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10 霊感獣人少女

「ちょ、ちょっと……あの、いつまで引きずってるんですかっ? あ、あたし、ちゃんと歩いてついていきますからっ」

「と言われても、もうついたしな」


 晶はすっかりおとなしくなった少女を解放し、少し乱れた巫女服を手早く直した。

 解放された少女のほうはというと、ずっと引きずられたせいで乱れた髪の毛や尻尾の毛を直しているところだった。

 その少女を改めてじっくり見るとやはりその顔は同じく幼さを残すルリエルよりもあどけなさが強く残っており、やや癖のある髪は背中の中ほどまで伸ばされている。服の上からでは体型がよくわからないが、低い身長ながらもすらっと伸びた健康的な手足がまぶしい。

 ここがついさっきまでホロゴーストたちがうろうろしていた墓地跡でなければさぞかし絵になったことだろう。


「あ、あの、それで冒険者のケジメっていうのは……? あ、あたし、何かしたんですか?」


 少女はおずおずと晶に尋ねてきた。冒険者同士のケジメといういかにも暴力的な何かが行われそうな言葉に警戒心を抱いているのだろう。


「ああ、冒険者のケジメってやつ? あれは嘘だ」

「え……嘘……? そ、それじゃあ、あの依頼のことも、ですか?」

「んー、そっちはまるっきり嘘ってわけでもないが、まあ口実にすぎないな」


 当然、少女をあの神官から引き剥がすためのだ。

 あの神官が何を狙っていたのか、あくまで晶の感じたものから得た予測であることを踏まえて説明すると、少女はすっかり青ざめてしまった。もう少しで生きているにせよ殺されるにせよ、誰かの慰み者になるところだったのだからその反応は当然だ。


「あの神官とはいつもあんなふうにぶつかってるのか?」

「は、はい……たまにちゃんと悪霊を倒してるときは、あたしも何もしないんですけど……」


 やはり、あの神官は幽霊が見えているわけではなさそうだった。

 以前晶が考えた、クァンルサスの教会に幽霊が見える者がいないのではという仮説はますます真実味を帯びてきたことになる。さすがにないとは思うが、教会そのものにそういった人間がいない可能性もある以上、この世界の幽霊事情は相当に深刻なのかもしれない。


「……あ! そ、それよりも、さっきの悪霊がどうとかっ! あ、あれはどういう意味なんですか!?」

「それなら多分、もうそろそろ――」


 来るんじゃないかと晶が口にする前に、それが視界に入った。

 遠くからこちらに向かってやって来るそれに気づいたのは少女も同じで、まるで信じられないものでも見るかのように目を丸くしていた。


『アキラー、引っ張ってきたー』


 いまいち覇気を感じられない声が間延びしたことでさらにやる気がないように聞こえる。これが彼女のデフォルトであり、別に本当にやる気がないわけではないため晶もさほど気にしてはいない。むしろこれがルリエルの味ともいえる。

 そのルリエルの後ろには、何をしたのか非常に怒り狂った一体の悪霊が追いかけてきていた。

 戦闘時以外は晶だけに取り憑いている彼女は晶から一定以上離れることができないため、あまり早くあの家から離れるわけにはいかなかったのだ。少なくとも、あの悪霊が釣れるまでは。


「あ、あの悪霊……あの家のっ! それに、あの幽霊の子は……!?」

「その話は後な」


 近づいてくる悪霊をよそに、晶はその場で体をほぐしはじめた。


「な、何をしてるんですかっ? このままじゃあの悪霊が……!」

「まあ、ここに来るな」

「何を暢気に手足をくねくねさせてるんですかぁっ!? 悪霊が来るんですよ! 早く逃げないと!」

「大丈夫だって」

「大丈夫じゃありません! あれは町中にいる無数の悪霊よりも数段強いんですよ! あんなものに取り憑かれたら……って、何をしてるんですか」


 晶は怯える少女の頭をなでていた。大きめのふさふさした獣耳のさわり心地に感動した様子は顔を見れば明らかだった。


「何これ……めちゃくちゃ気持ちいいんだが」

「んぅ……ちょ、ちょっと、こんな時に人の頭を勝手になでないでください……っ」


 そうは言いつつも語尾に力が入っていない少女の声は、頭をなでられることを心地良く感じている証拠だ。ちょうどいいから晶はこのままもう少しリラックスさせてやることにした。


「あまり心配するな。あの程度なら一対一でやれば負けねえよ」


 軽く言い放つ晶に少女はとても驚いていた。

 今まで少女は幽霊を見ることはできても、結局どうすることもできはしなかった。そのせいで悪霊に取り憑かれたことも一度や二度ではなく、目を合わせなければなんとかなるということに気づくまでは大変な思いをしてきていた。

 それを目の前の美人はこともなげに、一対一なら勝てると言ったのだ。その衝撃は推して知るべしだ。

 そうこうしている間に、ルリエルと悪霊はどんどん墓地跡に近づいてくる。瘴気を撒き散らしながら迫ってくるその姿はすでに人間だったころの面影は見えず、アンデッドになりかかっていることが窺えた。少なくとも、悪霊としての力はホロゴーストやレイスのような晶がこれまで倒してきたようなものよりもずっと強い。こんなものが魔物化すればさすがに彼でも苦戦は免れないだろう。


「ひっ」


 生理的な怖気を感じさせるその瘴気に少女は思わず耳をぺたんと倒し、その場でうずくまってしまいそうになった。そうならなかったのは、隣にいる晶のかすかな匂いが少女のそばにいるということを強く意識させたからだ。


「そぉー……――」


 怒り狂った悪霊は晶たちが見えているということに気づかないまま、目の前で挑発を繰り返す幽霊を追いかける。

 そして。


「――れっ!!」

『アピャッ!?』


 その油断しきった顔面に、自身の速度もあって晶の拳が勢いよく突き刺さった。

 風船がはじけるような音と共に、悪霊の体はまとっていた瘴気ごと四散して消え去っていく。


「……うそ」


 少女の呆然としたつぶやきは、風に乗って消えていった。




「お前、一体何を言ったんだ? あいつ、怒り狂ってたぞ」

『ん、彼女がいないなら作ればいいじゃないって』


 あの悪霊は生前の出会いに恵まれず一人孤独に死んでいった者であり、老夫婦の仲の良さを妬んだことであの家に取り憑いていた。そんな相手にそんなことを言えば怒り狂って当然だ。

 晶は同じ男として同情を感じずにはいられなかった。


『大丈夫、あれは女の人』

「そっちの人かよ!?」

『もうアキラがいるって言ったら怒られた』

「それは世の理不尽に対して怒ったんだと思うぞ!?」


 もしくは絶望したか、だ。

 晶は思わず出たツッコミのせいでさらっと流してしまっていたが、ややあってルリエルのさりげない恋人宣言に気づき、まだ恋人じゃないと訂正を入れるのは後の話である。

 そんな二人の様子を見てようやく正気に返った一対の目がそこにはあった。


「あ、あの……あなたは一体……?」

「ん? ああ、そういや自己紹介がまだだったか。俺は九重晶……いや、こっちだとアキラ・ココノエになるのか?」

『わたしはルリエル。アキラに取り憑いてるパートナー』

「パートナー……まあ、それなら別にいいか」


 少女は、はぁと気の抜けた返事を返した。


「……見えるん、ですよね?」


 と、ルリエルを指差しながら晶に尋ねる。


「じゃなきゃ会話できないしな」

『ん』


 顔を見合わせて頷きあう晶とルリエルを見て、本当にちゃんと見えていることを少女は再確認した。


「……あれ?」


 いつの間にか頬を伝う熱いものの正体が、少女にはわからなかった。ぬぐえどぬぐえど止め処なくあふれてくるそれは、少女自身が気づいていなかった感情の表れだ。


「ど、どうした急に!? ルリエル、お前わかるか!?」

『んーん、わ、わからない。大丈夫? どこか痛い?』

「あの、違……そうじゃ、なくて……っ」


 突然涙をこぼし始めた少女に晶もルリエルも原因がわからずに困惑し、少女もまたその原因をつかめずにいた。だが、嗚咽はどんどんと大きくなり、少女自身にも感情が制御できなくなっていく。


「あ、あたし……あた、し……っ、うぅ……っ、あぁああ……っ」


 ぐちゃぐちゃになった感情の奔流に押し流され、とうとう少女の心が決壊する。

 少女はずっと一人で幽霊が見えることを抱え込んできた。誰にも信じてもらえず、誰にも頼ることができない寂しさは少女の心を少しずつ、しかし確実に蝕んでいたのだ。

 晶も似たようなものであったが、彼には変態という部分に目を瞑ればこれ以上ないくらいの理解者がいたからこれまでやってこれた。少女にはそれさえなく、時には自分が見ているものが性質の悪い幻覚ではないのかと疑いながらすごしていた彼女は、ようやく己の理解者に出会えたことで安堵していた。それによって、これまでずっと我慢してきた感情があふれ出したのだった。


「あぁぁああああああっ! あぁぁぁぁああああああああ……っ!」

「あー、よしよし……」


 そういった少女の事情を知らない晶は、自分にすがり付いて大泣きしている少女に困惑しながら頭をなでてやることしかできない。

 孤児院にいた頃は突然泣き出した年下の子供(チビ)たちをよくこうしてあやしていた晶の手つきはとてもやさしく、そのせいで少女は余計に感情をあふれさせてしまう。その様子は見た目相応か、あるいは見た目よりも少女を幼く見せた。


「早く泣き止め。話が進まないだろ……ルリエル、なんとかならないか?」

『ん、自然に泣き止むまで待つしかないと思う』

「あぁぁあああああああああああああ……っ!」


 結局、ルリエルの言うとおりに少女がこれまでずっと溜め込んでいた感情を吐き出し終えるまで晶は少女の小さな体を支えてやるしかなかった。




「……おざわがぜじまじだ」


 鼻を鳴らす少女からようやく解放された晶の胸元は、すっかり涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。見慣れないものの上質そうな服を汚してしまったことに気づいた少女は少し顔を青ざめさせる。


「あ、た、高そうな服をあたしのせいで……っ! そ、その、あとで弁償しますから……」

「別に、このくらいなら軽く水洗いすればすぐに綺麗になるから気にすんな」


 神器であるこの巫女服はそういう性質を持っている。たとえ泥水の中に突っ込んだとしても、軽く洗うだけで新品同様の清潔さを取り戻してしまうのだ。難点と言えば、せいぜい少し乾きにくいことくらいだろう。

 替えの服は宿屋においてあるため、一度戻らなければ洗うこともできないが。


「それで、そっちの名前をまだ聞いてないんだが?」

「あ、ぞ、そうでじだ……ずずっ……あたしの名前はトトです」


 トトはクァンルサスで魔法薬ではなく通常の薬を作る薬師の子供、だった。

 だったというのは薬師だった両親はすでに亡く、今は冒険者ギルドで仕事をすることで生計を立てて一人で暮らしているからだ。両親が薬師だったためトトも薬草には詳しく、毎朝薬草採取依頼を受けては薬草を集め、そのついでに余った薬草でポーションを作って売っているのだ。


「魔法薬は薬師の専門じゃないから、効果はあまり高くないんですけどね」


 苦笑いしながらトトはそう言った。

 そもそも、彼女は両親から薬師の技術を習う前に天涯孤独となってしまった。薬の作り方は両親が残した本にある程度は書いてあっても、基本的な技術が無いのだ。ポーションの作り方も独学であるため、あまり質のいいものを作ることができなかった。


「両親を亡くしたのは、やっぱ悪霊のせいか?」


 トトは少し後悔をにじませる顔でこくりと頷いた。

 物心ついたときから幽霊が見えていたトトは、当然ながら両親に悪霊が取り付いたことにもすぐに気がついた。だが、両親に話しても信じてもらえず、教会に泣きついても子供のいたずらだと一蹴されてしまったのだ。もっとも、裕福ではなかった彼女の家に神官がやってくることは無かったかもしれない。


「神官が来てくれるのは、お金持ちの家だけですから……」

『……昔は、そんなところじゃなかった』


 千年という時間は長い。当時はどれだけ清廉だったとしても千年も経てば当時の人間はいないのだから、それはもう別のものと言っても過言ではない。

 晶はというと、自分と同じような過去を持つトトに共感めいたものを感じていた。


「……あ、アキラ、さん? 怪我をしてるんですか?」

「ん? あぁ、これか」


 トトが指摘したのは、晶の右腕にある小さな擦り傷だった。それは今日のホロゴースト討伐でついた傷だ。

 いくら巫女服の防御力が高いとはいえ、毎回無傷で勝てるわけではない。今のところは巫女服の防御を突破するような攻撃を受けていないとはいえ、それでも小さな傷くらいは受けてしまうことがあった。


「あの、これ、よかったら使ってください」


 トトがカバンから取り出したのは半透明の液体が詰められた小瓶だった。これが彼女の作ったポーションだろうということはこれまでの話からすぐにわかった。

 晶も万が一のことを考えてポーションを用意してはいるがこれまで一度も使う機会が無かったため、その効果がどれほどのものかは知らなかった。トトの申し出はちょうどいいといえ、晶はありがたくその効果を試させてもらうことにした。

 ポーションは基本的に飲むことを前提とした魔法薬だが、小さな擦り傷程度ならば塗るだけでもかなりの効果があり節約にもなる。

 とろりとした手触りのポーションをひとすくい傷口に塗りこむと、独特の清涼感と共に傷がどんどん小さくなっていくのがわかる。


「へぇー、結構効くもんだな」


 その右腕にはもう傷跡すら見えず、完全にすべすべの肌に戻っていた。


「ポーションを塗るのは美容にいいという理由で、貴族の女性たちは毎日肌に塗っているって聞きます」


 ポーションがそれなりに高価なのは、そこにも理由があるのかもしれない。

トト「……チラッ……チラッ」


長くなりすぎたので分割しました。

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