逃避行
「――もう……抵抗は、始めてるから」
ラヴリアが言った瞬間――。
彼女の背後の湖面から、無数のシーサーペントが飛び出してきた。波のような水飛沫を上げながら、シーサーペントたちが審問官たちへと襲いかかる。
「……くっ、魔物操作か!」
ミィモさんが苦々しげに叫ぶ。
審問官たちは構えていた武器でとっさに対応するが……さすがに、僕たちの包囲まで維持することはできなかったようだ。
審問官たちが散り散りになり、逃げ道が生まれる。
「今だ、ラヴリア!」
「…………え?」
ラヴリアの手を引いて走りだす。
「逃がすな!」
すぐに審問官たちが怒号を上げながら追いかけてくるが。
「ミミちゃん、水を吐いて!」
「がぅ!」
路面に水をまいて、すべりやすくする。多少だとしても、これで審問官の追跡速度を落とせるだろう。
『愛の逃避行みたいなシチュエーションね。乙女的に胸キュンだわ』
「ずいぶん余裕だね、君」
「……の、ノーくん……どうして?」
ラヴリアが戸惑ったような声を出す。
「どうして、ラヴなんかを助けようとするの? ラヴは悪い子なのに……」
「僕は君の護衛だからね」
「護衛って……でも、このままじゃ、ノーくんまで悪い人になっちゃうよ……?」
「僕はもともと悪い人だよ。どちらかというと、審問官に追いかけられるほうが慣れてるし」
思わず苦笑する。
「だから、“呪い持ち”は殺すのがルールだと言われても……素直に賛同はできない」
審問官たちの考えもわかる。一緒に行動したことで、彼らがいかに正義感を持って行動しているのかも知ることができた。きっと正しいのは彼らのほうだ。
だけど、僕は……今まで、いろいろな“呪い持ち”と会ってきた。
その人たちが、みんな殺されるべき人だったとは、とても思えないのだ。
ラヴリアだって、そうだ。
「聖都で魔物による犠牲が出ていないのは、君が水際で食い止めていたからだよね?」
「……なんで、そう思うの?」
「ライブを毎日やろうとしていたからだよ」
どれだけ苦しくても、どれだけ止められようとも、ラヴリアは毎日ライブをやろうとした。そして、ライブにはいつも“楽器演奏タイム”なるものがあり、そのときにラヴリアは横笛を吹いていた。
おそらく大規模な音響装備を使って、横笛の音色を街中に響かせていたんだろう。だからだろうか、ラヴリアのライブがある日は、やけに魔物が大人しかった。
「ラヴリアは聖都の人たちを守るために魔物を制御してたんだよね。審問官に“呪い持ち”だとバレるリスクまでおかして……」
「…………」
「さっき、どうして自分なんかを助けるのか、って聞いてきたよね? でも、逆なんだよ」
「逆……?」
たとえ、彼女が殺されるべき人間だとしても。
存在するだけで誰かを不幸にする“災害”だとしても。
「――ラヴリアだから守りたいと思ったんだ」
僕たちは聖都を駆け抜ける。
シーサーペントに人員を割かれているため、追いかけてくる審問官はまだ数が少ない。
このまま、追っ手をまけるかと思ったが。
「……っ!」
慌てて立ち止まる。
――この先、権限レベルD。
そんな立て札が目に入ってきたのだ。
「くっ……」
そうだ、レベルSの権限証をわたされていたせいで忘れていたが……この都市は罪人が逃げられないよう、迷路みたいに結界を張り巡らせているんだった。
ラヴリアの権限レベルはE。レベルD以上の区画には入れない。
「こっちだ……!」
慌てて進路を変更する。しかし、どの場所にどの結界があるか全てを把握しているわけではない。
僕たちが迷路のような結界に足止めを食らう一方で、審問官たちは高い権限レベルを駆使して、最短距離で僕たちを追いつめてくる。
「いたぞ!」「“呪い持ち”だ!」
「くっ……」
圧倒的にこちらが不利な鬼ごっこだ。
『ちょっと、このままじゃ追いつかれるわよ? 結界ぶっ壊すしかないんじゃない?』
「いや、この結界は壊せないよ」
以前、マーズに水路に落とされたとき、スライムソードの攻撃でびくともしなかったのだ。おそらく、強力な呪いの装備による結界なのだろう。
『じゃあ、どうするのよ』
「大丈夫、策がないわけじゃない」
『策?』
「シルルと合流するんだよ。聖都の結界は……空にはないからね」
走りながら、羅針眼でシルルの位置を検索する。
シルルと合流できれば、追っ手をまけたも同然だ。
つまりは、シルルのいる場所が、この鬼ごっこのゴールみたいなもの。
しかし、やはり結界が行く手を阻んでくる。
「……行き止まり!?」
分かれ道に差しかかったところで愕然とした。
その道もレベルD以上の区画……ラヴリア連れでは袋小路にはまったようなものだ。
「の、ノーくん……」
つないでいるラヴリアの手に、ぎゅっと力が込められる。
『……どうするの、引き返す?』
「いや、後ろには審問官がいる」
できれば、戦いたくない。そもそも、僕は乱戦も護衛も苦手だ。大勢の審問官からラヴリアを守りきれるかはわからない。
「ん、乱戦……? 守る……?」
そこで、はっとする。
「いや……あるじゃないか、結界の”抜け道”なら」
あれなら、いけるかもしれない。
シルルに乗って空を飛ぶまでもない。マーズのように地図を操作するまでもない。
くそっ……焦りすぎていたか。こんな簡単な“抜け道”にも気づかなかったなんて。
いや、このタイミングで気づけたのは幸いか。
「ラヴリア……!」
慌てて“抜け道”を試そうとするが――。
「……っ!」
「……主様!」
スライムシールドが自動展開されると同時に、その表面でなにかが砕け散った。
かすかに甘い匂い。今のは……キャンディー?
「――やれやれ、今のも防ぐのかね?」
振り返ると、いつの間にか1人の幼い少女がいた。
神聖国最強の審問官――ミイモ・ミルナスだった。