約束の誓い
目を覚まして、一番最初に思ったことは、『痛みが無い』ということだった。
ずっと横になっていたベットから起き、床に足をつけるといとも容易く立ち上がることができた。
身体を軽く動かすと、以前巨大な魔物を倒した時よりも楽に身体を動かすことができた。
そのことを不思議に思いながらも、続いて透過を行おうと側にあった壁に手を触れたのた。
しかし、壁に触れていくら時間が経とうと透過を行うことができなかった。
いつもなら出来ていたことが出来ず、首を傾け再度挑戦してみるも、やはり壁をすり抜けることが出来なかった。
そのことを不審に思い、目を何度も瞬きをし、自身の手をじっと見つめた。
しかし、床の上に立ちながら自身の手を見つめる姿をここに毎日やってきていた彼女が発見しないはずがなく、目を覚ましたのかを確認するためにやってきたところをばったりと出くわした。
床の上に立つ姿を見つけたコレットは彼が元気になったと心底喜び、彼の手を引いて城中を駆け回った。
彼女は一生懸命。そして本当に楽しそうに城の中を案内する。そんな姿に呆気にとられながら、必死に耳を傾けていた。
「こらこら、コレット。ダメじゃ無いか。彼はまだ安静にさせておかないと」
「あ、お父様! 起きてらっしゃったのですね」
「ああ」
そんな彼女を呼び止めるようにして彼女の父親が姿を現した。
コレットが頭を下げるのにつられて頭を下げる。その姿を見て彼女の父親は警戒の色を一瞬だけあらわにしようとしてそれがなかったかのように引っ込めた。
いつもの彼であったのなら、その感情の機微にすぐに感じ取ることが出来たのだろうが、この数日間で、自らの感情に困惑し続けていたこともあって、皇王の些細な機微に気づかなかった。
「……やあ、おはよう。君とはこの城に運んで以来だったけれど、元気だったかい?」
「は、はい。その節はわ、私? 僕? を助けいただき、大変感謝しております」
「……」
皇王は今の前に少年に少しばかり驚いていた。
それは、自分が見た少年と今目の前にいる少年がまるで別人のようであったからだ。
あの時の彼は、まるで自分も、他人も、その全てがただあるものという認識をしているように見えた。
それは誰も信じない。存在を認めない。命すらなんの躊躇もなく捨てられる。奴隷のような、操り人形のような、そんな悲しそうな少年だった。
だが今の少年は不器用ながらもしっかりと周りを見ており、出会った時とは似ても似つかぬ姿を見せていた。
「あ、あの……どうしましたか?」
「あ、ああ、いや。なんでもない。
ところで、君はなんという名前なのかね。ここ数日、娘から君の事ばかりを聞かされていたが、一度も君の名前が出てこなくてね、興味があったんだ」
「な、名前……ですか……」
少年は困ったような表情を浮かべ、言い淀む。
口を閉じ、何かを悩むようにする少年。しばらく悩んだのち、少年は側にいるコレットを見る。
コレットは自分がなぜ見られているのかわからず、首を傾ける。その姿を見て、少年は意を決して口を開いた。
「ソ、ソラ! 僕の名前は『ソラ』です!」
少し震えながら自分の名前を叫ぶようにして口にする少年、ソラに皇王であるコレットの父は驚きながら、震えるソラを落ち着かせようと頭を優しく撫でるのであった。
*
なんかもう、いろいろ失敗した気がした……。
クタクタになった僕は疲れを取るためにベットの上に横になる。
あたりはすっかり暗くなって、もう夜になりかけている。
今日一日、動けるようになって早々にその姿を見られるは、慣れない自己紹介をやらされるは、そこから彼女が一生懸命城の中を案内してくれたりしてくれたことはありがたかったけど……昼食や夕食も一緒に食べるハメになるとは思わなかった……。
さらに城の庭を駆け回って足を躓いて転びそうになったのを助けたり、城にあった高価そうな花瓶などが落ちそうになったのをキャッチしたりと、本当に大変だった……。
その際に、一人称を直された。
『『俺』って言い方はかっこいいけど、ソラは『僕』って言い方のほうが合ってるよ』
と、彼女のその一言にチョロいぐらいに調整して、一人称をあっさりと『僕』へと変えた。
その後、様々な場所へと連れ回され、そのおかげもあってクタクタなのであった。
ベットで横になりながら、疲れたような息を漏らしながら、仰向けとなって天井を見上げる。
「………ふふ」
楽しかった。
「ふふふ」
連れ回されたり、クタクタになるまで動き回ったけれど、とても楽しかった。
今まで行ってきた特訓とも、レオナと共に過ごした時間とも違う。
暖かくて、本当に楽しい一日だった。
天井を見上げながら、疲れてクタクタになっても、大変な一日だったけれど、それでも同じように楽しい一日であるのなら、また、過ごしたいと思った。
(早く明日が来ないかなぁ……)
感情が生まれ始めて……いや、おそらく生を受けて始めて、こんな気持ちになった。
そうと決まれば、しっかり休もうと、眠りに入る。
その時、頭の中を慣れた痛みが走る。
その痛みは魔法を使った『念話』だった。
『連絡がないぞ、デルタ=Ⅳ』
「………。申し訳ございません。こちらからの連絡手段を持ち合わせていなかったもので……」
聞こえてきた声は、自分の生みの親である声。
その声に全神経を研ぎ澄ませながら、返答の答えを導き出す。
『そうだったか? 以前に『念話』の魔法は教えたはずだったが』
「魔法に対する特訓の結果、『魔法適正無し』と結論づけられました」
『そうだったか。そういう事ならば仕方ない。ではすぐに調査の結果を』
「はい。調査の結果ですが、奈落の深淵、『白虎の谷』を調査した結果、対象、『白虎』を発見することができませんでした」
僕が伝えた結果に嘘は付いていない。なぜなら、僕は白虎と名乗った者と出くわしていない。『俺』と呼ばれる者と接触したのだ。だから出会ってはいない。
『そうか。いないのであるのならば仕方ない。すぐに帰還せよ』
「………了解」
帰還せよ……。その言葉を残し、念話は途切れた。
もしこの指示に従わなければ、おそらく自分の居場所は彼らにバレ、ここにいる人たちを危険に晒してしまう。そう確信があった。
僕はここに運び込まれた時に着らされた服を脱ぎさり、ボロボロになった元の服を引っ張り出す。
そこで驚いたことに、ボロボロになった服は元通りの服に直されてあった。
腕や脚の部分には、縫い繋がれた跡が残り、穴が開き、ほつれていた部分もしっかりと直されてあった。
僕はその服を大事そうに胸の前に持って行き、その服を着て部屋を出た。
部屋を出て一目散にやることがあった。
それは、この城にいる全員に、『僕の記憶を消す』ということだ。
記憶を消すには時間の経過が最も適切であるのだが、それを最も早く消す方法がある。
それは虚無の力、修正力を用いることで出来る『忘却』と呼ばれる力だ。
部屋を抜け出した僕は手当たり次第に城にいる者たちから僕の記憶を消していった。それを何度も行うのはとても苦労したが、僕を知っている人物がいた場合、その人が狙われるかもしれないという可能性をぬぐえず、ひたすら頑張るしかなかった。
やがて、おおよそ全員から僕の記憶を消し去り、残るは皇王と王妃、そしてコレットだけとなった。
身を隠しながら通路を進み、コレットもしくは皇王夫婦のどちらからを探していると、通路の先で、王妃様を発見した。
後をつけ、王妃がとある部屋の中に入っていくのを確認すると、その部屋の様子を伺いながら、部屋の前に立った。
「入って来なさい」
部屋の中からそう呼びかけられ、驚きながらも部屋の中に入ると、そこには王妃様の他に皇王様も椅子に腰掛けながらこちらを見つめていた。
「やはり君だったか。それで、私を殺すためにここに来たかな?」
「……いいえ。全く違う理由です。帰還命令が出ました。ですので、その挨拶を」
「挨拶にしては仰々しいな」
「僕の記憶を消さなければなりません……。命を狙われる前に……」
「……なるほど。君にもそれなりの事情があるというわけか……」
僕の短い説明に、二人はお互いを見合わせ、頷きあった。
「お互い、様々な事情があろう。だから、君の記憶を消すのは、別に構わない。
ただし、条件がある」
「条件……ですか?」
「ああ。
それは、君が出ていく前に、記憶を消す前に、娘と……コレットと、話をしてほしい」
*
彼女の部屋にやって来た。
彼女はベット上で気持ち良さそうに眠っている。
僕はそんな彼女が眠るベット側に近寄り、その寝顔を覗き込む。
とても可愛らしい寝顔……。
眠っている彼女の髪を分け、彼女の頬に触れる。
頬に触られたのを感じたのか、彼女はゆっくりと目を覚ました。
「……ソラ?」
「……ごめん。起こしちゃったね」
「ううん、いいよ。それにしてもどうしたの?」
「……もう、さよならしなくちゃいけない」
「………え?」
「帰還命令が出たんだ。だから、帰らないといけない」
目を覚ましたばかりの彼女は僕の言葉に目を大きく開く。
そして、
「そんな……どうして!」
「そうしなくちゃいけないんだ……」
「どうしてそんなことをしなくちゃ!」
「守りたいんだ。ここにいる人たちを、君を」
「僕だって、本当はここにいたいよ。でもね、もうこれ以上はここにはいられない。
あいつらは、何をしでかすのか、僕にも予想がつかないんだ。もしかしたら、君を殺してしまうかもしれない。
君だけじゃない。君のお父様やお母様、執事やメイド、この城にいるみんな。
だから、行くよ。みんな、僕とって、とても大切な人たちだから」
僕の胸の内を伝える。彼女はそれを受け入れられないかのように涙を流す。そんな彼女の涙を拭い、彼女を抱きしめた。
「……大丈夫。いつか必ず、必ず君の元へ戻ってくる」
「……ほんとう?」
そう尋ねてくる彼女を離し、しっかりと瞳を見つめる。
「うん。約束する。必ず、君の元へ戻ってくるから」
「……うん。約束。必ず、必ず戻って来てね」
必死に涙をこらえながら、彼女は俺を見送るために、優しい笑みを浮かべた。
僕はそんな彼女の額に軽くキスをして、
「それじゃあ、行ってくるよ、コレット」
そう言葉を残し、コレットから僕の記憶を忘れさせるのだった……。
*
研究所に戻ると、僕は一目散にマスターに呼び出された。
「本日の調査、ご苦労であった。次の任務があるまでしっかりと体を休めるといい」
「はい。かしこまりました………マスター」
「なんだ?」
「一つ……お聞きしたいのですが……あなたにとって、私とはどのような存在なのでしょうか?」
「意外だな。そんな質問してくるとは……。そんなことを考える暇があるのならば、しっかりと身体を休めることだけに集中しろ」
「……」
「……そうだな。『物』以外に、何かあるのか?」
「……わかりました。ありがとうございます」
マスターに呼び出された部屋から出て、マスターを睨むようにして見つめる。
マスターはこちらの視線気付いたそぶりを見せない。
『彼らは僕を人として見ていない』
そのことをはっきりと理解した僕は彼らを倒さない限り、自由はないと確信し、奴らを必ず倒すと決意した。
『いつか必ず、必ず君の元へ戻ってくる』
彼女との、約束を果たすために……。
次回は8月1日に投稿します。




