年重ね
一年の終わりと始まりに一つ。どうぞよろしくお願い致します。
振り向くという行いに女々しさを思うのは、後ろめたさがあるからだろうか。
今年最後の酒を飲み干して、富永は湿った息を吐き出した。十二月三十一日。取り置いていたボトルを無理に空けたが、酔いが頭の中をくるくると回っている。
ことりと、小さな皿が目の前に置かれた。
ぽってりとした黄金色。遅れて湯気立つ湯飲みを添え、女将は口元に薄い笑みを浮かべた。
「……栗金団」
「おせちには少し早いですけれど」
唇をとがらせるのは、恨みがましいふりだろうか。
「年の瀬に、よく召し上がるんですもの。私のお正月が寂しくなってしまいます」
「誰かと一緒なら、気持ちも違うだろ」
「準備だけはしているんですけれど。待ちぼうけも、そろそろ焦れてきましたね」
一段と皮肉を利かせた言い草だ。
居たたまれなくて、富永は熱い湯飲みを傾けた。苦みがたつのは気まずさのせいか、彼女がそう淹れたからか。どちらにしろ、女の難しさを思い知らされる。
塩気に汚れた箸先で、栗金団を崩す。彼女の手製だろうか。舌先に乗せれば、素朴な甘さがなめらかに解けていく。どちらかといえば控えめな味付けは、出会った頃と変わらない。毎年これを食べて正月を迎える自分を想像して、富永は苦笑した。
後悔の多い自分だ。そうなるには、まだ器量が足りない。
「今年はどうでした?」
面食らった。まったく、こちらの物思いを見透かしたように問うてくる。
図星を突かれて、むっとするより苦笑が先立つのは、酔いのせいだろう。酔って鷹揚になれるのは、自分の数少ない長所だ。
「同僚が、上手いことやってさ」
カウンターに肘をつく。
湯飲みの水面へ目を落としても、濁った緑に自分の顔は写らない。せめて、情けない顔をしていなければいいと思う。けれど、自信はなかった。
「んで、祝いにみんなで飲んでな。おめでとうってさ、普通に言うんだよ。俺だけ、ちゃんと言えなくてなあ」
長く息を吐いた。胸のつかえも一緒に吐き出せたなら、どれだけ楽だろう。
「そんなんばっかだよ、今年。みーんな先行って、どうしようもないのは俺だけ」
「誰だって、自分は小さく見えるものですよ」
「そんなもんかね」
ボトルが空なのも忘れて、次の一杯を注ごうとする。追加を頼むよりも先に、伸びてきた手が空き瓶をかっさらった。富永が見上げるのも無視して、女将はそっぽを向いた。
そっぽを向いたまま、彼女は言う。
「教えましょうか? 小ささを思わずに、年を越せるやり方」
短くはない付き合いだ。何を言わんとしているのか、分からないではない。
それでもあえて尋ねるのも、短くない付き合いで定まった、決まり事のようなものだった。
「教えてくれよ。どうしたらいい?」
「おだててくれる人を見つけなさいな。あなたと過ごす一年が幸せだったと言ってくれる人」
それならきっと、自分を誇って一年を終えられるでしょう。
澄まし顔の一言が、やけに憎らしくもどかしい。意味もなく栗金団を箸で崩しながら、富永はふいと余所へ視線を向けた。
「いるかね、そんな人」
「いますよ。そうして欲しいと、きちんと伝えられたなら」
「……来年は、そうできるようにがんばるよ」
「そうして下さいな。来年は」
顔を見合わせて笑った。仕方がないんだからと、彼女はそんな風に言いたげな笑みだった。
自分はどんな風に笑ったろう。富永は思った。
ぴたりと、店も、街も、ほんの一瞬時間が止まったような気がした。かちりと、時計が最初の一秒を刻む。途端に、何もかもが新しく動き出す。
「今年もよろしく」
「こちらこそ。どうぞ、がんばって」
ああ、と笑みと共に頷く。
がんばるさ。富永は胸の中で呟いた。
今年が最後を迎える日、自分のためだけに彼女が店を開かずにすむように。