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18 怒りの鉄拳

「こいつらはまだ、俺たちの商品なんだ。手を出されちゃ困るねえ」


 ヴィルヘルムを止めたのは、見張りの一人――奴隷収集屋のリーダーの男だった。鍛え抜かれた体躯から発揮される力はは教会騎士でもない神官のヴィルヘルムに抗うことを許さない。


「……これは私が手に入れることになっている、そういう契約のはずです。ならば、今手に入れても何も問題はないでしょう」

「そういうわけにゃいかねえんだ。こっちにはこっちのルールってもんがちゃんとあってな、それに反することは許すわけにゃいかねえのさ。商品の価値が下がるからな」


 手に入れるなら闇奴隷オークションで指定の金額で入札しろと、リーダーの男は暗にそう言っていた。それは奴隷収集屋としてのメンツの問題だ。

 奴隷収集屋とは、さらってきた人間を闇奴隷オークションに出品し落札されるまでを管理するのが仕事だ。競りは八百長であってもそこまで一通り行うのが正規の手順であり、彼らに依頼したということはそこまで付き合うということでもある。現に、ヴィルヘルムはこれまでずっとそれに付き合ってきていた。


「……いいでしょう。焦らずとも、これはすぐに私の――神の物になるのです……ですが――」


 ヴィルヘルムの粘つくような視線が身を縮めるトトの全身を嘗め回すように移動していき、ある一点で止まる。


「――彼女が純潔であるかどうかは確認しなければなりません」

「……っっっ!?」


 その吐き気のするような言葉に、トトの悲鳴は声にならなかった。


「おいおい、そりゃあ無茶ってもんだぜ?」

「ですが、神は聖性の高い純潔を好むのは確かです。万が一彼女が純潔を失っていれば私はあなた方を信用することはできず、指定の額を入札することを渋ってしまうかもしれません」

「んな無茶苦茶な……勘弁してくれよ」


 クライアントの無茶としかいえない要望に、男は芝居ががった仕草で顔を覆った。


「純潔かどうかの確認をさせてもらえれば、指定どおりの入札を行うことは約束しましょう。純潔でなくとも、そうであるとわかっていれば神も許していただけます」

「……チッ」


 リーダーの男は渋々ヴィルヘルムの腕を放した。トトの予定入札額は依頼品だけあってほかの奴隷とは桁が一つ違う。それをみすみす逃すのは、商売人としてできることではなかった。


「くれぐれも、落札前に汚すのはやめてくれ」

「ええ、わかっています」


 ヴィルヘルムが仮面のような微笑みのまま頷くが、トトはたまったものではない。


「い、いや……いやっ、来ないで! 来ないでぇっ!!」


 これまで感じたことの無い恐怖に涙を流しながら拒絶する声を無視し、ヴィルヘルムはトトの服に手をかけた。

 そして。


「――ガッ!?」


 勢いよく飛んできた剣の柄が彼の頭をしたたかに打ち付け、ヴィルヘルムはその場で激痛にうずくまってしまった。皮膚を切ったらしく、頭から流れた血が白い神官服を赤く汚していく。


「ヤーディ! てめえ、どういうつもりだ!?」


 その剣は見張りの一人が身につけていた剣だった。それを知っていたリーダーの男がそいつを詰問するのは当然だろう。

 だが、その剣の所有者は目の前で起こったことが現実なのか、ただただ困惑するばかりだった。


「ち、違う、俺じゃないっ! あ、あの剣が勝手に鞘から抜けて飛んでいったんだ!!」

「勝手にだあ!? んなわけあるかよ!」


 この時、彼らは一つ致命的な見落としをしていた。その見落としがなければ、この通常はありえない事態が何を意味するのかということに気づけたはずだった。

 もっとも、彼らにそれを見落とすなというほうが難しかったかもしれないが。

 錆付いたドアが勢いよく開放され、バタバタと大量の足音が牢屋に近づいてくる。


「な、なんだ!? なにが起こってやがる!?」

「ここが、見つかったのか……!?」

「クソッ、さっさと逃げ――」

「ダッハッハッハッハッ、逃がすかよ!」


 奴隷収集屋の男たちが脱出しようとする前に、すでに地下牢の入り口は大勢の人間によって封鎖されていた。いずれも隙は見当たらず、相応の修羅場を潜り抜けてきていることがわかる。


「……冒険者か」


 この場所が発見されるはずが無いという油断が招いた失態にリーダーの男が顔を歪める。

 ここはクァンルサスの教会に併設された役職持ちが滞在するための施設、その地下に隠された拷問室だった場所だ。数百年前にある役職持ちが、神の敵や邪悪な異教徒と呼ばれる者たちを拷問という名で自らいたぶるために作られたこの場所は、ごく一部の役職持ちにしか存在が明かされていない。

 とはいえ、ここも教会の一部には違いなく、冒険者たちの後ろに神官見習いでもある修道士がいても何もおかしくは無い。


「ヴィルヘルム様……ほ、本当に、あなたが……っ」


 尊敬していた神官がしていたことを目の当たりにして、修道士の女性はすっかり顔を青ざめさせてしまっている。


「……っ、何を馬鹿な。私は、彼らを止めようとしていたのです。この傷が、血が見えませんか? これが証拠ですよ」

「なっ、テメエ!!」


 何食わぬ顔で奴隷収集屋を売ったヴィルヘルムへの怒りでリーダーの男が顔を憤怒に染め上げる。

 ヴィルヘルムが嘘を言っていることはすぐにバレるだろうが、こうなってしまってはヴィルヘルムを置いて一刻も早く隠し通路から脱出しなければならない。

 幸い、冒険者たちは隠し通路の存在を知らないのか入り口を固めることに集中している。部下を何人か犠牲にすることにはなるが、逃げることはまだ可能だと思っていた……隠し通路が勝手に開くまでは。


「何を言ってるんだかな……お前はトトに手を出そうとして泣かせた、とびきりの下衆野郎じゃねえか」


 隠し通路から姿を見せたのは艶やかな長い黒髪を持つ、見慣れぬ服を着た少女――否、冒険者である九重晶だった。その後ろにも冒険者と思われる者たちの姿が見え、地下牢は完全に包囲されているのがわかる。


「な、なぜ、その隠し通路が……!?」

「俺の相棒はこういう時は特に頼りになってな、あっという間に見つけてくれたぜ」


 口元に笑みを浮かべる晶だが、その目は一切笑っていないせいで一種の凄みがでていた。すでに奴隷収集屋の面々には彼の発する空気に飲まれてしまった者も出始めている。

 そんな空気の中、ヴィルヘルムだけが平然と、心外そうに口を開いた。


「私が下衆だと? 何の根拠も無いそれは神聖なる神ティクヌーを侮辱する言葉ですよ……あなたたち、あの女を捕らえなさい。あれは神の敵です」


 ヴィルヘルムの命令に、修道士たちは誰も動かない。目の前の惨状に己の信ずるものが本当に正しいのかと疑い、動けなかった。


「おいおい……誰がお前を止めたと思ってんだ?」

「何……?」


 いぶかしげに眉をひそめるヴィルヘルムに、晶は指を鳴らして応えた。

 すると、床に落ちていた件の剣がひとりでに宙に跳ね上がって晶のもとへ飛んでいき、彼のそばに寄り添うように空中で停滞してみせた。


「見てのとおり、これは俺の能力だ。だから、お前が吐き気のするくらい気持ち悪い言動でトトに迫ったことも、トトを泣かせたことも全部知ってる」

「…………」


 ヴィルヘルムの顔から表情というものが消える。そこにあるのは、何の感情も感じさせない能面のような無表情だ。


「私は神の代弁者です。私自身が神と同義と言ってもいい。その私を気持ち悪いと感じるあなたは神敵です。今すぐにその剣で自らの首を断ち切って生まれてきたことを謝罪しなさい」

「……俺の知ってる神様も、確かに変態ではあるんだけどな――」


 晶は握り拳を固める。固く、強く、血が流れるほどに怒りを込めて。


「――お前みたいに気持ち悪くは無かったよ」


 晶が一歩前に出ると宙に浮いていた剣が甲高い音を立てて床に落ち、それを合図に劇的な変化がおとずれる。


「……なんだ、それは」


 それを見たヴィルヘルムが呆然と呟く。


「なんなんだ、それは……!」


 銀に染まった長い髪を見て、言い知れぬ聖性を感じて、ヴィルヘルムが威圧される。


「わ、私は、私のすることは神の意思だぞ! こ、これはいわば、神へ捧げられる供物――」


 わめき散らすヴィルヘルムをよそに、晶は強く床を踏みしめ。


「いい加減その汚ぇ口を閉じてろっ! このペ○野郎っ!!」

「ガピュブッ!?」


 一瞬で数メートルの距離を詰めた晶の拳がヴィルヘルムの顔面に叩き込まれ、そのまま壁にむかって吹き飛んだ。

 砲弾のような速度で壁に叩きつけられたヴィルヘルムの鼻はへし折れて血があふれており、白目をむいて気絶してしまっている。地球の常識で考えると死んでいないのが不思議なくらいである。


「あー、気持ち悪……」


 汚物でも殴ったかのような気分で愚痴る晶の髪は元の漆黒を取り戻し、銀の残光が先ほどの光景を一瞬の幻であるかのように錯覚させていた。


「一緒に殴りたいっていうから完全憑依を許したが……お前、一瞬だけ魔法使ったろ。おかげで立ってるのがやっとじゃねえか」

『ん、あれを見てたらつい……』


 我に返った冒険者たちが抵抗をあきらめた奴隷収集屋と気絶したヴィルヘルムの捕縛を開始する中、晶はまだ呆然としているトトのそばにフラフラと歩いてきた。トトの頬にはまだ涙の残滓が残っている。


「遅くなって悪かったな……」

「あ……その……」


 晶に頭をなでられて困惑するが、散々怖い思いをしたのだから少しくらい甘えたくなっても仕方ないと、トトは少しだけ言い訳がましく自分を納得させた。

 代わりに口から出てきたのは。


「ど、どうして、ここが……?」


 という疑問だった。


「ひたすら町の幽霊に聞き込みしたんだよ。あの隠蔽魔法……《光の中の隠者(ハイドシェイド)》だったか。あれはどうも幽霊には効果が無いみたいだからな」


 情報通ではない幽霊は生者への関心が薄い者も少なくないが、明らかに事件と思われるようなものには興味を引かれるのか情報は次々に集まっていった。

 隠し通路のことは、途中で遭遇した情報通の幽霊に教えてもらったものである。もしかしたら生前は教会の関係者だったのかもしれない。

 あとは冒険者ギルドに情報を渡し、ルリエルを先行させて包囲作戦を開始し、今に至る。途中、隠し通路の出口に見張りが数名いたが、それは冒険者たちによって一人も逃がすことなく捕縛された。

 先行して到着したばかりのルリエルはトトの危機にとっさに剣を依代にして妨害に入ったため、タイミングとしては本当にギリギリだったのだ。


「ま、これでもうあの神官が何かしてくることはないだろ……っと、鍵が見つかったみたいだな」


 冒険者の一人が鍵束を手に、鎖で繋がれていた女性たちを解放して回り始めた。直にトトの順番が回ってくるだろう。


「……そうだ。これ、部屋の床に落ちてたぞ」


 今思い出したと晶が取り出したのは、トトに貸し出されていた匂い袋だった。


「ほれ、今度は落とすんじゃねえぞ」

「え、あ、はい……」


 一時的に借りていただけのはずの物を再び手渡されたトトは、曖昧な返事しか返すことができなかった。

 どうすればいいのかと困ってしまうが、最後に匂いをかいだのは半日前であることを思い出し、もう一度かぎたいという欲求にしたがって恐る恐る匂い袋に鼻を近づける。


(……あ、やっぱりこれ、アキラさんの匂いと同じ……)


 ずっと持っていたのだから、晶の体や巫女服にある程度匂いが移っていても不思議は無い。

 心地良い香りをかいで緊張の糸が切れたせいでまた泣きそうになっていたのは内緒である。

ルリエル『幽霊に隠し通路は無意味』


腐れ神官が想定以上にキモくて途中までノリノリで書いてました。ぶっ飛ばされてちょっとすっきり。

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