8 定番の魔物
ルリエルいわく、この世界の文明は千年前からあまり大きな変化が起きていない。それはなぜか。すべては魔法の存在ゆえだ。
魔物との戦闘や戦争だけではなく、日常生活から様々な事業まで幅広く魔法が用いられている。この世界では魔法という便利な道具の存在が科学技術の発達する余地を奪っているのだ。
とはいえ、すべての人間が魔法を使えるというわけではない。魂を持つ存在ならばすべて魔力を持ってはいても、その使い方がわからない、または魔法を使えるほどではない者も少なくない。
そんな者たちのために生み出されたのが魔道具であり、これは千年の間にそれなりの進歩を見せている。その結果が、一般家庭にも普及し始めた風呂に現れていることからもわかる。各家庭に設置された魔道具で水の浄化と再利用が行われていることを鑑みると、下水処理に関しては有数の技術力を持つ日本を越えているといえるかもしれない。
だが逆に、移動手段や医療に関してはまったく進歩しておらず、地球のほうが遥かに進んでいる。
移動手段は馬のほかに力自慢のランドタートルや、数は少ないがグリフォンやワイバーンといった空のものも存在しているせいだ。船は魔道具で生み出した風を帆で受け止めて動かす方式であり、船自体が推進力を持ったものは無い。飛行機にいたっては、それが実現可能なものであることすら知られていない。
医療に関しては、手術というと傷口のごみを取り除くためのものといった程度の認識しかなく、薬にいたっては大抵の傷は治せてしまえるポーションと伝説の完全回復薬として有名なエリキシルのような魔法薬や治癒魔法に頼っているせいで地球ほど発達していない。魔法薬や治癒魔法の対価は総じて高価だが、その利便性ゆえに通常の医療技術が発達しにくいのだ。
だからといって、この世界が劣っているというわけでは決して無い。地球に比べると、この世界はとても自然にやさしい世界だといえる。
少し脱線したが、要するに金さえあれば地球並とまではいかなくとも、毎日風呂に入れもすれば病気や怪我も怖くない生活が送れるようになるということだ。当然、食事にもこだわれるようになるだろう。だが、金を手に入れるには現状冒険者を続けるしかなく、魔法が使えるのと使えないのとでは大きな差がつく。
この世界での生活にもそれなりに慣れてきた晶は時間を見てルリエルから魔法の使い方を教わっていたのだが。
「――駄目。さっぱりわからん」
『ん、それは仕方ない』
晶が行っていたのは魔法の練習をする前の段階――己の魔力を把握することだった。
魔力自体は異世界からやって来た晶も確実に持っているとルリエルが断言していたが、それと自分の魔力を感じることはまた別なのである。
ただ、己の魔力を感じることができなければまともに魔法を使うこともできないため、晶は毎日うんうん唸りながら自分の中にあるという魔力を見つけようとしていた。
『本当は子供の頃にやること。アキラは少し成長しすぎてるから、どうしても時間はかかる』
感性の豊かな幼少期は自分の魔力をもっとも把握しやすい時期だといわれている。すでに成長期も終わった晶では把握に時間がかかるのは仕方の無いことだった。
幸い、日本にいた頃と違って学校に通っているわけではないため、晶には十分な時間がある。受ける依頼はどれも町の中かすぐそばのものばかりで、戦闘時間よりも移動時間のほうがずっと長いくらいだ。依頼をこなしながらでも修行に当てる時間は十分にある。
『本当は魔法の実演ができればよかったけど……』
「魔力は魂に付随してる、か。使えないことはないが、使うと弱るんじゃしかたねえ」
肉体があれば多少弱ったところですぐに回復するが、魂のみの存在である幽霊ではそうはいかないのだった。
「ギルドカード?」
依頼を受けに冒険者ギルドへやって来た晶は聞きなれないものに首を捻った。
「ああ、お前さんのがようやく出来上がったよ」
カウンターの職員が差し出すそれは、銀色の金属プレートだ。
ギルドカードとはその冒険者の身分証として機能するものである。所有者の血が混ぜ込んであり、本人が持つとプレートに名前と冒険者ランクが浮き上がるのだ。
偽造のできない特別な術式の施されたギルドの証明印が施した担当者の名前つきでプレートに押されており、これを調べることで本物か偽物かはすぐにわかる。また、ギルドカードの証明印は一年で効力を失って失効してしまうため、定期的にどこかのギルドで依頼を受けてその都度証明印を更新する必要があるのだ。
ちなみにギルドカード以外の身分証もこれと同様の技術が用いられており、例えば騎士団の証明印は五年保つようになっている。いつどこで死ぬかわからない冒険者と国を守る騎士のその性質の違いがここに現れているといえる。
「再発行には時間も金もかかるから気をつけろよ。銀貨五枚も払いたくないだろ?」
「うげ……」
銀貨一枚は銅貨百枚の価値があり、金貨一枚は銀貨百枚といった感じで百枚ごとに一段上の価値の貨幣一枚と等価になる。それを考えると、今の晶に銀貨五枚はなかなか痛い出費だ。
ちなみに、失効したギルドカードは真っ黒になって使えなくなってしまう。そのままのランクで再登録する際には再発行と同様に銀貨五枚の手数料がかかるが、Fランクから再スタートを切る場合は手数料がかからない。
「んで、依頼を受けるんだったな? 最近は安全だったはずの街道沿いでも魔物に襲われる事件が増えてるから気をつけろよ」
「そういやブラッディーボアだったか? その討伐依頼も出てたな」
「あれは最近姿を見せていないらしい。騎士団が動いたって話もねえし、複数のパーティで挑まねえと相手にならんようなやつだから、すでに倒されたって線はないだろうがな」
Bランクのブラッディーボアは大型の魔物であり、Cランク以上の冒険者を含むパーティが複数で挑むのが基本戦術だといわれている。この町に滞在している冒険者にCランクの者は少なく、仮に倒すことができても大きな被害を出すことは避けられないためなかなか手を出す冒険者はいない。今は姿を消しているが、再び現れれば騎士団が動くことになるかもしれなかった。
クァンルサスの外れにある薄暗い雰囲気を持つ共同墓地に居ついたレイスたちを討伐してほしい、それが晶の受けた依頼の内容だった。
レイスの正確な総数は不明。半実体のアンデッドは同様の性質を持つアンデッドの体をすり抜けることができるため、一箇所に固まられると数を数えにくい傾向があるのは仕方が無い。
「だからって、これはちょっと多すぎだろ!」
『クカッ』
『クカカカッ』
『『『クカカカカカカカカカカカカカカカッ』』』
晶の目から見て三十体はいるレイスたちが物理的に乾いた笑い声を一斉にあげる。音と音が重なり合って非常にうるさい。討伐依頼にはよくその魔物による被害の報告が書かれているが、レイスのものは騒音被害が一番多いのも納得である。
レイスはホロゴーストよりも弱いが、必ず群れで出現するため脅威度は同じとされている。これまでの経験から当たれば一撃で倒すことができるとわかっているが、それでは買い取り素材である宝玉の形をした《亡霊の心臓》を回収することができない。
しかし、今回ばかりは半分以上の亡霊の心臓はあきらめる必要がありそうだと晶は早々に判断した。回収できるのはせいぜい十個程度だろう。巫女服の防御力をあてにすればすべて回収することもできるだろうが、今後も防御力を上回る魔物と遭遇しないとも限らない。先を見越して相手の攻撃を回避しながらの戦闘に慣れておく必要があった。
そして、晶たちにはもう一つ慣れておく必要があるものがあった。
「やれるか、ルリエル?」
『ん……なんとか、いけると思う』
声は聞こえども、ルリエルの姿はどこにも見えない。その代わりに晶のそばには一本の剣が宙に浮いていた。それはいつぞやに二人で選んで買った剣の一本であり、現在はルリエルが戦闘に用いる依代として機能している。晶一人で戦うよりも、剣だけとはいえルリエルが参加できたほうがずっと楽になるのは確かだからだ。
とはいえ、問題が無いわけでもなかった。
『わたしが先に仕掛ける』
「あー……まあ、がんばれ?」
ルリエルが意気揚々とレイスたちに向かっていく。剣が独りでにレイスに襲い掛かる様子はいわゆる亡霊剣というものに見えるがその軌跡はとても頼りなく、へろへろと今にも地面に落ちてしまいそうである。
これは人間が突然剣の形に押し込められ、その状態で自由に動いてみせろという無理難題に等しい行為だ。本当ならば年単位の時間をかけて少しずつ慣らしていくものなのだが、ルリエルはほとんどずっと祭壇の周辺に引きこもっていたせいでそういった幽霊にとっての基本ができていなかった。
『――あうっ』
案の定、レイスにあっさりと叩き落とされたルリエルはそのまま地面に突き刺さってしまう。
そのままじたばたと必死に抜こうとあがいているのは見ていればわかるのだが、いかんせんそれが結果に結びついてはいない。剣の形をした体というものに慣れていないせいで、どう動けばいいのかわからないのだ。
これでも浮くだけで精一杯だった初日に比べればかなりの進歩だといえるが、剣の状態でまともに戦えるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
晶は予想通りの結果にあまり驚きもせず、レイスの群れの中に身を躍らせた。アンデッドにとって天敵といえる晶の力は易々とレイスの急所を打ち砕き、次々に砕け散っていく。
『クカッ!?』
「そぉら、よっ!」
レイスの残りが十五体程度――通常の群れと同程度の数まで減ると、晶はただレイスを倒すのではなく心臓の辺りに埋まっている宝玉を回収する戦い方にシフトした。
レイスの助骨をつかんだ晶は、そのままレイスの胸部を左右に引き裂いていく。
『グカッ!? ガカカカガガガガガガッ!!』
「うるっ、せえええええええっ!!」
骨がバキバキと割れる音と共に露出した宝玉心臓を引っつかみ、レイスから一気に引き抜いていく。他のレイスたちは晶に攻撃を集中させているが、彼は器用に瀕死のレイスを振り回しながら捌いていく。
残りのレイスが亡霊の心臓を引き抜かれて全滅するのは、時間の問題だった。
『……また、駄目だった』
レイスの全滅を確認して晶によって地面から救出されたルリエルは、今回も落ち込んでいた。かつては銀の聖女とまで呼ばれた戦闘力をこれっぽっちも発揮できていないことにショックを隠せないのだ。
「まあ、そうすぐ慣れるもんじゃないしな、こればっかりは。それでも、最初に比べればずっと良くなってるじゃねえか」
『ん……このままじゃ足手まとい。もっとがんばる』
そうは言うが、たった二週間ほどでここまで動けるようになっているのは驚異的といっていい。千年間もの間を幽霊で過ごしているのはやはり伊達ではないのだ。
『――ん、アキラ、何かいる』
「何? ……俺には何も感じないぞ?」
レイスの生き残りかと思って感覚を研ぎ澄ますが、晶の霊感に引っかかるものはなかった。
『違う、アンデッドじゃない。これは……』
茂みが揺れる音がして、ようやく晶もそこに何かがいるらしいことに気がついた。霊感に引っかからなかったということは、幽霊の類ではないということだ。そして、ルリエルが警戒した様子を見せているということは。
「アンデッド以外の魔物、ってわけか」
『ん』
ルリエルの肯定に晶は腰に無理やりベルトを巻いてはいていた剣を引き抜き、臨戦態勢に移行する。この二週間でその姿は多少様になっているが、まだ最低ランクの魔物相手にしかまともに通用しないものだとルリエルからの辛口評価が出ている。
今のところ、晶はまだアンデッド以外の魔物と遭遇したことが無く、必然的に戦ったことも無い。晶の力はアンデッドにこそ有効だが、通常の魔物には通じないと考えるのが自然だ。相手次第では逃げに徹する必要があるだろう。
果たして、茂みの中にいる魔物は。
「……あれって、ゴブリン?」
茂みから顔だけ出した魔物は、緑の肌をした醜い顔の小人――定番中の定番といっても過言ではないゴブリンらしきそれだった。
まだ実物を見たことが無い晶だったが、それでもその特徴的な顔はゴブリンのそれだということはすぐにわかる。
だが、ルリエルからの返答は否だった。
『ゴブリンじゃない。あれは――』
ルリエルの返答を待たず、茂みから三体の魔物が飛び出した。
三体ともその顔は確かにゴブリンのそれだったが、ゴブリンではありえない体がそこにはあった。
ふさふさとした白い毛並みに、丸まった背中。前足はちょこんと丁寧にそろえられ、後ろ足はぺたんと地面につけられている。そのお尻には強い裂く手ぷりぷりした尻尾がちょこんと生えていた。
それは、ゴブリンの頭をしたウサギとしか表現できない魔物だった。
「気色悪っ! なんだありゃ!?」
『あれはゴブサギ。初心者が一番最初に戦う魔物の定番』
ゴブサギという安直なネーミングを持つこの魔物は世界中で確認でき、その戦いやすさから初心者にうってつけの魔物といえる。何せ基本的な動きはウサギのそれと変わらないのだから、これを相手に負けるのは冒険者にとって恥である。
その肉はウサギのものよりも柔らかく、とてもポピュラーな食材としてあちこちで使われている。晶が宿泊している宿屋でも出ていたと聞いて晶は少しだけ顔をしかめた。
ちなみにこの世界においてゴブリンは群れで活動するという厄介な性質上Dランクに分類され、その種類の多さからくる戦闘スタイルの幅広さからザコと侮ることのできない魔物だと認識されている。アンデッド以外に対しては普通にFランクの冒険者でしかない晶では戦うのは非常に危険な魔物だ。
「ギ、ギギッ」
「ギギィーッ!」
普通のウサギよりも大きい、ゴブリン頭を持つアンバランスな魔物が晶めがけて飛び掛ってくる。その脚力はウサギなどよりもずっと強く、油断していると痛烈な一撃をもらいかねない。
「うぉお!? き、きめぇえええええっ!!」
初めて見るその言い知れぬ気持ち悪さを感じる姿に、晶は半ば錯乱しながらもルリエルに教わったとおりに剣を振りぬいた。
生き物を殺すことに抵抗は無い。そうでなければ悪霊退治などできるはずも無いのだ。
リビングソードによる役に立っているのか微妙な援護を受けてゴブサギを全滅させた晶はその日、宿の夕食で出された肉を食べることができなかった。生き物を殺した罪悪感からではなく、ゴブサギの気持ち悪い顔がちらついて食欲が失せてしまったのだった。
その翌日にはもう折り合いがついて普通に食べていたあたり、晶は見た目に反して意外とたくましい男だということがわかる。それでもゴブサギの造形は晶に若干の苦手意識を刷り込んでいた。
こうして、アンデッド以外の魔物との初戦闘は多少の問題を抱えつつも無事に終わりを告げた。
ゴブサギ「ギッ、ギギィィー!(ゴブリンだと思った? 残念、俺だよ!)」
できの悪いコラ画像みたいなものを想像してもらえれば……うん、気持ち悪いっ。