姉と呼べるような嫌いな人物
ソラ達が拠点としている洞窟には傷を癒す世にも珍しい湖がある。その湖の傍には丸太で出来た一つの家が建っていた。
*
「朝食良し。お弁当良し。後他に準備するものは……」
あれから一夜明け、ソラは他の者達よりいち早く起き、朝食を含め、みんなのご飯の準備を終わらせていた。
他の準備するものを一つ一つ確認していると、寝室へと続く扉が小さく開いていった。
「……ソラ…くん」
「おはようユイちゃん。……ひょっとして、起こしちゃった?」
「ううん。なんだか、目がさめちゃって……」
寝室からユイが扉を開けて、目をこすりながら言葉を返していく。
「一緒に奈落を出るからね。ユイちゃんにとって外の世界は初めてだからね。楽しみ?」
「うん♪」
階段付きの椅子によいしょよいしょと登り椅子に座ると、ソラの言葉を嬉しそうに頷いた。
「コレットが起きる前にご飯食べておく?」
「ううん。お母さんと一緒に食べる」
「……そっか」
朝食を食べるかどうかを尋ねたソラはユイが言った“お母さん”という言葉を聞いて少しばかり顔をしかめながら、返事を返す。
「……ユイちゃんはさあ、コレット…お母さんのこと、どう…いや違うな……。こういう時、なんて言えばいいのかな……」
「?」
ソラは何かを尋ねようとするが、言い淀み上手く言葉にする事ができなかった。
唸りながら悩んだ挙句、ソラが言った言葉は、幼いユイにはよくわからない問いだった。
「……お母さんって、どんな感じ?」
「……?」
「い、いや、別によくわからないなら、わからないでもいいんだ。ただ…その……“お母さん”って言葉が、未だに聞きなれなくて……」
「? ……お母さんはお母さんでしょ?」
「それはそうなんだけど……ね。……」
準備をしている手を止めて、いつもソラが座っている自分の席に着席する。手には二つのコップがあり、中にはお茶が注がれてあった。
ソラは入れたお茶を静かに静かに口に含んでいき、少し甘めに作られたお茶をユイは美味しそうに飲んでいく。
「……お母さんにも色々あるからね」
「そうなの?」
「うん。ユイちゃんとコレットの関係性だと…お義母さんとか、コレットの言い方だと、お母様とか、短く母さんとかママとか…色々あるよ」
「……ママ?」
ソラが話を晒すような言い訳に似た言葉の中で“ママ”という言葉が、ユイは何故か強い反応を示した。
「ママって?」
「ママは、お母さんって意味だよ」
「ふ〜ん」
強い反応を示した割にはあっさりと興味も失せ、再びコップに口を付ける。
「ソラくんは、どうしてそんなにお母さんにこだわるの?」
「こだわっているつもりはないんだけど…どうしてかな……。やっぱり、気にしているのかな……」
「?」
いつも違う雰囲気にユイは首を傾げ、疑問の眼差しをソラに向ける。その眼差しに答えるようにソラは口を開き始めた。
「……僕には、君のようなお母さんと呼べるような人はいなかったんだ」
「え?」
「別に、そう呼べるような対象がいなかったわけじゃないんだ。僕が勝手そう言いたくなかっただけ。単なるわがままだったんだ」
「でも」
「母さんとは言えなくても、エリーゼさんっていう姉のような人とは別に、本当に姉さんと呼んでもいい人がいたんだ」
「姉さん?」
「同じ親から生まれた年上の女性の事を指す言葉なんだけど……僕の場合は、親しい年上の女性を尊敬して言う言葉に当たるのかな」
ソラは何故“姉”と言う事を口にし始めると、少しずつ口元が緩んでいく。
「まあともかく、その姉と呼んでもいい人のことを僕は姉さんとは呼ばなかったんだ」
「どうして?」
「……嫌い…だったんだ……」
「え?」
「僕があの変な喋り方女の事が大嫌いだったんだ!」
少しニヤついた顔から一変して、とても険しい顔となり、その表情を見たユイは少し驚き怯えた表情になり、目頭には涙が浮かび始めていた。
ソラはすぐに元の表情に戻り、しまったとすぐにユイを慰める。涙を浮かべていたユイはソラに抱きしめられ、頭を撫でられて、すぐに涙が収まっていった。
「ごめんね。怖かったね。もう怒ってないから」
「……うん」
ソラの服が涙で濡れながらも、ユイの頭を撫で続け、涙が収まると、ゆっくりとユイから離れていった。
「……ごめんね」
「うん……。ねえ。ソラくんのお姉さんと何があったの?」
「え? 別に何かあったわけじゃないよ。ただ、僕が集めたギルドの報酬の七割を勝手に持っていったり、博打で外した借金を僕に擦りつけたり、特訓という建前の元で自分の食料調達の為に突進する猪の群れの中でに放り投げたり、何も力が無かった僕は、言われるがままやらされて……本当にムカついてくるよ」
表情をうまく変えることはなかったが、それでも怒っている事がひしひしと伝わってきてユイは困った表情を浮かべていた。
「それでも…僕は彼女を“姉”だと思っちゃうんだ」
「……嫌いなのに?」
「嫌いなのに……」
嫌いなのにどうしてだろうと思うユイは、ゆっくりとその姉について語り出すソラの言葉に耳傾けていった。
*
異常な程空腹以外何も考えることが出来なかった僕は、王都から逃げたし、森を進み、その時に出会った女性に襲い掛かった。
彼女が何処からともなく取り出した鍵のような剣は僕を守るように身に纏っていた白い衣を切り裂いて、真っ赤な血が流れ出す。
流れ出す血を確認した彼女は剣を構えるとすぐに攻撃に移っていった。
剣を振り上げ、胴を蹴り、剣で突き刺し、そして振り下ろす。その攻撃を回避することなく、全て受けてしまい、剣を振り下ろされると、地面の上を転がっていった。
「なんやなんや。お前さん、どないしたんや?」
「Guaaaaaa……」
「あまりにも弱過ぎて欠伸が出るわ〜」
ふわぁ〜〜と大きな欠伸をする女性に僕はその時初めて空腹以外の感情が湧き上がっていった。まあ、その感情は怒りだったんだけどね。
怒り狂った僕は空腹とは関係なく、彼女に襲い掛かった。彼女の予定通りに。
僕の手があと少しというところまで接近し、首を握りつぶそうとしたその時、突然地面に魔法陣が浮かび上がった。
浮かび上がった魔法陣は強い光を放ち始めると、どんどん僕と彼女を飲み込んでいって、その光に僕は空腹と何かを無理矢理埋められたような感覚を感じると、強い衝撃で魔法陣の外まで弾き飛ばされたんだ。
地面に転がった僕はそこで意識を保つことが出来ず、ボロボロになりながら眠りについたんだ。