15
俺は水無月から勢いよく離れると、人目も憚らず身構えた。
ここでバイトをしていようが、やはりこいつも祭り人。お面を欲している。
水無月は離れた俺に一歩近づく。
「でも俊くんが嫌なら無理強いしない。お互い危険を冒すから、そこはよく考えてね」
水無月がそれなりのリスクを負うなら、こちらも対価を払わなければならん。
タダでお願いするつもりはなかったが――お面との交換条件は厳しい。
「いますぐ答えを出せ、って言ってるわけじゃないからね?」
水無月は薄く笑うと、可愛らしく首を傾けた。
お面との交換……。
支払いが大きい様に思うが、ここでその交換条件をのまなければ、お面の手がかりは遠のくばかりに思う。
こんなチャンスは二度とやってこないかもしれない。
幸い、先日花梨から頂戴した『お守り』を懐に忍ばせているから、それを渡せば、あるいは。
あぁでも……花梨に怒られるだろうな。
でも分かってくれる――はずだ。
「うぅん……」
苦心の末、考え直した俺は構えていた体勢をあっさりと解いた。
「……いいよ。資料を読み終わったらお面をあげる」
「え、本当?」
俺の体に身を寄せ、胸ぐらを掴んできた水無月は、
「本当に本当だね?」
先ほどの柔らかな表情が消え失せ、目を血走らせた真に迫る表情を作った。
「あぁ。本当に本当だ……」
水無月は俺を突き飛ばして背を向ける。
そして何やらガッツポーズらしき態度を取って、しばらくして俺に振り返った。忙しい子だな。
「ありがとう……俊くん。こんなこと初めてだから……君の事が好きになったかも……」
彼女は優しく微笑んでそう言った。
ウソでも嬉しい言葉であった。
「すぐにカギを取ってくるから三階の自習室の前で待ってて」
言った水無月は、またしても本棚の間をぬって姿を消してしまった。
その後ろ姿を見送り、俺は三階へと足を向ける。
三階へと到着すると、長い廊下の壁にはずらずらと扉が立ち並んでいた。自習室がどれだか皆目検討がつかない。
手前の扉を見ると、壁に嵌められているプレートには保育室と書かれていた。その隣は乳児室だ。
他には多目的室AとB、まだまだ部屋は存在するが、どれも自習室とは書かれていない。
自習室がどこだか分からずにウロウロとしていると、壁に立ち並んでいた一枚の扉がゆっくりと開き、そこからエプロン姿の女性職員らしき人物が姿を現した。
彼女は俺の存在に気がつくと、朗らかであった表情をしかめ、ツインテールをプルプルと揺らしながら豪然とした足取りで俺へと近づいてきた。
不審者と勘違いされたのか?
俺はその女性から視線を外し、窓辺にもたれ掛かって外を眺めているフリをした――ものの、廊下を反響していた彼女の靴音が俺の側で止まり、
そして、
「ねぇ」
低い語調で、声をかけられてしまった。
本当に不審者と思われたのかと焦りが沸き起こり、全身から脂汗が溢れ出た。
どうする?
流石に事実は明かせないし、黙っていてはもうじき来る水無月に迷惑がかかる。
じゃあどう言い訳しようか、と考えを巡らせながら彼女へと振り返った。
「あなた、祭り人ね?」
何の脈絡もなく、職員と思しき女性に闘いの宣言を下された。
俺の頭の中を埋め尽くしていた言い訳は全て吹き飛び、真っ白となる。
「は?」
ただただ茫然として女性を見つめ続けた。
彼女も彼女で敵意むき出しの眼光を俺に放ち続け、廊下は息が詰まるほどに重く、禍々しい空気感に覆われてしまう。
「ねぇ、どうなの? 祭り人なの?」
女性は苛立った様子で、再度尋ねてきた。
その威圧的な態度が、俺の白んでいた頭を叩き起こす。
待ってくれ。
花梨は言っていたが、祭り人は制服を着なければならないルールが存在する。その理由は、祭り人を識別するための手段だからだ。
しかし、この女性はエプロンの下に私服を着ているじゃないか。それだけに留まらず、お面の着用義務も果たしていない。
これは一体どういうことだよ!
「……嘘だろ?」
俺は後退った。
気が付かなかったが、彼女の後頭部には、緑色のお面が見え隠れしていた。
待ってくれ。
本当に待ってくれ。
高校生が対象という参加条件から外れている容姿だし、制服着用のルールもそうだ。
辛うじてお面は被っているが、明らかな違反の数々。
花梨から聞かされた話は、全て嘘だったのか?
「あ、ごめんごめん。驚かせちゃったかな?」
「え?」
「私は祭り人じゃないよ」
女性は口に手を当て、うふふとお上品い笑うと、
「祭り人だからって、ここで闘ってはいけません、と注意しようと思ったのよ。本がダメになっちゃうからね」
「え? ……えぇ?」
未だ事態が飲み込めず、俺は呆けたまま女性を見つめ続けた。
女性は頬を緩ませながら、再び上品に笑うと、
「だからぁ、ココで闘ってはダメよ、と注意をしただけよ」
「え……じゃあ、あの宣言は……」
「ただの確認よ。鬼神祭参加者かどうかの確認。キミに闘いを挑んだわけじゃないわ」
なんだよそれ。
腰が砕けてしまいそうなほどに、全身の力が抜け出ていった。
「注意でしたか……」
「そ。あなた見ない顔だからね。もう一度いうけれど、ここで闘っちゃダメよ?」
「分かりました。気をつけます……」
「うん! よろしい」
元気よくそう言ったツインテ職員は、俺の身体に艶めかしく指をはわせ、その場を後にしていった。
女性職員の姿が消えるまで見送った後、俺はその場にぐったりと座り込んだ。
あの質問の仕方は明らかに悪意があっただろ。
俺が祭り人だってことは、見れば一目瞭然なんだから。
とまぁ、これ以上怪しまれないためにも階段の前で待機する事にしたのだが、しばらくもしないうちに、階下より水無月の透き通るような明るい声が響いた。
なんだよ。自習室じゃなくてもよかったじゃないか。
納得行かないながらも、俺は愛想笑いを浮かべて水無月を出迎える。
「おまたせぇ」
手を振った彼女は階段を一段一段ゆっくりと上がってくる。
先ほど俺に詰め寄った勇ましい姿が嘘の様な上品さだ。あの詰め寄り方は俺の見間違いだったのかな?
水無月に手を振りかえして彼女の到着を待つ。
上りきった水無月が俺の隣に並び、
「じゃあ行きましょうか」
言って先導してくれた。
廊下をまっすぐ進み、突き当たったT字路を左へと折れ曲がる。しばらく進むとまたしても分岐があり、それを右へと進路を変えた。
道中、先ほどのツインテールの職員とすれ違った。彼女は俺に向かって手を振ったが、苦笑いでそれを返す。
「さっき、あの女性に『祭り人か?』って問われて、ビックリして腰を抜かしたよ」
女性職員が視界から消えたのを見計らって、水無月にそんな話を投げかけたところ、
「あの女性? 今のツインテールの人?」
「そう。ここで闘うなと注意を受けただけなんだが、闘いを挑まれたとばかり思ってさ」
水無月は、あぁ、とため息交じりの言葉を発する。
「それ、わざとだよ」
「え?」
「あの人、守司にかこつけて、男子高校生をからかうのが趣味らしいのよ。変態よね」
「マジで? 冗談だろ?」
「本当よ。ウソを言っても仕方がないでしょ」
しゅじってのはよく分からんが、あんなにも美しい女性が、男子高校生を誂う変態趣味があったなんて信じられん。
でも、と水無月は続けた。
「変態だからと言って侮れないわよ。あの人ね、鬼神祭上位ランカーだったそうだし」
「そうは見えねえが……」
「人は見かけによらないわ。現実として、鬼神祭最終冠位が七速だそうよ」
聞き覚えなのないワードが出てきたぞ。
俺は首をひねりながら『ななはや』とやらを尋ねた。
「あ……冠位のことを知らないのね」
困ったように笑った水無月は、
「七速っていうのは、村での活動レベルの事で、地位七とも言われているの。まぁ分からなくても良いわ。今のあなたには関係の無いことだから」
言った水無月は、「それよりも、もうすぐだから気を引き締めてね」と、話を逸らかす。
地位の存在は知っているから構わんが、どうして話を逸らしたのか疑問に思う。
「さぁ、ついたわよ」
水無月は足を止め、廊下の突き当たりを指差した。
一際奥まった場所であり、辺りに部屋は見当たらない。まるで隠し部屋のようにひっそりと佇んでいる扉がそこにあった。
扉に近づくとプレートが下げられており、「関係者以外立ち入り禁止」の一文が赤文字で書かれている。
水無月は辺りを窺いながら持参した鍵を使って解錠、室内へと素早く誘導した。
「早く入って」
二人して滑りこむように入室すると、扉を静かに閉めた水無月が室内の電気を点ける。
「おぉ……」
見回したそこは、壁に沿って本棚が並べられた二十畳ほどの書室であった。
部屋の中央には小さなテーブルと椅子が備えられており、一つだけ取り付けられている蛍光灯が室内を寒々しく照らしていた。
窓がなく、薄暗さや打ちっぱなしのコンクリもあってか、映画で見る刑務所のような空間に思えた。
カビ臭さも陰湿さに拍車をかけている。
棚に近づくと古めかしい書籍がずらりと収められていた。
一つの本を抜いて中身を見ると、目次からして期待が持てる事柄が書かれている。
『神州村環境報告書』
間違いなく、神州村の秘密がこの特別室に集結していると思える文言だ。
期待と興奮で血がたぎり、水無月がいるにも関わらず呼吸が荒くなった。
いかんいかん。水無月に変態の烙印を押されてしまう。
俺は口元を抑えながら水無月に振り返った。
「悪いな水無月。早速調べさせて――」
振り返ったそこには、ロングヘアを広げた見目麗しい水無月の姿は――なかった。




