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1 プロローグ

 携帯電話宛に、母からこんなメールが届いた。

 

 件名には『引越しが決まったよ』と書かれており、文末には笑顔の絵文字。

 そして内容は、

 

『今日の午後六時に自宅へ迎えの車が来るから、それに乗って先に行っててちょうだい』


 件名と同様、文末は笑顔の絵文字で締め括られていた。

 

 引越しが決まったというよりは、引越しました、と書いた方が適当なように思う。

 学校から帰宅し、空のリビングダイニングの中で立ち竦んでいた俺。そんな折に届いたメールだからだ。 

 

 突然のことで訳が分からなかった。

 

 今朝、家の中は荷物であふれていたはずだ。十畳ほどあるリビングダイニングの中央にはキッチンカウンターがそびえ、その隣には母子二人で使うには充分なサイズのテーブル。リビングには二人がけのソファと液晶テレビを設えており、窓辺には地味な格子柄のカーテン。そして壁には、カレンダーや壁掛け時計が貼り付けてあった。 

 

 台所もそうだ。

 

 食器棚や冷蔵庫、電子レンジといった生活に必要な物があったはずだ。俺が学校へ登校する前は確かにそこに存在していた。だが、そこにあった数々の生活必需品は、何一つとして存在していない。

 

 模様替えをしたのだろうか?

 

 そんな疑問に突き動かされ、自身の部屋に飛び込んでぐるりと見回してみた。が、部屋は疑問を解決してくれる情報を与えてはくれなかった。

 

 空だ。

 

 ここまで綺麗さっぱり消えているって事は、帰る家を間違えたんだろう――と思い至るも、フローリングに付いたひっかき傷やシール痕は見覚えのあるものであった。

 

「引っ越しが決まっただって? 俺は何も聞いていないぞ。くだらない冗談はやめてくれ」


 誰に投げかけたわけでもなく一人ぼやきながら、母の部屋を覗いてみる。が、同様の有様。生活感を漂わせる家具類は一切なく、空の六畳間が広がっていた。 

 見回れる場所は残すところ、トイレ、浴室だが、この様子だと期待はできない。

 

 俺に黙って引っ越しを決行した、という事実を受け入れられず、冗談や勘違いといった希望にすがりつきたいが、もはや誤魔化しきれない現実が俺に襲いかかっていた。

 

「……頼むから冗談はやめてくれ、母さん」


 堪りかねた俺は、震える指を強引にねじ伏せつつ、仕事中の母に電話をかけた。仕事中に電話をしてくるなと怒鳴られるかもしれないが、そんな事など知るものか。

 数回の呼び出し音の後、繋がった先は留守電であった。諦め悪く何度となく母へ電話をかけてみたものの、一向に出る気配はない。

 

「クソッ!」


 粘ついた嫌な汗が吹き出し、震える体が抑えきれずに肩を抱く様にしてうずくまった。

 

 どうして?

 

 どうして何の相談もなく、引越しをしたんだ? 母子二人だけの生活なのに、事後報告なんて――あんまりだ。もしや引っ越しとは名ばかりで俺は捨てられたのか? それとも、単に俺が聞き過ごしただけなのか? 分からない。分かんねえよ! 教えてくれよ!

 溢れ出る疑問が、極度のストレスを引き連れてくる。嘔吐しそうなほどに胃が縮み上がり、悲しくもないのに涙がこみ上げてきた。

 

「いくらなんでも酷すぎる……」


 耐え難い絶望に襲われていた所、甲高い玄関チャイムが屋内を駆け回った。空の室内だとよく響く。膝立ちとなり、リビングから見渡せる玄関に視線を送ると、再び玄関チャイムが鳴った。覚束ない足で立ち上がり、上がり框に立って応答する。

 

「はい……どちらさまですか……」

「伊勢早苗さんからのご依頼でお迎えに上がりました、小岩井と申します」


 小岩井と名乗る者は、母の名前を出してそう言った。

 

 手に持つ携帯のディスプレイを点灯すると、時刻は午後六時を示している。時間通りにやってきた小岩井を前に、俺はこのマンションから出てもいいのかどうか頭を悩ませた。


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