16 ぷっつん
日が沈んでようやく動けるようになった晶はポーションを飲んで傷を癒し、ブラッディーボアの死体とロードリーパーの大鎌の残骸を回収してトトの家に戻る途中だった。
大鎌の残骸はともかく、家ほどもありそうな大きな死体をどうやって回収したのか。その答えは晶のウエストバッグにあった。
この世界では魔法の力を利用した様々な道具が存在している。魔法式のガスコンロ然り、家庭用浄水設備然り。そして、このウエストバッグもそういった魔道具の一つである。
冒険者とはフットワークの軽さを重視するものではあるが、魔物の素材というものはどうしてもかさばるものが多く、ものによっては町まで持って帰ることが不可能なほど大きかったり、大部分を捨てていかなければならなかったりする場合がある。
それを解決するために作られたのが、見た目とは比べ物にならない容量を誇る異空間格納式収納袋――通称、アイテム袋だ。安物であっても荷馬車と同等の容量を持つため、小回りの利きにくい荷馬車よりもアイテム袋を買えという格言が生まれ、現在では車輪が壊れやすい荷馬車よりもアイテム袋のほうが広まっているほどだ。
千年前の段階ではまだ発明されて間もなかったため高級品として取り扱われていたが、今では荷馬車のほうが高くつくくらいだということにルリエルはとても驚いていた。その使い勝手のよさと、需要にあわせた大量生産によって価格が低下したのも理由の一つだろう。
晶が使用しているのはその中で現在でも高級品と呼ばれるもので、下級貴族の屋敷が丸々入るほどの容量を持っているといわれている。さすがに屋敷がそのまま入るわけではないが、容量としてはそれくらい物が入るということだ。日本とは違って土地面積の問題が無いこの国の家はただでさえ一般的な日本の家屋よりも大きい傾向がある。そんな国の下級貴族の屋敷は、貴族の見栄もあって相応の大きさを誇る。そんな膨大な容量のアイテム袋に金をかけるならほかにかける部分があるのではと晶は思ったが、最初にこれを用意しておけば残りは後からなんとでもなるというルリエルの言に推され、貯めた資金の大部分をこれに費やしたのだ。ちなみに、最高級品のアイテム袋は城が入ると言われている。
残りの資金は食料や水、旅の最中に使う道具やポーション、靴などに回されてほぼ底をついている。壊れた剣の代わりを購入しなければならないが、それは回収した素材を売り払えば何とかなる。ルリエルの言うとおり、高級品を選んでいなければブラッディーボアの死体を持ち運ぶことはできなかった可能性が高く、その分損をしてしまうところだった。
「あぁ、今回使ったポーションも補充しねえと……金足りるかな?」
『武器を前のと同じくらいにすれば、多分足りる。中級ポーションは重要』
「だな。あれはいざって時に重要だ。もう二、三個は用意しておきたいな」
ポーションは使い切りの魔法薬だが、骨折もすぐに治してしまえる中級ポーションになると生半可な武器よりも高価になる。だが、それで命をつなげることができるのならと、武器よりもポーションに金をかける冒険者は意外と多い。
上級ポーションになると瀕死の重傷からでもすぐに復帰することができるが、価格は一般的な家と同等にまで跳ね上がる。そんなものを常備できる冒険者は少なく、用意していても一人一本くらいが限界だ。当然ながら晶たちにはとても用意することはできない代物だが、巫女服の防御力を考えるとよほどのことが無い限りはトトの作った最下級ポーションでも十分である。
『……トト、大丈夫かな?』
「きっと大丈夫だ。最短予測のリミットには十分間に合ったし、気配の大本は間違いなく消滅した」
そう口にする晶だが、もしかしたらという可能性をぬぐいきれず、未だ疲労を大きく残す体でありながら自然と足が速くなるのを感じていた。
この角を曲がればトトの待つ家が見えるというところで、晶たちは聞こえてくる喧騒に違和感を感じた。すでに多くの店が閉店作業を終え、今も開いているのは日付が変わる頃まで営業している酒を出す店くらいにもかかわらずやけに人が集まっている。
「今日って何かあったか……?」
『ん、わからない。何か出し物があるって話も、特に聞いてない』
トトの家に近づくたびに大きくなる喧騒に、晶は嫌な予感がしていた。
そして、目的の家が視界に入ったとき、不安そうだったり心配そうだったりした顔で家の周囲を囲む人垣が、その予感が的中していたことを教えていた。
うまく力の入らない体をおして晶は人垣へ駆け出していた。
「おい、何があったんだ!? ここはトトの家だろ!」
「あ、ああ、それがな……トトちゃんがならず者連中にさらわれちまったらしいんだよ……」
近所に住むという困惑している男の説明でどういう事態が起こっているのかが判明した。
事は昼ごろ、晶たちがトトに取り憑いたらしい悪霊――ロードリーパーの退治に飛び出してしばらくしてから起きた。どこからともなく突然武器を構えたならず者の集団が現れたかと思ったらトトの家のドアを蹴破り、家の中を散々荒らした挙句に動けないトトを拉致していったのだ。
「そのならず者はどこに!?」
「あたしゃあいつらが逃げる瞬間を見てたんだけど、目の前で突然そいつらが消えちまってわからないんだよ」
「ああ、あたしも見た見た。周りに溶けるみたいに消えちまったんだよ。ありゃなんかの魔道具だね、きっと」
「でも姿が消えただけで足音や話し声は聞こえてたんだよねぇ。あんな半端な魔法、聞いたことないよ。失敗作かね?」
「追いかけようとしたけど姿が見えないのはやっかいでねえ、臭いを消してたのかあたしの鼻じゃ追えなかったんだよ」
「耳のいいのがいれば追えたかもしれないんだけどねぇ……」
人垣を作っていた小太りした女性集団――近所のおばちゃんたちが会話に割り込んでくる。いずれもトトとは付き合いがあるのか、とても心配そうな顔をしている。
『……多分、《光の中の隠者》。日の当たる場所でだけ使える、隠蔽魔法』
眼光を鋭くしたルリエルが使用されたであろう魔法に目星をつける。
《光の中の隠者》は強い光を利用する関係で日中にしか使用できず、視覚情報を欺瞞する程度の効果しかないため歴史の闇に埋もれた非常にマイナーな魔法である。
ルリエルが知っていたのも、この魔法がまだ暗殺などで現役だったから知っていただけのことだ。
「……ルリエル、目撃者を追うぞ」
『目撃者? でも、わたしじゃ……』
「生きてる人間には見えなくても、幽霊なら見えたやつがいるかもしれないだろ」
『あ……なるほど。でも、見つからなかったら?』
「その時は、あのクソ神官を探せ。今回の件、裏にいるのは十中八九あいつだ」
神官というのは、もちろんトトが何度か噛み付いたというあの神官の男のことだ。タイミング的にはそれ以外に原因が思いつかない。
あの男は巧妙に隠していたみたいだが、トトを嘗め回すようなドロドロとした欲望の塊のような視線に晶は怖気を隠すのが大変だった。のみならず、晶自身もその対象になったときはさすがにその場で爆発しそうになっていた。好色な目で見られるのにはそれなりに慣れていても、女というものを自らの欲望を満足させるためだけのものとしか見ていないような行為を日常的に行っている者の粘着質な視線は精神にくるものがあるのだ。
「どうせクァンルサスから去るんだ。この町の幽霊たちを総動員してでも早急に見つけてやる。あとでからんでくるやつは全部ぶっ飛ばす。それから――」
『それから……?』
ルリエルは晶から漏れ出るただならぬ気配に緊張し、思わずのどを鳴らした。
「――もしトトが泣かされてたら、俺の体を使ってグリュンエルゼで消し飛ばせ。遠慮はいらねえ。後のことも何も考えずに全力で、跡形も残すな……ああ、いっそ森から聖剣持ってきて俺が直接やってもいいな……」
いっそ清々しいまでの悪い笑みがそこにはあった。
嫌がる相手に無理やり手を出す外道に手心を加える気は、晶にはこれっぽっちも無い。ましてやそれがようやくできたばかりの仲間であるならなおさらだ。
ここが生き物の命を奪う行為を忌避する現代の日本ではなく、言い方は悪いが命が軽い異世界であることもこんな振り切れた発言をしている原因の一つだろうが、ありていに言えば晶はキレかけていた。
『アキラ、消し飛ばしたら拷問ができない……じゃなくて、今日はもう魔力を使うのは駄目』
そういう問題じゃないというツッコミは返ってこない。
それはいいとしても、冗談ぬきで晶の体はまだ魔力を扱える状態にない。これ以上無理に魔力を使おうとすれば、洒落にならないような深刻な後遺症が出てもおかしくはないのだ。
「……だったら、冒険者ギルドに垂れ込むか……と、その前に」
首をかしげるルリエルをよそに、晶はドアが壊されたトトの家に入っていった。
その夜、冒険者ギルドではトトが拉致されたという情報がすでに広まっていた。冒険者であるトトを狙ったということはギルドに喧嘩を売ったも同然であり、すでに多くの冒険者が町中を駆け回って相手を探している。
しかし、どこの誰が首謀したのか、トトがどこにいるのかといった情報はまったくあがってきておらず、冒険者たちは焦れはじめていた。
「トトちゃんをさらった連中はまだ見つからねえのか!?」
「隠蔽魔法を使ってたんだ。そう簡単にゃ見つからないだろうな……」
「これってやっぱ、例の人間狩りの連中か?」
「その可能性は高いだろうな」
人間狩りとは、最近巷を騒がせている連続誘拐事件のことである。これに関係すると思われる依頼も時折張り出されていた。
狙われているのは主に若い女性であり、さらわれた人間は奴隷として売りさばかれているというもっぱらの噂だ。当然、そんな奴隷の作り方は犯罪であり、見つかればバッサリと処罰の対象になる……見つかれば、だが。
これを行っている者たちは巧妙に尻尾をつかませないように行動しており、尻尾を出しても今回のように煙に巻かれてしまうことがほとんどなのだ。おかげで証拠がなければ動けない騎士団は大々的に捜査に踏み切ることができず、苦い思いをしている。
これまで冒険者は関連する依頼を受ける程度の関わりだったが、被害者が身内から出てしまったことで事態は大きく変わった。やつらは、冒険者ギルドそのものに喧嘩を売ったのだ。
冒険者同士は基本的にお互いがライバルであり商売敵でもあるが、それ以上に同じ冒険者という仲間なのだ。ゆえに、冒険者同士で本気の殺し合いはご法度であり、多少の喧嘩は酒を一緒に飲めばそれで水を流してしまう。冒険者同士があまりいがみ合っていても、冒険者という看板に傷がつくばかりでいいことは何も無い。それよりも、協力して依頼にあたるほうがよほど建設的だ。
こういった考え方が根付いた結果、冒険者同士は一般に言われているよりもずっと仲がいい。確かに野蛮で粗野な者は多いが、冒険者の悪いイメージは大抵冒険者を蔑視している教会の関係者が流布しているものだったりする。本来は教会が行うべき仕事の一部が冒険者ギルドへの依頼――主にアンデッド関連がかぶっていることが原因だが、教会がきちんと役目をまっとうしていないから冒険者ギルドにお鉢が回ってくるのだ。逆恨みもいいところである。
今回の件、冒険者ギルドに喧嘩を売った者たちには相応の地獄を見せる腹積もりでいるが、それよりも冒険者仲間であるトトを救出することが最優先だった。
「――が、こうも情報が集まらねえんじゃなぁ……」
トトが拉致されてからすでに半日が経過している。最悪の場合はすでに町にいない可能性も考慮して早馬を出してはいるが、そちらも望み薄だった。
そんな苛立ちが募る中、寝込んでいたトトのために町の外を駆けずり回っていた一人の冒険者が今回の騒動に気づき、独自に入手した特大の情報を持って冒険者ギルドに姿を見せた。草を編んで作られたらしい変わった造りのボロボロに擦り切れている履物と隠し切れない疲労がにじみ出ているのを見る限り相当走り回ってきたことがわかる。
「トトの居場所が判明した。やつらを潰すのに力を貸してくれ」
その言葉を聞いて冒険者ギルド・クァンルサス支部を預かる男の口元に凶暴な笑みが浮かぶ。
この情報を持ってきたのがほかの冒険者なら裏付けを取ってから行動を起こしていただろうが、女にしか見えないこの冒険者はトトが一緒に行くことを決めた仲間であり、その目には彼女をさらった敵への怒りがくすぶっている。長年支部を預かってきた男は、その怒りの矛先が明確に定まっていることを見抜いていた。
――さあ、害虫駆除の時間だ。
おばちゃん「ふんふん……この臭いは、焦っている臭いね!」
一難去ってまた一難。




