28
先頭を切る二台の車は花梨の力により、物理法則に反して直角に進路を変えたものの、力の及ばない背後の車が、数メートル先に迫っていた。
避けられないほど、目の前に。
「あ、あ、あ」
俺は情けない声を出しながら、咄嗟に右腕を大きく振っていた。
無意識。何も考えられなかった。
おそらく、車との衝突を回避しようとした本能的行動、無条件反射だと思われる。無意味な行動に変わりはないが、体は勝手に動いていたのだ。
目にも留まらぬ速さで俺に向かってきていた車が――
「きゃぁぁぁぁあ!」
花梨の悲鳴が一際大きく辺りに鳴り響いた。
が、その悲鳴を容易くかき消す程の、耳障りでけたたましい衝突音があがり、空気を揺るがす衝撃波が続く。
セダンは俺へと衝突する既、側面から強い衝撃を受け、くの字に湾曲。
割れたサイドガラスがあたり一面に飛散した。
見えない力により衝撃を加えられた車は、一瞬の間を置いて弾き飛ばされ、群衆の頭上スレスレを超え、五十メートル先の民家の軒先へと落下。
植え込みが次々になぎ倒されていった。
「え……?」
何が起こったのかわからなかった。
突然のことで理解が追いつかない。けれど、俺は自分の手のひらに視線を落としていた。見慣れた手に変わりはない。続いて花梨を見やった。
「もしかして今のは……花梨の能力をコピーした俺の力なのか?」
尋ねるも、花梨も状況が飲み込めていないのか、反応をよこさない。
が、のんびりと彼女の反応を待っている余裕はない。
俺は、視界の端に軽自動車の姿を捉えた。
花梨も敵の攻撃に気がついたのか、空に向かって腕を薙ぐ。
頭上を見ると二台のバス。前方からは、俺めがけて飛んで来る軽自動車。
敵は攻撃の手を緩めない。
「くそぉぉぉ!」
俺は迫り来る車に向かって手のひらを突き出す。
やるしかなかった。確信が持てないながらも、信じるしか無かった。例え力が使えずとも、何もしなければ、何も始まらない。
瞬く間に俺の懐に飛び込む車。
しかし、抱いていた不安が自信へと変わり、確信する。
「ぐっ!」
飛び込んできた車は、俺の突き出した手によって阻まれ、歪な衝突音を鳴らしながらフロントを大きく陥没。リアを天高く持ち上げ、急停車。
ボンネットには俺の手形がくっきりと残った。
コクリとつばを飲み込む。
やはり、この黒式尉には、コピー能力が備わっていた。
今、アメノタヂカラオの能力をコピーしている。
みるみると自信が湧き上がり、闘争本能が呼び覚まされた。
「あぁぁぁぁ!」
俺は車を持ち上げ、金髪野郎に向けて投げ飛ばした。
投げた時の手応えは全くといっていい程、無かった。が、現実として車は時速数百キロを伴って、金髪めがけて飛行する。
「おや?」
腰に手を当てていた純矢は、ゆっくりと腕を前に突き出した。
車はとてつもないスピードで純矢に衝突した――かに思われた。だが、熊坂の本領を目の当たりにさせられてしまう。
車は純矢と接触する寸前、一瞬にして砂のごとく粉々に粉砕させられてしまったのだ。その粒子状となった靄は、車の形を辛うじて保ちながら純矢を通り過ぎていき、背後の校舎に接触。消散した。
彼は風圧により乱れた髪型を整えるように、優雅に手ぐしをする。
大きくざわつく観衆。口々に、「どうなってんだ」と声を潜めながら顔を見合わせていた。
「……大丈夫? ねぇ大丈夫?」
興奮のあまり気が付かなかったが、花梨は俺に言葉をかけ続けていたようだ。
「はぁはぁ……大丈夫だ。何も心配はいらない」
「そう、それなら良かったわ。いえ本当に良かった……。もうだめかと思ったから……」
随分と弱気になった花梨だが、涙脆くもなったようだ。
泣き出しそうに声が震えてる。
「やはり黒式尉には、他のお面の力をコピーする能力があるようだ。もう心配は無用だ」
「本当?」
「おそらく、だがな」
俺は拳を握った。これで勝利も夢ではなくなったのだ。
俄然、闘争心に火がつく。
「今度は俺達の番だ」
花梨が大きく頷く。
お面の内側では笑顔を作っているんだろうなと勝手に想像した。
「え?」
「イーッヒッヒッヒ」
不気味な笑い声を上げるのは、いつの間にやら花梨の背後に立っていた男。
「うそ、だろ?」
純矢がそこにいた。
気が付かなかった。いや、気づけなかった。僅かな時間とは言え、花梨に気を向けており、純矢の動向に注意を払う余裕など無かったのだから。
彼に対して気を回していたとしても、俺達を取り囲む群衆に紛れ込まれたら判別のしようがない。
――あぁ。
だからこそ、こうやって背後を盗られたのか。
そう仕組む為に群集を集めた、お手製のステージ。俺達はその罠にまんまとハマったのか。
「お遊びは、このくらいにしようか。アハハッ」
せせら笑うと、純矢のやせ細った手が、花梨の丸い肩へと伸びた。
あ、と声を上げるまもなく、花梨の肩が純矢の手のひらに包み込まれ――
「え?」
花梨が異変に気づき振り返る。が、バランスを崩して俺の胸の中に倒れこんだ。
腕の中に抱えた花梨を見下ろした。
彼女の両腕が――肩から消失している。
「う、ウソだろ……。大丈夫か!」
訊くも、花梨は事態が把握出来ていないのか、不思議そうな声を上げるばかりだ。
純矢の周りには陽光を反射して、煌めく粒子が漂っていた。おそらく、花梨の腕を盗みだしたことにより発生した、何らかの物理現象。分解された花梨の腕の素粒子か?
「花梨ちゃんの腕が消えたのは、これで二度目だね」
純矢が残念そうな声で、だが口元をヘラヘラさせて言う。
「あぁ、残念。これでは闘うどころではないねぇ」
純矢は屈みこみ、花梨の足に向かって手を伸ばす。
咄嗟に花梨の身体を抱えて退いた。
「おやおや。足を狙っているってバレちゃったかな?」
鼓膜にまとわりつく下卑た声の純矢。
「てめぇだけは……絶対に……絶対に許さねぇ」
自分でも驚くほど低く、冷たく呟いた。
「許さない? 別に君に許してほしいだなんて思っていない。どうやらそのお面にも力が備わっているらしいが、僕の盗む力を前にしては全てがゴミ同然だよ」
純矢が俺達に向かって一歩近づく。
「その腕を治してほしくば、百戒として然るべき行動を取りなさい」
観衆から異様な囁きが起きる。
そのどれもが、純矢に対する感嘆とした喘ぎであった。
「あっ! あのおんなの人。うでが無くなってる!」
まさに、無邪気、といえる幼い子どもの声が、雑踏の中から木霊する。
その声に気がついたのか、花梨の身体がぶるりと震えた。
「え? うでが……無くなってる? うでが……無くなってるの?」
花梨は頭をさげ、腕の付け根を交互に見回す。
「ない……。うでが……ないわ」
急くように、俺の顔を見仰いだ花梨。
お面越しに見える花梨の瞳には、光が無かった。
「くそっ……」
花梨は今にも壊れてしまいそうであった。
トラウマ。殊勝にも、その悪しき過去に立ち向かおうとした矢先、気持ちをくじかせるように腕を消失したのだ。
俺は腕の中にすっぽりと収まっている花梨を強く抱きしめた。
「花梨。他のヤツの声など聞くな。俺の声だけを聞け」
「うで……うで!」
「大丈夫だ。落ち着け」
「いやっ! 腕が、なくなった? 嘘でしょ! また腕が、無くなったの?」
花梨が俺から抜けだそうともがき始める。だが、彼女を強く抱きしめ続けた。
「言っただろ。俺はお前を見捨てないって」
「いやっ! いやあぁぁぁぁぁあ!」
叫ぶ彼女の耳元で、必死に声を届ける。目の前の純矢に注意を向けると、彼はクスクスと笑い声をあげ、俺達を眺めているだけであった。
とことんなまでに、下衆野郎だ。
俺は花梨の背に回している手を、肩口まで寄せた。
触れる事の出来ない消えた腕。同じ目に遭わされた当時は、これとは別に足も失った。そして誰にも助けを乞えず、地面に転がされていたんだ。
孤独から、そして反撃できない無力さから、絶望するしかなかっただろう。
そして、その後――
花梨の置かれた状況を想像すると、胸が張り裂けそうになる。
「大丈夫だ。何も心配はいらない。今はこうして俺がそばにいるんだから」
「……助けて……助けて!」
「あぁ。すぐ助けてやる」
抱きしめる腕の力を開放し、花梨の腰を掴んでそっと引き離した。
彼女の光の無い瞳が、力なく俺を捉える。
「助けて……俊……。また……あたし」
儚く、弱々しい声。
花梨をまっすぐ見つめ、こくりと頷いた。
「今、そのトラウマの中から引っ張りあげてやるからな」
言ったまもなく、辺りに漂っていた光の粒子が、たちまちに花梨を覆った。その粒は磁石のように引きつけあい、腕を形成するかの如く寄り集まる。
眩いまでに腕は輝きを放ち、徐々に色を帯び、健康的な肌色がするりと現れた。
まさに、一瞬の出来事、であった。
「取り返してやったぞ、花梨」
やはり、漂っていた粒子は花梨の腕だったか。
返却。
たしか花梨はこんなことを口にしていた。念じるだけでこれが出来るなんて、とんでもないお面だな。熊坂。
腕の回復を即座に感じ取ったであろう花梨は、すぐさま視線を落として腕を見やる。彼女は自身の腕を見つめ、手のひらを開いたり閉じたりを繰り返した。
「俺は、お前を見捨てない。そうだろ?」
「俊……俊……」
嗚咽しながら俺の名を呼ぶ花梨。
お面越しでも分かるほどに、花梨は涙を溢れさせていた。そんな彼女の素直さに心が締め付けられる思いでいたところ、グラウンドの土を踏みしめる足音に気付かされた。
俺たち二人に純矢が迫る。
「どうやったのか知らないけれど、お楽しみのところ邪魔するよ」
俺に向かって純矢の手が伸びる。が、それを勢い良く払いのけた。彼の舌打ちが続く。
腹の奥底から、どす黒い憎悪の感情が沸いて出た。
「その力で、今の今まで何人の人間を苦しめたんだ?」
俺は自身の背後に花梨を回しながら、努めて冷静に問うた。
全てを終わらせる前に、どうしても確かめておきたいことが一つ、あった。
そして、その確かめたいことが間違いであって欲しかった。
訊いてはならないことかもしれない。
知らない方が幸せなのかもしれない。
もしそれが事実であった場合、俺は過ちを犯してしまうかもしれないのだから。
けれど、それでも。
それでも、訊かずにはいられなかった。
「突然おかしなことを訊くねぇ」
「いいから答えてくれないか?」
純矢は訝るよう首を傾げながらも、
「うぅん。いいよ。苦しめるというと語弊があるけど、唯一、花梨ちゃんだけじゃないかな? あとの人間は、盗んだままどこかに消えちゃうから、苦しみようがないだろう?」
その返答を受け、俺の眼前がみるみる赤く染まる。俺が期待しない回答に近づいている。
間違いであってくれ。
嘘であってくれ。
祈る様な気持ちで問いを重ねた。
「十年前の鬼神祭で、守司が消されたという話を聞いたが……まさか、お前の家族がそれに関係しているわけないよな?」
純矢は腕を組み、低く唸る。
「十年前に守司が消された……か」
「そうだ。関係ない、よな?」
「うぅむ……。おそらくは、守司攫い、の事を言っているんだろうね」
「守司攫い?」
「そう。さらわれた様に姿を消すことから、そう名付けられたんだ。まぁ名付けの親は、何を隠そう、僕の兄なんだけれどね」
心臓が、ひときわ大きく脈を打った。
「うそだろ……」
「ということはだ、キミの話す十年前の守司攫いは、間違いなく兄といってもいい。そもそも、守司を消す人間なんて聞いたことが無いからね。それに兄は、一時期、守司を消す事に、楽しみを見出していたみたいだからねえ。その当時は、そんな強者の兄を尊敬していたが、今にして思えば、同じ家族であっても常識を疑うよ」
「……冗談は、やめてくれ……」
「おっと、人のことは言えないな。僕もつい最近、何人か消しちゃって、その楽しみに目覚め始めたからな。ククッ」
喉を鳴らして笑う純矢を見て、底知れぬ憎悪に支配される。
「母さんは……こいつの兄の事を……言っていたのか」
瞬間、俺は純矢の懐に飛び込むと、彼の腹部を思い切り殴りあげていた。
髪を振り乱して飛ばされた純矢は、地面にもんどり打つ。
腹部を抑えてのたうち回り、しばらくして膝に手をついて起き上がった。
「ふ、不意打ちとは卑怯だ……」
もはや周りが一切見えない。
この男に対して、明確な殺意が芽生える。
「僕の力が理解できていないようだ。全く、これだから無知で下賎な百戒は困る」
言った純矢が俺に向かって手をつきだす。俺はその向けられた小さな手を握った。力いっぱい握った。
まるで子供の様に小さく、か弱い手であった。いかにもケンカをした事のない温室育ちの手。
口元を不敵に歪ませた純矢は、
「分かっていると思うけど、僕に触れると盗まれるんだよ。例えそれが身体であろうとも……ね」
ゲラゲラと笑い飛ばす彼を前に、俺は冷たく言い放つ。
「盗めよ」
「じゃあ遠慮無く。まずは左腕から――」
それを聞き終える間もなく、俺はまたしても思い切り振りかぶった拳を、純矢の脇腹へ力任せに叩き込んだ。
肉のえぐれる鈍い音が空に霧散し、純矢のくぐもった呻きが面ごしに漏れる。
その場に倒れ込もうとする純矢だが、無理矢理に手を引いて起こす。
「早く、盗めよ」
「あ、あれ? ぬ、盗めない? どうして!」
純矢の声に動揺が現れ、その様子を見る群衆が色めきだつ。
花梨の時ほどではないにしろ、俺の腕からも煌めく粒子が舞い上がっていた。紛うこと無く盗まれているのだろう。が、舞い上がるその粒子は、立ち上る湯気のように空気に溶け込んで消えていた。
俺とて純矢の力を真似ている。
盗まれているのなら、そのそばから盗みかえせばいい。
「百戒を侮った結果だ」
低く言い放つが、その言葉が純矢の耳に届いていないことは明確であった。
「い、痛いじゃないか! 離せぇぇぇぇ!」
純矢の拳を、力を込めて握っているせいか、彼は悶絶していた。
「お前は僕の力でこの世から消されたいのか! されなくないなら離せ!」
彼は抵抗を示すように、俺の腕をぽこぽこと殴ってみせる。学習しない男のようだ。
「離さねえよ。お前の兄貴が俺の父さんを殺したんだからな。守司を殺すお前も同罪だ」
「父さんを殺しただって?」
純矢が語尾を上げて問うてきた。
「あぁ。俺の父さんは、守司中に、お前の兄貴によって消されたんだ」
はっ、と鼻で笑う純矢。
「消されたから何だってんだ。復讐ってやつか? バカじゃねえの? そんなもん、消された方が悪いに決まってるだろ。自分の能力不足が祟っただけじゃねえか! 自分をゴミと自覚出来ないバカだから消えたんだよ! だからお前は百戒なんだ! 離せよ! クズ!」
俺を殴り続けていた純矢の拳が、脇腹にめり込んだ。
ほんの少し、痛かった。
「ゴミだろうが何だろうが……精一杯生きている人間なんだよ」
冷たく言って、自身の拳を純矢の腹部に思い切り叩きつけた。鼓膜をつんざく純矢の絶叫が響いた。掴まれていない腕で腹を抑える金髪野郎。
反省の態度を見せて欲しかった。
例えそれが嘘であっても、俺は振り上げた拳をおさめることが出来たのだ。
演技でも良かった。
最悪、無言でも良かった。
キッカケが欲しかったのだ。
この怒りをおさめるキッカケが。
なのにどうして俺を煽ったんだ?
なぁ、純矢。
教えてくれよ。
殺されるかもしれないのに、どうして俺を煽ったんだ?
「……もう、止めるつもりはない」
ギリと奥歯を噛み締めながら低く言い、二度、三度と純矢の腹部に拳をお見舞いする。その度に俺の拳も激痛に見舞われた。だが、亡くなった父や、凌辱じみた行為を受けた花梨を想うと、止められない。
罪人になることも厭わないとさえ思えていた。
――どうなってもいい。
純矢一族を、滅ぼしてやる。
これ以上、この一族によって涙を流す人間が増えないよう……徹底的に潰してやる。
そう。
まずはこいつを、『見せしめ』として――殺してやる。
「死ね」
「俊っ!」
過ちをおかしそうになる俺を引き止めたのは、赤いシュシュのよく似合うお面を被った女性であった。
俺の振り上げた拳をつかみ、かぶりを振っているのは花梨だ。
「あたしは……あたしは、貴方と離れ離れになりたくない!」
「くっ……」
「言ってくれたでしょう? あたしを見捨てないって。その約束を守ってほしい」
「……」
「これからも、俊のそばに、いさせて?」
その落ち着き払った花梨の声が脳を駆けまわり、激情に押し流されていた俺を現実へと引き戻した。
眼前には血反吐を流し、ぐったりとしている純矢。それを見て、スッと血の気が引く。
花梨が掴んでいる俺の腕を解いた。高く持ち上げていた拳をそろりと下ろす。
「ありがとう……花梨」
俺は自分が泣いている事に気がついた。それほどまで、自分を見失っていたようだ。
ありがたかった。ここで純矢を殺めていれば、本当の意味で全てが終わるところであったのだから。
「さぁ、終わらせましょう」
花梨が何かを吐き出すように力強く言った。俺はそれに小さく頷く。
「そうだな。鬼神祭を終わらせよう」
その言葉を残して、俺はグラウンド中央へと純矢を引きずっていった。
砂地のグラウンドに、純矢の引きずり跡を刻みながら中央へと躍り出ると、俺達を取り囲む群衆をぐるりと見回した。人々の視線が自分に集まる。
純矢のつけているお面を強引に引き剥がし、彼をその場に投げ捨てた。
見せしめが村長の孫に勝利したところで、鬼神祭が変わるとは思っていない。
ただ、地位の無い俺が、高地位のエリートに勝利したという事実を受け止めてほしかった。地位や数字の無意味さを理解して欲しかった。
今はまだ、その事実を受け止めきれないかもしれない。けれどこれから先、何らかの変化があるはずだ。そして最終的には、命を粗末に扱う祭りを終わらせることができると信じている。
純矢を見ると、顔を歪めて泣いていた。この男を支配していた自信や尊厳は、そこにない。
静まり返っていた群衆から、波を打つ様にざわつきが現れ始めた。歓声はない。
そんな群衆を尻目に、俺は坊主頭へと向かって歩んだ。が、グラウンドに居たはずの坊主の姿はなく、あるのは、地面に転がされた顰の『お面』だけであった。
俺はそれを見て、昔の自分を見ているようで悲しくなった。
五章おわり




