27
花梨は言葉を、そして歩む足を止めた。
下駄箱まで来たってのに止まってくれるなよ。
「どうしたんだよ? 早く行くぞ」
「……なによ、あれ」
花梨が指をさす方を見ると、俺も花梨同様に足を止めるより他なかった。
数多くの人間が校門を抜け、ぞろぞろとグラウンドに入り込んでいたのだ。
「祭り人か?」
身構えたが、それらは総じて祭り人ではなかった。
「とにかく行こう……」
花梨とともに下駄箱でスニーカーに履き替え、校舎からグラウンドへと足を踏み入れ――て、またしても足を止めた。いや、止めざるを得なかった。
「どうなってんだ、一体……」
そこにはグラウンドを囲むように、溢れんばかりの黒山の人だかりができていた。その光景を前にして、面食らわずにはいられない。
「なんだこれ……?」
ワーッ、という割れんばかりの歓声が上がり、異様な熱気がグラウンドを包み込んだ。
数にして数百人規模。
老若男女が集い、若い人々は携帯電話を俺達に向け、大人は赤ら顔で手に持っているビール缶を煽っていた。中には子連れの人妻らしき女性も見受けられる。
俺達が目を離した隙に何が起きたんだ。
「身を隠せる場所を探すぞ」
辺りに視線を配るが、どこもかしこも人の壁が出来ており身を隠せる場所がない。
と、ここで俺はようやくある事に気がついた。
「ねぇ、まかさこの人達って」
花梨がそう切り出す。
「見物人かしら?」
「おそらくそうだろうな……」
言った後に続き、背後から金髪の細い声が漂ってきた。
隠れるため、慌てて人混みに紛れ込もうと人間の壁に跳び込むも、その肉壁は乱暴に俺をはねのけた。
「おらぁ! 逃げんと立ち向かえや!」
灰色の作業服を着たおっさんが、焦点の定まらない瞳で俺を睨みつけ、
「逃げんなや、ボケ!」
投げ飛ばされた缶が俺の頭部に直撃。空き缶であったが、あたると普通に痛かった。
「そうじゃそうじゃ。逃げんなや、われ!」
「はよう闘えや!」
「裏切り者が!」
罵詈雑言が飛び交い、俺に向かってゴミの雨が降り注いだ。
その場にとどまっても居られず、ゴミを避けるように後退。
そんな俺の姿が群衆の目にはどう映ったのだろうか。
取り囲む人々は歓声を上げて狂喜した。
「狂ってる。完全に狂っている……」
改めてグラウンドを見回すが、人間の壁によって塞がれており、追い込まれている。
「やぁやぁ皆さん! お忙しい中お集まり頂いて、誠にありがとうございます!」
純矢はグラウンドへ姿を表すと、群衆に向かって大きく手をふる。まるでヒーローの登場と言わんばかりに拍手が起こり、黄色い声援が飛び交ってライブ会場を彷彿とさせた。
「やっぱり純矢がこの人々を呼びつけたようね」
花梨は大きく溜息をつくと、顔を厳しながら群衆を見回す。
「この様子じゃ、あたしたちは悪役ってところね。下劣だわ……」
「あの金髪には、この人々を呼び出せるほどの影響力があるのか?」
素朴な疑問を花梨にぶつけると、彼女は金髪をソッと見やった。その眼光には、敵意がありありと知れる。
「この村に引っ越してきて日の浅い俊は知らないだろうけれど、純矢は村長の孫なのよ。そして彼の曽祖父であり、現村長の父親でもある当時の村長、五十嵐淳三郎がこの鬼神祭を作り上げたの」
「村長家系かよ」
「そう。神州村の村長はいつの時代も権力者であり、暴君とも囁かれている。だからこそ、その血族である孫もいずれ村長の職へ就くであろう。そんな行く先の不安から目をつけられたくない一心で誰も逆らおうとしない。そして彼に従ううちに、考え方が変えさせられていく。率先して彼の言葉に従う酔狂な人が出来上がるの」
花梨の話を聞いて違和感を覚える。
「待て待て。この村には村長選挙が無いのか?」
「あるけれど、結果は言わずもがなよ」
「それじゃ、まるで独裁国家じゃないか……」
「言い得て妙ね。逆らえばどういう結果を迎えるか。現状をみれば、答えがでるものね」
周りを見渡しながら苦く思う。誰しも俺のように恥辱を受ける姿を、衆目には晒したく無いだろう。
おそらく、五十嵐に投票しないものを、この様な場を作って『公開処刑』するんだろうな。
「それに、純矢一族が有する能力が異常とも言われている。どのような能力を有しているのか検討がつかない。けれど今、純矢の持っているお面を見ればある程度は推測できるわ」
逆らえば、その異常な能力とやらで叩きのめされるってわけだな。
もう、メチャクチャだな。
「あいつのお面って、どんな力なんだ?」
「彼のお面は能面、熊坂。牛若丸に討ち取られたといわれる平安末期の大盗賊、熊坂長範を模した鬼神面よ。触れる事のできる物質を盗む力。そしてそれを取り出す力を有する」
図書室で話していた力か。
確か花梨は
『触れることが出来ないから降参を勝ち取るのも容易ではない』
と語っていた。純矢と呼ばれる金髪に触れると、その時点で身体が盗まれ、消されるって事か。
降参云々以前に、生命の危機だ――
「ん?」
――消される?
どこかで訊いたことのある話だが、どこだったか思い出せない……。
いや、それは後回しだ。
「そういえばヤツと闘ったことがあるらしいが、結果はどうだったんだ?」
花梨はぐっと眉をひそめる。
「結果が出なかったのよ」
「引き分けたのか?」
「時間いっぱいまで闘ったのだけれど、制限時間に追い込まれて結果が出ず――」
と、純矢一行が近づいている事に気づき、俺は花梨の腕を引いて距離を取る。
「どうしたの?」
花梨が純矢達に振り返るや、慌てて腰を低くして構える。
「どうだったかな? 僕のスピーチは」
純矢は満足気な笑みを浮かべて花梨を見つめた。方や花梨は純矢を睨めつけている。
「あ、あらそう……。聞いていなかったわ……」
「それは残念だ」
あからさまに肩を落とした純矢は、
「まぁいい。あのスピーチはあくまで集まっている村人に聴かせるためのもの。君にはもっと聞いてもらいたい話がある」
花梨はツンと横を向いた。
「な、何かしら……。つまらない話に付き合う気はないわよ……」
やはり純矢に対して、怯えを隠しているように見える。
「う~ん。どうだろう。決してツマラナイ話ではないと思うんだけれど」
純矢の口角がぐっと持ち上がる。
不敵に笑う顔は、さながら鬼のようであった。
「昨年の約束、なんだけれど?」と呟いた純矢。
言葉をつまらせた花梨は、目をむいて男たちを見つめる。
なんだ、その約束ってのは。
「僕が勝ったら君から降参を頂く代わりに、君自身を頂くことが出来る。そして僕が負ければ、鬼神祭のルールに則ってこの鬼神面を渡す約束だよ。忘れたとは言わないよね?」
純矢はまるで群衆には聞かせないがごとく、口元に手を添えて囁いた。
純矢は続ける。
「昨年はあいにく制限時間で引き分けとなってしまい、その約束が次回へと持ち越しになってしまったけれど、もちろんその約束は今回も有効だよね?」
もう一度言う、と純矢。
「忘れたとは言わないよね?」
チラリと俺を見て、再び男たちに視線を向けた花梨。
「わ、忘れて、いないわ……」
花梨の吃りが、いっそう酷くなっている。
「それは良かった。あんなにも素晴らしい時間は、未だかつて味わった事がないからね。また楽しめると思うと、身体がゾクゾクと震えるよ」
純矢はグラウンド中央へと足を向けた。
「そんな隅っこで闘っていたら、観衆を巻き込んでしまうからね。こっちで闘おう」
ヤツらを呆然として見送った後、花梨に視線を振る。
彼女は項垂れた様に顔を伏せていた。
「あの約束って本当なのか? あいつの良いように約束してしまったんじゃないのか?」
そっと花梨に問うた。言葉が返ってこない。
「おい、日向……」
花梨の顔を覗き込むと、彼女はハッとしたように俺を見た。
「なに?」
「……あの約束」
と言いかけて俺はやめた。しつこく真相を問いただした所で、今の俺達には何のメリットもない。
「……いや、いい。なんでもない」
「ごめんなさい……」
声がか細い。どうしたんだよ。こいつ。
「おい、日向。しっかりしろ」
「……」
「おい、日向!」
花梨の丸みを帯びた肩を掴んで揺らした。
「しっかりしろ!」
「あ、うん。しっかりしているわ」
「してないじゃないか。気をしっかりともて!」
「ご、ごめんなさい……。昔を思い出して、動揺してしまったわ」
「昔? あの金髪が話していた約束って話か?」
えぇ、と呟く花梨。
「さっきの話の続きだけれど……あの時の闘いは、本当は一方的にやられたのよ……」
「さっきの話しって、金髪と闘って結果がでなかった、って話しか?」
「そう、それ……」
「なんだよそれ。お前が一方的にやられるなんて、信じられんよ。冗談はヤメろ」
「本当よ。昨年のあたしは思い上がっていたのよ。強力なお面の力に酔いしれて、次々と勝ち星を上げていき、遂には地位九にまで上りつめたわ。けれどそれが災いしたの。以前より良い噂を聞かない純矢を懲らしめてやろうと、彼に闘いを挑んだ。でも、戦況は惨憺たるものだった。結果は引き分けだけれど、その実、あたしは彼に対して手も足も出なかった。文字通り手足を奪われた状態に陥れられたの……」
花梨の足が酷く震え、それは身体全体へと伝播する。
途切れ途切れの声で続ける花梨。
「四肢を盗まれて地面に転がっていたのよ。地面の冷たさを肌で感じて、ようやく、自分の愚かさを知ったわ……」
「何だよその話……」
花梨は今にもその場に倒れてしまいそうに見えた。どっと不安が押し寄せる。
「それで、地面に転がされて……その後はどうなったんだ? あいつは制限時間まで黙ってみていただけなのか?」
「……」
「おい」
「……」
「おい、日向……」
「聞かないで……」
花梨はその場に崩れ落ちると、自身の肩を抱いて蹲った。
その話を聞いて、一瞬、心臓が停止した錯覚に見舞われた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい!」
花梨は突然、涙声で叫んだ。
「あたしのせいで、俊を巻き込んでしまって!」
「……そ、そんなことはない」
「この状況を見ても、そんな事はない、って言い切れるの? あたしが最終日はこの学校がいいと選んで、そしてこの状況に立たされているの。全てはあたしのせいじゃない!」
人目憚らず声を荒げる花梨。感情をむき出しにする彼女を見ると、心が激しく痛む。
「仕方のないことだろ。お前のせいじゃない」
「下手な慰めはよして!」
下手な慰め、か……。
「皆様お聞きください!」
純矢が大声を張り上げると、騒がしかった群衆は声を潜め、静まり返る。
「僕は、今から彼女――」
うずくまる花梨に向かって人差し指をつきつける純矢。
「――日向花梨ちゃんを救い出します!」
ドッと歓声が沸き起こった。
「どうして花梨ちゃんを救い出すのか? 皆様、お分かりになりますか?」
純矢は群衆に向かってそう問うと、わからなぁい、知らなぁい、教えてぇ、と気の抜けた返事が方々からあがる。まるで宗教だ。
「嘆かわしいことに、そこの百戒が詐欺師のごとく、村の財産である花梨ちゃんを言葉巧みに懐柔しているからにほかなりません」
えー!
と、場が沸き立った。一体何の話をしているんだ、この男は。
「懐柔だけでも憤激の情に駆られる行為が、花梨ちゃんを人心掌握し、そして操り、由緒正しき鬼神祭を破滅へと導こうとしているのです」
「はぁ?」
「その浅ましく、憫然たる呆れた行為。お集まりの鬼神祭経験者の方々は、冠位の違いはあれど、辛く、苦しい鬼神祭を乗り越えられてきました。ですが彼は、花梨ちゃんを前衛のごとく扱う始末。いえ、鬼神祭の本分を逸脱し、暴虐の限りを尽くしているのです。無宣言。強襲。破壊工作。殺人未遂。どれもこれも、耳を疑う行為ばかり。これでは、個人の適性を見る祭事の意味をなしません」
――このような傍若無人な伊勢俊をどう思いますか?
語尾を高く持ち上げ、昂然たる口ぶりで尋ねる純矢。
彼はなおも続けた。
「本来なら彼に言い聞かせ、この愚行に終止符を打たせたいところです。自身で鬼神祭を真摯に受け止め、歩み寄らなければ、また同じ過ちを繰り返す事になるのだから。ですが今の彼に何を伝えた所で、聞き流す事は目に見えている。ではどうするか。僕は考えました。寝る間も惜しんで頭を捻らせました。ですがどう考えても、出てくる答えはひとつ」
「黙って聞いていれば……」
「鬼神祭のルールに則って正々堂々と彼を打ち負かし、鬼神祭の辛さ、苦しさ、それら現実を分からせるしかないのです。でなければ、抱き込まれた花梨ちゃんを取り戻せないばかりか、悪しき心を持つ彼も改心させる事が出来ないのです」
純矢は大きく腕を広げ、取り囲む人々をゆっくりと見回した。
集まっている人間たちは吠え、グラウンドは益々熱気に満ちる。
俺は花梨や水無月に視線を配った。
どのような理由であれ、彼女たちは自ら進んで俺に協力してくれている。自身も標的となりかねないのに、百戒である俺を助けてくれているのは――彼女たちの意思であり、大きな優しさだ。
「デタラメを言うな!」
そう声を荒げると、
「黙れやクズ百戒が!」と野次が飛ぶ。
「ですが僕はこの寛大な心を持ってして、彼にチャンスを与えたい。今一度、自身の愚挙を反省するのであれば、彼の降参を頂くつもりはありません。この村から逃げ出した百戒だとしてもです。彼は仮にも生物の端くれ。変われるチャンスは残っているはずです!」
「言いたい放題言ってくれるな……」
「その慈悲を受け入れよ。花梨ちゃんを解放し、この場から速やかに立ち去りなさい」
そうだ、そうだ!
と、どこからとも無く共感の声が巻き上がり、俺に向かって非難の目が一斉に向けられた。
「あたしのせいよ。あたしのせいよ。ごめんなさい。ごめんなさい」
花梨は未だに小さくなって蹲り、謝り続けていた。
「日向」
呼びかけるが、彼女は返事をよこさない。だが、俺は彼女の名を呼びつづけた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
声音が震え、泣いているように聴こえる花梨。
屈みこんで彼女の背中をさすった。
小さな背中。
この小柄な女性に俺は今まで助けられていた。
だが今は傷ついて、打ちのめされて、深い悲しみを抱いて小さくなっている。
こんなにも弱り切っている花梨の姿を見ると――やりきれない。
「日向。大丈夫だ。自分のせいだと思うな」
「でも」
花梨はうつろな目をして地面を見つめる。
「こうなったのは全てあたしの責任。学校に行こうと言わなければ、今頃は勝ち星をあげていたかもしれないのに……」
語尾が力なく消えていく。俺は花梨を宥めるように、彼女の言葉に重ねた。
「あの様子だと、学校に来なくとも俺達を追いかけていただろうさ。誰の責任でもない」
「でも」
「前にも言ったと思うが、俺はお前の獲物なんだろ?」
花梨は小さく頷いてみせた。
「だったら俺のお面が誰かの手に渡ろうが、奪われたことに腹を立てこそすれ、責任を感じることなんて無いだろ。それとな、どういう結果を迎えようとも、俺はお前に獲物として見てもらっている事を、心より感謝しているんだ。
日向に励まされて、尻を叩かれて、前を向かないと真っ直ぐ進めない事を教えられた。獲物と言いつつも、いつも気にかけてくれたからこそ、着実に一歩ずつ先を目指せた。こんなどうしようもない俺でも、日向がいたおかげで前進できたんだ。
だから、心より感謝している。そして、その恩を返す時が今だと思うんだ」
花梨は目元を擦ると、恐る恐る顔を上げた。
目を真っ赤にして瞳に涙を浮かべている。
「頼りにならないかもしれないけれど、お前が俺を見捨てなかったように、俺もお前を見捨てないからさ」
俺は立ち上がり、花梨に向かって手を差しのべた。
「だから、その抱えきれないものを俺に丸投げしてみないか?」
「俊……」
「私も俊くんと闘うー!」
背に担いでいる水無月が叫んだ。
驚いて横目で背後を見ると、水無月は……気持ちよさそうに眠っていた。
寝言かよ。びっくりさせないでくれ。
「ふふっ。相変わらず酷い寝言。それにしても恥ずかしいわね。自分を見失っていたわ……」
花梨が俺の手を取って軽やかに立ち上がった。
顔は涙でぐしゃぐしゃだが、瞳に宿る光は力強かった。
「あたしは絶対に俊を見捨てない。だから俊も、あたしを見捨てないで……ね?」
花梨は涙で濡れる顔を隠すように、お面をそっと被る。
彼女の中で何かが変化したように思う。俺も、それに感化され、闘争心がみなぎった。
「もちろん。俺は――花梨を絶対に見捨てない」
言って水無月を側に寝転がせ、お面を装着して闘う意志を明確にした。
弱い自分もひっくるめて今の俺は前を向いている。ようやく本当の意味での決意が固まった瞬間だった。
「おやおや? やる気だねぇ」
金髪が嘲笑を滲ませた言葉を放ち、彼もまた、お面を装着する。
「前回と違い、今回は僕と田辺が相手をするんだよ?」
純矢が隣にいる坊主の肩にポンと手をおくと、
「僕達はどちらも鬼神面。方や無能力な黒式尉。まともに闘えると思うかい?」
圧倒的に戦況は不利。だが、結果を迎えるまでは分からない。
「随分と余裕だな。その傲慢な態度は命取りになるぞ? 金髪野郎が」
花梨と共に男達に対峙するように向いた。
群衆はどよめき、俺に向けられていた罵詈雑言は一切止んだ。まるで隔絶された空間にいるように、静まり返るグラウンド。
「君は無鉄砲で野放図なんだね。力の差が歴然なのに、それでも立ち向かおうとする。ヒーローにでもなったつもりだろうけど、この状況を見る観衆の目にはどう映るだろうね」
金髪が俺を罵るべく言葉を並べているが、俺はそれを聞き流して花梨を見下ろした。
花梨も俺の視線に気がついて視線を持ち上げる
。
「花梨。準備はできているか?」
「えぇ。もちろん」
澄ました声音。いつもの花梨に戻ったようだ。
俺は深く目を閉じ、酸素を肺いっぱいに取り入れた。新鮮な空気が全身をめぐる。
さぁ、お祭りを終わらせようか。
澄み渡る空のような気持ちの中、俺は男どもへゆっくりと向いた。
「はじめようか。祭り人ども」
闘いの宣言を下した。
人々が草原とする。
「愚かな人間だ。実に愚かだ。強者に立ち向かう姿は、必ずしも恰好いいとは言えないんだよ。君は相手の力量を推し量れない愚者といえる。これぞまさしく愚の骨頂」
肩をすくめて金髪が言う。
「御託はいいから答えろよ。降参すんのか?」
冷ややかに、そして嘲るように俺は吐いた。
「君はどうにも僕を怒らせたいようだね。面白い。実に面白い。もちろん闘うよ!」
ゆっくりとした足取りで襲いかかってきた。
絶対的な優位が彼に余裕を与えているようだが、こっちだって黙ってやられるほど愚図じゃない。
花梨の腕を引いてその場から勢い良く離れた。
これからどう闘っていくか、作戦らしい作戦なんて無い。彼らの隙を突くといっても、相手は経験者である以上、下手な小細工は通用しない。真っ向から立ち向かおうにも、熊坂を前にしては歯がたたない。ただ、純矢の行動に気を配りながら、坊主の力に注意を向けてさえ居れば大きな事故は免れるが。
その後はどうするべきなのか――と背後を確認するが、意外な事に彼らは追いかけてくる素振りを見せない。
とてつもなく嫌な予感がする。立ち止まって、彼らに振り返った。
「どうしたの?」
身体をつんのめらせた花梨が慌てた様子で俺に訊いた。
「追ってこない事が、どうも嫌な感じがする」
「そうね……。作戦でもあるのか、それとも余裕を見せているのかしら」
「どっちだろうな……」
「彼らに立ち向かうには危険が大きいけれど、時間という制約がある以上――」
俺達の頭上で奏でられた耳障りな金属音。田辺のお面、顰の力の発動を知らせる音色。
二人して見上げる。そこには、一台のワンボックスカーがゆらりと落下してきていた。
「小癪ね!」
花梨が素早く右腕を振るった。自由落下する車は進路を直角に変え、校舎横の田んぼへと突っ込んでいった。落下の衝撃で舞い上がる泥。それを被った人々から悲鳴が上がる。
またしても頭上より金属音。辺りに視線を配ると、黒いセダンタイプの車が坊主の真横に出現した。再び鳴り響く金属音。同じく現れた先は坊主の真横。今度は軽自動車。
「今のは余興で、いよいよ行動に移すってことか」
「おそらくそうね……」
坊主は幾度と無く車を呼び寄せ、その数が十数台にまで膨れ上がった。スクラップ工場のように、うず高く車が積み上がる光景は圧巻だ。
「あの車を一斉に俺達の頭上に出現させるつもりだろうか?」
「そうだとしたら厄介ね。でも、そうであるのなら、わざわざ自身の手元に車を呼び寄せたりはしないはず。別のアプローチをすると思うわ」
再三に渡る金属音。
合計十五台の車が坊主の隣に積み上がった。おそらく今呼び寄せた車で最後であろう。その証拠に、坊主はお面を外していたからだ。
「これは、まずいわ」
花梨が俺の二の腕を掴んだ。
何がマズイんだ? と思うより早く、その言葉の意味を理解した。
坊主は積み上がった車の頂上によじ登ると、見せつけるように別のお面を装着する。
「始めるぞ!」
坊主ががなり立てた。
彼の被るお面。それは顰ではなく、口ひげを生やした力強い表情をするお面だ。
「これは、アメノタヂカラオの面だ。すげえだろ?」
アメノタヂカラオ。
天の岩戸を素手でこじ開けた怪力の神様だ。能力は、怪力か。
俺は怯む気持ちを吐き出すように、大きく息をついた。
「……確かに、凄いな」
能面に狂言面、神楽面に郷土面。終いには日本神話に登場する神様のお面、神面だ。
お面には一つとして同じ力はなく、そしてお面の謂れに見合った力が備わっている。そう思い返してみると、それらお面を作った神州村って凄い村なんだなと思えた。
本当に凄いよ。とんでもない村だよ。神州村ってやつは。
――と、呆けてしまった事が災いし、俺一直線に向かってくる車に気づけずにいた。
「しっかりしなさい!」
花梨が叫ぶと同時に、その向かってきた車はまたしても校舎横の田へと進路を変えた。
「わ、悪い」
言ったのもつかの間、坊主は再びミニバンを片手で持ち上げると、それを振りかぶりもせずに俺達に向かって放り投げる。
文字通り、ぽい、と放り投げただけだった。が、その手から放たれた車は、時速数百キロにも思える速度を伴っていた。その放たれた車は、またしても俺めがけて飛行する。
高速道路に放り出されたような、そんな足のすくむ恐怖が俺を襲った。
「こんなもの、あたしたちには通用しないわ!」
声を荒げた花梨が大きく腕を振る。
車は俺達の頭上をかわして、遥か後方の山中へと姿を消していった。確かに何度同じ手を使われても、どうということはないだろう。
だが、それはあくまで現状が続けばの話だ。
「今度は二台同時に投げる」
坊主が低く呟いた。
「問題無いわ。やってみなさい」
花梨はその挑発に乗るように、爽やかに返す。
「んじゃ、お言葉に甘えて」
左右の手で一台ずつ車を持ち上げる。二台とも九人乗りのワンボックスカー。
「ほぉら」
放たれる車。
これもまた時速数百キロほどか。二台同時に俺に向かってくる車は、卒倒しそうになるほど圧倒的であった。
花梨は腕を突き出して大きく薙ぐ。
たちまち車二台はもつれ合いながら、学校裏の切り立った崖へと姿を消した。
衝突音。そして爆発、炎上。
もくもくとあがる煙を前に、群衆の誰ひとりとして動く気配を見せない。
「同じ手は通用しないと、いつになったら気がつくのかしら」
花梨は乱れた襟元を整えながら、悠然とした態度をとる。
赤いシュシュが、陽光を受けて真っ赤に輝いていた。
「まぁまぁ、そう慌てないで」
言った純矢は、坊主に向かって大きく頷いた。何らかのコンタクトを取ったように思える。
いよいよ行動に移すのか?
「花梨ちゃんの行動原理はわかっている。その行動原理にいたる根本的原因の破壊こそが、君の取り込まれた感情を正せる、とも容易に想像がつく」
「何が言いたいのかしら」と、花梨。
「早い話が、伊勢俊を壊してしまえば君を取り返せる、ということだよ」
瞬間、放たれた二台の車が俺めがけてくる。
また同じことの繰り返しか、と思ったものの、この時ばかりは状況が違った。
「避けなさい!」
花梨は素早く腕を振りながら叫んだ。進路を変えた二台の車の背後から、もう一台の車が姿を見せる。
防衛本能が即座に危機を察した。
瞬時に脳内麻薬が大量に分泌され、鋭敏となった神経系統が視覚できるフレームレートを大幅に上昇させた、いわば覚醒状態による体感時間の狂いが生じた。
滞った川の流れの様に、極端なまでに圧縮された時間感覚。
「あたしが操れる対象は二つまでなのよ!」
花梨のかけてくる声までも、緩慢として聞こえた。
操れる対象が二つである事は、覚えている。
昨日、花梨が不満げに話していたので、強く印象に残っている。
けれど、覚えていても、
そして、覚醒したからといっても――
――どうしようも無かった。




