19 力の代償
人間狩り事件を起こしていた奴隷収集屋と首謀者の一人であったヴィルヘルムが冒険者ギルドから騎士団に正式に引き渡されて数日が過ぎた。
これまでに奴隷として売り飛ばされてしまった者たちの行方はわからないものの、ヴィルヘルムの非道な振る舞いは次々に暴かれ、いまやクァンルサスでこの話を知らない者はいないとまで言われている。
その功労者の一人である晶は宿で出立までの間を休養にあてていた。限界を超えた魔力の使用で負担がかかりすぎていたのだ。
そんな彼は、十時を回ってもまだ宿のベッドでまどろんでいた。休養なのだから仕方ないと言えば仕方ないが、それにしてもだらけすぎである。
(まさか惰眠をむさぼるのがこんなに気持ちいいとはな……今度から誘惑に抗うのが大変そうだ)
日本にいた頃は自炊のために毎朝早起きしており、エル・ファルシアに落ちてからも依頼のために毎朝早くから起きていたため、彼はこれまで惰眠や寝坊とは無縁の生活を送ってきた。それは惰眠の持つ魔性の誘惑を知らなかったということでもあり、その味を知ってしまった今では以降の誘惑に抗えるのか不安を覚えるものだった。
(特にこの、右手に感じる片手に収まりきらないやわらかさと、左手に感じる手のひらにぴったりと当たる薄いやわらかさが――)
そこで晶の意識は一気に覚醒した……したが、両脇に抱え込むようにして存在しているぬくもりに緊張し、彼は動くに動けなくなってしまう。その際、両手に感じるやわらかなそれを揉みこむような形で固まってしまったのはご愛嬌だ。
「ん……っ」
『ふぁ……ん……』
敏感な場所でもこすれたのか、両脇で眠っている二人から妙に色っぽい声が漏れ聞こえ、晶はさらに身を固くしてしまう。
「――って、ちょっと待てぇっ! ルリエルはともかく、なんでトトまでこのベッドで寝てんだ!?」
桃色な展開を望む何者かの思惑に抗い、晶は一気に身を起こして全力でツッコんだ。寝ぼけていたとはいえ直前まで二人のおっぱいの感触を楽しんでいたのは完全に棚上げしている。
『ん……もう起きるの?』
「ふぁあぁぁ……」
彼のツッコミでさすがに目を覚ました二人だが、まだ寝ぼけ眼だ。
ルリエルは以前に服を着ていれば添い寝してもいいという約束をして以来、最低でも二日に一度の割合でベッドにもぐりこんでくるようになっていた。それは約束だから晶もすでにある程度の覚悟を決めている。
問題はトトのほうである。
トトは片づけが終わらなければ住むことができない家に一人で寝るのは危険であり、出立まで晶と一緒の宿に泊まることにしていた。資金の節約のためにとった二人部屋であるこの部屋にはもう一つベッドがあり、それはトトが使用しているはずだったが、その彼女も今日はなぜか晶のベッドにもぐりこんできていた。
「で、どういうことだ」
「その、だって……ルリエル様だけズルいじゃないですか……」
『ん、幽霊の特権。それにわたし、アキラに求婚してる』
(それがズルいよ……)
しかし、そんなことは恥ずかしくてトトは口に出せない。
そして、決して鈍くはない晶だが、トトが明確な理由を話さないせいで勝手に自己解釈が脳内で進んでしまっていた。
(……そういや、両親は早くに亡くしたんだったか。見た感じだとまだ子供だし、人肌恋しかったのかもしれねえな)
両親を早くに亡くすことの寂しさは晶もよく理解しているため、同情から少しくらいはいいかと考え始めていた。
「……まあ、一緒に寝るくらいは別にいいか」
「あ……ありがとうござ――」
「まだ子供だしな」
その言葉を聞いてトトが固まった。
「ん? ど、どうしたんだ……?」
『わ、わからない。お腹でも痛い? それとも病気?』
不自然に沈黙するトトに困惑して晶はルリエルと顔を見合わせるが、それで答えが見つかるはずも無い。
なぜなら。
「――……いもん」
「え?」
「こ、子供じゃないもんっ! あたし、十七歳だもんっ!」
「『!?」』
あまりの衝撃に二人は動揺し、トトはその勢いのまま晶から添い寝をする権利を奪うことに成功するが、彼女が負った心の傷はとても大きかった。
『……アキラ、わたしもご飯食べたい』
着替えを済ませて朝食をどうするかを話し合っていると、ルリエルが唐突にそう言いはじめた。
幽霊に食欲というものは無く、食事も必要としていない。にもかかわらず、彼女がこんなことを言い出したのには割りと深刻な理由があった。
「完全憑依の影響か……」
『ん、多分……』
晶の肉体に一時的とはいえ完全憑依を行ったルリエルは、この千年で忘れていた生きる喜びを思い出した。
だが、それは同時に生前に持っていたいくつもの欲を再認識するということでもあり、生前の欲というのは未練と呼んでも差支えが無いものだ。
ルリエルは完全憑依を経験することによって食欲がよみがえり、未練を肥大化させてしまっていた。
欲を制御できるうちはまだいいが、これが暴走するようなことになればルリエルは悪霊へと堕ちてしまう可能性が高い。それこそが完全憑依の抱えるリスクである。
これを回避する方法は唯一つ、欲をある程度でも満たすことだ。
だが、欲を満たすには再び完全憑依が必要であり、完全憑依を行えばまた何かの欲に目覚める可能性があるという悪循環を抱えている。ルリエルが近いうちに聖霊になれる可能性が高そうでなければとても取れる方法ではなかった。
「……わかった。お前が聖霊になるまでは、きっちり付き合ってやる。だから早く聖霊になってくれ」
『ん、努力する』
「じゃあ、早く下に降りましょう。あたし、もうお腹ペコペコです」
三人は連れ立って部屋を後にした。
ルリエルが本当に聖霊になれるかは、今はまだ誰にもわからない。
ルリエル『そんなおっぱいで』
晶「十七歳、だと……」
トト「うわああああん! 好きでこんなんじゃないもんーっ!」
短いけど第一章のエピローグ的な。




