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 息が詰まりそうな空気感を切り裂かんが如く、勢い付けて頭を下げた。


「き、昨日はごめん! せっかく時間を作ってくれたのに、逃げる様に帰ってしまって……」


 花梨は返答をよこさない。

 だが俺は続けた。

 

「それに大切な話を聞かせてくれて、そればかりか俺を奮い立たせようとしてくれたのに、うじうじとして煮え切らない態度をしてしまい、さぞ苛立たせたと思う」


 変わらず沈黙している。

 俺は少し顔を上げて花梨を見やった。彼女は俺を難しい表情で見下ろしている。

 

「き、聞いてる?」

「続けなさい」

「あ、はい!」


 俺は再び頭を下げると、

 

「自分なりに考えた結果、この祭りに立ち向かおうと決心した。それもこれも、日向が俺の尻を叩いてくれたおかげだ。お前が叱ってくれなければ今頃、祭りを途中棄権していたかもしれない。だから心の底から感謝している」

「……」

「えっと……ごめんな。そして、ありがとう……。こんな俺のために」 


 感謝の気持ちで締めると、俺は顔を上げた。

 すると今度は、花梨が伏し目がちに答える。

 

「……いいのよ。あたしも少し言い過ぎたかなと反省していたところよ。ごめんなさい」


 珍しく語調が沈み込んでいる。

 

「謝らないでくれよ。日向は俺のためを思って叱ってくれたんだろ?」


 花梨は伏し目がちな顔をすっと上げる。その表情はどことなく明るく見えた。

 

「それもそうね。俊はあたしの善意を受け取って気持ちを切り替えた。それで決着ね」

「え? あ、あぁ、そうだな。本当にありがとうな」

「えぇ。もうこの話はここでおしまい」


 花梨はあっという間に話を終わらせてしまった。

 彼女が納得したのならそれでいいが、そっけない態度だから俺の気持ちが伝わっているのか分からない。

 

 だが、伝えるべき事を伝えられ、こころ新たに前進できそうだ。

 

 

 

 

 

  

 ――と、こころ新たに前進できそうなのは良いが、代わりに疲労感が押し寄せてきた。

 伝えることが出来た安堵感がそうさせるのだろう。

 

 立っているのが億劫に感じられたので、適当に選んだ本を手にして、テーブルの並ぶ読書スペースへと足を向けた。

 そして椅子に腰を掛けて早々、俺の携帯電話がけたたましい着信音を鳴らす。 

 画面を覗くと、見知らぬメールアドレスからメールを受信したようだ。

 

 件名はなく、内容は『どこ?』といった意味不明な内容の代物であった。

 

 またかよ。


『誰?』

 

 その一言を叩いて返信。するとものの数秒も経たず、受信を知らせる着信メロディが鳴り響いた。

 驚くべき速さだ。

 

『優里奈だよ! 俊くんのお義母さんから、メールアドレスを教えてもらったの!』


 お母さんではなく、お義母さんと書いた事には突っ込まないでおこう。

 それよりも、母さんからメールアドレスを聞いたってどういう事だ? 

 

 家族の俺ですら、ここしばらく母さんと会えていないのに、花梨といい水無月といい、この二人はタイミングが良すぎだろ。

 

『水無月だったか。図書室だけど、どうした?』


 返信した後、水無月優里奈の名でアドレス登録していると、早速メールを受信。


『学校の図書室?』

『そうだよ』

『お弁当を作ったから、今から持って行くね』


 昨日の一件もあるので、花梨と鉢合わせることはまずいだろう。

 そう判断した俺は、


『ありがとう。だけど、わざわざ持ってきてくれなくてもいいよ』


 そう返信をしたのだが、以後、水無月からメールが送られてくる事はなかった。

 

 届かなかったのだろうか――と疑問に思っていると、花梨が横から携帯電話の画面を覗き込んできた。

 音もなくやってきたので、またしても驚愕してしまう。

 たまらず、俺は電源ボタンを押して画面を消灯した。

 

「どうして消すの。誰から?」


 何故それを聞くのか分からず、俺は首を傾げた。

 

「答えて!」

「え、あ、知り合いだよ」

「焦らす人は嫌いよ。答えなさい! 男? 女?」


 声音に威圧感がにじみ出ている。どういう理由で豹変したんだよ、この子は。

 

「お、女の子だよ」


 花梨の眉が一瞬、鋭く吊り上がった様に見えたが、気のせいだろうか?

 

「……女の子? 名前は?」


 メールの様子から考えて、水無月はここへ来るだろう。

 隠した所で花梨の怒りを買いそうなので、事実を詳らかにする事にした。面倒な事にならなければいいが。

 

「もうすぐわかることだから言うけど、水無月だ」

「水無月ってことは、優里奈? もうすぐわかるってどういう事かしら?」

「ここにくるんだと」

「どうしてここへくるの? いえ、それはどうでもいいわ。それよりも、どうしてあなたのメールアドレスを知っているの? いつ交換したの? 教えなさい!」


 花梨は立て続けに質問をぶつけてきた。別に気になる様な事でもないと思うが。

 

「日向と一緒だ。母さんから聞いたんだとさ」


 僅かに間を作った花梨は、

 

「……そう。それなら仕方がないわね」


 そう呟きを漏らし、俺の隣の席に腰を落とした。

 

 沢山席が空いてるのに、どうして隣に座るんだ――と、遠回しに尋ねたところ、

 

「獲物を取られないためよ」


 なんだ、その理由は。

 

「もしかして、勝敗が決まった相手とも、再び闘えるのか?」

「残念ながら、再戦は出来ない仕組みよ」

「ん? だったら、水無月にとって俺は獲物でもなんでもないだろ」


 花梨は持ってきている本を開き、ゆっくりとページを繰る。

 

「油断ならない女なの」


 どういうこった。


「まぁそれはいいとして、昨日、お前は俺から手を引くって言ってなかったか?」

「聞いていない様でシッカリと聞いていたのね」


 花梨は本を閉じると別の本を手にし、背表紙を眺めながら、

 

「という事は、あなたはまだ、うじうじと悩んでいるのかしら?」

「言ったと思うが悩んでない」

「であるなら、あたしの獲物であることに変わりはないわ」


 次なる読む本が決まったらしく、花梨は本を開いて読書をはじめた。

 もう少しこう、抑揚をつけた話し方をだな……。まぁ人それぞれだからいいけど。


「そっか」


 俺は携帯電話をポケットにしまいながら、窓外に視線を向けて考えた。

 どうして花梨は豹変したんだろうか。

 

 

 

 

 

  とまぁ豹変した理由を考えた所で答えは出ないので、特別室で得た鬼神祭に関わる情報を元に、様々な考えを巡らせてみた。

 が、考えれば考えるほどに、俺のお面にも力が宿っていなければおかしな話になる事に、気がつかされた。

 

 花梨は言っていたが、鬼神祭はお面の力を利用して強者を選び抜く祭事だ。お面を持たされている以上、俺は参加者扱いなのだろう。

 ならば黒式尉にも当然、力が備わっていて然るべきである。

 

 力がないのに参加するって事は、オリンピックに飛び入り参加する程の場違いさだからだ。

 

 何らかの力を宿していると思えるのだが、けれど特異な能力が発動する様子はないし、そもそもどんな力が宿っているのか分からないから話にならない。

 実際の所は本当に力が無いのかもしれないが、どちらにせよもう少し調べる必要がありそうだ。

 

「なぁ。日向」

「なに?」

「ひとつ訊きたい事があるんだが、いいか?」


 花梨は横目で俺を覗く。どことなく訝しんでいる様子だ。

 

「……いやらしい事でなければいいわよ」


 反応に困る返答はやめてくれないかな。

 

「あ、ありがとう。えっと、どうやってお面の力を使用しているのか教えてほしいんだ」

「……お面の使い方の事?」


 語尾を持ち上げて尋ね返してくる花梨。先ほどにも増して怪訝な様子だ。

 

「そう。その使い方を知れば、この『黒式尉』の正体を解き明かせるかな、って思ってさ」


 頭上に乗せている黒式尉を見せつけるように、頭を傾いだ。

 

 力の有無を調べる術が分からないのであれば、手近に出来ることから始めるしかない。

 先人たちが既に行ったうえで『無能力』と断じているのは承知しているが、それでも俺は可能性を捨てきれなかった。

 自分自身を納得させるためにも、出来ることはやっておきたいのだ。

 

「あら。特別室の資料によると、そのお面は無能力だと判明したはずでしょう?」

「確かに判明したが、それでも可能性を信じたくてね。拒絶反応が起こるのに、無能力ってのは納得がいかないだろ?」

「あ。言われてみればそうね」


 ポンと手を打った花梨。

 

「いいわ教えてあげる」


 助かる、と俺は頭を下げた。

 

「だいたいどの力も同じだと思うわ。使い方の話をする前に、まずは、あたしが使用しているお面の名称や謂れを説明させてもらうわね。これは般若面の様に見えるけど、正式名称は赤真蛇あかしんじゃと呼ばれるお面よ。真蛇面しんじゃめんの謂れは、女性面の中でも特に罪業深く、嫉妬のあまり顔が人間の形を失って蛇と化したもの――らしいわ」


「ほう……」


「この赤真蛇面も通常の真蛇面と同様、嫉妬に狂っているのだけれど、それは殊に人間以外の万物に対して向けられているの。美しいもの。可愛いもの。綺麗なもの。麗しいもの。鮮やかなもの。眩いもの。自分より美々しいものが妬ましくて仕方がなく、壊してしまいたい。そんな強い想いが表出したお面。転じて、その万物を破壊せしめることに特化した念動力を、この赤真蛇は宿しているの」


 般若面ではなく、赤真蛇面というのか。色々とあるんだな。

 

「ここからが本題だけれど、そういった謂れを意識の片隅に置きつつ……本のページを捲るイメージをするとね」


 言った花梨はお面を装着すると、眼前に置かれた本に向かって人差し指をつきつける。

 その白く細い指先を妖艶に揺らしたかと思うと、次の瞬間、一枚一枚、丁寧にページがめくれあがってしまった。

 改めて間近で見る『力』には驚嘆を禁じ得ない。

 

「ほう……。つまり、念じるってわけだな?」

「早い話がそうね。窓を開けたい、そう念じれば――ほら、この通り」


 言葉が示す通り、ゆるりと窓が開いた。外気が室内に流れ込み、俺の体を優しく冷やす。

 

「すげえな」

「そうね。たしかに凄いお面に分類されるようだけれど、実際に使用してみると、たいしたお面じゃないと言えるわ。直接人間に対して使用することができないばかりか、一度に操れる対象が二つ以下。それに、腕や指を振る動作を必要とする欠陥品よ。こんな寝ボケたお面よりも凄いお面なんて、いくらでもあるわ」


 花梨は面を取り外すと、ふぅ、と小さく息をつく。

 花梨のお面以上に凄いお面があるなんて信じられん。まったく想像がつかんな。

 

「例えばどんなお面が凄いんだ?」

「そうね。例えば――妖怪面の朧車おぼろぐるまというお面が凄いわ。一時的に姿を消すことの出来る力を宿しているのよ。いわゆる透明人間になることが出来るの」


 男のロマンあふれるお面じゃないか。

 是非ともその方とお近づきになって、借りたいものだ。一体誰が持っているんだろうか?

 

「けれど、そのお面はあたしが頂いたわ。残念だったわね」


 どうやら花梨は、本当に俺の心が読めるらしい。気をつけないとな。

 

「変わり種だと、能面の熊坂くまさかというお面が有るわね。あれには驚いたわ」

「へぇ……それはどういった力なんだ?」

「形状や物質には関わらず、触れることの出来るものを盗むことが出来るのよ。盗んだものは即座に消失し、そして場所を選ばず取り出す事が出来る。そればかりか、盗み出す以前の状態へと回帰させる、返却、が出来る少しズルい力ね」


 盗む能力か。そればかりか場所を選ばず取り出すことが出来る。

 いわば四次元空間的な事象が絡んでいるんだろうな。もう宇宙レベルの何でもありなお祭りだな。

 

「祭りでその人間に闘いを挑まれたら厄介だな」

「非常に厄介ね。彼に触れる事が出来ないから、降参を勝ち取るのも容易では無いわ」


 彼?

 まるで闘ったことのあるような言いぐさだが、まさかな。続けて花梨。

 

「他に面白いお面は……狂言面の地狐かしら。土や泥を操って自身の義体を作り出すの」


 ホムンクルスなのか、クローンなのか分からんが、それにしても凄い力だ。

 花梨が言っていた様に、お面の数だけ力があるんだな。彼女は続けた。

 

「でもね、それはあくまでも義体。人間に似せた物体を創りだすだけだから、やろうと思えばあたしの念動力でも出来ることよ」

「お前の力も大概凄いな。今度やってみせてくれよ」

「別にかまわないけど、それを俊に見せてどうするつもりなの? まさかあたし似の人形にやましい事でもするつもり?」


 どことなく非難めいた視線を俺に送る。

 水無月が言った様に、花梨は変態なのかもしれない。

 

「どうしてそうなる。出来ると言うから、やってみてくれと言っただけだろ」

「欲しいのなら譲ってあげるわ。しっかりと愛でなさいよ」


 人の話を聞かない子だな、ったく。

 これで恥じらう素振りでも見せれば勘違いするが、何の変化も無いからバカにしてるように見えるぞ。

 実際バカにしているんだろうけど。

 

 ともかく、念じれば力が扱えるってことは理解したぞ。

 

「念じればいいんだよな?」

「そうね」

「念じる念じる……。イメージを……イメージを……」


 囁いた俺は頭に乗せているお面を装着。またたく間に目眩を引き起こす拒絶反応に見舞われるも、人間の適応力に助けられて踏みとどまる。

 目が回り、胃の内容物がせり上がる最悪な状況ながらも、目の前にある本に向かって念じてみた。

 

 眉根を寄せて、開け、開け、とそれこそ呪いでもかけるように、それを延々と脳内で念じ続ける。

 

「開け、開け。開け、開け……。開け、開け――」


 パラッと捲れるイメージを何度も何度も脳内で再生し、それを眼前の景色に投影する。

 開け、開け。

 開け、開け。

 開け、開け。

 己を信じ、そして力を信じ、ひたすらに念じ続け、想いが通じたのはそれから数分経った頃であった。

 

「おっ!」


 ページがパラパラと勢いよく捲れてしまった。

 あまりに突然の力の開花に驚き、喜々として飛び跳ね様としたのだが、現実が俺の喜びの感情を押さえつけた。

 

 先ほど花梨が窓を開いたおかげで、俺の前を涼しげな風がそよいでいたのだ。

 歓喜の色が、どす黒く変色し、口から勢いよく流れ出た。この落胆は半端じゃない。

 

「ページがめくれたから、まさか、って思ったのに……。風が……俺を惑わした」


 本に向かって突っ伏した。

 すると、花梨の小さな笑い声が聞こえた――ような気がした。

 

「残念だったわね。当然の結果、と言えるわ」

「どうしてだ?」

「一つとして同じ力は存在しないと言ったはずよ」


 俺は顔を起こすと、装着したお面を無造作に引きはがした。

 

「そう言えば、そうだったな……」

「まぁ、焦らないことよ。それに、念じ方が足りない可能性もあるしね」

「念じ方ねぇ……。なんにせよ、前提条件として、このお面に力が宿っていればの話だよな?」

「もちろん、そうね」


 花梨はきっぱりと言い切った。当たり前の話だが、言い切られると少しショックだ。

 

 念じ方と言われても、何をどう念じればいいんだろうな。 

 どんな力か分からん以上、念じようが無い。

 

 そもそも、力が宿っているかも分からないから、手のうちようがない。

 なんだろうな、この感覚。

 指先に確かな感触があるってのに、引き寄せられないもどかしさだ。

 

 あぁもう、歯がゆい。どうやって使えばいいんだ?

 

 俺はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしると、勢い良くお面を装着し、

 

「窓よ、しまれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 手の届きそうで届かない場所にある『力』という朧げな存在に苛立ちが募り、手を突き出して張り裂けんばかりの声を上げた。

 おそらく物凄い威圧感だったに違いない。視界の端に映る花梨が、目を丸くして呼吸音すら止めたからな。

 

「な、何よ。突然大きな声を出して」

「気合で力が発動するかと思って試してみたんだ」

「そ、そんな精神的なもので力は出ないわよ。それに、一つとして同じ力は存在しないと言ったばかりじゃないの。驚かさないでよ……まったく」


 俺は突き出している腕を引っ込めると、お面をとって頭をぼりぼりと掻いた。

 

「悪い……驚かすつもりはなかったんだ。力が使えないってことが悔しくて……」

「そう。力が使えない事に業を煮やして、ついに壊れてしまったのかと心配したわよ」


 ふぅと大きく息をついた花梨は、自身の小さく盛り上がった胸をさすった。

 俺はそれをぼんやりと見つめつつ、

 

「若干壊れかけているかもしれん」

「やめて。元の俊に戻しなさい」


 空笑いをして誤魔化したが、事態が変化をみせたのは笑い声をあげたすぐ後であった。

 ガララ、とサッシの触れる音が響き、それに気が付いた俺と花梨は、ほぼ同時に視線の先を窓へと向けた。

 

「え?」


 と、俺と花梨が、またしても示し合わせたように驚きの声を上げる。

 

「……」


 静まる図書室。

 

 花梨が首をひねってこちらを見たので、俺も彼女へと顔を向けた。

 花梨は目をひん剥むき、この世の終末でも見ているかのように驚愕を露わにしていた。

 おそらく俺も、とんでもない顔になっていると思う。

 

「お、おい。今の、日向か?」

「いえ、違うわ。あたし、お面を被っていないもの」


 花梨がコクリと喉を鳴らした。

 

「じゃ、じゃあ今の……」


 まさか、この黒式尉が――と、頭部のお面に手を向かわせる最中、背後から扉の開く強烈な金属音が奏でられ、驚きのあまり俺は椅子から派手に転げ落ちた。

  

「ぐわぁああ!」


 鈍い音を立てて床に転げ、転倒の拍子に打ち付けた腰の痛みが全身へと伝播する。

 

「いててっ……」


 打ち付けた腰をさすりながら、急いで図書室の出入り口扉を見やる。

 扉は大きく開かれており、そこには額に大粒の汗を浮かべる水無月の姿があった。手には包が握られている。

 

「おまたせ! 俊くん!」


 満面の笑みの水無月だが、俺の隣にいる花梨の存在に気付き、朗らかな表情が曇っていく。

 

「って、おーーーーい! 何で花梨がここにいんだよ。ついさっきメールした時は家にいるって言ってたじゃないか!」


 喧嘩腰の水無月の言葉を受けながすように、花梨は前へと向き直った。

 

「あれから用事を思い出して図書室に来たの。あなたこそどうしてここに?」

「そりゃお前、俊くんに!」


 と俺の姿を見やるや、急にしおらしい口調に変化し、

 

「しょんぼりしてるだろうから……元気を出してもらおうと思って、お弁当を作ってあげたのっ!」


 ついさっきメール? 

 花梨の携帯電話の着信音に驚かされたが、もしかしてあれは水無月からのメールだったのかな? 

 倒れた椅子を起こしながら、そんな事を想像する。

 

 花梨はどこか小馬鹿にしているように、ふんと鼻を鳴らした。

 

「あら? もしかしてそれ、昨日あたしが話した『古典的な手法』を実践しているつもり?」

「はぁ? ちげぇよ!」


 水無月は慌てたように声を上ずらせた。

 

「別にあたしの案を盗もうが、どうでもいいわ。それよりも俊のお弁当なら、あたしが用意しているから必要ないわよ。帰りなさい」


 なんだそりゃ? 初耳だぞ。

 

「はあ? いい加減なことをいうなよ! どこに持ってきてんだよ!」


 と息巻く水無月。

 

「ほら、これよ」


 傍らにある鞄を掴み上げると、そこから猫がプリントされた包を取り出した花梨。

 

「お前、弁当なんて作ったことないだろ! どうせそれ、母親につくらせたもんだろ!」

「あなたこそいい加減な事を言ってくれるわね。自分の手で作ったに決まってるでしょ」

「どーせ夕飯の残りもんか冷凍食品を入れただけの即席弁当だろ? 私なんか全てのおかずが弁当用の手作りだし、徹夜して準備したんだぞ! お前とは力の入れ方が違う!」


 どどっと乱暴な足音を立てて俺に近寄る水無月。

 そして弁当を俺の前に差し出すと、

 

「はいこれ。昨日の夜からね、頑張って作ったお弁当なの。食べて?」


 語尾を持ち上げた甘えた調子で、だが、ためらいがちに水無月は言った。

 黒いロングヘアを耳にかけ、顔を赤くしながら、はにかんでいる。可愛い。

 

「あたしも昨晩から作っていたわよ。事情も知らないで、勝手な憶測を述べないでもらえるかしら? 不愉快よ」


 言った花梨は、鼻を強く鳴らして顔を背け、

 

「ま、まぁ自分のお弁当を作るついでだけど。悪い?」

「じゃあ私のお弁当の方が、愛情がイッパイこもっているわね。よかった」と水無月。

「それに反論するつもりはないわ。ノーコメントよ」

「だったら、いちいち突っかかってくるなー!」


 敵意むき出しの水無月に対し、花梨の感情はやはり一貫している。凄い温度差だな。

 

 というか、水無月が俺に弁当を作ってくれた理由はわかる。おそらくお面に対するお礼だろうからな。

 別にそこまでしてくれる必要はないのだが、ではなぜ、花梨は俺に弁当を作ってくれたんだろうか?

 

 わからん。獲物だからって理由なのだろうか?

 

 

 

 


 結局どちらを食うのかと揉めに揉め、結果、どちらも食わず家に持ち帰るという結論に至ったのだが、水無月はそれを快く受け入れてくれたものの、花梨がやたらと突っかかってきた。

 

「どうしてここで食べないのかしら。傷んでもしらないわよ?」


 花梨は眉尻を吊り上げると、憤怒の態度を示して見せる。

 怒る顔はみせるんだよな、この子。でも笑みや恥じらいは一切見せない。ぜひとも見せてほしいところだ。

 

「お腹がいっぱいでさ」


 俺は腹をさすりながら申し訳なく答えた。

 腹は減っているが、どちらを食おうが面倒なことになりそうなので、手を付けられない。

 

「間食をしたのかしら? であれば食生活を見直さなければならないわね。今度間食したリストを作りなさい。その乱れた食生活を徹底的にチェックしてあげるわ」

「花梨ー! 俊くんが持って帰って食べるって言ってんだからそれでいーだろ! お前は付き合っている彼氏の携帯をチェックする束縛女なみに酷いぞ!」


 何らかのスイッチが入ったように、突然、水無月が烈火のごとく喚いた。

 俺を挟んで言い合いを始めたので、右往左往してしまう。

 

「あら、人聞きの悪いことを言わないでもらえるかしら。そもそも付き合っている彼氏の携帯チェックが、どうして束縛に繋がるのか理解できないわ。その日、彼氏がどこで何をやったか、それらをひも解くツールが携帯電話でしょ。事件や事故に巻き込まれていないか心配するからこその行為よ。それは束縛に当たらないから、あたしはチェックするわ」

「束縛じゃないか! 私だったら、そんな事はせずと自由にさせる! ね、俊くん!」


 水無月は精悍な顔つきで、俺に真剣な眼差しを向けた。

 俺に何の意見を求めてるんだ?

 

「あなたの彼氏になる人は十分に愛情を貰えないって事ね。その点あたしであれば、寝ても覚めても、例えあたしから離れていようとも愛情を享受出来るわよ。そうでしょ、俊」


 何と答えていいのか分からなかったので、黙ったまま二人へ視線を配るだけに留めた。

 

「寝ても覚めても離れてもって、お前言ってることが無茶苦茶じゃねぇか。それを束縛というんだろ! お前は女性からの業務連絡メールすらも浮気と認定する、心の狭い女だ!」


 と、水無月は口汚く花梨をののしる。

 

「どこが無茶苦茶なのかしら。それに業務連絡なんて口頭で済む話。それを怠ってメールで連絡を取りあおうだなんて、浮気へと誘う不逞な行為よ。そんな女とは絶縁させるわ」

「それを無茶苦茶というんだ! 突然の業務変更って可能性もあるだろ。この束縛女!」


 口角泡を飛ばす水無月だが、俺を挟んで論戦するものだから、唾液が降り注いでくる。

 

「そんなことを言われるのは心外ね。浮気女」


 花梨は哀れみの色を滲ませた視線を、水無月へと送った。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」


 水無月は声を張り上げ、威嚇するように顎をしゃくった。かわいい顔が台無しだ。

 

「彼氏を束縛のない自由な環境に置いてやる事のどこが浮気女だ! こんな寛大な心を持った女は最高女というんだ! バッカヤロウ!」

「最低女の間違いね。自由と放任をはき違えているわ。それは彼氏がどうなろうが構わないと放棄している事よ。だから『あたしもちょっとくらいなら浮気をしてもいいよね』と身勝手な誘惑に負ける事になり、結果として無益な争いを生むことになるのよ。その点、あたしは彼氏を自由にさせる中でも、約束事はきっちりと遵守させるから争いは生まれない。約束という繋がりで結ばれている事で、お互いが幸せになれるのよ」


 花梨の抑揚のない冷静な対応が水無月の怒りをかっているように見える。

 

「えらそうに、なぁにが『幸せ』だよ! 約束を守らされた彼氏は息苦しいだけじゃないか。じゃあ約束を破ったらどうなるんだよ?」

「破らないわ。それがお互いの愛のしるしよ」

「愛のしるしだと? 笑わせるな! もしも、を聞いているんだよ! 答えろぉー!」

「そうね。もしも破るようなことになれば、それはあたしの愛情が薄かったことに起因するものでしょうから、普段以上に徹底した愛情を注ぐわ」

「余計に束縛するつもりだな?」

「さっきから言っているでしょう? 束縛ではないわ。つながりという名の愛情よ」


 先ほども思ったが、花梨は寒空の下で本を朗読するが如くで、水無月に至っては猛暑日に電気毛布を被って怨嗟の声をあげている程に凄い開きを感じる。

 女性の喧嘩って怖い。

 

「だめ、お前とは考えが合わない!」

「ふんっ」


 花梨は子どもじみたように、唇を尖らせて顔を背けると、

 

「考えの相違なんて、赤の他人なのだから当然起こるものよ。それにいちいち目くじらを立てるなんて滑稽だわ」


 一旦引けた顔の赤みをみるみる舞い戻らせた水無月は、

 

「滑稽なのはお前だろ! さっきと言っていることが違うじゃないか! 考えの違いで目くじらを立てるからこそ、束縛をするんだろうが!」

「それとこれとは話が違うわ。一緒にしていい話じゃない事くらい、分からないの?」


 その返しを受けて、耳まで真っ赤にさせた水無月の顔は、少しでもつつけば破裂してしまいそうに見えた。

 そろそろ止めに入らないと拳が出かねないと思った俺は、二人の口論に恐る恐る口を挟む。

 

「まぁまぁ、その辺で終わりにしろよ。喧嘩をする為にここにいるわけじゃないだろ?」

「喧嘩じゃないわ。単なる討議だから気にしないでほしいわね」


 まるで流れる雲の様な語り口の花梨だ。

 

「はぁはぁ、今日は俊くんがいるからこの辺でやめとくけど、次は覚えてなさいよ……」


 反面、グラウンドを全力疾走で走ったような疲労感をにじませるのは水無月だ。

 彼女は息を切らしつつも、壁にかかっている時計に目を向けた。

 

「残念だけど、そろそろバイトだから帰らなきゃ……」

「え? 平日なのにバイトなのか?」と俺。

「お祭りで学校が休みだから、シフトを多めに入れちゃったの。失敗しちゃった」


 荒い呼気ながらもペロッと赤い舌を覗かせ、自身のおでこをコツンと小突いた水無月。

 

「そっか。無理をするなよ」

「うん、ありがと」


 水無月は俺の眼前に顔を寄せ、

 

「それはそうとね、お面のお礼は、近いうちにさせて貰うから期待しててね?」

「お弁当だけで十分だよ」

「ふふっ。そう言うと思った。でもそれだけじゃ吊り合わないからね。楽しみにしてて」


 いたずらっぽい笑みを浮かべた水無月は踵を返すと、図書室の出入り口に向かって駆け出した。その彼女の背に向かって改めて弁当のお礼を伝えた。

 

「今日は弁当ありがとうな。ありがたくいただくよ」

「えへへっ。頑張って作ったんだから、味わって食べてよね?」


 首を傾げて科を作る水無月に心が洗われる想いでいた所、

 

「立ち止まっていないで早くバイトに行きなさい。遅れるわよ、浮気女」


 感情の隆起を見せない花梨の声。

 

「余計なお世話だー! 束縛女!」


 叫びつつ、水無月は俺に手を振りながら図書室を後にした。

 仲がいいんだろうけど、もう少し何とかならんもんかね。

 

 

 


 ようやく訪れた静寂。

 待ちに待った平穏だったが、こうも穏やかになると落ち着かないものだ。そんな居心地の悪い中で小説を読んでいると、花梨が本を閉じながら呟いた。

 

「明日は朝の七時半に迎えに行くわ。支度を済ませて待っていなさいよ」


 突然、おかしな事を言い出したぞ。そんな約束をした覚えはない。

 

「どうしてだ?」

「鬼神祭の最終日よ。おそらく、今まで様子見していた者や、なりふり構っていられない者が俊の家に押しかけてくるわ」本を閉じた花梨は続けた。「忘れてもらっては困るのだけれど、貴方はあたしの獲物なの。そのことを肝に銘じなさい」


 結局最後は、花梨に狩られることになるだろうけど、今は心強い味方だ。

 

「わかった。肝に銘じるよ」

「素直ね。いい子よ」


 花梨は俺の頭を、優しく撫でさすった。

 

 俺はお前の子供か。 

 まぁ獲物と言いつつも側にいてくれるという事は、そういう事なんだろう。

 

 思えば初日から花梨は俺の側にいた。俺の不甲斐ない態度を見ても尚、見捨てたりはせず、こうやって近くに居てくれたんだ。

 この恩はどうやって返せばいいのか分からない程に大きい様に思う。

 

 

 

 窓の外に目を向けると、夕暮れが差し迫ったオレンジ色の空間が広がっていた。

 残すところ、後一日だ。

 今までなりを潜めていた祭り人が村にあふれ出す最終日。一体、どれだけのお祭り騒ぎになるのか検討がつかないが、もう、逃げることなど出来ない。

 

 

 花梨の提案で、明日はこの学校を最終戦の地とする事となった。



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