守るために
今回はラヴリア視点
「……どうして、こうなっちゃうんだろうね……シルちゃん」
ラヴリアは白竜の背を撫でながら、地上を見下ろしていた。
大聖城の周りには、魔物たちが汚泥のようにうごめいている。
聖王を殺したら魔物たちが合図を送ってくるはずだが……それがないということは、まだ聖王は耐えているということだろう。
でも、魔物はまだまだいるのだ。ラヴリアの勝利は揺るがない。
「……降参してくれればいいんだけどな。でも、それじゃダメなんだっけ? ねぇ、シルちゃん?」
白竜はなにも答えない。ラヴリアが操っているからだ。
しかし、答えられなくてもわかっている。
そろそろ、ノロアたちの抵抗は限界だ。
聖王はもうすぐ殺されて、ラヴリアたちの計画は達成される。
そして、もしもノロアたちの言うことが正しいのなら――そのまま聖都は沈む。
この街で出会った人たちと一緒に……。
「……違う……違うのに」
こんなことを望んでいたわけじゃなかった。
ただ、自由になりたいだけだった。
生まれてから、ラヴリアはずっと鳥籠に囚われていた。彼女の好きなものは、否定され、禁止され、破壊され……趣味も、言葉も、仕草も、友達も、結婚相手さえ、全て他人に決められていた。
それが耐えられなかった。だからこそ、ラヴリアは呪いに惹かれてしまった。
そして、呪いの装備――魔界ノ笛に自ら触れたのだ。
これで自由になれると信じて……。
しかし、ラヴリアはまだ世間知らずのお姫様だった。
呪いの装備に触れた瞬間、ラヴリアの物語が狂い始めた。
世界が敵になった。ラヴリアは“災害”だと呼ばれ、家族だと思っていた人たちに殺されそうになった。逃げるために街から離れると、今度は魔物たちが襲いかかってきた。
自由も、安全も、仲間も、なにもかもなくなってしまった。
ラヴリアは全てのものから逃げて、逃げて、逃げて……。
でも、いつまで逃げても、自由は遠くて……。
怖くて、寂しくて、心が弱りきっていたとき。
ふと、“呪い持ち”の組織から声をかけられたのだ。
――聖王がいなくなれば自由になれる、と。
言われた通りに動けば、自由になれる。ラヴリアもみんなも幸せになる。
ずっと望んでいた自由が、すぐそこにあるのだ。
だけど……。
「…………自由になって、どうするの?」
もう命を狙われることもなくなる。好きな音楽もやれる。友達ともずっと一緒にいられる。
いつまでも楽しいことばかりすることができる。
ずっと求めていた自由だ。それなのに……。
「……からっぽだ」
そもそも、どうして自由が欲しかったんだっけ……?
そう胸に手を当てて聞いてみると……なぜか、昔、シルルと一緒に読んだおとぎ話を思い出した。
囚われのお姫様を、英雄が救い出す物語だ。
ラヴリアは、ずっと、そんな物語に憧れていた。
自分の全てを理解して、愛して、守ってくれるような、自分だけの英雄を待ち望んでいた。
だけど、いつまで待っても、誰も助けに来てはくれなくて。
鳥籠の中では、いつも一人ぼっちで……。
「……ああ、そっか」
失ってから、ようやく気づいた。
自分は自由が欲しかったんじゃなくて、ただ愛されたかっただけなんだと。
誰かに甘えて、守ってもらいたかっただけなんだと。
それなのに、ラヴリアは自ら一人になってしまった。世界を敵に回してしまった。
自分はシルルのようないい子ではないから、きっと誰も助けに来てはくれない。
誰も愛してはくれない。誰も守ってはくれない。
……全部、自業自得だ。自分は殺されるべき人間なのだ。
それを思い出して、ラヴリアの頭が少し冷えた。
「……こんなことしてる場合じゃないや」
すんっと鼻をすすって、長く息を吐く。
そろそろ横笛を吹き直さないと。音色による命令効果は長時間持続しない。とくに命令が複雑であればあるほど、持続時間は短くなる。
ラヴリアは横笛に口をつけて、ふたたび音色を奏でる。
魔物を魅了する、魔性の音色だ。
その音色に引き寄せられたのか。
ふと……視界の端で、ひらりと紅い蝶が舞った。
あまりにも自然に飛んでいたため、一瞬、気にも留めなかったが。
「…………え?」
ラヴリアの頭の中で、みるみる違和感が膨らんでいく。
……おかしい。ここは、普通の蝶が飛んでいるような高さではない。魔物だとしたら、ラヴリアの命令通りに動いていないのは変だ。
なぜだか、嫌な予感が胸を埋め尽くす。
そして、その予感が当たってしまったのか。
「わ、わわっ!?」
突然、前方から蝶の大群が迫ってきた。
瞬く間に、視界が真っ赤に埋め尽くされる。
窒息しそうなほどの蝶の洪水……。
そこで、ラヴリアはようやく気づいた。
「これ……攻撃……!?」
ラヴリアはとっさに手に持っていた横笛をぶんぶん振って、蝶を追い払おうとする。
しかし、蝶はいっこうに減らない。いつまで経っても前が見えない。
「なんで……なんでよ……っ!」
恐怖や混乱で、心がざわざわと乱れる。
なにが起こっているのかわからない。
このままだと殺されるかもしれないのに……でも、どうすればいいのかわからない。
一人ではなにもできない。
じわじわと視界が白くにじんでいく。
「…………誰か……守って……」
思わず、そんな嗚咽のような呟きが漏れた。
その声は、誰にも届かないはずだった。
だから――とっさには気づけなかった。
「――捕まえた」
がしっ、と腕をつかまれる。
いつの間にか、白竜の上に、自分以外の誰かが乗っていたようだ。
蝶の切れ間から、その人物の姿が垣間見えた。
「あ……」
見間違えるはずもない。
――ノロア・レータ。
ラヴリアの護衛をしていてくれた少年。
そして、ラヴリアの……敵だ。
それなのに、なぜだか彼は優しく微笑みかけてくる。
「――――君を、守りに来た」