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 カナカナと、ひぐらしの鳴き声が優しく鼓膜を打つ。

 

 ヒヤリとした冷気を覚え、肌寒さから身震いがした。

 薄く瞼を開いて窓を見ると、燃えるような赤い夕日が図書室内に差し込んでおり、夕暮れ時の物悲しい雰囲気が図書室全体を覆っていた。

 

「眠ってしまったのか……」


 そう零しながら、目をこすって上体を起こした。

 

「そうみたいね。お寝坊さん」

「……あぁ……悪い」


 無意識に返答してしまったが、その聞き覚えのある声が脳内を駆け巡り、一気に覚醒させられる。

 声の方を見やると、隣のソファに花梨が腰を掛けていた。

 

 俺は悲鳴を漏らしそうになる口を押え、彼女から距離を取る。

 何故ここにいる!

 

「あら、まるでお化けでも見たような態度ね。失礼よ」


 花梨は手にしている本を閉じると、それを鞄の中に収め、

 

「それで、昨日の回答を頂きたいのだけれど」


 花梨の冷ややかな視線は、俺から降参を奪い取ろうという本気さが滲み出ている。

 

「あぁ……そうだな……」


 言い淀んだ後、腕を組んで難しい顔をしつつ、

 

「も、も、もう少し時間をくれないだろうか?」

「あら。あたしと闘う為に学校に来たんでしょ? 今朝だって教室を覗いていたようだし」


 ばれてんのかよ。


「奇襲されるのかと構えていたのに、肩透かしだったわ」

「覗いたのは確かだが、闘うつもりで学校に来たわけじゃないんだ。昨日の一件がどうも信じられなくて、今日も学校があると思ってノコノコとやってきただけなんだよ」

「あらそう。じゃあどうするの?」


 俺は居住まいを正して、顔を引き締める。

 

「さっきも言ったが、もう少し時間がほしい。鬼神祭について色々と調べたいんだ」

「ふぅん。あたしの話を信じる気になったの? 昨日の様子を見る限り、どうにもあたしをバカにしているように見えたのだけれど」


 鋭いな。

 実に鋭い。

 事実だから言い訳を考えるのが苦しい。

 

「まっ、まさか。そんなことはないぞ。初めから信じていたに決まっているじゃないか!」

「そう。じゃあ、あたしの勘違い?」

「多分な……」

「あ。信用する気になったからこそ、鬼神祭を調べるために図書室にいるのかしら?」


 全然違うが、そう勘違いしてもらった方が、都合がいい様に思った。

 俺は大きく頷く。

 

「でも、見てる本はホラー小説だけど?」


 俺は傍に転がっている都市伝説小説を慌てて裏返しつつ、

 

「図書室内を調べてみたが、めぼしい資料が見つからなかったんだ。ここに置いてないのなら、あとは図書館だろうなと。それで、図書館に行こうと思ったんだが、出歩くと祭り人ってやつに闘いを挑まれても厄介だから、今日の所はここで時間を潰す事にしたんだ」


 適当な言い訳をすると、花梨は「なるほど」と手を打って納得した様子を見せた。

 

「それなら明日、図書館に案内してあげるわ」


 デマカセを言ったばかりに、非ぬ方向へ転がり始めたぞ。

 

「い、いや悪いよ」

「暇だから付き合ってあげるだけよ。でも、図書館に資料が置いてあるとは思えないわ」

「どうして?」

「常識で考えて、鬼神祭は法律に抵触する行為よ。そんな非常識なお祭りに関する資料が、公の場に置いてあるとは思えない。あるとすれば役場のパソコンの中か、役場の資料室。可能性としては、図書館の特別室くらいかしら」


 どのみち確認しないとわからないってことだな。

 花梨も協力してくれるみたいだし、調べられるなら調べてみようか。

 鬼神祭とらやで休校ならば、することもないしな。

 

「そっか。じゃあお言葉に甘えて、その特別室って所に案内して貰えないかな?」


 と、助力を煽ってすぐ、花梨の話に乗っかっても良かったのかと懸念を抱いた。

 

「いいわ。では明日の朝八時に迎えに行くから、起きていなさいよ。わかった?」 


 花梨とは仲間でもなければ、まして闘いの答えを待ってもらっている状況である。

 買いかぶりかも知れないが、俺を降参させるための罠の可能性も否めない。

 

 まぁ罠に関しては買いかぶりだろう。花梨の態度から見て、俺を脅威とみなしているとは到底思えないからな。

 しかし、用心に越したことはない。

 俺は鬼神祭の事を何も知らないのだから。

 

「返事は?」


 俺の態度が曖昧に見えたのか、花梨が返事を要求した。

 俺は無意識に返答してしまう。

 

「あ、あぁ。わかったよ」

「よろしい」


 花梨は満足気な顔をして何度も頷いた。

 しくじったかもしれないと後悔に苛まれたものの、花梨は訂正を許さないと言わんが如く、俺に鋭い視線を向けてきた。

 

 俺はその視線から逃げる様に、側に転がる都市伝説の背表紙に視線を移動させた。

 

『信じるか信じないかは貴方次第ですが、信じる者は救われるという言葉があります』


 そんな内容紹介が目に留まり、苦く思う。

 

 俺は勢いに任せて頭を振った。

 

 考えすぎている。もっと素直になればいいんだ。

 花梨は答えを待ってくれているんだ。

 答えを出すのが絶対条件であれば、答えの保留なんてものはない。

 

 闘うか、降参するかの二者択一。

 

 それにも関わらず答えを待ってくれているのは、花梨の裁量にほかならないのだから。

 

「その……なんていうのかな……。ありがとうな……」


 花梨にお礼を伝えたところ、彼女は俺から顔を逸らして何かをポツリと零した。

 が、俺にはそれが聞き取れなかった。





 携帯電話のディスプレイに映し出される時刻は、午後五時半を回っていた。

 

「そろそろ帰るか」


 言った俺はテーブルに投げ出している鞄を掴みあげた。

 

「そうね」


 相変わらず感情を読み取らせない無表情さだ。

 それが彼女の良さなのかもしれんが、少しでも笑顔を作れば――いや。余計なお世話だな。

 

「送ってくよ」と俺。

「送っていくって……どこへ?」


 眉根を寄せた花梨に対し、俺は怪訝に思った。

 本当に分からないのか?

 

「日向の家にだよ。陽も暮れかかっているから危ないだろ」

「あぁ。そのことね。必要ないわよ」


 花梨は俺の隣に並ぶと、

 

「逆に送ってあげるわ。あたしが降参させる前に、降参してもらっても困るしね。貴方はあたしの獲物なんだから」


 そうだったな。花梨はとてつもない力を宿すお面を持っているんだったな。

 能力の無い俺のお面じゃ、暴漢に襲われたところで花梨を守ってやれないかもね……。 

 

 ――と苦々しく思うと、ふとした疑問が沸き起こった。

 

 そう。暴漢に襲われたとして、俺のお面じゃ太刀打ちなんて出来ないのだ。

 

 昨晩、半信半疑でお面を被って試してみたのだが、力らしい力は何も発動されなかった。

 お面のカビ臭で酷い目眩を覚えた以外は、これといって目立った事象は起きていない。

 

 そう。ここだ。

 

 能力の無いお面を持っている俺が、何故鬼神祭に参加しているんだ?

 

 鬼神祭はお面の力を利用して勝利をあげる事が目的だと花梨は言っていた。

 ということは、この黒いお面には力がないので参加要件を満たしていない。

 

 そればかりか、そもそも俺は鬼神祭に参加する意思など示しておらず、まして勝手に参加している立場だ。

 ここが実に曖昧な状態である。

 

「なぁ日向。俺も鬼神祭に参加しているんだよな?」

「そうね」


 俺たちは図書室を後にしながら教室へと足を向けた。

 花梨の荷物を取りに行く為だ。

 

「でもさ、俺は鬼神祭に参加する意思を示していないんだ。それに実は昨日、お面を被って力が使えるか試してみたが、どうやっても力と呼べるものが出てくることはなかった。これでは、鬼神祭の参加資格を満たしていないように思うんだが」


 待って、と花梨が手のひらを突き出して制してきた。

 

「力が無いと決まったわけではないでしょう?」

「少なくとも現段階では、力らしい代物が扱える状態にないぞ」

「それでも参加しているはずよ」

「どうしてそう言い切れるんだ?」


 花梨は調べてあげると言い、俺にお面を被れと要求した。

 不審に思いながらも、念の為に持ってきていたお面を鞄から取り出し、それを顔面へと装着する。

 

「……これでいいか?」

「えぇ。いいわ」


 花梨は黙りこむと実直に見つめてくる。

 これから何をされるのだろう。

 不安と期待がせめぎあい、身体がむず痒くなってきた。

 

「どう? 何か感じないかしら」

「感じるって何を?」

「明らかな変化よ。何か感じない?」


 感じるといえば――カビ臭さくらいか。

 それと、カビ臭によって引き起こされる目眩。それ以外、目立つ変化は感じられない。

 

 それにしてもこのカビ臭は酷いものだ。

 

 針で突き刺されるような刺激臭。その影響で起こる暴力的な頭痛。合わせて目も廻り始め、明らかに体に悪いお面である事が窺える。

 身体がよろけ、立っていられない程に視界が混迷を極めたので俺はお面を剥ぎとった。

 

「ぷはぁ……」


 大きく深呼吸をしながら、

 

「ごめん。もう無理……」


 どっと脂汗が噴き出した。

 膝に手をついて前屈みにならざるをえない程、この臭いは耐え難い苦痛だ。

 このお面、湿度百パーセントの場所に、長らく放置されてたんじゃないか?

 

「何を感じた?」


 花梨が俺の顔を覗きこんだ。

 くりっとした大きな瞳がキラキラと輝いている。

 

「何って……カビ臭さだけだ」

「身体的な変化の事を訊いているの。なにか感じなかったかしら?」

「そうだな。目眩が起きた以外は、これといってない」


 噴き出していた脂汗を手の甲で拭った。

 花梨は俺のその行為が終わるのを待ってから、

 

「意外ね。あたしと一緒よ」

「どゆこと?」

「それは、お面を被ることにより現れる症状」


 再び歩みを進める花梨。

 窓から差し込む夕日が彼女を照らし、廊下に黒く長い影を落とす。

 

「拒絶反応だそうよ」

「……きょ、拒絶反応?」

「そう。拒絶反応。その症状が現れたという事は、そのお面にも力が宿っていると考えて間違いないわ。すなわち、貴方は願が掛けられているお面を有しているのだから、鬼神祭に参加しているという証拠。鬼神祭で使うお面は簡単に手に入る代物じゃないのだから」


 ちょっとまって欲しい。

 あの目眩はカビ臭でヤラれたんじゃないのか?

 

「拒絶反応とか、信じられん……」


 呟いた俺は拒絶反応とやらを改めて確認すべく、お面を顔に寄せて臭いを吸い込んだ。 

 どういう原理か知らないが、鼻の曲がる様なカビ臭は存在するものの、身体的異常が現れる事はなかった。

 

 被っていないからこそ、拒絶反応が現れないという事なのか? 


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