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第二章
何をどう考えても俺は幻覚を見たのだ。
人間が火種もなく火を放てたり、力を加えずに物を移動させる事は、物理的に考えて不可能なのだから。
百歩譲ってそれらが可能として、不可解な事象が公になっているのに、どうして日本ではその話題で湧き立っていないのか?
そう、それは俺の幻覚だからだ。
がしかし、幻覚であっても誰かの同意を得て安心したい思うのは人情だろう。
異常な幻覚を見た事を母に相談しようと思ったが、あいにくな事に、俺が就寝するまで母が帰宅する事はなかった。
そして今朝方、早起きをして母を探してみたが、既に出社しており不在。
相談できなかった事が悔やまれたが、しかし、登校前に見たテレビには退屈なローカルニュースが流れているだけであった。
急な引っ越しによる精神的な疲れと解釈するより他ない。
俺は正常だ。
神経などヤラれていない。
そう思いたいのだが――どういうことなんだろうな、あれ。
「なんだよ……」
現在登校中の俺が見ているもの。
視線の遥か向こう、山の麓からモクモクと煙が噴き上がっているのだ。
火事かと心がザワついたが、そんな心の動揺など容易く吹き飛ばす光景であった。
麓が見渡せる高台で足を止め、眼下に広がる美しい田園風景そっちのけで、原因地点まで視線を飛ばす。
耕されていない農地に佇む二名の――男性だろうか?
その二名は対峙し、そばで煙が立ち上っていた。
考えたくなかった。
だが、考えざるを得ない光景に俺は息をのむこととなった。
「嘘だろ……?」
左手側の人間が駆けだすと同時に、二人の間の空間に眩いばかりの閃光が走る。
――大爆発。
花火を打ち上げたような爆音が轟き、遅れてやってきた衝撃波が俺を包み込んだ。
「うっ!」
事故か――と思ったが、爆発で生じた煙の中から二つのシルエットが浮かび上がる。
それは今し方対峙していた二人。
彼らが無事であった事に胸をなでおろす間もなく、二人はお互いに飛びかかり、素手での殴り合いを開始した。
激しく肉を打つ鈍い音が、離れている俺の元まで届く。
「なんだこれ……」
この異様な光景に対する答えを導き出せない。
そして――また爆発。
黒煙や砂埃が巻き上がり、彼ら周辺の空気が灰色に濁る。
しばらく行く末を見守っていたが、その光景を視界の端に追いやり、学校へと足を向けた。
俺の心はグラグラに揺れた。
もう、いつ倒れてもおかしくない程に揺れた。
学校に到着すると校門を抜け、下駄箱で上履きに履き替えて階段を上る。
足が重い。
階段を登る足に力が入らない。
油断をすると、階段を転げ落ちてしまうほどにフラフラだ。
それもこれも……全てはこの静まり返った学校がそうさせていた。
先日同様、学校は無人であったのだ。
俺の精神は擦り切れる寸前である。
手すりにつかまり、たっぷりと時間を掛けて我がクラスのある三階へと到着した。
静かな廊下に、俺の息遣いが響いている。
先ほど、目を疑う異常なケンカを目撃した後、それでもなお、俺は幻覚で片付けようとしたが、その場から離れた直後、空を飛ぶサラリーマンに出くわしてしまっていた。
スーツを翻して鳥の様に舞う姿は、異様の一言。
それだけに留まらず、指の先から水を出して洗車している男性や、風を使って公道の落ち葉を集める若い女性を目撃した。
総じてお面の様なものは装着していなかったが、昨日見た魔法紛いの代物が散見された。
そんな出来事を見せつけられてからの――無人の学校である。
花梨は、お祭りは五日間行われると言っていた。
であれば今週は休校という事になる。
「はぁ……」
ぶっ飛んだ村に越してきたという現実に鬱々とした気持ちを感じつつ、教室の前までやってきた。
戸を薄く開いて中を覗くと、日向花梨ただ一人が教室内で本を読んでいた。
『闘うか、降参か。答えを出すのが絶対条件』
そんな花梨の言葉がふと思い起こされた。
鬼神祭とやらが存在するのであれば、花梨に答えを出さなければならない。
おぼろげな記憶だが、『地位が村での生活に直結』とも話していた。
口ぶりから察するに、おそらく地位は一家に対して適用されるのだろう。
それを考えると迂闊に答えはだせない。
ただでさえキツイ生活を送っているってのに、これ以上苦しい生活を強いられては、母子ともに路上に投げ出されてしまう。
答えを待ってもらおう。
薄く開いた戸を締め直し、忍び足で図書室へ向かった。
とりあえず今日は学校に身を潜めようと決めた。
昨日、陽が落ちるまで学校にいたにも関わらず、誰一人として学校にやって来なかったのがその理由だ。
短絡的な発想だが、この村のことを何も知らない俺にとっては、学校か自宅のどちからしか選択肢がない。
図書室に着くと、人っ子一人いない空間が広がっていた。
足早に本棚へと向かい、物色して回る。
別に読みたい本は無い。むしろ読んだ所で頭に入ってくるとは思えない。だが何かしら忙しくして、この狂った現状から少しでも逃避していたかった。
でなければ、じわじわと膨れ上がっている恐怖感に押し潰されてしまう。
これといって吟味することなく手に取った本は、ホラーものの小説であった。
『信じるか信じないかは貴方次第ですよ』
タイムリーなタイトルの小説に驚き、嫌な汗が頬を伝った。
作為的なものを感じながらも、それを手にしてソファの並ぶフロアへと足を向ける。
鞄を投げだし、ソファに腰を掛けて小説を開いた。
『第一章 口裂け女、三つ子説』
都市伝説の類だ。
ここで魔法や、異能というキーワードが出ていたら、多分、俺の心は壊れていたかもしれない。
胸を撫で下ろして内容を読み進めると、なかなか面白い解釈をする都市伝説で、頭に入らないと思っていたが熱中して読み込んでしまった。
そんな折、ドン――と空気を揺るがす破裂音が屋外で発生した。
窓が開いていた事が災いし、衝撃波が室内に流れこむ。窓や本棚、扉が共振し、体の芯までもが震える。
「なんだよ……」
及び腰で窓辺へと向かい、視線の先を窓外へと向けた。
辺りに変化は見られないが、見えない所で死闘を繰り広げているのだろうか?
それを想像すると、手汗が噴き出して心拍が急激に上昇した。
「ふぅぅぅ」
大きく息をついて心を落ち着かせると、窓を締め、ソファに腰を落として読書再開。
それにしてもいい天気である。
時折物騒な音が聞こえるが、この学校は平穏そのもの。
闘いもない、お面の力もない。
落ち着いた時間がゆっくりと流れていた。




