6 バイオレンス・アンデッドキラー
紆余曲折のすえに晶が冒険者として正式に登録されてようやく開放された時、町はすでに寝静まり始めていた。当然ながら店はほぼすべて閉まり、ギルドからの紹介が無ければ宿にすら泊まれなかったかもしれない。
案内された宿の店主はそろそろ寝ようとしていたところにギルドからの使いがやってきて何事かと驚いていた。事情を説明して部屋に案内された晶は半日以上何も食べていないために空腹だったが、わざわざこんな夜更けに対応してくれた店主にあまり無理を言うのも悪いと思ってさっさと寝てしまうことにした。晶自身は気づいていなかったが、何の心構えも無く異世界に落ちたことと魔物との戦いで思ったよりも疲労が溜まっていたのだ。
「けど、俺だけ眠っちまうのはなんだか悪い気がするな」
『ん、気にしない。幽霊に睡眠は必要ないから』
眠る必要は無くても眠ること自体は幽霊でも可能だ。それをしないのは、ひとえに眠っている無防備な晶を悪霊から守るためだった。とはいっても、晶は眠っていても悪霊の気配に反応することができるため、絶対に必要かというとそうでもない。それでもルリエルが眠らないのは、この町の悪霊のあまりの多さを警戒してのことだ。
「でも、一人で起きているのは暇じゃないか?」
『大丈夫。誰かの寝顔を見るのは、すごく久しぶり』
ルリエルの、一晩中寝顔を見ているという宣言に晶は微妙な顔をした。
これが異世界生活初日の最後に行われたやり取りである。
ところが。
「……おい。なんで俺にくっついて寝てるんだ、お前は」
朝日が昇り始める頃、日本にいた頃よりも早く目が覚めた晶が最初に目にしたのは自分にぴったりとくっついて寝転がるルリエルの心地よさそうな寝顔だった。
『ん、添い寝したほうが自然だと思った。とても温かい』
そう言いながらぱちりと目を開く。
一体何が自然なのかと聞くと、取り憑いているのだからわざわざ離れて眠るのは不自然だということだった。それに密着していればそれだけ悪霊から守りやすくもなるというのもそれらしい理由だった。果たして、|柔らかな胸の感触がダイレクトに伝わるくらい《裸で》密着する必要があるのかはともかく。
「で、本当のところは?」
『寝ているアキラと既成事実を作ろうとしたら、何かに妨害されて無理だった。だから添い寝で妥協』
「……今度やろうとしたらげんこつな。並みの悪霊なら消滅するくらいのきっついやつ」
『っ!? わ、わかった……』
裸の色魔幽霊がビクビクしながらベッドから離れていくのをあさっての方向を見ることで回避し、晶は内心でほっとしていた。
着ている本人の意思を無視して悪意や煩悩からこの巫女服を脱がすことや穢す行為をすることは不可能であることは土地神から聞かされてすでに知っていたが、本当に効果があると晶は思っていなかった。普段から土地神にはあきれ果てていたが、今回はファインプレーと言って賞賛してもいい気分だった。
硬いベッドで眠ったことで凝り固まった体をほぐしていると、いつの間にか服を着ていた――幽霊は未練などで特定の服に縛られていなければ割りと好きに変化させられる――ルリエルから遠慮がちながらも物言いたげな視線が向けられていることに彼は気づいた。
「なんだ、何か言いたいことでもあるのか?」
『……もう夜這いはしないから、添い寝はいい?』
もしかして懲りてないんだろうかと一瞬考えるが、ルリエルの寂しそうな目を見た晶は添い寝の意味に気づいた。
幽霊には肉体が無い。それは周囲の空気の温度を感じないということでもある。暑くも無く、寒くも無い温度ではなく、本当に何も感じない。感じて当たり前のものを感じないというのは、とても強い恐怖を感じるものだ。そんな幽霊が感じることのできる数少ない温度が生者のぬくもりである。ルリエルは晶に触れることで普段は感じることのできない温かさを欲していたのだ。
それに気づいてしまえば、晶はそう簡単にノーとは言えなくなってしまう。別に誰かに見られても幽霊と添い寝をしているとバレるわけでもないため、完全に彼の裁量にゆだねられていた。
脳裏に少し前まで腕に感じていた柔らかな感触と温かなぬくもりを思い出して思わず頬を赤くしてしまう。見た目は女であっても立派な男である彼は年相応にエロく、美少女との免罪符つきの添い寝に心惹かれてしまっても無理もなかった。
「……何でもいいからとにかく服を着ろ。それが条件だぞ」
「ん、わかった……ありがとう、アキラ」
口調は変わらず淡々としたままであったが、そのとても安心したような笑顔に晶は少しずつ外堀が埋まっていくような気分を味わっていた。二日目でこれでは先が思いやられるものである。
宿に設けられた小さな食堂で保存食を中心とした全体的に固めの朝食に日本での食料事情との差を突きつけられて軽く絶望した後、晶は一軒の店へとやってきていた。
手に取るのはどれも重量一キロ弱~二キロ弱の細長い金属の塊――片手剣である。自衛用に武器を用意しておこうとルリエルと相談し、アドバイスをもらいながら選んでいる最中だった。生前は常に最前線で戦ってきただけあって、武器の目利きはとても頼りになるのだ。
防具に関してはこの世界においても最高性能といっていい巫女服があるため、新しく購入する必要性はまったく無い。強いてあげれば神器には含まれない草履の代わりに旅にも向いた革製ブーツを用意したほうがいいくらいだろう。
「ちょっと軽すぎないか? それに値段もちょっと高いな……」
『魔鉄製は普通の鉄よりも頑丈。でも、これは確かに少し高い』
「こっちはどうだ? 重さもちょうどいいし、値段も手ごろだぞ」
『それはあまり強度が高くない。値段と強度で選ぶならこっち』
二人はあれでもないこれでもないと先ほどからずっとこの繰り返しでなかなか購入に踏み切る剣を決めることができないでいた。というのも、思ったよりも金を手に入れることができたもののそれでもあまり余裕は無く、なおかつ剣を二本購入しようとしているからだ。
一本は晶が自衛に用いるためのものだが、もう一本はルリエルの戦闘用の依代である。依代が破壊された場合、取り憑いていた幽霊は通常外にはじき出されることになるため安物の剣でも問題ないといえば問題ない。
だが、戦闘に使うのならば一定以上の強度はやはり必要であり、値段の兼ね合いからそのレベルの剣を二本そろえるのは手持ちの資金では少々厳しいものがあった。かといって晶が使用する剣だけを安物にするのはルリエルが納得せず、おまけに晶のメガネにかなう剣はなかなか見つからなかった。
「刀があればそれを選ぶんだがなぁ……」
晶は以前、鉄砲で撃たれて死んだ無念で悪霊になりかけていた剣豪から刀による戦いで斬られて成仏したいという依頼を受けて土地神の監修で刀の扱い方をかじったことがあった。戦いの内容は完全な茶番であり、別に達人になるまで特訓をしたというわけではないが、それでもまったく扱ったことが無い剣よりは刀のほうがずっとマシだった。
『刀は元々打てる鍛冶師が少ない。それに見た目の印象がもろそうだから、好んで使う人もあまりいない』
この世界にも刀はあったが、そういった理由で取り扱っている店は少ないのだった。刀の切れ味はこちらでも最高峰ではあったが、反面鋭い切れ味を実現するための硬度はもろさという欠点を孕んでいる、使い手を選ぶ武器だった。それでも素材を選べば日本の刀よりもずっと頑丈ではあったが、現物がないためあまり意味は無い。
「ちなみに、値段を考えずにお前がこの店で一番おすすめするのはどの剣だ?」
『ん、あのミスリルの剣』
ルリエルが指差したのは、この店で四番目に高いショートソードだった。高いだけの武器ならば他にいくらでもあったが、それだけはルリエルが太鼓判を押す一品だった。属性付与の効果を高めてくれるミスリルを計算されつくした設計に基づいて最高峰の職人技で加工されたその剣は、ルリエルいわく一生使える剣である。
ショートソードに限らず、他の高価な武器はどれも材料だけ高価な張りぼてだと一蹴していた。命を預ける武器に関してはとても辛口な評価を下すあたり、幼く見えてもやはり彼女は立派な戦士だ。
ちなみにそのミスリルの剣を買うにはホロゴーストからあと百枚は衣を剥ぎ取る必要がある。到底手の届かないとまでは言わなくとも、時間がかかるのは確かだった。晶はそこまで長い期間をこの町で過ごすつもりが無いため、このミスリルの剣に関してはあきらめるしかない。
『いつか、もっといい剣と出会えるかもしれない』
「今回は縁が無かったな」
結局、二人は強度を優先したほどほどに安い剣を購入していった。手早く資金をためて買い換えることを全体にした選択である。
☆
冒険者ギルドでは昨夜電撃デビューを果たした変わった服装の新人美少女冒険者の話題で持ちきりだった。
脅威度としてはEランクだが、その特性上物理攻撃の効果が薄いホロゴーストをまだ冒険者にもなっていなかった少女が素手で倒したという冗談みたいな話の信憑性は最初はあまり高くなかった。しかし、その美少女がDランク冒険者であるガゾロフをあっさりと投げ飛ばした少女と同一人物であるとわかると、その実力は本物だろうと誰もが納得していた。おまけにその少女はアンデッドの性質上入手が困難なホロゴーストの衣をあっさりと何枚も剥ぎ取ってみせたというのだから驚きである。
普通の魔物に対してはまだ未知数だが、アンデッド――少なくともホロゴースト相手には無双と言ってもいい戦闘力を誇る少女をいかにパーティに誘うか、冒険者たちは金のなる美少女の争奪戦を水面下で繰り広げていた。
冒険者のランクは戦闘能力ごとにA~Fランクまでの六段階で区分され、魔物に関してはその脅威度ごとにS~Gランクの八段階に分けられている。この脅威度という部分が曲者であり、単純な戦闘力だけではない厄介な性質も判断基準に含まれている。
駆け出しの冒険者というのは例外なくFランクであり、それがEランクのホロゴーストを一人で倒すのは非常に難しいといわざるを得ない。それをあっさりやってのけた少女に冒険者たちが期待とライバル心をのぞかせるのは仕方のないことだった。
ちなみに、その少女が実は男であるという噂も一度は話題に上がったが一笑に付され、あっという間に他の話題に流されていった。
「うっ……」
テーブルを囲んで談笑していた冒険者の一人が、気分が悪そうにうめく。見れば顔色は真っ青であり、今にも吐きそうに見える。
「おいおい、大丈夫か?」
「バッカ、お前昼間っから飲みすぎだ。とっとと吐いて来い」
「いや、でもこいつ、そこまで飲んでなかったような……」
男とパーティを組んでいる仲間たちが男の背中をさする。そんな中、男と同じように気持ち悪そうにうめき声をもらすものが他のテーブルからも何名か現れ始めた。その数はだんだんと増えていっている。
はじめはみんな飲みすぎたのか悪酔いでもしたのだろうと思っていたが、次第にこれを異常だと捉えるものが現れ始めた。まだ日も高いうちからこうも連鎖的に具合の悪いものが現れるのはどう考えても異常だった。
「うっ、ぐ……なん、だ、これ……」
「気持ち、悪……っ」
「体が、重、い……っ」
「あ、あ、あ、あ……っ」
「なん、だ……? なにか……何か、いる……!?」
「う、あ、ああああああっ!!」
苦しげにうめいていた数人の冒険者たちの様子がどんどんおかしくなっていく。
そして。
『オァアアアアアアアアアアアアアッ!!』
『ルォオオオオオオオッ! コ、コロスゥウウ!!』
「ホロゴーストだと!? こいつら、ここで悪霊から魔物化しやがったのか!!」
その冒険者の言うとおり、冒険者ギルド内に突如出現した多数のホロゴーストはすべて冒険者に取り憑いていた悪霊が魔物化したものだった。元々、ある冒険者に取り憑いていた悪霊はすでに魔物化しかけており、この場にいた他の悪霊憑きがその悪霊に感化されて起こった連鎖発生だった。
悪霊に取り憑かれていた冒険者たちはみんな悪霊が魔物化する際に体力を奪われたようで誰も動けそうに無く、ギルド内は突然発生したホロゴーストたちに混乱する冒険者たちの喧騒が響き渡っていた。
この場にいる冒険者の平均はEランクであり、まだまだ駆け出しと言っても過言ではない者も多く、少ないながらそれなりのランクを持つ者たちは場の混乱に巻き込まれて中々ホロゴーストに対処することができずにいる。そのせいでホロゴーストたちの一方的な蹂躙が巻き起こっていた。
「くそっ、魔法で一気に――」
「馬鹿か!? 他の連中やギルドを巻き込むぞ! 誰か属性付与か魔剣持ちはいないのか!?」
「駄目だ! さっきの不意打ちで重症だ!」
半実体であるといっても攻撃力が低いわけではないホロゴーストは駆け出しが最初に戦うアンデッドとして有名であり、駆け出し殺しと呼ばれるくらいには厄介である。その攻撃をまともに受けては、並の装備では無事でいられない。
冒険者ギルド内が阿鼻叫喚に包まれる中、一人の冒険者がギルド内に入ってきて目を丸くしていた。これだけ騒がしい上にホロゴーストが暴れまわっているのだから驚いて当然だ。
「おいおい、なんでホロゴーストがこんなところにいるんだよ!?」
だが、この冒険者――晶にとってはここに現れたのがホロゴーストで幸いだったともいえる。何せ昨日のうちに自分の敵でないことがわかっていたのだから。
彼は混乱する冒険者たちの間をすり抜け、一番近くにいたホロゴーストの元へと駆け抜けていく。日本にいた頃はこの程度の人波の中を駆け抜けるのは日常茶飯事だったからその動作は慣れたものだ。
「っらあっ!!」
『ギョブゥッ!?』
晶の細腕がホロゴーストの鳩尾をえぐり、その衣を引っ掴む。ブチブチと魂を引きちぎりながら衣を引き剥がされていくホロゴーストはそのまま絶叫を上げながらもだえ苦しむ。
あっという間に行われた殺戮劇に周囲の冒険者たちは混乱も忘れて唖然としていることしかできなかった。
「次ぃっ!!」
『グバブッ!?』
一体目が消滅していくのを横目に昌は、早くも二体目のホロゴーストを蹂躙し始めていた。
やがて彼が三体目のホロゴーストへその暴虐の牙を伸ばす頃、冒険者たちはようやく落ち着きを取り戻して残りのホロゴーストの掃討を開始し、それほど間をおかずに沈静化に成功することとなる。
魔物を倒した後に発生するのは、入手物の清算である。通常、こういった突発的な戦闘で大勢の冒険者が参加した場合の清算は誰がどれだけダメージを与えただの、誰がトドメを刺しただので混迷を極めることが多い。
だが。
「……俺が倒した分っていっても、本当に四枚とももらってもいいのか?」
「「「どーぞどーぞ」」」
それはこの場にいる冒険者全員の声だった。この四枚の衣はほぼすべて彼が一人で倒したホロゴーストから入手したものであるためもめようが無く、すんなり決まったのだ。
もっとも、彼の見ているだけで震え上がるような、ホロゴーストに振るわれた圧倒的な暴力に当てられてしまっていたこともその原因の一つである。
腑に落ちない様子の晶は受け取った四枚のうち二枚をギルドの修繕費として寄付し、その足でホロゴースト討伐依頼に向かっていった。
半日ほど経って片付けられた冒険者ギルドに再び大量の衣を持って帰ってきた彼の姿を見て、冒険者たちはこの日から晶をアンデッドキラーと呼ぶようになったのだった。
ルリエル『ちょろい』
晶「ほほぅ……」
高ランクの冒険者って、そんなにたくさんいないと思うんですよね。連載続けているうちに強さがインフレしそう気はしてますが。