急降下した。
水中からは水上を見ることができない。これは以前、水路に落とされたときに学んだことだ。つまり、湖を利用すれば、仲間や市民を虐殺するリスクが激減する。
もっとも、ノーリスクな戦法ではなかったが。
短時間だったとしても、水中で……無呼吸状態で戦ったのだ。息が苦しく、意識が朦朧としている。
『……ぶぼぼばば! ぼぼぇ!』
ジュジュがなにかを言っているが、よくわからない。それから、ジュジュはあきらめたように水上へと向かっていく。ジュジュも息が限界だったんだろうか。
僕もすぐに浮上したいけど、体に力が入らない。
ああ、そうだ。僕は泳げないんだった。それならスライム装備を浮き輪にして……いや、スライム装備は両方ともシルルの体に装着させたままか。
他は……ダメだ、頭が回らない。ここにきて、つめが甘かったな。
水底へ沈んでいく。なぜだか、ひどく懐かしい感覚だった。はるか昔、こんなふうに水の中に浸かっていたような……。
ああ、そうか……いつも見ていた夢の中に似ているんだ、ここは……。
そんなことを、ぼんやりと考えていると。
ふいに、誰かに手をつかまれた。
見上げると、少女のような影。
一瞬だけ、〝彼女〟が迎えに来たのかと思ったが――違う。
少女は僕の手を取り、水面へと引っ張り上げていく。
そして――。
「……ぶはっ!?」
――水上に出た。
いきなり肺の中に空気が流れ込んできて、思わず咳き込む。
「大丈夫、ノーくん?」
「……ラヴリア?」
目元をぬぐってから改めて見ると、すぐ目と鼻の先にラヴリアの顔があった。抱きつくように僕の体を支えてくれている。
そうか、ラヴリアが水中から引っ張り上げてくれたのか。
「ジュジュちゃんが教えてくれたの。ノーくんが溺れてるって」
「……ジュジュが」
『まったく、泳ぎの練習ぐらいしなさいよね』
ラヴリアの肩に乗っていたジュジュが、ぷいっとそっぽを向く。
「でも、無事でよかったぁ。死んじゃったかと思ったよ。シルちゃんもすごい泣いちゃって……」
「ご、ごめん」
説明してる時間がなかったからな。驚かせてしまったようで申し訳ない。
「とにかく、まだ魔物いるかもしれないし……泳ごっか」
「……ま、待って!」
僕は離れようとするラヴリアを、ぎゅっと抱きしめた。
『ノロア!?』「の、ノーくん!?」
「……ラヴリア、僕には君が必要なんだ。ずっと僕と一緒にいてほしい」
「え、ええっ!? い、いきなり、そんな情熱的な……」
「……泳げないんだ」
「へ?」
「泳げないんだよ、僕! というか怖い……水、すごく怖い! 今、離れられたら、また沈む……!」
「……あ、うん」
勢いで湖にダイブしてみたはいいけど……やっぱり、水は僕の敵だ。2度も殺されかけたし。
よし、決めた。もう水の中には絶対に入らない……。
「……かっこいいんだか、悪いんだか」
ふいに、ラヴリアが、ぷっと笑う。
「でも、シルちゃんが夢中になる気持ち……わかった気もする」
「え?」
「あー……や、その……も、もう髪べちゃべちゃだよ。あんま、こっち見ないでね、ノーくん」
「あ、うん」
ラヴリアが顔を少し赤くしながら、あからさまに話題を変える。
「魔物もやられちゃったし……これじゃあ、もう聖王の暗殺なんてできないよね。ラヴの負けだよ」
そう言いつつも、どこかすっきりしたような顔だった。
もともと、あまり乗り気ではなかったんだろう。
「それで、ノーくんはラヴのことどうするの? 魔物がいなくなった今なら、ラヴを殺しちゃっても問題はないと思うけど……」
「いや、問題あるから。溺れるから」
「あ、そうだった」
「それに、言ったよね? 君を守るって」
「……う、うん」
「僕は誰も殺さないし、誰も殺させない。誰も傷つかないハッピーエンドを目指すよ」
ミィモさんが言ったように、本当はみんなハッピーエンドが好きなはずだ。なんの代償もいらない幸せな結末を求めているはずだ。
だけど、現実はうまくいかないことばかりで、みんな仕方ないという言葉であきらめてしまってる。
だから、この世界には英雄が必要なんだ。
僕はまだ、英雄みたいに颯爽と世界を救うことはできないけど……周りにいる人たちを助けることぐらいはできると思うから。
「さあ……最後の一仕事だ」