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 それから二時間が経ち、時刻は午後四時を回った。残すとこ二時間余り。

 

 高く昇っている陽が傾き、それが余計と俺の焦燥感を煽る。

 

「日向……。もう限界だ……」


 隣で一緒となって監視している花梨に現況を伝えた。

 俺の声はすこぶる震えている。

 

「な、何が限界なのかしら……?」

「誰も来ないかもしれないって思うと、この場でじっとしていることが我慢ならない」

「あぁ、そっちのことね。あと二時間もあるじゃないの。焦らない事よ」

「あと二時間しかないんだぞ。俺のお面では二時間でも足りないくらいだ」

「ではどうするの?」


 花梨は窓外に向けていた視線を俺へ移した。相変わらずの涼しい面持ちである。

 

「まだ勝ち残っている祭り人を探しに行くしかないだろ……」

「今出歩くのは危険だわ。見てみなさい」


 花梨が窓外へ指をさした先。そこは、俺が先ほどまで見ていた戦闘中と思われる山の麓だ。

 

「あれを見ても出歩こうと思うの?」

「だからと言って、ここで待ち受けていては日が暮れる一方に思うんだ」

「そうね。でもそれは得策ではないわ。束になって襲われたら、あたしでも対処が難しい」


 サポートしてくれるのか? 

 

 と、訊く間もなく――花梨の小さな手のひらが俺の口元を覆い、床へと押し倒されてしまった。

 何事かと思うのもつかの間、花梨は膝立ちとなり、外を覗く様に窓の淵から顔を出す。

 

 俺も花梨に倣って外を覗くと、校門をくぐる二つの人影が確認できた。

 それはグラウンド中央で止る。一つは大柄な坊主頭。もう一つは小柄で金髪。

 

「鬼神祭二日目に闘った男たちか!」


 身体がカッと熱を帯びる。

 すぐにでも奴らに闘いを挑みたい衝動に駆られたが、唇を噛んで気持ちを抑えこむ。

 

「え、えぇ……。そうね……」

「あの野郎ども!」

「ど、どうしよう……」


 花梨は不安げな顔をして俯く。

 予想外の展開らしくどうすべきか苦慮している様子だ。

 

 奴らに闘いを挑みたいのは山々だが、二日目の事を考えると分が悪すぎる。

 

 前回は坊主一人が相手であったが、今回闘うとなると、おそらくあの金髪も参戦してくるだろう。一人でも戦況が思わしくなかっただけに、二人相手では負け戦になりかねない。

 祭り人が来ないからといって、彼らを相手に危険を冒すよりも、彼らが去るのを待ったほうが懸命。

 

「く……悔しいが、奴らが諦めるまで身を隠そう」


 そう花梨に伝えた所、彼女はしばらくの沈黙を作った後、不承不承、了承した。

 が、そんな安易な考えは簡単に覆るものであった。

 

「おーい。僕たちを見ているんだろう? 出てこいよ」


 グラウンド中央に立つ金髪が、校舎に向かい手を振ったのだ。否応なく背筋が凍りつく。

 

「くそっ……。校舎内にいる事がバレているようだ。ここから逃げないと図書室まで来るかもしれんな……」

「そうね……」


 語気が弱い。

 二日目同様、彼らを前にすると萎縮したように小さくなる。彼らに対して何らかのトラウマを抱えている様子だが、余裕のない現状ではそれに構っていられない。

 

「大丈夫か? 日向」

「えぇ……」

「しっかりしろ」

「えぇ……」

「おい」


 花梨の肩に手を置くと、彼女の身体は震えていた。

 

「らしくないぞ。大丈夫か?」

「えぇ。うん……。ごめんなさい」


 弱る花梨を見るのは辛いが、今は学校からの脱出方法の模索が先決だ。

 

「どうするべきか……」


 限られた時間ながらも、金髪たちに見つからない脱出方法を色々と考えたが、全てにおいて問題が発生してしまった。

 

 例えば学校の裏山に逃げ込む方法だ。

 だが、これは早々に却下。裏山は切り立った崖であり、とてもじゃないが逃げこめる場所ではない。校舎の左右は田んぼが広がり、そこから逃げようにも、彼らに姿を晒すこととなる。

 

 花梨の力を利用して学校から逃げる手がある。

 念動力で校舎の屋上に車を呼び寄せ、それに乗り込んで逃げるという手段だ。花梨は人間に対して直接使用できないと言っていたが、これであれば問題はないだろう――と考えたが、やはりこれも無理な話であった。

 

 看過できない点は坊主頭の力だ。

 奴の力は物質転送。それを使われては、乗り込んだ車自体を転送させられる恐れがある。そうなれば、俺達は地面へと真っ逆さま。人間ごと引き連れて転送する可能性も考えられるが、どちらにせよ良い方向には転がらないだろう。

 

「こっちから伺った方が良いのかな?」


 グラウンドから金髪の声が上がる。時間的猶予がもう無いようだ。

 

「学校に来たのは失敗だったかもしれない。ごめんなさい……」


 言った花梨からは、微かな怯えがにじみ出ていた。

 

「そんな事を気にしてるのか? 奴らから逃げ切ってしまえば良いだけじゃないか」


 励ましてみたものの、この状況はどうしようも出来ない事態であった。

 このまま身を潜めていることも出来ないし、校舎から出たら出たで、みすみす姿を晒すこととなる――と、小さくなっている花梨を見て、俺はあることを閃いた。


「そ、そうだ!」

「……なに……?」

「隠れてコソコソと逃げるんだったら、さっさと姿を晒してしまえば良いじゃないか!」


 興奮している俺を、花梨は訝しんだ面持ちで覗く。

 

「ど、どういう事……?」


「奴らを化学室へとおびき寄せて、その隙をついて校舎から出るんだ」


 図書室と同フロアに有り、且つ図書室と対角にある化学室。そこへ彼らを誘導し、図書室と化学室の丁度中央に位置する階段へと素早く移動。脱出するという段取りだ。

 階段の踊り場に嵌められた大きな窓ガラスはグラウンドに面しており、階段を使用すると確実に金髪たちに見つかる現状、最善の案はこれが精一杯の様に思う。

 

「……そ、そうね……。その案で行きましょう」


 ようやく花梨の顔から力強さが取り戻った。だがどこか儚げに見える。

 

「じゃあ俺がおびき寄せるから、その間に水無月を起こしておいてくれ」

「わかったわ」


 身をかがめて図書室を出ようとした所、

 

「気をつけてね」


 花梨が小さく手を振った。

 彼女は今にも消えてしまいそうに見えた。

 

  

 


 姿を晒す事となる廊下の窓ガラスに気をつけ、数分掛けて化学室までやって来た。

 

 綺麗に整頓されたそこには、四人掛けの黒いテーブルがずらりと並んでいる。身をかがめて窓辺に向かい、そこからグラウンドを覗く。

 金髪は未だに校舎に向かって手を振っていた。

 

 これからすることを考えると、嫌でも心臓が躍動する。

 俺が男たちに姿を晒せば、試合開始と同等なのだ。

 だが迷っている時間はない。

 

 勢い良く立ち上がると窓の鍵を解錠し、窓ガラスを乱暴に開け放つ。

 

「俺はここにいるぞ! ここまで来たら闘ってやる!」


 喉が張り裂けんばかりに声を上げ、窓から身を乗り出した。声が裏返り、動揺が透けてみえた事と思うが、それでも叫んだ。

 

 俺の存在に気がついた二人組は、しばらく傍観していたものの、やれやれと言わんばかりに肩をすくめるや、素直に校舎内へと足を踏み入れてきた。

 

「え、まじで?」


 まさかこんな幼稚な方法が成功するとは思ってもみなかった。

 最悪な事態を想定していただけに、拍子抜けしてしまうほど呆気ない。急いで図書室に向かって走ると、階下より男達の足音と話し声が反響してきた。

 

 図書室に舞い戻って早々、俺は、「作戦開始だ」と声を張りながら花梨の元に向かう。

 

「この子、起きないわ」


 驚いた事に、水無月は眠ったままであった。

 頬がおたふくの様に真っ赤に膨れている。

 

「うっそ? 冗談はやめてくれよ」

「冗談じゃないわ。何をしても起きないの。一度眠ったら、なかなか起きないとは聞いていたけれど、ここまで酷いとは……」


 起きなさい。と、花梨の平手が水無月の頬を抉る。

 バシッと気持ちのいい音が奏でられるが、水無月は一向に目を覚まさない。頬が赤い理由は、花梨の平手のせいか。

 

「んもう、痛いよぉ俊く~ん……。俊くんはこういうぷれいがしゅきなのぉ……?」


 水無月は甘ったるい声で寝言を呟いた。

 俺を登場させてどんな夢をみてんだよ。

 

「俊。今、いやらしい想像をしたわね?」


 花梨が蔑みの表情を俺に向けてきた。

 いつもの花梨に戻ったと思ったら、いきなりアクセル全開かよ。というか俺ではなく、お前がいやらしい想像をしてんだろ。

 続けて花梨。

 

「夢の中だからって許さないわよ。起きなさい、変態!」


 幾度と無く激しい平手が、水無月の頬を捉える。が、全く起きる気配をみせない。

 

「俊くんの方こしょ変態じゃぁぁん……むにゃ……。私をこんなに縛ってぇ……」

「まさか、俊。優里奈の体を縛ってるの? そこまで見下げた男だとは思わなかったわ」


 嘆くように悲痛な面持ちを浮かべる花梨だが、それは夢の中の俺だろ。無茶を言うな。

 

「夢に突っ込んでやるな。日向だってやましい夢の一つでも見るだろ。人それぞれだ」

「あたしは健全な夢しか見ないわ。この変態浮気女と一緒にしないで!」

「ほう、健全ってどんな夢だよ」


 花梨は水無月に平手をお見舞いしつつも、

 

「あたしの夢は主にラブストーリーね。でも、不健全な内容を一切含まない清いものよ」

「おう……」

「あたしの夢を話すとね――」



 緊急事態にもかかわらず、花梨は静かに語りだした。

 

 

「場所は学校。誰もいない教室で本を読んでいると、登校してき同級生のイニシャルS君が、あたしの座る席に近づいて声をかけてくるの。


『今日って学校は休みなのか?』と。


 教室が空だから不審に思ったそうよ。だからあたしは、休み、とそっけなく答えるの。

 すると彼は愕然とした顔をしながらも、

 

『休みであるなら、お前はどうしてここにいるんだ?』


 と首を傾げて訊いてきたの。

 

『家にいると騒がしくて本が読めないから、静かなここへきたのよ』


 それを聞いた彼は、休みなら帰ると言ってさっさと教室を出て行ったの。

 これで落ち着いて本が読めるとせいせいしたのだけれど、気が付くと彼は自分の席に座っていたのよ。

 

『帰っても勉強しろとうるさいから、俺もここで本を読ませてもらうよ。いいか?』


 苦笑いで訊いてきたから、

 

『どうぞ、ご勝手に』


 と、またそっけなく答えたわ。

 

 あたしね、男性と話す機会が少ないから、すごく動揺していたと思う。でも彼はね、そんなそっけないあたしに嫌な顔一つしなかった。むしろ素敵な笑顔を向けてくれるの。あたし、村での地位が高く、強いお面を持っているがゆえ、人を遠ざけるの。でも彼はその現状を気にも留めない。あたしを特別視せず、かといって怖がるわけでもない。

 

 その実、転校生という付帯事項が付くけれど、だからといってあたしの素性を知ってもなお、接点を希薄としないその優しさ。

 

 その日の夜、彼との出来事を母に話したんだけれどね、なんと母の命の恩人である息子、という事実が浮上したの。

 その事実を聞いてあたし、彼にますます興味をもつようになったの。

 

 そしてしばらくしたある日、彼とあたしの物語が進展を迎える出来事が起きるのよ」

 

 

 花梨の語る夢は、まるで現実でもなぞっているかのようであった。

 

 夢の中くらいはっちゃけろよ。

 俺なんてエースパイロットとして巨大ロボットに搭乗して、地球外生命体と激戦を繰り広げる夢を見てるってのに。

 

「あたしね、図書室で寝ている彼の唇を奪うの。彼に対する想いがどうしても抑えきれなくて、つい……ね。その口づけを何度も交わすうちに、タガが外れて、そして……」


 まだ続くのかよ。

 というかその夢、不健全な方向に爆進中じゃないか。

 

  

 


 夢の話をしている場合ではないと自身にツッコミを入れつつも、一向に目覚める気配のない水無月をどうしようかと考えあぐねる。

 この悩んでいる時間も惜しい。彼らは目前まで迫っており、俺達はこの場から脱出するべく体勢を整えなければならないのだ。

 

「ねぇ、優里奈にお面を被せてみてはどうかしら」


 花梨は水無月のお面を引っ張りあげた。お面のゴムが伸び、水無月の頬に食い込む。

 

「どのお面にも拒絶反応は起こるから、その刺激によって目を覚ますかもしれないわ」

「なるほど」


 それは妙案だと反応を示すと、花梨は早速、水無月の顔面にお面を装着させた。

 おそらく夢の中ではさぞ大変なことになるだろうが、少し辛抱して欲しい。

 

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 案の定、水無月は喉をかきむしりながら低いうめき声を上げる。

 平たいソファから転げ落ちんがごとく暴れるものの、しばらくしてそれはピタリと治まった。

 

「こ、こ、こんな酷い事をされても、私は俊くんが……。むにゃ……」


 わざとと思えるほどに全然起きない。

 いよいよどうするべきか判断を迫られるその時、廊下から二組の足音が響いた。もう水無月が起きるのを待ってなどいられない。 

 

「仕方がない」と、俺。

「どうするつもり?」

「水無月を担いで脱出する」

「そ、そうね……。全く、この子ったら肝心な時にはいつも……」

「文句は後だ」


 俺は水無月の両腕を肩に回し、勢いをつけて背に担いだ。

 小柄な容姿に似合わず、意外に重くて蹌踉めいてしまったが、背中に広がる柔らかな感触が至極の心地よさを与えてくれたおかげで、何とか踏ん張ることに成功。


「俊。鼻の下が伸びているわよ」

「まじで?」

「あら、本当に伸びていたようね。最低」


 花梨が粘ついた視線をよこしてきたので、俺は、


「誂うのもいい加減にしろ」

 

 と緩みそうになる頬を引き締めて答えた。もうすっかりいつもの花梨に戻ったようだ。

 

 

 

 


 足音は徐々に大きくなり、男たちが間近に迫っていることを身にしみて感じさせる。

 俺と花梨は息を殺し、図書室の扉を薄く開いて廊下を覗いていた。

 

「彼らが化学室に入るのを見届けてから脱出――でいいのね?」


 花梨の呼気が荒くなる。経験者だろうけど、この緊張感は共有しているようだ。

 

「そうだ。念の為にお面を被っていよう」


 俺達二人が面をかぶり終えると同時に、廊下に現れた男二人の姿。金髪と坊主の二名。

 彼らは図書室を気にする素振りも見せずに、一直線に化学室まで歩んでいく。

 

 予断の許さない状況ながらも、俺は心底胸をなでおろした。

 

「奴らが化学室に入ったらサインを出す。それまで待て」

「はい」


 ゆっくりと歩む金髪一行の姿が徐々に小さくなり、俺の頭の中には図書室からの脱出カウントダウンが刻まれる。

 このまま何事も無く時が過ぎれば――

 

「俊くん……だぁい好き……」


 俺の耳元で囁かれた、水無月のふわふわとした寝言。

 身体を稲妻が突き抜けたような衝撃が走る。俺は水無月の放った言葉に衝撃を受けたわけではなく――

 

「今のは何だい?」


 金髪がこちらを振り返った事に対して衝撃を受けた。

 恐るべき、地獄耳。

 

 花梨は慌てて水無月の首を腕で締め上げるが、時既に遅し。

 金髪は図書室へと振り向くと、目を眇めてこちらをじろりと睨めつけてきた。

 

 頼むから化学室へ向かってくれ。

 頼むから化学室へ向かってくれ。

 頼むから化学室へ向かってくれ。

 

 願掛けのように、幾度と無く心の中で願ったものの、俺の願いは都合よく天へと聞き届けられるはずもなかった。

 

「う~ん……。先に図書室から見て回ることにしようか」


 金髪が微笑んでから、先頭を切る。

 彼らの行く先が図書室へと変更されてしまった。

 

「もうバカ!」


 水無月に対して小声で憤りを見せる花梨だが、そう腹を立てた所で事態が好転するはずもない。

 見通しの甘さに苦く思うが、悲観もしていられない。

 

「す、すまん作戦失敗だ……」


 花梨の手を引くと、


「身を隠すぞ」

「もう、本当にこの寝坊助は! 起きたらタダじゃ置かないわよ」


 図書室の出入り口から一番遠い場所に位置する本棚に移動すると、息を殺して身を潜める。

 時同じくして、ガラッと図書室の扉が開き、金髪達が図書室内へと足を踏み入れた。

 

「もしかしてここにいるのかい?」


 金髪の厭味ったらしい声音が図書室内に響き渡った。

 パタンと扉の閉まる音がそれに続き、二つの足音が方々へと散る。

 

 二手に分かれて散策するようだ。

 俺達がここに隠れている事をわかったうえでの行動だ。

 

 ここは比較的大きな図書室だが、出入り口は一か所。

 花梨の力で坊主の物質転送は食い止められるだろうが、金髪の力が分からない以上、下手な行動はうてない。

 俺は花梨の横顔を覗く。

 

「日向……何かいい考えはあるか?」

「……そうね。本棚を使って二人を追い払いたいところだけど、あの坊主頭の男には有効かもしれないけれど、純矢の前ではあたしの力は無力だし……」

 

 純矢。

 おそらく金髪の名前だろう。

 なんだろう。苗字ではなく名前でよんだことが、たまらなく不愉快に感じられた。

 

「……そっか。水無月の力を使えば、少なからず奴らを足止めできるのに……」


 感覚器官の掌握。

 その力こそ図書室から抜け出せる唯一の方法なのに、水無月は……。

 

 俺達が身を潜める本棚の反対側から、足音が聞こえた。

 全身が粟立ち、呼吸が浅くなる。

 

「ふむ。面白い本はなさそうだね」


 純矢の声だ。

 もっとも来てほしくない人間が、本棚を挟んだ向こう側にやってきている。

 最悪だ。頼むから起きてくれよ水無月。この部屋を黒くして活路を見出してくれ。頼む!

 

「ッ!」


 花梨は痺れを切らしたのか、奴らに向かって一歩足を踏み出そうとした――が、その一歩のタイミングに合わせたように、異変が起きた。

 

「ほう」


 純矢の吐息が聞こえた。

 

「漆黒か。篠笛が聴こえ、見えるもの全てが黒くなるって事は……僕は視覚を操られているんだね。面白い。伊勢俊と名乗る人間のお面は無能力。彼の力ではないとしたら――協力者がいるのかな?」


 脳が一回転した様な衝撃を覚えた。

 どういうことだ?

 

 担いでいる水無月に横目をやるが、俺の肩に顔を乗せて眠りこけたまま。

 

「日向。これって水無月の力が彼らに作用したって事か?」


 問うと、花梨は被っているお面をゆっくりと外す。不思議そうに眉根を寄せていた。

 

「そうみたいね」

「眠っていても、力は使えるのか?」


 花梨は更に眉根を寄せて厳めしい表情を作ると、鷹揚に首を左右に振る。

 

「じゃあこれって、まさか」


 花梨に考えを伝えるまさにその時――

 

「田辺―!」


 純矢が絶叫した。その大音声に驚き、身体がビクリと震えた。

 

「話は後だ。今はここから出るぞ」


 言った俺は、本棚の端から純矢がいる場所に顔を覗かせる。

 彼は本棚に手をつきながら、千鳥足で窓辺へと向かって歩いていた。そっと体を這い出して彼に姿をさらすが、俺に反応を示さない。

 

 やはり感覚器官が操作されているようだ。

 

 俺たちは出口へと駆け出した。





 廊下を駆け、差し掛かった階段を転げ落ちる勢いで下る。

 

 そんな忙しない中、小走りで前を行く花梨に向かって先ほどの『まさか』をぶつけてみた。

 

「今の足止めで使われた力って、水無月の力だよな? けど、それは水無月の力であっても、水無月が使用した力ではない、ということだよな?」

「そういうことになるわね」

「でもさ、お面の数だけ願は掛けられており、一つとして同じものはないんだよな?」


 えぇそうね、と花梨。

 

「だからあの力は水無月の力だが、水無月が使用したわけではないと断じる事ができる」

「何が言いたいの?」

「あの力は、俺のお面の力に寄るものじゃないかなって思ったんだ」

「……詳しく聞かせて」


 言った花梨が、鋭い視線で俺を見つめる。

 

「その前にこのお面の事について話す」


 顔面に装着したお面を外し、それを見下ろす。

 

「このお面の謂れには『祝福』と書かれていた。それはお前も見ているから覚えているだろ?」


 もちろん、と花梨は頷いた。

 

「という事は、宿っている力は祝福を与える力なのでは、と思ったんだ。だがそういった力は使える様子はないし、特別室で見たお面一覧には、祝福関係の力は網羅されていた」

「あの短時間でよく見てたわね」


 花梨は感心したように喘いだ。

 

「覚えているって言っても、祝福関係だけだがな。で、一つとして同じ力が無いと考えると、別の力の線が濃厚となる。じゃあ見方を変えてはどうかと思ったんだ」

「見方?」

「お面の謂れではなく、本質的な部分」

「もしかして、それらを使用する人間に着目した。そうじゃない?」


 思わぬ返しに、俺は上体をのけぞらせた。

 

「……すげえ。よく分かったな。さすが日向だ!」

「あ、あなたの……力になりたかったから……」


 花梨は聞かせないかのようにそっと呟き、頬をうっすらと赤く染めた。

 その言葉を不思議に思いながらも、俺は続けた。

 

「調べた所、この黒式尉は国土安穏や五穀豊穣の祝福を与える神、おきなのお面だとわかった。謂れに書かれていた『祝福』はここからきているものと推測できる。黒式尉こくしきじょうは能楽の祝言しゅうげん、五穀豊穣の演目である式三番しきさんばん三番叟さんばそうで使用されるお面だ。その三番叟は、今でこそ狂言役者が勤めるそうだが、その昔は猿楽師によって演じられていた」


「猿楽。能楽の原型ね?」


「そうだ。平安から室町時代にかけて流行した大衆芸能であり、能楽の原型となった日本の伝統芸能。猿楽ってのは、滑稽なものまねをして大衆を楽しませる寸劇だ」


 息を切らしながら階段を降りつつも、俺は続けて言う。

 

「実の所、お面の力が発動された兆候は見えていたんだ。けど、実際はそうだと気づかなかった。いや、気づけなかったといえる。本来の力とは少しばかり性格が違うからな」

「あたしもその兆候は見えていたわ。普通では起こりえない事を何度か目撃したものね」

「そう。普通では起こりえないんだ。けれど、それが起こった。坊主の顔面に直撃したアナログ時計に始まり、特別室の扉。図書室の窓。そして、今し方おこった水無月の力の発動。そのどれもが近場に居る祭り人の力だが、本人が使用した力ではない」

「そうね」


 小さく笑う花梨。

 また見せてくれた花梨の笑顔。暖かい、優しい顔。この荒んだ心に癒やしを与えてくれる、太陽のような笑顔だ。

 

「この黒式尉の力。おそらくだが、俺が思うに――」


 俺は足を止めた。

 すると先を行く彼女も足を止め、勢い良く俺に振り返る。

 花梨のツーサイドアップが、空気を含んではらりと舞った。

 

「――ものまね、じゃないかなと思っている」


 花梨は俺を真正面から見据えた。

 

「あたしもそう思うわ」


 頬は赤みを帯びて嬉しそうな笑顔を送ってくる。

 再び走りだした彼女を追いかける。

 

「俺の近場にいる祭り人の力が黒式尉に干渉するんだ。その干渉した力を利用できる」


 でも、と俺は自ら出した答えに異を唱えた。

 

「であるなら、何故その力の存在を村役場の人間が気づけなかったのか、という疑問にぶち当たるんだ。ここがクリア出来ないから、確信が持てない」

「そうね。でも、調べ方を考えてみれば合点がいくんじゃないかしら」

「調べ方?」

「ある人から聞いたところによると、お面を制作しているのは、村役場ではないらしいの」


 そういえば、『鬼神祭に係る調査研究報告』にも、それらしい文言が記載されていたな。

 たしか、『今後生産願いを出すお面』とか、なんとか……。

 

「完成までの流れとしては、村がお抱えの面打ち師に、希望する能力を伝える。すると面打ち師がその要望に見合った謂れを持つ、お面、を打つそうよ。けれど、打ち上がったお面は、この時点では無力。そこへ、神主様が願を掛けることにより、特殊な能力を持つお面へと昇華する。しかる後、お面は村へと寄贈されるけれど、神主様はお面に与えた能力を一切口外しないそうよ。ここまでがあたしが聞いた話ね」


「ほう……」


 ある人って、誰なんだろうか。

 こんなにも詳しく内情を知り得ている人間って一体……。

 

「口にしない以上、謂れに沿わない願が掛けられている可能性も考えなければならない。であるならば、村は能力を把握するため、調べる必要があるでしょう? そして能力を調べる際、おそらく単独で使用するはずよ。あれこれとお面を持ち寄って、一斉に調べることは絶対にしない。どんな能力を有しているのか判断の付かないお面なのだから、他のお面に被害が及ぶような愚は冒さないと思うの」


「たしかに」

「それを踏まえて考えると、黒式尉は単独使用では無力のようだから、能力の発見なんて無理な話。それに」

「なんだ?」

「俊って百戒でしょう……?」


 改めてその現実をつきつけられてしまい、俺は言葉をつまらせた。

 

「そのお面は、百戒専用のお面『百戒面』よ。使用頻度が極めて低いお面だからこそ、誰にもその力の存在を認められなかったと思うの。使用頻度が高ければ、おおよその能力は確認されているでしょうしね」

「なるほど。それなら納得できる」

「でしょう――?」


 花梨は言葉を、そして歩む足を止めた。

 下駄箱まで来たってのに止まってくれるなよ。


「どうしたんだよ? 早く行くぞ」

「……なによ、あれ」


 花梨が指をさす方を見ると、俺も花梨同様に足を止めるより他なかった。




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