5 異世界の幽霊事情・2
クァンルサスの西門から出て外壁沿いに数分ほど歩いた先に、その場所はあった。
そこはずっと昔にある盗賊団が騎士団によって追い詰められ、最期の時を迎えた場所だという話を道中で見かけた幽霊から聞いた。そのときの怨念で盗賊たちは悪霊となり、魔物化してホロゴーストとなったのだろう。
「それにしちゃ数が少ないな……共食いでもしたか」
『共食い?』
二人は廃屋の影に隠れながら四体のホロゴーストの様子を伺っていた。
共食いとは何らかの条件を満たした悪霊がほかの悪霊や幽霊を取り込むことで強大化することである。共食いを繰り返した悪霊はだんだんと生前の姿からかけ離れていき、強い力を持った異形の存在へと変貌していくのだ。その際、元の人格や記憶は大抵失われ、なぜその怨念や未練を持っていたのかもわからなくなってしまう。
なりたての悪霊はまだ目を覚まさせることができる可能性が残っているのに対し、こちらはもう滅ぼすしか方法が無い。
なりたての悪霊といえばこの世界に落ちる直前の依頼で晶が討伐した悪霊がそうであり、あの痴漢霊は滅びを迎える寸前に成仏に成功した極めて稀なケースである。相手がドMの変態だったがため起きた一種の奇跡と言ってしまってもよく、普段の討伐依頼では悪霊がうまく成仏できたりすることはほとんど無い。
悪霊となった幽霊の怨念や未練を晴らすことで解決するケースはごく稀にあったが、それは狂ってはいても自我が残っていたからできたことだ。共食いをして自我が喪失した悪霊にこの方法はまったく効果が無いどころか逆効果になることが多い。
『……わたしも食べられる?』
「いや、あいつらよりお前のほうが格が高いし、その可能性は低いな」
『そう。じゃあ、わたしも一緒に戦う』
「それは駄目だ」
『どうして?』
晶に駄目出しされてやや不満そうにルリエルは頬を膨らませた。
霊体同士の戦いというのはお互いの存在の削りあいといってもいい。霊格の高いルリエルならばあのホロゴーストにも勝てるかもしれないが、たとえ勝てたとしてもルリエルの魂がいくらか削られてしまうのは避けられない。それに相手が魔物化して半実体化しているということがどのように傾くかが晶には予想がつかなかった。
「一緒に戦うならせめて何か依代を手に入れてからにしてくれ。お前にいなくなられたら面倒だ」
依代とは霊体が収まる仮初の肉体のことであり、有機物、無機物を問わない。
俗に言うポルターガイスト現象は幽霊が外から念動力のようなもので動かしていると考えている者が多いが、実際には幽霊が入り込んだ依代を直接動かしているのである。これにはそれなりの霊格が必要になってくるが慣れれば精密な動作が可能であり、同時に扱える依代の数や持続時間は様々な要因が絡み合ってくるため明確にすることはできていない。
ちなみに憑依対象である晶も分類上では一応依り代になるがそれは最低限のつながりであり、ルリエルが依代を使って戦おうとするならば彼の中に完全に入り込む必要がある。それは一時的とはいえ晶がルリエルになるということであり、それでは晶の力が通用するかを試すことができないのだ。
『……ん、アキラがそう言うなら』
晶の説得を受けてまんざらでもなさそうに頷いた。
袖の中にしまってある奥の手をいつでも使用できることを確認し、晶は覚悟を決める。あとは出たとこ勝負で臨機応変に対応するしかない。
晶の力が通用せず、なおかつ奥の手まで無駄となった場合は必死に西門まで逃げ帰るしかない。ホロゴースト以外の魔物が現れたときも同様だ。それができなければ死あるのみである。
「……行くっ」
廃屋の裏からすばやく駆け出す。これまでは気づかれないように慎重に移動してきていたが、そんな遠慮はもう彼には必要無かった。
接近する晶にホロゴーストたちが気づき、獲物が自分から殺されにやってきたことに歓喜する。
ホロゴーストの外見は半透明の薄布をかぶった人型のシルエットといった風体であり、しかしその両目は狂気を感じさせるどす黒い赤色に輝いている。通常の幽霊と同様に地面から多少は浮くことができるようで、重力を感じさせない動きで獲物に襲い掛かる様子はできの悪い人形劇でも見ているかのようである。
「シ、シネッ! シネェエエエ!」
「コロ、コロ、コココロスゥッ!!」
「ありきたりなセリフ、どう――もっ!!」
長い黒髪を尻尾のように振り乱しながらホロゴーストの腕をかいくぐった晶の拳が、人型の真心――心臓の辺りに突き刺さる。
並みの悪霊ならば一撃で貫通して消滅する威力を持ったそれは、しかし、晶に鈍い感触を与えるに留まった。
「っ! これが半分とはいえ実体化している強度か……さすがに硬いな」
だが、ダメージが通っていないわけではない。拳打の直撃を受けたホロゴーストは声もまともに出せないくらい苦しげにうめき、今にも霧散してしまいそうなほどに存在が希薄になっていた。もう一撃、同程度の威力の攻撃を叩き込めば確実に消滅するだろうと晶の経験が語っている。
「でも、そのまま消えてもらっちゃ困るんだよっ」
ホロゴーストたちが素手の攻撃で仲間がやられようとしている事実にひるんでいる間に晶はホロゴーストの薄布を引っつかみ、一息に引き剥がしていく。
「グギャアアアアアアアアアアアッ!?」
ブチブチと嫌な音を立てながら衣が強制的に引き剥がされていく痛みにホロゴーストがこの世のものとは思えないような絶叫を上げる。それは魂を二つに引きちぎられるようなものだが、生きている晶にはそれがどれほどの痛みか想像がつかない。ただ、残り三体のホロゴーストの目に狂気以外の感情の色――恐怖が宿っているのは確かだった。さながら、今の晶の姿は悪鬼羅刹のように映っているのかもしれない。
無理やり衣を剥ぎ取られたホロゴーストはそれがトドメになったのか、晶の手に薄布を残して瘴気に染まった本体が消滅していく。ホロゴーストの衣を手に入れる唯一の手段はホロゴーストが消滅する前に本体から切り離すことだけだが、なぜ引き剥がしたこの薄布が消滅しないのかは誰にもわからず、これからも解明されることは無いかもしれない。
(よし。俺の力は、アンデッドに通用する……!)
大抵の悪霊がたどる末路とそっくり同じ終わりを迎えたホロゴーストを横目に、晶は残りの三体へ油断無く視線をめぐらせる。ある程度の範囲内に存在する霊体ならば直接目で確認せずとも気配を感知できるが、威嚇の意味も込めての行為だ。目力というわけではないが、恐怖を抱く対象に視認されるというものは存外にその恐怖を増幅するものである。
「ギ、グ……ッ、ガアアアアアッ!」
「ルラァアアアアアアッ!」
「オ、オォオオオオオッ!!」
恐怖をごまかそうとするかのようにホロゴーストたちが叫びながら一斉に牙をむく。それは恐怖から逃れたい一心での考えなしの行動であり、そこに連携などあろうはずも無い。
「いいぜ……全部引き剥がしてやる!」
そこから先はもう、一方的な殺戮だった。
ホロゴーストたちのがむしゃらな攻撃はほとんどが回避され、偶然捉えることができたとしても神器である巫女服の防御力を上回ることができず、晶はダメージらしいダメージを受けることが無かった。
対してホロゴーストたちは晶の魔手により衣を強引に剥ぎ取られ、一体、また一体と苦痛の叫びと共に消滅していく。
結局、晶が戦闘前に抱いていた懸念はその大部分が杞憂と言ってよいものであり、四体のホロゴーストが全滅するまでの戦闘時間は五分にも満たないものであった。
『……すごく、バイオレンスだった』
なお、これが一仕事を終えて廃屋の裏に戻ってきた晶にかけられた、どこか怯えた様子のルリエルの第一声だった。
冒険者ギルドに奇妙な格好をした一人の少女(だが男だ)が再びその姿を見せたのは、だいぶ日が落ちてきた頃だった。
酒場スペースにいる冒険者の数は昼間よりも減り、カウンターは夜間の営業体制に移行しようとしている。冒険者ギルドは一応二十四時間営業だが、夜半に帰還した冒険者や国からの突発的な強制召集依頼に対応するために最低限の人員のみがギルド内に残るのだ。
晶は昼間ほどではないものの、やはり注目を集めながら買取専用のカウンターへ足を進めた。そこでは中年の男性職員が暇そうにあくびをしているところだった。
「おっちゃん、買取を頼む」
「あいよ……お、あんた噂の別嬪さんかい?」
「噂?」
「今日の昼間、ガゾロフを投げ飛ばしたんだってな。こんな美女――いや、美少女が大男を投げ飛ばすところは俺も見てみたかったぜ……って、なんか不機嫌そうだな?」
一瞬何のことかわからなかったが、投げ飛ばしたの件であのことが噂になっているのだということに思い至った。不機嫌なのは自分が男だと公言した事実が広まっていないことに対してだ。
中年男が美少女と言い直したのは、この世界の基準だと晶の顔立ちは童顔だったからだ。ギリギリ百七十センチある彼だが、その顔立ちもあって実際の身長よりも背が低く見られがちだった。
「……それよりも、買い取ってほしいのはこいつなんだが」
気を取り直して、懐から四枚の薄布を取り出してカウンターの上に置く。巫女服の袖先は閉じていて一見小物を入れておけるように見えるが、袂の後ろ側――脇に接する部分は開いているため何かを入れておくには適さない。これは豆知識である。
「ほほぅ、ホロゴーストの衣か……ん?」
中年職員の目ができる仕事人特有の真剣味を帯びる。
一枚一枚、繰り返し確認する様子に晶は何かまずい部分でもあったのかと心配になり、これは買取できないとか言われたらどうしようと不安を感じ始めるが、すぐにそれは杞憂だったと判明する。
「こいつは俺でも片手で数えるくらいしか見たことが無いくらいの一品だ。嬢ちゃん、こいつを一体どこで?」
「別に、ホロゴーストを倒して手に入れてきただけだ」
嬢ちゃんという部分にはあえて反応しなかった。いちいち噛み付くほど晶は子供ではないし、こんなことで話を止めるのも馬鹿らしく感じていた。だが、それでも不機嫌な様子はあまり隠そうとはしていないが。
「嬢ちゃんがホロゴーストを? ……いや、だとしてもこの衣は綺麗過ぎる。どんな武器を使えばこんなに綺麗に剥がせるってんだ?」
「どんなって、素手しかないだろ。武器を買う金が無いんだから」
「素手だって!?」
これにはさすがに中年職員も驚きを隠せなかった。
普通、魔物相手に素手で挑むような馬鹿は存在しない。そんなものは自殺行為でしかないからだ。いくら半分しか実態が無いとはいえ、ホロゴーストも立派な魔物である。物理攻撃の効きが悪いホロゴーストのような半実体のアンデッドには魔法による攻撃や属性を付与した魔剣が有効であり、素手で戦おうという発想自体思い浮かぶことは無かった。
「だが、素手か……属性を付与した打撃でホロゴーストを弱らせるなら、あるいは……これが可能ならちょっとした革命だな」
中年職員が感慨深げに頷くが、晶としては他に武器も無いため仕方なく素手で戦ったに過ぎない。そんなことを言われても、不機嫌気味な晶には武器を持っていない自分への皮肉にも感じられてしまうだけだった。
「それで、こいつは買い取ってもらえるのか?」
「ん? あ、ああ、そいつは問題ない。むしろこんな質の良いものなのに規定の額しか出せんのが申し訳ないくらいだ。それより、この短時間でホロゴーストを倒してきたってことは町の近くのやつか?」
「ああ、依頼が出ていた場所のやつだ。見かけたやつはとりあえず全部倒しておいた」
あれか、と中年職員が掲示板に張り出されていた依頼を思い出す。
ここにある四体分の衣が依頼のホロゴーストのものであるならば、その依頼はすでに達成されたことになる。幸い現場は町のすぐそばであり、馬を飛ばせば確認はすぐにできる。
「すまんが、ちょっと時間をくれるか? ……ウェリック! 今すぐ馬を飛ばして確認してきてくれ!」
中年職員はウェリックと呼ばれた職員に事情を説明し、すぐに確認に向かわせた。何事も無ければ十五分ほどで結果がわかるだろう。
「とりあえずこいつの買取を先にしちまうが、その後も少し待っててくれ。それと確認したいんだが、ホロゴーストはお前さんが倒したってことでいいのか?」
「なんだったら適当なホロゴーストを目の前で狩ってみせてもいいが?」
依頼には出ていないために晶は知らないが、他にもホロゴーストがうろついている場所は町の近くに存在している。買取が完了し、依頼が達成されていたことが事実だとウェリックが確認してきたことで晶は数人のギルド職員と共に町の外でホロゴーストを狩った証明を見せ付けることとなる。これによって晶は特別に試験を免除され、晴れて正式に冒険者として登録されることとなった。
すでに達成された依頼の分の報酬も支払われ、これで今日の宿に困らないと安堵している晶は翌日から徐々に《アンデッドキラー》として名を広めていくことになるとは、この時は露ほども思ってもいなかった。
ホロゴースト『ヒドイコトスルキデショ!? エロドージンミタイニ!』
魔物の種類考えるのってめんどくs――難しい。




