魔物の侵攻
「ぶはっ……死ぬかと思った」
マーズの地図操作によって、街の渦に呑み込まれたあと。
ようやく街の動きが落ち着いてきたところで、僕は水路から這い上がった。
途中で街にしがみついていられず、水路に落下したのだ。
幸い、魔物に襲われることはなかったが……それだけでも泳げない僕には地獄だった。
「……ひどい目にあった」
めちゃくちゃ溺れた。しばらく、水の中には入りたくない。
『また服がびしょ濡れよ! もう、ありえない! 絶対、あいつの眼鏡割ってやるんだから!』
ジュジュもぷりぷりと怒りながら、ぶるぶると体振っている。なんだか、猫か犬みたいだ。
「それより……今はとにかく、ラヴリアたちを止めないと」
僕は隣を見ながら言う。
最近は、いつも横にシルルやラヴリアがいたが……今はそこに誰もいない。ラヴリアは僕と決別したように離れていき、シルルはそんな彼女に奪われてしまった。
『あの姫……聖王暗殺って言ってたかしら?』
「そうだね……」
ラヴリアたちには、フーコさんを殺すための計画があるようだった。
大聖城にこもっているフーコさんをどうやって攻撃するかはわからないけど……なんの勝算もなく“呪い持ち”が聖都に侵入することはないだろう。
地図操作に魔物操作――この強力な2つの力が組み合わされば、もしかしたら聖王暗殺ぐらいはできてしまうのかもしれない。
「急いで、ラヴリアたちを探そう。聖王暗殺だけは止めないと……」
「――その話、くわしく聞かせてもらってもいいか?」
突然、槍を向けられた。
とっさに顔を上げると、そこにいたのは……。
「……あ」『……げ』
セインさんだった。その背後には審問官たちが集まっており、みんなが僕に剣呑な目を向けている。
それもそのはずだ。僕は彼らを裏切ったのだから。
「なにがあった? 言え」
セインさんに槍を喉元に突きつけられ――。
「待て、セインくん。彼とは敵対するな」
そこで止めに入ったのは、ミィモさんだった。
先ほど敵として戦ったばかりの相手だが……すでに意識を取り戻していたらしい。
「今はそんな時間はないし、そもそも審問官全員が束になったところでノロアくんには敵わないよ」
『そうよ、分をわきまえなさい!』
「……なんで君はえらそうなんだ」
「ど、どうしてですか、ミルナス長官!」
セインさんが不服そうに声を荒らげる。
「今ならミルナス長官がいます! いくらこの男が強くても、長官が勝てない“呪い持ち”なんていません!」
「いや、それが私もさっき負けたばかりでね」
「……は?」
「それもハンデをもらいながら瞬殺されてしまったよ」
「……え……そんな馬鹿な、ありえません……」
「本当のことさ」
セインさんが信じがたいものを見るような目で、僕を見てくる。他の審問官たちも動揺したようにざわめく。よほど、神聖国最強の審問官が敗れたのが衝撃的だったのか。
「……な、なら、審問官が“呪い持ち”に屈しろということですか」
「そうではない。今は協力すべきだということだ。私たちだけでなんとかできる状況ではないし……ちょうど、私たちとノロアくんの目的は合致しているようだからね」
ミィモさんは、改めて僕たちのほうに顔を向けると。
「ついてきたまえ」
そう言って、すたすたと歩きだす。
僕はジュジュと顔を見合わせた。
『どうするの?』
「……罠、ってわけでもなさそうだよね」
とりあえず、立ち止まっていても仕方がない。
ミィモさんについていくことにする。
「ここだ」
ごちゃごちゃに積み上げられた階段を足場にして、建物の屋根へと登る。
僕はミィモさんの横に並んで、その視線の先を追い――。
「……っ!」
『……やばっ』
――思わず、絶句した。
聖都の街並みが、今や完全に崩壊していた。
眼前に広がっていたのは、パズルのピースをめちゃくちゃにかき混ぜたような混沌とした光景だ。
もはや、聖都は街の形を成していない。
建物や道はお互いに切り離され、湖の中でぽつぽつとゴミのように浮かんでいる。
そして、聖都の中心部にある大聖城が、今や湖の中でぽつんと孤立しているような状態になっていた。
「マーズは街を脇にどかして、聖都の中心に巨大水路を作ったんだ」
「巨大水路……」
「ああ、魔物たちが大聖城を襲うためのね」
「……!」
ミィモさんの言葉で、すぐに理解できた。
聖都の中央に作られた、巨大な十字型の水路。
その水路の中には、膨大な数の魔物たちがひしめいている。
その魔物たちが向かう先は――。
「……大聖城だ」
見れば、大聖城そのものも、積み木の城を組み直したかのように改造されていた。
まるで城を上下逆さまにしたような、歪な形になっている。
そして、大聖城の一番下にあるのは小さな階層だ。
水路の上に直接浮かんでいるようにも見える、その階層は――。
「あそこは最上階だった場所だよ」
「……つまり、あそこに聖王陛下がいるってことですか?」
『魔物の群れのど真ん中じゃない』
「そうだね。水棲の魔物でも、聖王陛下に攻撃できるぐらい近い」
「……そうか」
とても単純なことだ。
聖王の部屋は、権限のない人間には入れない。しかし、人間以外なら入れてしまう。
それなら、聖王の部屋に魔物が入れる環境を作りさえすれば……聖王を殺すことができるというわけだ。
「直接、湖に沈められなかったのは、呪いの装備の力の限界だろうね。それは幸運だったが……さすがに、この魔物の数だ。陛下も多少なら自衛できるが、長くは持たないだろう」
「でしょうね……」
戦闘用の装備をいくつも持っている僕でも、この数はさすがに手に余る。
血舐メ丸を暴走させるぐらいじゃないと、対処しきれないだろう。
「さらに悪いことに、この聖都の土台に使われている結界は……聖王陛下が1人で張っているものでね。もしも陛下になにかあれば、この聖都が沈んでしまうんだよ」
「……そんな」
……あまりにも、救いがなさすぎる。
誰も幸せになれない結末だ。
「せめて魔物の動きを止められたら……フーコさんが攻撃されることはなくなりますよね」
「そうだね、敵の攻撃手段はあくまで魔物だけだ。だが、魔物を操っているラヴリアくんを止めるにしても……」
ミィモさんが、ちらりと上を見る。
聖都の上空――そこには悠々と旋回している白竜の姿があった。おそらく、ラヴリアはその上にいるのだろう。横笛の音色が、かすかに空から降ってきていた。
「空を飛ばれていては手出しができない。そもそもラヴリアくんを止めれば、魔物の制御がきかなくなって、余計に被害が拡大するだけだ」
『もうそれ、勝ち目ないじゃない』
「僕たちにできることは聖王の救出だけ、ということですか?」
「いや……それすら難しいだろうね。審問官たちは権限レベルB以上の区画の中に押し込まれていてね。まともに動けるのは、私とセインくんと……君ぐらいしかいない」
「たったそれだけですか……」
……用意周到すぎる計画だ。
マーズは聖都を700年守っていた結界をあっさりと破り、さらには逆手に取って利用までして、この短時間でここまで絶望的な状況を作り上げた。
恐ろしい“呪い持ち”だ。
「この状況を打開できるのは、おそらくノロアくんしかいないだろうね」
ミィモさんがこちらを振り返る。
「それで……君は、どっちの味方なんだい?」
「……え?」
「審問官と“呪い持ち”のどちらの味方につくか、ということだ。もしかして……私たちの敵かな?」
「いえ……どちらの敵でもありませんよ」
大聖城と白竜を交互に見る。
フーコさんとラヴリア……どっちかを選べなんて、僕にはできない。
フーコさんもラヴリアも、どちらも助けたい。
マーズのことだって、殺されるべきだとは思えない。
だから、迷うことはない。答えは最初から出ているのだ。
「僕は、両方の味方です」
「ふむ。優柔不断というわけではなさそうだね」
ミィモさんが見極めるように、僕の顔を見る。
「君が両方の味方だということはわかった。なら、君は……なにをするのかな?」
それは、決まってる。
審問官たちもラヴリアたちも、互いを殺したがっているわけではないのだ。
どちらの事情もわかる僕だからこそ、わかる。
ここにいるのは、みんないい人たちだ。
この事件の結末が、悲劇で終わっていいわけがない。
だから、覚悟を決めよう。
「――この戦いを終わらせます……誰も傷つかない形で」










