第一章・わたしの生まれた家は寺の中
だまっていればすむことなのに書かずにおれないこともある。
なぜなら生きてるうちにしか出来ないことだから。
どれぐらいとか
どこまでとか
正確な情報がわたしには伝わってはこないから
勝手に書いてみようか?
タイトルは
「少年時代」
まえがきとして書かせてもらうなら
わたしが生まれて17才で家を出るまでのいわば記憶の記述。
わたしという人間がこの世に生まれ出てきて
あまり話したこともない。
今
親しい友はいない。
ひとりになってみてわかる。
見えてくるものがある。
寂しさを超えて
とも少し違うような気もする
孤独はみじめと人は言う
孤独こそが自由の入り口だとわたしはしゃべる
そんなわけではじまるよ。
少年時代
私が生まれたのは昭和37年
11月26日
「嵐」のリーダー大野くんも同じ11月26日生まれ
いまだ結婚したことなく
どうやら女縁のうすい誕生日。
生まれたのは愛知県常滑市大野町「宮本助産婦院」
住んでいたのは親父が働いていた「丸茂工業株式会社」の社宅兼独身寮。
正確に言うと大家さんがいた。
たしか伊藤さんだったと思った。
今思えばかなり変わった家だった。
住所は常滑市西ノ口上げなんとかかんとか・・・
後に西ノ口住吉町に変わった。
妙見堂というお寺の中に建ってた家で
あの当時で築60年ぐらいのかなりきてる家だった。
屋根瓦などぼろぼろで
家のまえに大きな木が生えていた
反対側の
西の方にも大きな木が生えていて
夏場になると
二階が丸茂の独身寮になってて
寮生が3人ほど住んでた。
二階にあがっていく。
屋根が長ぁ~~く広い屋根で
歩くと瓦がぎしぎしきしむ。
大きな木がぬ~~~って出てる
屋根の端までいくと
でクマゼミとか油蝉が目の前でミンミンミィ~~ン
とかガシャガシャ鳴いてる。
体目いっぱい震わせて
で
手をのばして
「エイ」!ってすると
かんたんに捕れたんだよ♪
便所の便器の色は緑色だった
もちろん汲み取りだ
便所の前の窓を開けると
そこは妙見堂の墓場だった
そんなわたしの少年時代
すこし真面目に書いてみるとするか。
終わった時点で何か書くだろう。