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 鳥の囀りが聞こえる。鼻から吸い込む空気は冷たく、瞼越しに明るい陽が目に届いた。

 

「――う」


 細い声に気づいて薄く瞼を開くと、室内に照りこむ陽が懐かしい顔を照らしていた。

 

「おはよう、しゅん

「か、母さん?」


 母が俺の顔を覗きこんでいた。昨日見た顔と何一つ変わらない母のそれ。俺は眠い目を擦ってベッドから飛び起きた。

 誘拐されたわけではなく、引っ越しが事実であった事に安堵すると同時、何の相談もなくこの地に放り込まれた怒りが起き抜けながらも噴出する。

 

「おはようじゃないよ、母さん! これは一体どういう――」

「ご飯だから、顔を洗ってきなさい」


 俺の言葉を遮った母は、そういい残して部屋から姿を消した。心に一つ疑問を落とす。 

 母は何一つ変わらない。だけど、態度は明らかに昨日の様子と違う。

 

 母を追って部屋から飛び出ると、リビングに入ろうとした彼女が振り返った。

 

「あ、そうだ。新しい高校の制服は机の横にかけてあるから」


 見ると、ハンガーにかかった制服が壁にかけてある。

 そんな事などどうでもいい。

 

「母さ――」


 リビングダイニングへと繋がる扉が締められる。なんなんだよ、あの態度は。

 

 

 不信感を爆発させながらも、狭い洗面台で洗顔を済ませ、その足をリビングダイニングへと向けた。

 到着すると、椅子に座っている母が不機嫌な顔をして俺を出迎えた。

 

「先に着替えてらっしゃい。食事を摂る時間が無くなるわよ」


 母は黙って壁にかかる見慣れたアナログ時計を指さした。

 午前八時を回っている。

 

「高校がどこにあるか知らないし、そもそもこの状況は一体なんだ? 説明も無しか?」

「説明がほしいの?」


 母は俺を見て苦く笑った。

 出し渋っている様子を見ると、簡単には説明をしてくれないだろうと思えた。だが、話を振らずにはいられない。

 

「当たり前だろ。説明も無しじゃ気持ちが悪いだけじゃないか」

「教えてあげたいけどダメ」


 母は人差し指でテーブルをトントンと叩く。


「まずは着替えて、その次は朝ごはん。説明は帰ってからするから、先にしなければならない事をしなさい」

「それよりも何よりも、先に説明だろ!」

「おっと、私も準備しなきゃ」


 母は椅子を蹴飛ばして立ち上がると、俺の横を抜けてリビングの隣に位置する母の部屋へと姿を消した。

 やはり回答はもらえなかったか。何を勿体ぶる必要があるってんだ。




 真新しいブレザーに袖を通していると、母は一言もなく家を出て行った。

 

 結局何の説明もなしだ。

 学校から帰ってからでも遅くはないが、その間のモヤモヤは正直耐えられるか不安である。

 

 

 リビングへと向かい、テーブルに並べられた朝食をさっさと平らげた後、筆記用具とノートのみを入れた鞄を肩に担ぐと、勢い良く家を飛び出した。

 

「待て……」


 辺りは車の騒音や人々の喧騒などはなく、聴こえてくるのは鳥やセミの鳴き声。

 心に平穏を与えてくれそうな田舎風景だが、感慨に浸れる余裕など今の俺には無い。

 

「そう言えば、母さんから学校の場所を聞いていないじゃないか……」


 自宅前の公道は二手に分かれており、左手が昨日車でやってきた方角。

 右手は田畑に囲まれた延々と続く直線道路だ。どちらへ向かって良いのかサッパリ分からない。

 

 十メートルほど離れている隣家を訪ねてみたのだが、留守らしく誰も出てくることはなかった。

 似たような住居がいくつかあるので全て回ってみたが、誰からの応答もない。

 

 弱った。 

 昨日の様子だと携帯電話は圏外で使い物にならないだろうし、近所の人にも会えないしで、一体どうすればいいんだ。

 

 困り果てつつも、身体に染み付いた癖で右手には携帯電話が握られていた。

 ダメもとで、電源ボタンを押下して画面を覗き込む。

 

 運の良い事に電波が通じている状態だ。早速母にメールを送り、高校の場所を尋ねた。

 

 

 

 

 母のメールに従い、左右の分岐を気にせず兎に角まっすぐ進む事、二十分ほど。

 

 学校と思しき建造物が視界に映り込んだ。

 山のふもとに建てられた、平べったくも大きな建物だ。

 学校を取り囲む様に田んぼが広がり、田舎風景にはあまり似つかわしくない。

 

 額に浮かぶ大粒の汗を拭いながら、来客用のスリッパを拝借して職員室で担任教師と合流。

 特徴のない中肉中背の担任教師と一言二言、言葉を交わし、教室へと向かった。

 

 向かっている最中、担任は


「自己紹介をしてもらいます」


 と、無感情で言った。

 急な緊張感に見舞われ、頭の中が真っ白になってしまった。

 学校へと向かっている最中、簡単な自己紹介を考えていたのだが、逆に簡単すぎて頭から抜け落ちてしまったようだ。

 

 マズイ。 

 全然思い出せない。

 

 脂汗を流しながら紹介文を思い出そうと必死となっていると、いつの間にやら俺は教壇に立って生徒の視線を一身に浴びていた。

 

 クラスは男女比半々の三十名ほどだろうか。

 田舎の高校がどんなものか知らないが、少なくとも以前通っていた高校と何ら変わりのない雰囲気だ。

 

 結局、考えていた自己紹介は思い出せなかった。

 

「じゃあ自己紹介をしてください」


 スーツ姿の担任教師が無感情で促す。この担任にはやる気があるのか甚だ疑問だ。

 

「あ、はい……」


 生徒の視線が俺に集まる中、極度の緊張で胃が裏返りそうになりながらも、自身の名前と以前通っていた高校名、そして、よろしくお願いしますという挨拶で締めくくった。

 

 すると、しんと静まり返っていた教室が急に歓迎ムードへと変貌する。

 

 次々に「よろしく」と声があがり、その暖かな対応に俺は驚かされつつも嬉しく感じた。

 

 田舎の者はよそ者嫌いと聞いていただけに、抱えていた不安が一気に安堵へと反転する。

 

「じゃあ……あそこの空いている席に座ってください」


 教師が遠く指差す先に向かうと、そこは最後列の真ん中であった。場所的に微妙な位置だ。

 特等席である窓側最後列でもなければ、廊下側最後列でもない。

 転校生の利点を生かせる中央の席でもない、実に残念な席順であった。

 

 そう残念に思っていたのだが、

 

「よろしくね。俊くん」


 俺を下の名で呼んできたのは、右隣りの席に座る女子だ。

 驚いて吃っていると、

 

「私の名前は水無月優里奈みなづきゆりなだよ。仲良くしようね」


 頬杖をついて人懐っこい笑みを浮かべる水無月は、それはもう天使の様に愛らしく見えた。

 

 小柄な体躯によく似合う幼い顔立ち。

 大きな瞳に桜色の唇は、幼さの中にも優麗さを覗かせる魔性めいた雰囲気を感じさせる。

 漆のように光り輝く黒いロングヘアは、清潔感を漂わせるようにサラサラと背を流れていた。

 

「あぁ、よろしく」


 作り笑いを浮かべて会釈をする。

 すると、

 

「訊きたいことがあるのだけれど、いい?」


 耳をくすぐる甘い口調で問うてきた。

 

「……もちろん。いいよ」


 訊きたい事ってのは、先日まで住んでいた市内と比べてこの村はどうだとか、趣味は何だとか、何処に住んでいるのだとか、早い話が俺の身辺に関する話だろうと思っていた。

 

 彼女の問いは確かに俺の身辺に関する事であったが、全くもって答えられなかった。

 

「俊くんって、どんな力を持ってるの?」


 こんな質問、どうやって返せってんだ。

 

「力って何の力?」

「え、まさか持っていないって事は無いよね?」


 言った水無月は、目を剥いて驚いた表情を作ってみせた。

 

「力ってのが何の力なのか教えてくれないと、答えられないよ」

「え……あ、まぁ……力っていうのは……」


 水無月はあからさまに言いよどむと、

 

「そこ。静かにしなさい」


 と、俺たちに向かって指さす教師。水無月は曖昧な笑みを浮かべつつ前へと向き直った。


 力って何の力だろうか。


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