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 結局のところ家はもぬけの殻であり、母から先に行けとのメールを受けている以上、家に留まっていても仕方がないので、小岩井と名乗る女性の車に乗る事を決めた。

 

 パリっとしたレディーススーツを着こなし、上部でまとめ上げられた髪。営業でもしていそうな利発な顔をする小岩井だが、真面目そうな外見とは裏腹に車の運転は荒く、クラクションを何度となく鳴らして乱暴も甚だしい。

 本当に車に乗ってよかったのだろうかと、いまさらながら不安を覚える。

 

「母から何も聞いていないんですが……」


 そう尋ねたところ、彼女は困った様子を示した。

 

「そうなの? それは可哀想に……。話す時間が取れなかったか、それとも忘れていたか……。どちらにせよ、酷い話ね。私が母親であれば絶対に話すんだけれどなぁ」


 俺に同情心を寄せているような口ぶりだが、車は目的の地へと向かうために進み続けていた。





 車に揺られる事二時間余りだろうか。

 

 道中、休憩をとる為に寄ったコンビニ以外は常に車に揺られており、この状況に陥った経緯を小岩井に尋ねるも、仕事の愚痴にすげ替えてしまう有様だ。

 

 当初はそれに苦笑いで対応していたが、辺りから高い建物が消え、民家が消え、人工物が姿を消した辺りで、俺の笑顔も次第に姿を消していった。

 母に送迎を頼まれただけかもしれないが、引っ越しに関わる一切の事情に触れない徹底ぶりは、薄ら寒く感じさせる。





 それから更に一時間ほど経過したと思われる。

 

 外は一寸先も見通せないほどの闇となり果て、それに加えてヘッドライトが照らす先は山や田畑のみ。信号や街灯などもない、田舎然とした風景に変貌を遂げており、俺の不安はいよいよ爆発せんがごとく膨れ上がっていた。

 もしや山小屋に監禁されるのだろうか、と、考えたくもないことを疑ってしまう。

 

「すっかり暗くなったねぇ。あ、もう少しで着くからね」


 えらく落ち着いた声色の小岩井だが、車のヘッドライトを点けなければ何も見えない道を考えると、のんきに見えるこの女性に気味の悪さを覚える。

 

 やっぱり俺、騙されてここまで連れてこられたのだろうか?

 

 そんな不安や恐怖心を抱いていると、車が大きく左へと揺さぶられ、何事かと思うまもなく停車。道路脇には宿舎らしき建造物が見え、建物の窓からは薄く灯りが漏れていた。

 

「すぐに戻るから、ちょっと待ってて」


 言った小岩井は俺を置いて車外へと出ると、光の灯る建物に向かう。

 まるで待ち構えていたかの様にそこから出てきたのは、警備員らしき衣類を身に纏う男性二名。その二人と合流した小岩井は、車に背を向けて会話を始めた。

 

 しばらくして小岩井が戻ってくると、

 

「おまたせぇ! さぁ早苗さんのところにレッツゴー!」


 この暗がりに似つかわしくない明るい声であった。

 

「あ、はい……」

「あれれ? 元気ないぞ?」

「え? えぇ……まぁ……」

「もしかして暗いから怖いのかな?」


 ここで俺が小岩井と共鳴するように賑やかな声を上げた方が、余計と怖いだろうよ。

 

「いえ、そういう事じゃ……」


 車を走らせた小岩井は、

 

「もうすぐ明るくなるから心配いらないさ!」


 言うより早く、小岩井の言葉が裏付けられる。

 

 真っ暗闇の路上に、ぽつぽつと街灯が姿を表したのだ。それは次第に数を増し、民家、高い建造物が闇の中から現れ、見えてきた小高い山を抜けたかと思うと、目の前には田舎風景ながらも、夜空を明るく照らす町が出現した。

 これには流石に面食らってしまった。

 

 例えるなら、長いトンネルを抜けると、そこは繁華街であった、と言えるほどの変化だ。

 

「あの、ここって一体どこですか?」


 尋ねると、小岩井は運転中ながらも首をひねり、後部座席に座る俺に横目をくれた。

 

「ここはね――」


 小岩井は煌々と光を放つ大きな建物の駐車場に車を停車させ、ゆっくりとドアを開けながら、

 

「――神州村だよ」

「かみすむら……ですか?」

「えぇそう。県北に位置する人口二万人ほどの村、神州村さ」


 彼女はその言葉を残して、またも車外へと出て行った。窓外に視線を向け、小岩井の向かった建物を見上げる。村の建物にしてはいささか目を見張る大きさの建物であり、二十階建てはありそうなビルだ。

 

 小岩井が不在の合間に逃げようかと考えたが、その安易な考えは無意味に終わった。

 

「おまたせ」


 扉が勢い良く開くと、やや乱暴に車内へ身体を滑り込ませたのは――小岩井だ。

 早過ぎるだろと驚きを露わにしていると、小岩井がやかましい声を上げる。

 

「いきましょー!」


 キーが回され、セルモーターが短く鳴る。エンジンに火が入り、車体が微動を始めた。

 

「あ、はい……。あの、このビルってなんですか?」


 車はスキール音をたてながら急バックし、体が前につんのめってしまった。

 

「ここは、神州村の役場だよ」

「え、役場なんですか? お役所には見えないんですが」

「市内に住んでいた君は驚くかもしれないね」


 一度だけ市役所に行ったことがあるが、この役場ほど大きな建物ではなかったように記憶している。財政的にこの村は潤っているようだ。

 

 再び車は発進し、再び町の明かりが消えていく。山へ進み、住居が姿を消していった。

 

「あ、そうだ。忘れないうちに渡しておくよ」


 小岩井が、俺に何かを投げてよこした。取り損ねて車内フロアに落ち、あわてて拾い上げる。

 それは月の光を受けてギラリと輝いた。

 

「カギ……ですか?」

「そ。君の家の鍵だよ。さっきの役場にそれを取りに行ってたの」


 役場に新居の鍵を取りに行ってた? 普通は、不動産屋か大家さんじゃないのか?

 そんな疑問を覚えていた所、小岩井が盛大に息をついた。同時にゆるやかに車が停まる。

 

「ふぅぅぅぅーー、到着! さぁ降りた降りた!」

「はい……」


 訝りながら車外へと降りると、草花の萌える香りが鼻先を掠めた。が、周囲は暗く何があるのか分からない。

 月の光で辛うじて見えるのは、田園風景と、そばにある一軒の小屋だ。

 

 って、まさか、この吹けば飛ぶような小屋が新居と言うのか?

 

「今、キミが見ている建物が、新しいおうちだよ」


 窓を開けた小岩井が、笑いを堪えるように、そう言った。

 

「こ、これが……?」 


 嫌な予想が、ズバリ的中してしまった。絶句せずにはいられない。

 

「それじゃ、私は帰るね」


 あっけらかんとした小岩井の口調に驚き、車へと振り返える。黒塗りの高級セダンは勢いよく発進すると、排気ガスをその場に撒き散らしながら走り去っていった。

 

「え……え?」


 呆然と立ちすくむしかなかった。どういうこった。俺は夢でも見ているのか?

 

 そのバラック小屋のような平屋に振り返り、しばしその外観を眺めた。

 暗いながらも、人が住めそうにないほど老朽化が進行している様は確認できる。

 外壁は崩れ落ち、家屋の周りを囲う背の高い草が余計な雰囲気作りに一役買っていた。

 こんなとこに引っ越したなんてにわかには信じられん。

 

 母さんは常々『戸建に住みたいねぇ』とぼやいていたが、いくらなんでもこれはあんまりだ。

 若干、潔癖症のある母だから、ここを選ぶとは到底思えない。

 

「だが……」 


 この状況が冗談でもドッキリでもなく、事実であることは言うまでもなかった。

 小岩井の操る車は、停まるどころか山を降りて小さくなっているのだから。

 

「……」


 もう、何も考える気になれない。

 

 とりあえずここにいても何も始まらないので、しぶしぶ屋敷の方へと足を向けた。

 生い茂った草に足を取られて転倒を繰り返しながらも、ようやくたどり着いた玄関は、すりガラスがハメ殺しにされた薄い引き戸だった。

 戸を軽く押しただけで、ガシャガシャとガラスの音が響く粗末な作りだ。

 

 解錠して玄関扉を押すと、ガラガラと喧しい音を立ててそれは開かれた。

 

 そうして土間に上がった俺は息をのんだ。

 

「うそだろ、おい……」


 外に比べて月明かりがない分、一層暗い。そして、床の至る所にシミが出来ている。

 その黒ずんだシミを避けつつ、探し当てた廊下の室内灯を点灯させると、暖色の仄暗い光が室内を陰湿に映し出した。

 すえた臭いもするし本当にここへ引っ越してきたのか怪しい。

 

 そうは思いつつも玄関からほど近い扉を開いて、俺はその場に膝から崩れ落ちた。

 

「勘弁してくれよ……」


 おそらくリビングダイニングだろう。

 

 八畳程の広さがあるこの空間には、食器棚、テーブル、冷蔵庫が幅を取っており、奥には二人がけソファに小さな液晶テレビがある。壁にはカレンダーが貼り付けてあり、その側にぶら下げてある壁掛け時計が静かに時を刻んでいた。

 

 そのどれもが見慣れたものであった。

 

 背後を振り返ると、あと三枚ほど扉がある。壁伝いに立ち上がり、扉を次々と開いていく。一枚目の扉は洗面所。その次の部屋は母の私物で満たされている。残すは玄関に近い部屋だ。

 

 向かったその部屋の扉の前に立ち、ゆっくりと開いて顔を覗かせた。廊下の明かりを室内に流し込むと、六畳ほどの部屋である事が窺えた。見覚えのある物がワンサカとある。

 

 どれもこれもが俺の部屋にあったもの。

 

 俺の部屋。間違いなく引っ越しをしている。

 室内へと入り、電灯をつける。配置も前住居と同様で違和感はないが、裸電球の照度が弱いのかとにかく暗く、そして壁紙などが薄汚れており汚い。

 

 今にも朽ち果てんが如くギシギシと悲鳴を上げる床に鞄を落とすと、重力に任せてベッドに倒れ込んだ。

 

 ベッドを通じて床が抜けてしまいそうな音をたてたが、どうでも良く感じられた。 

 おもむろにポケットから携帯電話を取り出す。案の定、画面端にある電波のアイコンは圏外を示していた。

 

 俺は深く目を閉じた。母さん。一体どうなっているんだ?


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