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2 聖女と聖剣

「ん、うぅ……?」


 まぶたを優しく灼く陽光で晶はゆっくりと目を覚ました。背中に感じる感触から地面で眠っていたことがわかるが、巫女服の性能や地面を覆う柔らかな草が彼に心地良い眠りを提供していたらしく目覚めはすっきりとしていた。


「……あー、これはあれか。ちらっと話に聞いた空間の歪ってやつに落ちたのか」


 電灯が切れていたせいで暗くて足下が良く見えなかったとはいえ、地面に開いていた穴に落ちてしまったことの情けなさに身悶えながらも彼は現状を正確に把握していた。

 空間の歪とは空間にできた世界の外につながっている孔のことであり、稀に発生する神隠しの正体の多くはこうした孔に落ちてしまったことが原因である。土地神は自らの管理する土地をよりよく改善し、安定させる役目を持っているが、それには発生した空間の歪をふさぐことも含まれている。

 空間の歪に落ちてしまった場合、同じ世界の別の歪から吐き出されるというパターンか、あるいは別の世界の歪に吐き出されるというパターンか、はたまた永久に世界の外をさまよい続けるパターンのいずれかに分類される。彼は最悪のパターこそ免れることはできたが、残り二つのどちらのパターンであっても日本へ戻るのが簡単でないことは想像に難くなかった。


「……で、ここは森、でいいんだよな? 緑の匂いが濃いし」


 周囲を見回しても、見渡す限り木、木、木。木しか見えない。

 晶は霊が見えることを生かして適当な幽霊に話を聞こうとしたが、奇妙なことにこの周辺を探しても一人も見つけることができなかった。

 通常、幽霊は世界中のいたるところで見られるものであり、基本的に幽霊のいない場所は存在しないとすら言われている。それに、霊体には言語の壁が無いため、どんな言語であってもそれが言葉であるならば意思の疎通が可能である。そのため、霊と意思疎通ができる者――少なくとも晶ならば話の通じる相手にさえ遭遇できれば世界中のどこに放り出されたとしても遭難することはないとさえいえる。

 だが、この森のように幽霊の存在自体が確認できなければまるで意味が無かった。


(けど、動物霊の類すら見かけないってのは、さすがにおかしいぞ……)


 動物であってもそれが霊体であるのならば意思の疎通は可能であり、幽霊で最も数の多い彼らはそれこそ人の生活圏ではない場所であっても関係なく見られる存在である。それが動物の楽園ともいえるような森の中にもかかわらずまったく見られないというのは明らかにおかしかった。

 例外的に幽霊が寄り付きにくい場所というものがないわけではない。一つは神やそれに類する存在の加護を受けた教会や神社といった神聖な場所。もう一つは瘴気に汚染された、その場にいるだけで生理的嫌悪や体調不良を感じるような場所である。

 この二つに関しても寄り付きにくいというだけであって、すべての幽霊が寄り付かないわけではない。例えば、瘴気に汚染された場所は悪霊の温床となりやすいため普通の幽霊は近づこうとせず、逆に神聖な場所には相応の強さを持つ霊体か、神に類するような存在しか近づこうとはしない。


(となると、ここは後者のほうか。なんとなく、神社にいるときのような空気を感じるし)


 神聖な場所というものは足を踏み入れることに心のどこか意識していないところで恐れ多く感じるものである。それは肉体という器を失った霊体に顕著に現れるものであり、器を失ったことで余計に神聖な気配を強く感じてしまい近づくことが恐れ多くなるのだ。

 この場で立ち止まっていても事態が好転するとは思えなかった晶は、この気配が一番強い場所が中心であると考えて一度そこに向かってみることにした。

 



 木々が開けた広場のような場所に抜けるとその奥には石造りの祭壇のようなものがあり、その上に一人の少女がいることに気づいた。結局ここにたどり着くまで幽霊にも人にも会うことはなかったが、ここに来てようやく人の姿を見つけて晶は思わず安堵の息をついてしまう。

 しかし、祭壇に近づくにつれてその少女の姿がやや透けて見えることに気づいた。ようやく見つけたのは生きた人間ではなく幽霊だったが、それは彼にとってはむしろ好都合だといえる。


『――目を覚ましたの? ……なんて、生きてる人間に聞こえるはずない』

「いや、聞こえてるぞ。誰にも会わないからここまで来るのに苦労したじゃねーか」

『……え?』


 少女の自嘲を無視して晶が答えると、少女はどこか眠そうにも見えた紫水晶のような色の目を思いっきり見開いて自分をまっすぐ見つめる彼の顔を凝視した。否、凝視しているのは彼の目だ。本当に自分が見えているのか、その焦点を晶の目の動きから確認していた。

 そして、晶もまた幽霊少女に目を奪われていた。より正確に言えば、少女の美しい白銀色の髪にだ。地球において銀髪は基本的に染髪したものがほとんどであり、先天的な銀髪――いわゆるアルビノは非常に珍しいとされている。事実、晶も幽霊とはいえ実物の銀髪を見たのは初めてのことであり、むしろ幽霊だからこそこういう部分はごまかしがきかない。


『……本当に見えてる?』

「ああ、綺麗な銀髪だな」

『……すごい……』


 幽霊少女はやや淡々とした口調ながらも感動した様子で晶から目を離せずにいた。

 死んでから生きている人間と会話をしたのは初めてなのだろうと予測はついたが、いつまでもこのままというわけにはいかず、晶はここがどこなのかを幽霊少女に尋ねた。


『……役目を終えた聖剣を封印する神護の森』


 唐突に出てきたファンタジーな単語に眉をひそめる晶だが、普通の人にとっては幽霊も十分ファンタジーである。


『知らない? 銀の聖女の聖剣っていったら、この大陸でもかなり有名』


 そう言いながら少女は祭壇の中央に突き刺さる、やけにごつごつとした、剣と呼ぶには複雑な形状をしている幅広の剣を指差した。小学生と言われても信じてしまえそうなくらい小柄な少女と比べると、その剣は非常に大きく見える。かなり長い月日を野ざらしで過ごしているためか美しかったであろう刀身はすっかり曇り、聖剣と呼ばれているにしては手入れもされていないように見えた。


「聖剣ねぇ……んで、銀の聖女ってもしかして――」

『ん、わたし』


 幽霊少女は体や顔に似合わぬ大き目の胸を反らし、精一杯威張るように胸を張って答えた。その様子から威張りなれていないことは丸分かりであり、聖女というよりは見た目どおりの子供のようにも見える。

 晶は、少女の言葉に嘘は無いだろうと判断していた。少なくとも、この少女が祭壇に突き刺さる剣に関係がある存在というのは間違いない。少女の幽霊としての格――霊格は普通の幽霊よりはずっと上だったが、それでも単身でこの神聖な場所に入ることができるほどではないからだ。

 それに、聖剣と呼ばれるそれには確かな力があることを感じていた。これほどの力を持つものならこの空間に留まる依代としては過剰すぎるほどである。


『わたしは銀の聖女として魔王と戦った。そのとき使っていたのがこの《聖剣グリュンエルゼ》』

 

 ファンタジーのお約束のような話が飛び出し、晶は頭を抱えてしまう。


「……あー、薄々そうじゃないかとは思ってたけど、やっぱ異世界か」


 ここが地球ならば、たとえアマゾンの奥地であっても多少時間をかければ日本に戻れる目もあったが、ここが異世界であるならばそうはいかない。

 空間の歪から異世界に落ちたら、土地神をして元の世界に戻るのはあきらめると言わしめるほど世界間の移動は困難である。ちょっと幽霊と戦える程度の人間でしかない自分が土地神にもできないことをできるとは到底思えなかった。


(家族は一家離散の後はみんな行方不明で今も生きてるかわからないし、もうあきらめもついてるからいいとして……世話になった孤児院にはそれなりに恩も返して今は一人暮らし。毎日のように依頼で駆けずり回ってるから一緒に遊ぶような友達もいないが、貯金はそれなりに……あれ? 俺って実は元の世界にあんまり未練ないんじゃ……?)


 何か未練はないかと考えてやっと出てきたのが終わらせたばかりでまだ受け取っていない依頼の報酬のことと貯金のことという、金に関することだけだった。振り返ってみると非常に寂しい青春時代に思わず膝をつきそうになるが、考え方を変えて見ればこの世界でやり直しが利くということでもある。


(ま、どっちみちこの世界でやり直すしか道がないんだが)


 とはいえ、ほかに問題が無いわけではない。

 まず第一に言葉の壁である。幽霊少女は霊体であるため言語の壁に囚われることなく晶と会話することができているが、この世界にはこの世界で使われている言語や文字が存在しているのだから生きている人間相手ではこうはいかない。

 そしてもう一つは、やはり金である。日本から落ちてきたばかりである晶にこの世界の金銭の持ち合わせなどあるはずも無い。彼自身が得意としている悪霊退治で稼ぐことができれば一番いいが、そんなに都合よくいくなどとは考えないほうがいい。

 晶は幽霊少女に頼んでこの世界のことを教えてもらうことにした。


『わかった。そういうことなら、わたしが色々教える』




 この世界、エル・ファルシアは剣と魔法の世界である。


「ふむふむ……で?」

『えっと……』


 ある日、突然世界の外からやってきた魔人族と魔王が人間たちに戦争を仕掛けてきた。突然の事態に人間たちは力をあわせて立ち向かうが、魔人族の強大な力と魔人族の操る魔物の前に次々と倒れていった。

 そんな中、一人の少女が一振りの魔剣を携えて戦場に現れた。少女のいる戦場は常勝にして無敗、魔剣の力も相まって少女は髪の色にちなんで銀の聖女と崇められ、魔剣は聖剣と呼ばれるようになった。

 やがて少女は魔王を倒し、魔人族たちは苦し紛れに世界の外へ逃げ延びたという。


「…………え、それで終わりか?」

『ん、終わり』


 しかも身の上話である。それは晶が望んでいた情報とは少し違うが、まったく興味が無いというわけでもなかった。


「ちなみにお前は何で死んだんだ? 寿命か?」

『それは……』


 幽霊少女が言いよどむ。


『…………祝勝会で、お肉をのどに詰まらせて……その、久しぶりだったから……』


 まさかの窒息死に晶は何も言えなくなってしまう。食事はきちんと咀嚼してから飲み込みましょうと習わなかったのかとツッコミそうになったが、すでに幽霊となっている少女に言っても後の祭りでしかない。

 情けなさのあまり言いよどんでしまう気持ちもわかるためこれ以上ツッコむことはなく、晶は気を取り直して別の質問をすることにした。


「じゃあほかに、もっとこう……この世界の国家の話とか、社会体制とか、貨幣文化があるのかとか、悪霊を倒して生計を立てる職業があるとか、そういう話はないのか?」

『悪霊を倒すのは教会の仕事。魔物を倒して稼ぐ冒険者はいた』

「おぉ、冒険者はいるのか……ん、いた?」


 少女が眠そうな顔で頷く。


『わたしは死んでからずっとここにいたから、今はどうなってるのかわからない』

「……ちなみにそれは何年前の話だ?」

『前に魔王を倒すために勇者がここに連れて来られた時に、五百年ぶりに聖剣が抜けたって教会の司祭が言ってたから、多分千年くらい前』


 今度こそ晶は地面に両膝をついてしまった。

 千年あれば乗り物が馬から自動車に変化もすれば、絶対王政の国家がが民主主義の国家に変わりもする。もしかしたら幽霊少女の知っている国はもはや一つも存在せず、魔法すら残っていない可能性だってゼロではない。

 この少女に非は無いが、明らかに人選ミスだった。

 幽霊少女が聖剣に取り憑いているのは明白であるため、五百年前の勇者が聖剣を抜いたときに外の世界を見なかったのかと晶がたずねると少女は「面倒だったからここに残った」とのたまった。聖剣から離れている間は自分の墓としての役割も持つ祭壇を依代にしていたのだという。

 また、聖女と勇者は似て非なるものであり、聖女や聖人が生まれた世界で偉業をなした存在に与えられる称号であるのに対し、勇者は遥か昔からこの世界の独力では解決できない問題を解決するためにどこからか召喚される存在である。召喚が可能なら送還も可能なのではとわずかに希望を持った晶だが、召喚された勇者は例外なくこの世界で一生を終えていることを聞いて落胆を隠せなかった。


『……? 聖剣を抜くの? 魔王もいないのに?』

「ああ、売れば多少は金になるだろ」


 聖剣に手を伸ばす晶に少女が尋ねた。

 何はともあれ金が必要だった。金が無くては食べるにも困るが、金さえあれば言葉が通じなくても身振り手振りで買い物もそれなりに何とかなったりするものである。

 とはいえ、いくら晶でも聖剣を売るのはさすがに冗談である。ただ、聖剣といえば選ばれた者にしか抜けないことで有名なため、駄目もとでそれに挑戦してみたくなる心理は同じ日本人なら理解できるかもしれない。


「まあ、俺なんかが抜けるとは思って無――あ、抜けた。……え、抜けた? え?」


 かくして、思いのほかあっさりと聖剣を抜いてしまったことに晶は困惑を隠せなかった。抜けないだろうと思っていたものが何の抵抗も無く抜けたのだから当然だろう。

 それに、聖剣は晶が思っていたほど重くは無かった。そのこともあって本当に抜けたのか疑問に思ったのだ。


「もしかして、これって誰でも抜けるのか?」

『適正がないと無理。でも、あなたなら抜けると思ってた』


 幽霊少女は最初から晶が聖剣の適合者であることに気づいていた。だから彼女は「抜くの?」と聖剣が抜けることを前提にした言葉を口にしたのだ。


「でも、これでこの剣を売ればとりあえずの資金にはなるよな……」

『多分、教会に目をつけられる。新しい勇者だって』


 ちなみに、この少女が聖女となって以降に召喚され、祭壇にやってきた勇者は全員聖剣を引き抜くことができたが、これは勇者として召喚された者がたまたま聖剣の適合者としての条件も満たしていたことが原因である。前の勇者が聖剣を引き抜いた際に司祭が口にした言葉で少女は、いつの頃からか聖剣の適合者が勇者と呼ばれるようになったらしいことに気づいた。

 それを聞いて晶は何も言わずにそっと聖剣を元の場所に突き刺した。ただでさえ面倒な事態になっているのに、これ以上面倒ごとを背負い込むのはごめんなのだった。

晶「勇者なんかめんどくせー」


なるべく一定のペースで投稿できればと思っていますが、色々あってストックが少ないのですぐ詰まりそうな予感。

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