24
四日目の鬼神祭終了を告げるサイレンが村を賑わしていた。
音が揺らいでいるせいか、この低いサイレン音は何度聴いても慣れない。
そんな不気味な信号音を背に受けながら、自宅玄関前に立って土間を見下ろしていた。
そこには鼻緒の取れかかったサンダルや踵の潰れたスニーカーと並び、母が仕事で使用している泥で汚れた黒のパンプスがあった。
ようやく母のご帰宅だ。話す気になったか。
玄関扉を締め、普段通りに自室で部屋着に着替える。手洗いうがいを済ませ、緊張の面持ちを隠してリビングへと出向いた。
到着すると、母はテーブルについており、何をする事も無くじっと前を見据えていた。まるで俺を待ち受けているかの様に見え、怯んでしまう。だが、逃げることは許されなかった。
「ただいま……」
「おかえりなさい」
四日ぶりに聴く母の声色は、いつにも増して暗い。おそらくこれから質問攻めに遭うことを憂慮しているのだろう。
俺は母の向かいの席に浅く腰を掛けた。
相手が家族である以上、前置きなど必要なく、早速俺は、
「話がある」
唐突に切り出した。にも関わらず、
「いいわよ」
決定的だった。
何の躊躇いもなく動揺も見せない。待ち受けていたのは明らかだ。
「早速で申し訳ないんだけど――」
と、話を振ろうとするも、母に先手を打たれる。
「もう、降参した?」
いきなり戦況を聞いてくるのか。
出し抜けの質問に、俺は心底慌ててしまった。
「え、えっと……。一回降参した……」
「そう。それは残念だったわね」
母は淡々としている。普段見せる明るい顔は、そこにない。
「でも、自分のお面は守り通している」
「へぇ」
微かに感嘆の声を漏らした母は、
「じゃあ一回は勝ち星をあげているの?」
「厳密に言うと、ある人からお面を一枚貰ったんだ。それを降参にあてた」
「そう。お面をくれる奇特な人がいようとは……驚きね」
頬杖をついた母はぼんやりと俺を見る。瞳の奥からどんよりとした色が浮かんでいた。
「それでどこまで知っているの?」
俺はここ数日間で得た鬼神祭に関する情報を、十分ほどかけて開示した。
「それを何処で知ったの?」と力なく母。
「図書館の関係者に知り合いがいてさ。その子に頼んで特別室の書物を調べさせてもらったんだ。村の内部資料がわんさかあって、大体の事はそこで知った」
「そっか……」
言った母は頬杖を崩すや、両手の平で顔を拭った。
「そこまで知っているのなら口外しても問題無いわよね……」
口外という事は、口止めをされていたのか?
不穏な空気を感じ取った俺の身体は、自然と強張った。母は続けた。
「この村の冠位制度には、零以下である『百戒』と呼ばれる冠位が存在するのよ」
聞いたことがあるような単語が出てきたが、思い出せない。
俺は首を傾げた。
「百戒とは、一罰百戒のことなんだけれど、知ってる? 一罰百戒っていう四字熟語」
「知ってるよ。一人に罰を与えて、百人の戒めにするってやつだろ」
「そうね。正解」
「その一罰百戒だか百戒だか知らんが、いま話している事と何の関係があるんだ?」
会話の流れで唐突に差し込まれた四字熟語なので、疑問に思うことは仕方がない。
「そうよね。気になるわよね」
「もちろん」
母は盛大に溜息をつくと、口元を引きつらせて笑顔のような表情を作った。
「百戒は、村が定めたルールを破らなければ与えられる事の無い冠位。例えば、殺人や放火などの重い罪に対してであったり、村に対する反逆行為も百戒に該当する。村外の人間を連れてくる事もそうだし、逆の場合も、そう。『村から出ていく』、という行為ね」
「ん? なんの話しを……してんだ?」
「今回の場合、『村から逃げる』という行動に対して百戒が下されたのね。百戒が決定すると、ルール違反の度合いに応じて、与えられる量刑は変わってくる。今回で言うと、村から逃げ出した者を連れ戻し、その者の子を祭りに強制参加させる。その『子』に鬼神祭に関する一切の情報を与えてはならず、自由にさせる。何も分からないのだから、早い段階で降参することは目に見えているわよね……。率直に言ってしまえば、降参を他の祭り人に分配させる事が目的――」
「ま、待ってくれ。話についていけない」
俺の静止に構うこと無く、母は続けた。
「お面を獲得出来ないのだから、百戒は継続されるの。そして、百戒である以上、村での行動は極端に制限される。そればかりか、百戒は公示されるから、それを知った村人から村八分のような不当な扱いを受ける……」
「え? ……え?」
「長くなったけれど、早い話が、裏切り者への罰……ね」
母は言葉を区切り、顔をしかめる。
「一罰百戒という名の『見せしめシステム』。そして、それを担う冠位が、百戒」
それを聞いて、寒くもないのに全身が総毛立つ。本能が、これ以上聞くな、と生体反応で示したように思えた。
だが、そんな不穏な言葉を聞き過すほど、俺はマヌケではない。
「なんだよ。その物騒なシステムは」
「そうね。物騒ね。だからこそ、その言葉に意味が生まれてくるのかもしれないわ。恐怖を感じなければ、ルールに従うものなんて誰も居ないでしょうしね」
「物騒なシステムって事は理解したが、それが俺達と関係があるってのか?」
母は閉口した。不安が瞬く間に膨れ上がる。
「黙ってちゃ分からんよ。そのシステムが俺達と関係があるって言わないでくれよ?」
母は黙りこんだままだが、俺は怒鳴る勢いで続けていった。
「なぁ、母さん。何か言ってくれよ!」
声をかけ続けるが、母は押し黙ったまま。
しばらく母を問い詰め、俺の膨れ続けた不安が弾ける、まさにその時。
母はこうべを垂らし、消え入りそうな声で呟いた。
――ごめんなさい。
「は?」
身体の芯が一瞬にして凍りつくような寒気を覚える。
「待ってくれよ、母さん。冗談だろ? 笑えない冗談はやめてくれ」
「ごめんなさい……」
母は身動ぎせず、テーブルに視線を落としている。
「……やめてくれよ。冗談はやめてくれよ。全く笑えない」
「そうね……。冗談と言ってあげたいけれど、それは出来ない……」
「……嘘だろ? なぁ、嘘だろ」
『一罰百戒という名の見せしめシステム』という言葉が脳内をめぐりめぐる。
突然の引っ越し。
鞄の中に押し込まれていたお面。
強制参加の鬼神祭。
それら散り散りとなっていた点が、一本の線で結ばれた瞬間であった。
「嘘だろ。嘘だろ。嘘だろ! まさか、その見せしめってのが――」
俺は両手で頭を抱えた。
母は悲しげな目をし、そっと瞼を閉じる。
「そう。村を逃げ出した者が私。つまり貴方は現状で冠位零以下の百戒」
「うそ、だろ……。冗談、だろ……」
俺たち一家がこの村に関り合いがあるからこそ、俺は鬼神祭に参加しているんだろうなと予想していたが、まさか見せしめとしての参加だったとは夢にも思わなかった。
「あぁ――」
俺の口からは、自然とため息が零れた。
「だからこそ、俺のお面には力が無いのか。力があったのでは見せしめとして機能しないから……」
「そうね」
母はそう言い切ると、テーブルの木目を指でなぞる。
「見つかるはずがないと思っていたのに、気がついた時には村側に引っ越しを強行されていて、貴方を連れだされていたの……。でも、言い訳をするつもりはないわ。お母さんを責めてちょうだい……」
「……」
「ごめんなさい……。あなたを辛い目にあわせてしまって」
村の行動は、常識を疑うものであった。だが、村の横暴に怒りがこみ上げてくるものの、それ以上に落胆の方が先に立つ。
俺のお面が改めて無能力であると証明されたからだ。
一縷の望みを掛けていただけに、心の拠り所を失った喪失感は極めて苦痛であった。
けど、それでも俺は諦めきれなかった。
無駄な足掻きかもしれない。学習しない大馬鹿野郎だとそしられるかもしれない。
でも、だけど、どうしても諦めきれない。
俺の使用する黒式尉にだって、他のお面と同じように拒絶反応があるのだから……。
「俊? 大丈夫?」
黙り込んでいると母が俺の顔を覗き込んできた。心配げな面持ちだ。
「あ、あぁ……ごめん。大丈夫だよ」
「ごめんなさいね……」
「もう謝らないでくれ。母さんが悪いわけじゃないんだからさ」
逃げたと言っても罪を犯して逃げたわけではなく、何らかの事由で逃げざるを得なかったのだろう。おそらく鬼神祭が関係している。警察が絡んでいない事が何よりの証拠だ。
俺は大きく息を吐きだして無理矢理にでも気持ちを切り替えた。
沈んだ気持ちのままでは、母にいらぬ心配をかけてしまう。それに母は悪くないのに、謝られてばかりいては気が滅入る。
動揺する胸中をねじ伏せて、適当に見繕った質問を投げかけた。
「見せしめってことは、俺はこの村出身なのか?」
母も俺と同様に大きく息を吐きだした。手元が震えている。
「えぇ。出身はこの村であることに変わりはないけれど、貴方が随分と幼い頃だから、この村で育ったというわけではないわ。私とお父さんはこの村で生まれ育ったけれど」
「まさかとは思うが、父さんは見せしめとして殺されたって事は無いよな?」
俺が物心つく前には、既に父は他界していた。
父が俺に残したものなんて、何もない。一緒に写った写真すらない。
何一つ父の事をしらないからこそかもしれない。
ふと、父の死因が見せしめと関係しているのでは、と疑問が浮かんだのだ。
母は何かを飲み込むように息を止め、しばらくして静かに息をついた。その態度をみて、胸中がざわつく。
「異常な村だけれど、流石にその一線は超えないわ。十年前のちょうど今頃ね。守司の最中に事故に遭って亡くなったのよ」
その答えに愕然とした。見せしめとして殺されたわけではないにしろ、鬼神祭に関わった結果の死である。
それは十分すぎるほど、俺にショックを与えた。
「また鬼神祭か。この村はどこまでも非道なんだな……」
事故に遭ってと聞いて、ひとつ思うことがあった。
事故と言っても様々だが、何が原因なのだろうか、と。
特別室で拝見した守司の記述には、
『祭り人では対処しきれない状況への対応、および戦闘の後処理を担う』
と記されていた。であるなら、祭り人では対処できない何かが起きたのだ。
それは一体なんだ?
「事故って言っても色々とあると思うが、それは祭り人では対処しきれない事情が発生したのか? それとも、車が飛び込んできた様な予期せぬ事故だったのか?」
「そうよね。普通は気になるわよね」と、か細く言う母。
含みを持たされると、俺にとって望ましくない話であると言っているようなものだ。
「またそれかよ。なんだよ、聞かせたくない話なのか?」
意外なことに、母は小さく首を左右に降った。
「いえ。あなたは聞いておくべき話よ」
「じゃあ教えてくれよ」
「えぇ」
母はコクリと頷くと、躊躇を見せず、
「戦闘に巻き込まれたのよ」
「ま、巻き込まれただって?」
「良い噂を聞かない子の守司中に戦闘に巻き込まれ、その子の力によって消されたの」
脳に強い衝撃を加えられた感覚を覚えた。何かを口に出そうと思ったが、声が出ない。
「守司につく前に、役場の方からは危険だと注意喚起されていたんだけれど、お父さんはね、自分も鬼神祭経験者だから大丈夫だ、と譲らなかった。少し無鉄砲なところがある人だったから心配でならなかったけれど、案の定、といえるかもしれないわね。監視対象者一名に対して守司二名での特別監視であるにも関わらず、お父さんだけがあの世に旅立ってしまったの。馬鹿よね。あの人。どうして私達を置いていったのかしらね」
でもね、と尚も母。
「私はそんなお父さんを誇らしく思うわ。そして、一緒になれた事を心より幸せに思う」
「それのどこが誇らしく思えるんだ? 幸せに思えるんだ? 忠告を聞かない大バカ者じゃないか!」
うつむいてテーブルを見つめる母の瞳は、涙ぐんでいた。
「お父さんが消されるに至った理由が、巻き込まれたパートナーの救出、だからよ。正義感の強い人だったから、ヒーローになったつもりでパートナーの守司を助けたんでしょうね。馬鹿なことをしてと思うかもしれない。けれど、素晴らしい人だったと言えるわ」
「……」
言葉が出なかった。
――それを先に言って欲しかった。
少しでも父を愚か者だと思った自分自身に……酷く失望してしまった。
でも、その出来事が見せしめにつながってくるの、と母は苦く言う。
「どう繋がるんだよ」
「守司が亡くなる事は極めて異例らしいの。でも、私のお父さん、つまり貴方のお爺ちゃんも守司中に死亡した事実があったからこそ、この村にとどまっていれば、貴方まで消えてしまうのではと恐れて……、だから、俊を連れてこの村から出て行ったのよ……」
「……そんな状況に置かれたら、誰だってこの村から出て行くだろうさ」
やはり村から出て行った理由は鬼神祭か。
何だかもう、感情の持って行き場がない。
「ごめんなさいね。こんなお母さんを許して」
母は今にも泣き喚きそうに顔を歪めた。
「だから、母さんは謝るような事は何もしていない。それに、俺は絶対に負けないから」
眉根を寄せて唇を噛みしめる俺を、母は憐れむ表情で見つめてきた。
「どうして負けないと言い切れるの。俊まで私を置いていく気?」
俺は手のひらを母につきだした。
「俺は何があろうとも、最期まで抗うつもりだ。それに前年度、地位九の頼りになる仲間がいるから心配は無用だよ。さっき話をした『お面をくれた人』ってのがそいつだ」
母は目を大きく見開いた。酷く驚いているようだ。
「お面を貰ったって話は本当だったの?」
「あぁ。嘘を言っても仕方がないだろ」
見開いた目を細め、椅子の背に体を預けた母。
「それが事実であれば、実に頼もしいわね」母の表情から小さな笑顔が取り戻る。調子を戻しつつある事が嬉しく感じられた。「そんなレアな子が仲間になってくれたって事は、その子の弱みでも握っているの?」
「失礼だな。そんなことはしないぞ。でも仲間と言っても、俺は彼女の獲物らしいんだけどね。自分が降参させるまで、俺を生かしておくんだとさ」
ふぅんと鼻を鳴らした母は、口元をにやつかせて、いやらしい笑みを浮かべた。
「彼女って事は、女の子なの?」
「昨日、ツーサイドアップの小柄な女子が、俺を訪ねて家にきたでしょ? その子だよ」
母は考えこむように唸り、天井を見つめた。
目が赤く、涙の跡が目尻に浮いていた。
「ツーサイドアップの小柄な女子? もしかして大きなバスケットを持ってた子かな?」
「うん。その子」
そう言えばバスケットを持っていたな。あれは何だったのだろう。
「別に無愛想ではなかったわよ。ニコニコしていて可愛い子だったじゃないの」
「ニコニコしてたの?」
「えぇ、していたわよ。あ、そうだ。あんた、自分のメールアドレスを母さんから教えてもらえって酷いことを言ったらしいわね」
はい? そんなこと言ってねぇ。
「日向のやつ、そんなデタラメを言ったのか?」
テーブルに身を乗り出すと、母は目を丸くして俺を見やった。尋常ではない驚き方だったので、大げさすぎたかなと反省した。
「ねえ。今、なんて言った?」
母は硬直した状態でそう尋ねてきた。
「誤魔化すなよ」
「いいから」
母も俺と同様にテーブルに身を乗り出す。母の顔が間近に接近したので慌てて離れた。
「ひ、日向のやつ、そんなデタラメを言ったのか――だったかな?」
「そうそれ。ねぇ、その子ってヒナタって言う名前の子なの?」
「突然なんだよ?」
いいから教えなさい、と目を剥く母。
「そうだよ。日向花梨っていう子だよ」
「日曜日の『日』に、向かうとかいて、ひなた?」
俺は母の気迫に押され、椅子に腰をかけ直しながら「そう」と呟いた。
すると母は、ガクッと顔を伏せた。顔面から感情が消えている。
「日向花梨ちゃん……か」母は長い溜息を零す。「これは逃れられない運命なのかもね……。逃げても、逃げても、逃げても、逃げても、追いかけてくる運命……」
「運命? 何の話をしてんだ」
「お父さんと同じ運命は辿ってほしくない。けれど、逃れられないのであれば、最後まで男でありなさい。お父さんがそうしたように、俊もその時がきたら――」
――彼女を守りなさい。
母は再び目に大粒の涙を浮かべると、優しく微笑んだ。
そんな母の姿に疑問を覚えていると、彼女は台所へ向かうや、
「食事の支度をするわ」と勝手に話を切り上げてしまった。
「まてよ。どういうことだよ。意味が分からねえよ!」
そう叫ぶも、台所からすすり泣く声が聞こえ、母のそんな姿を見てそれ以上追求することが憚られた。
不信感に苛まれながらも、居心地の悪さに耐えきれず、俺は黙ってリビングをあとにする。
自室に入り、電気もつけずに窓辺へ向かった。
外はすっかり暗くなっている。
月の光が室内に流れ込み、陰湿なボロ部屋を神秘的に映し出した。空に浮かび上がる月は満月だ。
花梨を守る、か。
今は俺が守られている立場なのにな。
母は何を思ってあんなことを言ったのだろうか。
わからない。考えたところで答えなんて導き出せない。
ベッドに横になり縞模様に汚れた天井を見つめた。
考えるのはよそう。混乱する。
今は、鬼神祭の行方に気を向けなければならないのだ。
「あと、二勝だ」
必ずあと二勝を上げないと、地位零。いや、百戒継続だ。
そればかりか、村の見せしめシステムに計画通りやられる形となる。もはや止められない。何としてでもあと二勝を勝ち取り、見せしめという屈辱的なシステムを徹底的に破壊する。
「でも、どうやれば勝てるのだろうか……」
漠然とした不安が俺を襲った。
四章おわり




